ここでは議会以外の活動を含め、感じたことや考えたことなどを皆様にお知らせし、ご意見や感想をいただきたいと思います。

ご意見ご質問のある方はどうぞ。貴方のメールをくまさんが私のところに運んでくれます(絵の部分をクリックしてください)

2002年
◆12月 ◆11月 ◆10月 ◆9月 ◆8月 ◆7月 ◆6月 ◆5月 ◆4月 ◆3月 ◆2月 ◆1月

2003年 
◆12月 ◆11月 ◆10月 
◆9月 ◆8月 ◆7月 ◆6月 ◆5月 ◆4月 ◆3月 ◆2月 ◆1月 

2004年
◆12月 ◆11月 ◆10月 ◆9月 ◆8月 ◆7月 ◆6月 ◆5月 ◆4月 ◆3月 
◆2月 ◆1月

2005年
 ◆7月  ◆6月 ◆5月 ◆4月  ◆3月 ◆2月 ◆1月 

2004年(平成16年)
10月(神無月)

31日(日)曇り 22222番達成!
 小国町に行った水道支援隊グループから9時ごろ連絡が入る。柏崎の宿舎を出て岐路に着いたとのこと。
  昼ごろイラクで人質になっていた香田さんの遺体が見つかるとの報道。今回は過去のケースとは違うと感じていましたがその残虐非道なやり方に憤りを感じる。しかし、テロに屈するわけには行きません。
 中町二丁目三井マンション建設計画反対で戦った吉田さんよりメールが入る。この反対運動を通じ「まちづくり条例」の必要性を痛感し調査していたものが出来上がったとの連絡。来月の議会で質問することになると思います。吉田さんを始めご苦労様でした。
 2日に講演を頼まれているいる話の内容にについて準備をする。
午後4時ごろ、水道支援隊として小国町に行ったメンバーから無事に帰ってきたとの連絡が入る。無事に帰って来てホッとする。ご苦労様でした。話を近いうちにお聞きしレポートします。
 夕方、西久保の溝渕さんからメールが入る。22222番を踏んだとの連絡でした。ありがとうございます。久しぶりにキリ番を踏んだとの連絡うれしいですね。同時に青森方面に出かけ十和田湖の紅葉の写真が添付されていました。紅葉の写真は明日乗せたいと思います。

30日(土)雨
 夜中3時自宅に帰る。
 いつの間にかアクセス数22,200回ちょうどを数えていました。ありがとうございます。
市政の出来事を中心に様々なことを載せて来ました。最近では定期的にご覧になっている方、特に、トップページの写真をお待ちになっている方もいらっしゃるようです。トップページの写真を集めもう少し良い画像で見ていただきたいと思い、8月から「武蔵野から」と題するアルバムを設置しましたが、そちらもまもなくカウンターは1000回を数えるまでになりました。
  また、先日もご自分の名前を検索したらこのホームページにたどり着いた方からメールをいただきました。毎日書き続けている「活動日誌」の言葉で検索にかかるケースが増えてきたような気がします。
  28日から、中越地震に対する武蔵野市の支援の動き、職員の奮戦振りを少しでも多くの方に知っていただくために専用ページを用意しています。是非ご覧になって下さい。これからもよろしくお願いいたします。
 午前中に小国町に行った水道関係のメンバーから無事に8時半頃着いたとの連絡がありました。作業は3時ごろ終わるとのこと。まずは安心。
 西久保コミセンで行われた「西久保一丁目町会自主防災組織研修会」へ。「自分たちの街は自分たちで守ろう」のテーマで開催した。市の方からは、防災安全課より丹羽副参事が見え、先日出発式を済ませた「武蔵野市民安全パトロール隊」を中心に報告をしていただく。皆さん関心を持っていただけたようである。引き続き武蔵野警察署、上野生活安全課長より、「オレオレ詐欺」の実態と予防についてデモテープを使って具体的に説明をしていただく。しかし、その場で「オレオレ詐欺」の電話がかかったことのある方との問いかけに4名の方がかかって来ていた。それぞれがパターンが違っていたようである。
6時ごろ小国町に行った水道関係者から電話が入る。4時ごろ作業は終わり柏崎の今夜の宿に着いた。今晩はこちらに泊まるとのこと。今夜から小国町の公営風呂は使用できるようになったようです。
お疲れ様でした。
 夕方より友人のお宅に仲間が集まり食事会。
 

29日(金)晴れ   水道部・『武蔵野市管工事協同組合』、小国町へ!
 朝から昨日の支援の動きの取材に防災課他へ。
 10時35分、昨日小国町から要請があったバキュームカーを業者とゴミ総合対策室の勝又係長、防災課の池田主事の3名による搬送部隊が永並助役の訓示を受け出発。
 震災の応援部隊のためのバスの手配をしている課や義援金の担当、庁内ではボランティア募集の回覧を見かけるなど、緊急事態を痛感。

 夕方、『武蔵野市管工事協同組合』でもお手伝いをすることがあるのではないかと提案しようと思い、組合に連絡を取る。午後、水道部より小国町への出動命令があったとのこと。以下、出発までの出来事をまとめてみました。(活動日誌でご覧ください)
 30日午前1時半武蔵野市出発。小国町から支援要請を受けて11時間という、それぞれの会社が普段は別々に活動している中、きわめて短時間で小国町に水道関係の支援隊を出すことが出来ました。その理由として
  一つには、25日の第1陣で行った中に高橋水道部給水係長が派遣されており、帰着次第、『組合に今日の事態に備えるように要請をしていたこと
 2として 「『組合は、日頃から阪神淡路大震災の現場調査や実際にその時活動した明石市の「「水道組合」出向き、その時の対応を研究し、「緊急時対応マニュアル」を作成し、緊急時に備えていたことなどがあげられます。
  明日は現地の天気も良くないとか、無事に勤めを果たし帰って来てもらいたい。
 
  私も今日は夕方から水道支援隊の出発までずっと見ていましたが、
武蔵野市は緊急時に対する物資はもとより、人的にもよく準備・訓練されていることが分かります。

  このほか、今日は午後3時に「バキュームカー」の第2陣として『武蔵野市管工事協同組合』のメンバーが出発しました。
  30日は、さらに9時半にバキュームカー2台が支援に向います。
 また、建物の診断の要請が小国町から夕方あり、それに基づき建物の「応急危険度判定士」の資格を持つ市の職員9名が小国町に30日昼12時出発します

 いよいよ水・食料といった物資の救援の期間から復興に向けての足取りが始まったようです。 支援に向けて武蔵野市はフル回転。
 支援隊を見送り事務所でHPをアップさせ自宅に帰ったのは午前3時過ぎでした。


バキュームカー小国町に向けて


29日午後6時30分頃:耐震用鋳鉄管120m(30本)
の積み込み作業



30日午前1時過ぎ:出発前最後の打ち合わせ

PM2:10
●小国町より公衆浴場を再開するため水道の漏水箇所の復旧のための支援要請
●現場の状況:本管φ75mmが漏水しているため断水している。断水区間100mを露出配管にて復旧依頼
2:40
水道部、『武蔵野市管工事協同組合』に支援要請
 3:05
●高嶋水道部長、荻野工務係長、井上『武蔵野市管工事協同組合』副理事長打ち合わせ。
●水道部からは押切工務課長、萩野工務係長を派遣。組合からは5名編成で派遣すること等を決定 。耐震用鋳鉄管等の材料が調達出来次第出発。30日午前2時出発予定。到着は午前8時〜9時を予定
4:00
●『武蔵野市管工事協同組合』事務所に組合員集合。状況説明の後、中嶋設備(株)をリーダーとし、井上工業梶A有)船木工事店、(株)五十嵐工業所、(有)小川設備工業所の5社より1名づつ派遣することを決定。
● 材料の手配、掘削機を始めとする工事に必要な道具の手配を直ちに済ませ、水道部に搬入開始。立会い:高橋給水係長、島崎主事、井上組合副理事長
 6:00
材料水道部に搬入開始
6:20
万一に備え、市は支援隊に対し保険の手続き完了
8:00
道具・材料、搬入・積み込み完了
30日(土)
AM12:45
20代2名、30代、40代、50代各一名計5名がそろう。頼もしい限りです。
1:35
●高嶋部長、三宅防災監も見送りに来る。また、市長より「充分注意して任務を果たすように」とのメッセージが伝えられ、3トントラック1台、2トンダンプ1台、軽トラック1台で小国町に向け出発。

次の動きはこちらから

 

28日(木)晴れ
 震災から5日目。今朝も地震あり。武蔵野では震度2。震源地の小千谷市では震度6とか。避難生活をされている方のお気持ちを考えると胸が痛みます。
  昨日の皆川優太ちゃんの救出には感動しましたが、母親と長女は残念でした。ご冥福お祈り申し上げます。優太ちゃんの一刻も早い回復をお祈り申し上げます。

 午前中は三鷹駅前の開発の件で事務所に近くの方が情報交換に見える。皆さん急に梅林がなくなり、時間貸しの駐車場が出来たりし急速に変化していると同時に様々なうわさが出てきているようである。一度、「三鷹駅北口開発を考える議員連盟」の会合を開き情報交換をする必要があると思います。また、ここの開発に関し市からの方針が出されるのが待たれます。

 防災課に行き新潟中越地震に対する市の支援活動を取材。私のところにも「市の支援はどうなっているのか?」などメールでの問い合わせが寄せられています。市では全力を挙げて支援体制を取り、今日までに6次の緊急搬送隊で様々な物資を友好都市である小国町に届けています。市の職員は昼夜を通し支援活動に取り組んでいます。ありがとうございます。その活動の状況や小国町の様子は市のホームページでも報告が載っていますが、その市の職員の活躍をさらに伝える意味でも、今日まで市の方から報告された資料などを整理し一覧できるページを新設いたしました。ご覧ください。(新潟県中越地震に関する武蔵野市の活動状況)

27日(水)晴れ
 震災から4日目。今回の地震は被害の程度は阪神淡路大震災に比べると都市部の密集地でないこともあり少なく感じますが、山間地に点在し、交通機関が断絶されていることもあり情報がなかなか行き渡らなず、支援の手が末端まで行き届きにくい。被災された方がお年寄りが多い。余震の程度が大きく家の中で過ごせない。等のため、連日の報道を見ているとじょうじょにじょうじょに災害が広がってきているような気がし阪神淡路のときより悲惨さが伝わってきます。
  武蔵野市でも連日友好都市小国町を中心に支援活動を行っています。今日も職員で編成された第6次の支援隊が出発する等、昼夜を問わず支援活動に励んでいます。また、義援金の窓口も出来市民の皆様からの支援が寄せられています。どうぞご協力ください。
 
 朝から、相談者のところへ。ちょうど避難標識を出来れば全国的に統一しようと活動なさっている方とお会いする。私も昨年の12月議会で、同趣旨の質問をしました。今このような地震が起こってみると改めて大切さが分かります。武蔵野市でも是非導入するように働きかけをしたいと思います。
 午後から事務所に相談者が見える。教育関係の相談。
夜のニュースで4日ぶりに皆川優太(ゆうた)ちゃん(2)が救出される。奇跡としか言いようがない。レスキュー隊の方々の命を懸けた活動に感動。母親と長女の無事を祈ります。
夜は仲間と情報交換会。
 

26日(火)曇り  
新潟では雨が降っているとのこと。3日目を迎え、水も食料も行き届いていない様子。心が痛みます。

 9時より「武蔵野市民安全パトロール隊」の出発式。本市はホワイトイーグルやブルーキャップによってきめ細かく安全・安心の街づくりを推進しています。このたびさらにきめ細かく地域に密着したパトロールを実施するため、地域を良く知っている商店主や農業者などを中心に市内全域、51丁目に
一人の割合で指名し「武蔵野市民安全パトロール隊」を準備してきましたが今日出発式を迎えた。市長から訓辞を受け武蔵野警察署長から言葉を受けての出発であった。今後の街の治安に大いに力を発揮することになると思います。

市民安全パトロール隊出発式
 終了後、防災課に寄る。昨日の状況をお聞きする。
昨日は6時半に出発した第1次搬送部隊は12時に小国町役場に到着したそうです。現地と打ち合わせ、救援物資の要望を聞き午後2時45分に現地を出発。
 3時15分第2次救援部隊出発。
 4時30分第3次救援部隊出発。
 4時45分第2回中越地震支援対策本部会議
 〜等が実施され、結局8時20分に第5次救援隊が出発し、現地に到着したのは今朝の3時20分だったそうです。その間、水、食料はもちろんブルーシート、毛布、おむつ、簡易トイレ等々武蔵野市が備蓄しているものを次々にお届けしたとのこと。また、友好都市の豊科町や酒田市からもストーブ100台など救援物資が届けられているそうです。友好都市の協力体制もフル稼働し始めました。先日利賀村に行ってきた直後だけに友好都市のお付き合いの大切さを実感します。
 市の職員も夜通し作業をしております。頭が下がります。

 

25日(月)曇り時々雨
 今朝の新聞では23名の死亡が確認され、2200人以上が負傷したとの報道。テレビでも道路や鉄道が分断され孤立した村からの救出作業が続けられている。朝は、おにぎり一つなどとの声も聞かれる。毛布が欲しい。今夜も路上で過ごすことになる等深刻な被害の状況が伝えらています。心よりお悔やみ申し上げます。
 12時より急遽代表者会議開催。小国町に対する救援に関する市の対応に関して市長より報告を受ける。
  発災後から小国町との連絡を取るも取れていないが、阪神淡路大震災の経験からとりあえず必要と思われる飲料水  2,208本、副食さんま2,400缶を積み、今朝、6時に防災監を始め4名の職員が小国町に向け出発。
  8時30分:小国町助役と連絡が始めて取れる。7,200人が被災。内1,200人が公共施設へ避難。6,000人は  路上で一晩過ごす。電気は停電。水道は通常の1/3程度利用可。食料が不足している等の要請を受る。         救援物資の搬送の準備に取り掛かり、ただちに中越地震支援対策本部(本部長 土屋正忠市長)を設置し、アルフ  ァ米、4,500食、毛布500枚、ブルーシート、暖かく食べられるお弁当3,000食等の追加支援と更なる職員の派  遣を決定し11時に第2便が出発。また、友好都市の豊科町と連絡を取り合い支援体制を組んでいる。
   さらに、トラックが調達でき次第派遣。 また、義捐金の受け入れ窓口も開設するとの報告がありました。
帰りがけに防災課をのぞく。あわただしく連絡を取り合い更なる支援の実施に向けて検討をしていました。
市は今回も非常に素早い、適切な対応を取っています。
 引き続き、市民クラブで市長への来年度の予算要望の打ち合わせ。今まで実現していない項目に加え、さらに市民の方からの要望を精査し追加して載せてもらう。
夕方から学生時代の友人の相談に乗る。
  

24日(日)曇り
 昨日の地震は活動日誌を書いた後、自宅に帰っても揺れを感じた。いやな予感がしました。土砂崩れが数多く発生しているようです。阪神淡路の震災のときと違って、山間地に住民住み、道路や鉄道の状況も複数ないために孤立しているところがかなり出ているようです。テレビを見ていますと、かなりのゆれを感じ、1300ガル以上の強さが出たという報道もありました。これは阪神淡路の818ガルよりもはるかに大きな揺れとなります。また、新幹線も始めて脱線するなど一夜明けると様子がはっきりするにしたがい予想以上の被害が出ているようです。震源地の小千谷市の隣の友好都市の小国町でも被害が出ているとの報道があります。どのような救援体制を取るのか?特に阪神淡路ではあまり聞かなかった路上で過ごした方が多いということも今回の特徴の一つかもしれません。まだまだ孤立している方が数多くいらっしゃる様子。心配です。
 朝から、西久保コミセン祭りの手伝いに。

23日(土)曇り
 今日の1枚は今朝、雨上がりの利賀村で見かけた「きのこ」にしました。高さ2〜3cm、傘の大きさは2〜3mmぐらいの大きさです。雨上がりの中で見かけたものですが、地元の方にお聞きいたしましたが名前は分かりませんでした。

 
昨日の雨で冷えたせいか急に紅葉が進んだ感じがする朝でした。朝もやにつつまれた山がなんともいえない美しさでした。
 
朝から武蔵野市から移住してから6年目になる12LDKの広さの畠山邸に全員で訪問。コーヒーをご馳走になる。すっかり利賀村に定着して、武蔵野市にいる時より元気になった様子。村の教育委員を勤めたり、二小のセカンドスクールや市民団の訪問の際は世話係として活躍されている由。壁には「畠山先生へ」と書かれた二小の子供たちがセカンドスクールでお世話になった寄せ書きが張られていました。充実したセカンドライフを姉妹都市の中で実践していると感じました。
 10時から、「山祭り」のセレモニーに参加し、名物の蕎麦や無料サービスの「なめこ汁」などをいただく。土地で取れたものをその土地でいただくのが一番。おいしかった。
 村長や議長に挨拶をして帰路につく。車で富山空港まで送っていただいたが、先の台風の影響で通常のルートでは50分で着くところが、迂回したため2時間以上かかりフライト直前に到着するというスリルを味わいましたが、無事に4時頃に自宅に帰りました。忙しい2日間でした。
 夜、小千谷市を震源とする地震発生。かなり大きそうである。死者が5名と報道されていたが、もっと増える見込み。台風で傷つけられ次は地震と胸が傷みます。少しでも被害が少ないことを祈ります。 
 

名前のが分かりませんが、利賀村で見かけた小さな小さな「きのこ」

22日(金)曇りのち雨

名誉村民の称号を受ける土屋正忠市長

米澤村長、野原議長の手による
村旗降納

ライトアップされた舞台装置で行われる「石かち」の神事
 2時からの利賀村の閉村式に出席。富山空港からの途中では木が倒されていたり、がけ崩れで道路が削られ片側通行になっていたり、エメラルドグリーンの水をたたえ我々を迎えてくれる庄内川も濁流となり流れる等改めて23号のすごさを感じました。
 いよいよ、友好都市の利賀村が115年の村の歴史に今月で幕が閉じられ、11月1日からは南砺市として新たなスタートを切ります。武蔵野市と30年以上の友好関係を作り、私も議員になって以来何度となく訪問したり、利賀の方をお向かえしたりと様々な思い出がある利賀村が、行政区としては幕を閉じるという式典に参加し、一抹の寂しさと利賀村民の胸中を察すると感慨深く、米澤村長の「私の決断はこれでよかったのかと何度も自問しています。これからもし続けることでしょう」という言葉を聴いた時、胸に迫るものがありました。幸い、双方とも今後も交流を続ける点では一致しております。二小がセカンドスクールでお世話になったり、利賀の子供たちが本市を訪問したり、市民交流も盛んに実施されています。都市と農村の交流が大事になってきている時代に今後どのように発展させて行くか、新たな南砺市との交流に対ししっかりと取り組んで行かねばならないと考えます。
 夜は、明日から始まる「山祭り」の前夜祭へ。この地方で合掌作りの家屋の新築の際に昔はどの家でも必ず基礎石を突き固める意味で必ず執り行われていた「石かち」の神事が再現され、明日行われる本番に備えての練習に参加することが出来ました。文明年間(1469〜87)に創建されたと伝えられる浄土真宗の古刹である西勝寺というお寺の門前で、ライトアップされた中で行われる様は練習とはいえすばらしいものでした。

21日(木)雨のち曇り

上弦の月:始めて青い空に浮かぶ月を写してみました。

雲がもう少しあると良いのですが
 朝、少し雨が残っていましたが10時ごろには陽が射してきました。各地に大きな被害をもたらした23号も武蔵野市ではたいしたことなかったようです。ホッ。
 午前中は警察で三谷交番の滝沢さんや西久保2丁目にお住まいの方などと新しい街の防犯に関する打ち合わせ。「自分たちの街は自分たちで守る」の気持ちで取り組む方がいると応援したくなります。年末までにスタ−トさせたいと意見が一致。
 午後から、薬剤師会が主催する「くすりと健康展」を覗く。引き続き公会堂で行われたシンポジュウム「ぼけは防げるか〜武蔵野市の新たな挑戦」を聞きに行く。なかなか面白いシンポジュウムでした。特に市民代表の方の素朴な意見と武蔵野市医師会を代表して参加された境病院の医師の具体的な例が皆さん興味が引かれたようである。武蔵野市がすでに取り組んでいることでもありますが、地域の助け合いが大切になるとの意見がパネラー全員から発言があった。痴呆に関しては定義を含めて、発症や進行のメカニズムに対する答えはまだどこも出していない。本年度予算で「痴呆発症・進行に関する学術的研究事業」といかめしい名前での事業として3200万円計上されていますが、どのようなものが出来上がるのか。まさに武蔵野市の取り組みは大切であると認識したシンポジュウムでした。
 なかなか台風一過とは行きませんが、夕日を写してみました。同時に今日は上弦の月を写してみました。 これが出てくると、だんだん空気が澄んできたんですよね。今年も武蔵野から見る「ダイヤモンド富士」をお届けできたらと思っています。
夜は、仲間と情報交換会。仲間と飲みながらの意見交換は楽しい。
22日、23日は利賀村の閉村式に行ってきます。

20日(水)雨
  台風の影響で1日中雨。23号も九州から始まり四国、関西とニュースを見るたびにひどい被害をもたらしました。東京でも夜になり風と雨が強くなってきました。今年10個目の上陸。例年は2〜3ということを考えると今年は異常に多いですね。
 利賀村の畠山さんが作ったお米をいただく。畠山さんのメールによると、昨年より良くなったようですが収穫量が少なく今年は玄米で180キロしか取れなかったようです。二小の生徒がセカンドスクールに行った時に一緒に収穫したものを束ね干して、ご自身が農協で精米したものだそうです。太陽が3日しか顔を出さなかったため味はいまいちとのこと。でも結構新米らしくおいしくいただけました。ただ、家は無洗米を使ってはいませんが、自宅で使っている普通のお米と比較して米糠が多かったとのこと。精米の方法に違いがあるのでしょうか。明後日、利賀村の閉村式に行った時に聞いてみましょう。
 元五小の校長先生の内山先生からもメールが入る。内山先生のHPを「リンク」のページに常設にしたお礼を兼ねて、視察の報告とトップページの写真の感想が添えられていました。いつもありがとうございます。先生を始めとする皆さんのご意見が何よりの励みになります。内山先生のホームページではご専門の子育てを中心として子育て中のお母さん方の役に立つページを目指されています。どうぞご覧になってください。
  だんだん雨が強くなってきました。今日は夜の予定を変更し早く帰ったほうがよさそうです。
 

19日(火)雨
 大型台風が、超大型台風になりました。その影響で昨日の気持ちの良い秋晴れから一転、今日は朝から1日雨でした。
  西久保一丁目町会イベント部会の打ち合わせ。12月行われる講演会の準備。若手の女性軍の行動力に感謝。
引き続き、近くの住宅で行われている「小笠原 賢雄回顧展」を見る。沖縄の紅型からヒントを得て、編み出した手法で、型紙を使いのりを使って書く着物の染物の手法を使う和紙に描かれた絵です。雰囲気的には着物の染物のような広がりを持つ絵です。題材は里山や故郷をなど懐かしさを感じる作品でした。お嬢さんのヴァイオリニストの田中理恵さんのHPにその作品の1部が載っていましたのでご覧になってください。
 夜は、サントリーホールで開かれたエディタ・グルベローヴァ「シューベルト、R・シュトラウスの歌曲を歌う」リサイタルに行く。世界最高のコロラトゥーラ・ソプラノを堪能してきました。人の身体が楽器であるとよく言われますが、心の底からそのことを実感させるすばらしさでした。最後は全員が立ち上がり惜しみない拍手を送りステージに向かう人も何人もいるほどの、実は私めもその一人ですが、盛り上がりを見せました。イャーすばらしかった。

18日(月)晴れ
 今日は爽やかな天気で役所に歩いて行っても汗を掻かなくなる季節になりました。
 昨日頼まれた件で担当者に問い合わせ。早速連絡。
三谷交番の滝沢氏より、今企画している件で警察、住民の方の打ち合わせの日取りが決定との連絡あり。うまくいくといいと思いますが。
 11時から、市議会市民クラブで来年の会派としての市長への予算要望に対する第1回打ち合わせ。1年経つと新しい要望が出てくるものです。特に会派としては新人が2名いるので見方の違う情報からの要望が出てくるのが楽しみである。
  昼休みを使い、武蔵野市テニス連盟の代表の方とコートのオムニ化について行政側に要望書を手渡す。
  夕方から他会派の方との情報交換。
 また、大型の台風が近づいてきています。被害がたいしたことのないことを祈ります。しかし、今年は多いですね。

17日(日)晴れ
 朝6時に本来なら私も同行するところでしたが、事務所や自宅に人が見えるので失礼したバス研修の出発を見送るため三鷹駅前に行く。今日はバスで出かけるグループ方が多いのか、4台も止まっていました。
 そのまま多摩湖遊歩道へ。久しぶりに気持ちの良い朝でした。
 視察中に連絡のあった方が、午前、午後と相談のため事務所にお見えになる。それぞれのお話を聞き明日役所で相談することになる。
 空いた時間は視察の整理とHPの更新をする。  

16日(土)晴れ
きれいな夕焼けが広がりました。カメラを持っていなかったのが残念でした。  
 午前中、国立で開かれている青少協でご一緒のHさんの作品展に伺う。林さんの作品を始めて見せてもらう。細かな夢のある水彩画で、なぜかほっとするような林さんの人柄そのままの作品でした。
  午後から、境の市民会館で開かれた「市立美術館運営の現在と未来」と題する吉祥寺美術館館長の茨城氏の講演を聞く。吉祥寺の喧騒から、F・Fビル7階の吉祥寺美術館に入るとそこは別世界が広がります。大きさも適当で好きな場所の一つです。出来てから3年、順調に推移しているようである。予算がないため企画展を開催しても目録を作れないとのこと。企画展はその美術館の歴史であり、その記録を残す上からも目録を作りたいものです。一度予算要望をしてみたい。
引き続きスイングで開かれた、「武蔵野市国際交流協会創立15周年記念パーティ」へ。今回はボサノバとジャズバンドが入って盛り上がった会になりました。来月の「むさしの国際交流まつり」が楽しみです。
夜は、立川で開かれている大学の友人のお店のイベントに顔を出しそのまま一杯。

 

15日(金)晴れ
 今日の1枚は、視察の合間に撮ったコスモスです。今はコスモスの花盛りですね。コスモスはメキシコ原産で和名はアキザクラと始めて知りました。ほとんど使われていないですね。花の形や散り方は、サクラとはイメージが異なるためではないでしょうか。
  コスモスにはミツバチを始め様々なハチや、蝶が蜜を吸いに訪れていました。
 朝早く起き、長良川まで1時間散歩。早朝の冷えた空気が気持ち良い。岐阜市は今日も良い天気のようだ。視察最終日。岐阜駅前からバスで郡上八幡市へ。教育キャンプ場を40年間経営してきたノウハウを活かしNPO法人を取得し、野外教育の実践をされている郡上八幡自然園を視察。日本一大きなメタセコイアが聳え立ち、69のバンガローが立ち並び、教室や工作室、体育館、プールまで備えた立派な施設でした。バンガローも学校の先生の管理、警備の問題を考え同じ大きさで、接近して立てるなど利用者の立場に立って考え、工夫が随所にされていました。施設見学を済ませた後、園長の三浦さんより説明を受ける。町議を三期勤められ引退し、この事業に専念しているとのこと。目標として、
1.都会の大資本に飲み込まれない工夫
  ・資本的対決は避ける。
  ・都市型の逆を考える。
  ・具体的にはメタセコイアなどの大樹を育てる・地元の人と者を活かす。
から始まる9つの目標についての説明を受ける。どれもすばらしい指針でした。特に、6番目の指針では
6.自前の10万円は、補助金の100万円に負けない
 ・公金は「打ち出の小槌」から出たお金ではない、皆の汗である。
 ・バンガロー建設、プール建設・水道施設等の建設費は公共事業の1/10以下
と書いてありましたが、行政の補助金に頼らない姿勢を貫き、それゆえにハード、ソフト両面に渡って自由な民間の発想を大事にし経営しているとのこと。昨年度もこの姿勢を貫き、純利益267万円を上げたそうです。
武蔵野市でも長野県川上村に「自然の村」といった自然体験施設を持っていますが、行政側にも是非一度見ていただきたい施設です。
  今回の視察は、@クラブ活動をすべての生徒が受けられるように、A図書館の住民サービスの向上のために、B子供たちの自然体験、といった武蔵野市でも大きな問題になっているテーマについて視察してきました。共通して感じたことはいずれもその事業に取り組んでいる方が情熱を持って取り組んでいるということです。つくづく人を活かす行政が大切であり、専門職化することも大切な要因であると感じました。
 夕方、7時ごろ吉祥寺着。吉祥寺で降りそのまま医師会の会長の通夜式へ。

 

14日(木)晴れ  東京都違ってこちらは連日秋晴れの快晴が続いています。
午前中は、大阪市立中央図書館へ。9時ごろ着くと5、60人の方が入り口で列を成しているのにはビックリ。地上5階、地下6階建ての建物で武蔵野市の中央図書館とは比べられない大きさの施設です。最大330万冊の蔵書可能な書庫を持ち、年間約10万人の利用者があり貸し出し冊数約1万冊を数える図書館です。特に自宅のパソコンでの予約はもちろん、24の図書館を結ぶわが国最大規模の図書館情報ネットワークシステムを稼動させていたり、調査相談窓口の充実に力を入れるなど図書館機能の高度化はもちろんですが、担当の方は24年間図書館行政に携わっておられ、その図書館行政に対する熱意をひしひしと感じ、携わる方の情熱がここまで進んだ図書館運営を作り上げていることを感じました。武蔵野市の図書館でも非常に参考になる視察をすることが出来ました。
 午後は、大阪府立中ノ島図書館を視察。この図書館は、今年で創立100年を迎える図書館でビジネス支援を大きな柱の一つにしている特色ある図書館です。ちょうどこの日もホールで「ビジネスセミナー・対中国ビジネス実践の智恵」といったセミナーが開催されていました。今日は岐阜市まで移動。
 

大阪市立中央図書館:列を成して開館を待つ

 

13日(水)晴れ
文教委員会視察。堺市へ。
 武蔵野市でもそうだが、中学校におけるクラブ活動が生徒数の減少やそれに伴って教員の配置が少ないため、顧問の先生が付かないなどの理由で廃部に追い込まれるクラブが増えてきています。堺市はこれらの現象を予測し平成8年より「ドリームチーム」という拠点校システムをつくり近隣の廃部になり、したい種目のない他の中学校に通う生徒が、拠点校に通いその中学校の生徒と一緒に練習をするシステムを確立していました。遠くは、50分くらいかけて通って来る生徒もいるそうです。
 柔道など個人種目では通っている中学校での名前で出場することも出来るそうです。ただ、バスケットなど団体種目のケースでは大会によっては出られないなどの問題もあるようです。いずれにいたしましても、この問題は武蔵野市でも共通の悩みです。議会でもたびたび論議されているところですが、堺市教育委員会の取り組みは大いに参考になりました。今後議会の中でもこの実例を挙げ、質問していきたいと思います。
今日は大阪泊まり。

12日(火)曇りのち雨
 朝から、昨日の運動会の席で2名の方に相談を受け、3連休で来たものを含め4件の相談事で役所内の担当者を駆け巡る。その合間を縫って告別式へ出席。

 10月1日からゴミの有料化が始まったが、その後について担当者から話しを聞く。まだ確定の数字ではないが、今まで「不燃ごみ」として出していた「プラスチックゴミ」が「可燃ごみ」に入ったこともあって、「不燃ごみ」は昨年同時期と比べ98トンが27トンに減っているそうです。 プラスチックが「可燃ごみ」に来たため、「可燃ごみ」は314トンが329トンと少し増加しているようです。
 荒っぽい比較ですが、 全体的に9月の最終週と比べると3割近く減っているとのこと。有料化を目前にして駆け込みで出された方もあったと思われますので、一概には言えませんが確実に減っていることは間違いないようです。
  その他の変化としては、有料化に伴って生ゴミ処理機の補助金の申請が増加しているとのこと。有料ゴミ袋の使用率は1戸建てで99.9%の方が利用しているそうです。すばらしい。しかし、集合住宅ではまだもう一息とのこと。確かに街を歩いていても、アパートなどで「ルール違反です」と書かれた黄色いシールが張られているのが目に付きます。担当者は連日その指導に当たっていますが、落ちつくまでに今しばらくの時間がかかりそうです。昼に夜に、休日にとご苦労様です。
  ゴミの減量や戸建てにおける袋の使用の徹底、生ゴミ処理機の補助金の申請の増加等、武蔵野市民の意識の高さはもちろんのこと担当者の努力が目に見える形で実りつつある結果になっているようです。
  有料化の議案に賛成したものとして、今後しばらくして落ちついたところでの数字をまた、取材したいと思います。

 夜は行きつけの喫茶店が、建て替えのためしばらく休業するとの話を聞きつけ伺う。新春には再開するとのこと。楽しみである。
明日から15日まで文教委員会の視察。図書館行政や中学校の広域的なクラブ活動等について調査してきます。

11日(月)曇り時々雨
 今年も市民大運動会は雨にたたられました。朝から、霧のような雨が降り、開会式のが始まる時間には少し強く振って来ました。開会式を遅らせ始まりました。時々小雨が降りましたが何とか1日もち、無事にすべての種目をすることが出来ました。3年振りでしょうか。私はエントリーされた種目で、3位に入りニンジン、ジャガイモ、タマネギの詰め合わせ、カレーセットを賞品としていただきました。リレーで女子が2位と健闘しましたが、我が五小地区は総合成績は10位で終わりました。やり始めればみんな夢中になり結構楽しんでいたのではないでしょうか。大玉ころがしという種目に出ましたが、何がなんだか分からないうちに終わってしまったりしたゲームもあったようです。反省会で発言をしておきたい。それにしても天気予報がまったく当たりませんね。どうしたのでしょうか。
 片づけを手伝い、同僚の議員の父上の通夜式に。

10日(日)曇り  大型台風と言われた台風22号も全国的には様々な被害をもたらしたようですが武蔵野市には大きな被害はもたらさなかったようです。
 それにしても天気予報もあてになりませんね。今日は台風一過、晴れの予報でしたが、朝から小雨がちらつく1日でした。恒例の道を久我山まで歩く。

 知人が出展している「下社の御柱祭」の作品を見るため 、芸能劇場で開かれている武蔵野市民文化祭の一環である「第13回ドリーム21写真展」を見に行く。6枚組みの写真でしたが、なかなかの力作でした。特に何気ないお年寄りの写真が印象に残った作品でした。

 引き続き、恒例の吟詠剣詩舞大会の式典に出席。ご高齢の方が頑張っているのもいいが、若い人が舞うのも良いものです。中学生の荒井龍之介が若山牧水の『白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ』と言う青春の孤独と悲哀を詠った詩にあわせて舞って見せてくれました。華麗で素敵でしたね。拍手。

 2時過ぎから明日の市民大運動会の準備の手伝い。明日は雨が降らないでくれることを祈ります。我が地区では藤井実行委員長を始め皆さんがこれだけ準備してきたんですから。
 

「清明」を舞う荒井龍之介君

 

9日(土)雨
 
台風の風と雨の1日でした。東京は予想されたよりも被害はなかったようですが、今回も台風がもたらした影響は大きかったですね。
  相談を受けた方のところに行っていましたら西久保の中村さんより電話あり。先日彼より聞かされてはいましたがNHKが「難問解決ご近所の底力」の番組で西久保一丁目の新たな交通規制についてこの雨の中取材に来ているとのこと。事務所でお会いする。新たな交通規制の取り組みについて1時間ぐらい取材を受ける。中村さんを始め住民の皆さんのお力でうまく行ったと説明をする。今後NHKでどのように取り上げられるのか。
  夜は台風が通り過ぎたのか雲も切れ風も止む。明日は台風一過か。

8日(金)雨  今日の1枚は近くの駐車場の脇に咲いていた、「ニラ」の花です。鍋物や味噌汁に入れるとおいしいですね。ユリ科の植物でアジアが原産地で「きはつくの 岡のくくみら 我摘(つ)めど 籠(こ)にも満たなふ 背なと摘まさね」 (くくみらはニラの意味)と万葉集にも詠われるようにだいぶ昔に渡来したようです。 しかし、こうして花をじっくり見ると確かにゆりの花に似ていますね。
 
台風が近づいてきているため、雨がだんだん強くなってきました。また被害が出なければいいと思います。武蔵野市でも昔は水が出ると北町の中央図書館の裏の低いところに水がたまりボートが出たのを思い出しました。
  午前中は事務所に三鷹駅北口の梅林周辺開発の件で相談に見える。三鷹駅北口の梅林自体は時間貸し駐車場になっているが一時的なものと聞いている。それに伴って周辺も動き出したようである。相談に見えた方には市の方針を話しアドバイスをする。
  引き続き別の件で建築指導課に相談されている件を確認に行く。

  夕方から公会堂で行われた「武蔵野市安全・安心まちづくり講演会」へ。講師は前広島県警本部長で現在東京都副知事として活躍なさっている「竹花 豊」氏。従来では考えられない犯罪が多発するようになった現在において今までは警察の領域だった対応を今後は行政を交え警察、行政、住民等多軸で取り組まなければならない時代になってきた。現実に東京都ではその方針で取り組んだ結果、犯罪が少しずつではあるが減少してきているとのこと。
  武蔵野市においては、早くからそのことに気づき「生活安全条例」、「つきまとい勧誘行為の防止及び路上宣伝行為の適正化に関する条例」を平成14年に東京都に先駆け制定し、「ホワイトイーグル」「ブルーキャップ」などの実働部隊を持って防犯に勤めています。また、今月末からは「安全パトロール隊」を編成し市民と行政が一体となって警察と協力し犯罪を防止する体制を全国に先駆けて創ってきました。
 これからの時代、安心して住める環境を守るためにも「自分たちの街は自分たちで守る」との精神が大事です。それは、西久保一丁目で行われている交通規制の問題も同じだと思います。これからも、我々が何が出来るかを考え創り上げていくことが大切だと改めて思った講演会でした。昨日の文化的な講演会、今日の実践的な話と2日間にわたり公会堂で有意義な時間を過ごすことができました。  
 

西久保二丁目駐車場にて

7日(木)晴れ
 午前中は既設のビルの受水槽を撤去し直結給水に変更する件で相談に乗る。水道部で現状を良く調べて下さり、その後の対応を考えることにする。相談に見えられた方も安心したようである。しかし、3階建て以上のビルの直結給水を認めるようになって5年近く経った。議員になって最初の質問が受水槽を撤去することを主張した関係もあって、この種の相談は大変多い。大部分はうまくいきますが、気の毒にも変更できないケースも若干ある。また、最近安全でおいしい水への関心がますます高まってくるにつれこの種の相談が増えてきました。
「クリーンむさしのを推進する会」市民中央集会に出席のため武蔵野芸能劇場へ。例年と違い今年は趣向が少し変わって行われた。また、ゴミ問題の標語を募集していたが、当選者が発表された。最優秀賞は西久保の御手洗登美子さんの作品「ゴミの日の出し方ひとつで変わる街」に決まった。御手洗さんおめでとうございます。
 「クリーンむさしのを推進する会」は行政と協力し市内各地区でゴミの排出抑制を始めとし啓蒙活動をしている団体です。今回の有料化の説明会でも動員を始め様々な形でかかわってきました。
 夕方から武蔵野市の水道事業者の指定工事店の組合である「水友会」創立50周年記念パティーへ出席し祝辞を述べる。私も水道事業に携わっていた頃は参加していましたので、懐かしい方ともお会いする。半世紀にわたって武蔵野市と共に水道を守ってきた皆さんに感謝。
  その後、武蔵野地域五大学共同講演会の口火を切って、基調講演として行われた政策研究大学院大学副学長の西本晃二氏の講演を聞きに公会堂へ。題は「ルネッサンスと現代ー日本人の視点からー」でした。途中からでしたが、ルネッサンスの変化を芸術はもちろんあらゆる部門からの変化を例に挙げ話され、現代に結びつけるという知的刺激を受ける話であった。たまにはこのような話を聞かなくては。 

6日(水)晴れ
 昨日までとはうって変わって青空の広がる爽やかな秋の1日となりました。 久しぶりに朝歩く。いつの間にか「ホトトギス」が咲き始めていました。朝早く、ひんやりした中を歩くのは気持ちが良い。役所まで歩いても汗をかかなくなりました。歩くと言えば、まだ「健康ウォーキング」を続けていますよ。10月1日にようやく四国88ヶ所巡りを結願しました。夏の暑さでだいぶかかりました。現在はスイスに飛んで歩いているところです。涼しくなってきましたのでこれからは距離を伸ばせそうです。元に戻りつつあった体重も下げなくては・・・・。西久保の溝渕さんから、結願祝いをしようとのお誘い。ありがたいですね。
 高齢者福祉の相談のため相手の施設に行きお願いにあがる。帰りに役所に寄り土地の問題等で頼まれている件を担当課に相談に乗ってもらう。
 議会が終わり10日。 ここのところ相談の件が増えている。 

5日(火)雨
 今日も朝から強い雨が降り続きました。今年は雨が少ないと思っていましたがこの雨はどうなっているのでしょうか。異常気象ですね。そういえば、今年は「異常気象です」と昨年NHKのテレビで農業をしている主婦が話していたのを思い出しました。
 武蔵野青年会議所OB会の昼食会を兼ねた役員会に出席。その他は、事務所で原稿書きや読書をして過ごす。
   

4日(月)雨
  今日も1日中雨。雨の中、金木犀の花の香りが1日1日と強くなってくるのも良いものです。
1日から始まったゴミの有料化の実施状況を担当課に取材。全体的に約6割の方が有料のゴミ袋出だしているが、まだ4割の方は従来通りの出し方をしているとのこと。また、吉祥寺東町・中町・緑町・関前の4地区は、今日から戸別収集に移行しましたが有料化のスタートを同じと考えた方もいたのではないかと思います。もちろん有料袋でないものは収集しない方針で徹底を図っているとのこと。そう時間もかからずに徹底すると思うとのことでした。
 

3日(日)雨
 昨日「ツユクサ」をアップしたせいでもないでしょうが、久しぶりに雨の1日でした。
  今朝の新聞のトップはどれも昨日のイチローの偉業をたたえる記事で埋まっていた。珍しくスポーツ新聞を買ってまで読む。今日も気が抜けるところなのに切らさずに今日も打つ。たいしたものです。次は、4割かジョー・ディマジオの56試合連続安打の記録か。こうなったらすべて塗り替えてもらいたいものです。
 テニスのコートの改修の件で要望書を出すことになりテニス連盟より原案をいただき検討する。何とか来年度、コートのオムニ化をしていただきたいものです。会派としても要望を出したいと思います。

 先日までトップページを飾ったコムラサキの件で、元五小の校長先生をお勤めになり、今も要所要所でアドバイスをいただいている、内山先生からメールをいただきました。ムラサキシキブとコムラサキは先生も同じものと思っておられたそうです。変種として扱われているようですが、「コムラサキは園芸種としての改良が進んだもののようですとのこと。地方によってはコムラサキをコシキブ(小式部内持に例えた)とも呼ばれるそうです。また、オオムラサキシキブという 大型の実をつける種類は 海岸変種で 本州・四国・九州の海岸地方に見られるとのこと。土壌によって 赤系 紫系があるそうですから 土地の様子 肥料などが 色に影響するのでしょう」と言うメールをいただきました。
いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。尚、先生のご専門である子育てに関するHPを開設しておられます。先生のご意見、ご感想は大変参考になり、私も時々覗いては参考にしています。皆さんもアクセスをしてみてください。常時、リンクのページにも内山先生のホームページを置いておきますのでよろしくお願いいたします。

2日(土)晴れ

リッツエル湖とマッターホーン
白川義員展ー前人未到の軌跡ーパンフレットから
 朝散歩の途中で、おなじみの「ツユクサ」がまだ咲いていました。5月から6月の梅雨のころから咲き始め今でも咲いているのですね。1年の半分は見かけらことになります。花期の長い花ですね。名前の由来の一つが梅雨の頃に咲き、いかにもその頃に似合うから「ツユクサ」と付けられたようですが、もっとも「露草」と書きますが、これだけ長く咲いているとどうなんでしょうか。これも好きな花の一つです。

  第五小学校の運動会へ。暑いぐらいに晴れ渡った運動会日よりでした。ある保護者の方と話をしてましたら、うちの子供は、徒競走で1位になれないのですとの話。なぜと聞いたら、前もって走って同じような速さの児童が組を作って走るからだとのこと。保護者の方も言っても直らないとか。前にそのような話を聞いたので、意見を言った記憶がありますが、まだそんなことをやっていたのかとビックリ。個性を生かす教育等と言っているがその方針に反することではないでしょうか。また、言わなければならない。

 イチローの試合を見る。257安打、258安打と続けて見ることが出来ました。257本目の安打を打った後、1塁ベース上で「フー」と大きく息をついたのが印象的でした。258本目ではチームメイトはもちろん、レンジャーズの選手、スタンドのファン等球場全体が一つになってたたえて、クールなイチローも涙を浮かべていたように見えました。チームメイトから祝福されたあと、スタンドにいたシスラーの関係者に挨拶をしたのも良かった。最後まで変な敬遠もなく堂々と戦うアメリカ人の心の広さに関心。歴史が作られる一瞬を見届け感激。

 吉祥寺美術館で開催中の「白川義員展ー前人未到の軌跡ー」を見に行く。2時からの本人の「ギャラリートーク」を聞く。隣に座った方は、2時から開始のこの会に11時に横浜から来たとか、杉並から来たなど熱烈なファンが多く押しかけ、立ち見が出て会場一杯の盛況でした。話も従来の写真の概念をいかに打ち破ってきたかとの戦いの歴史の話であり、まさに写真としての新しい表現を作り出すことはもちろん、新しい写真を撮ることが「前人未到の軌跡」であったとのことがテーマでした。その戦いの中から得た点、また現在は海外での生活が長いゆえに感じる現在の日本に対する警告を交えた文明論であり非常に面白かった。日本の現状を憂える例えの一つに五小で感じたとの同じ運動会の徒競走の組み合わせの話をされていました。終了後、サイン会も行われ、私も写真集2冊を買ってサインをしていただきました。律儀にご自分で持ってきた筆で、落款まで用意して来ていました。
 事務所に寄ったら、館長と話をされていたのでご一緒させていただきさらに話を聞くことが出来ました。現在は、世界の滝を写しているが、次の企画の構想を練っているとか。期待したいと思います。
 1日400人を越える方が入場される日もあったとか。写真も1枚1枚が、白川氏がテーマにしている「神」の存在を感じさせる作品が並びすばらしいものです。26日までです。ご覧になってください。

1日(金)晴れ 今日から10月。早いものです。
10月は神々が出雲に出かけて国を空ける月なので神無月。神々が集まる出雲だけはこの月を神在月と呼ぶ。出雲市では10月に「神在月出雲全国そばまつり」が実施されるとか。

 5時に起きてイチローを見る。今日は1安打。あと記録まで1本になった。3打席目の三振などを見ているとさすがにプレッシャーがかかっているのでしょうか。明日は新記録まで一気に行ってもらいたいものです。

 都民の日の催しとして、境の浄水場見学が実施された。朝の散歩を済ませ10時からの見学会に参加。私を入れて4人の参加でした。緩速ろ過方式の浄水場としては東京ドームの約4.5倍の広さを誇る日本で最大規模の浄水場です。大正13年に通水を開始した長い歴史を持つ浄水場で、東京都ではここと砧、砧下浄水場だけが緩速ろ過方式です。緩速ろ過方式とは、原水(境浄水場では多摩川からの水を村山・山口貯水池に貯めそこから運ばれてくる)を砂や礫層を通しすと共にろ過砂の表面や内部に発生したバクテリアで不純物を取り除きろ過する方式で薬品を使わないためおいしい水が出来るわけです。しかし、ここの水は、武蔵野市には供給されずに都内の千代田、渋谷、世田谷区などに供給されています。ここで出来た冷やした水を飲ましてもらいましたが大変おいしい水でした。
事前 に申し込めば普段の日でも見学できますので興味のある方はどうぞ。
 午後から葛飾区に住む知人から出展しているので見に来て欲しいとの連絡があり、青砥駅近くにある葛飾区の「かつしかシンフォニーヒルズ」で開催されている写真展を見に行ってきました。どこでも同じような文化祭をやっているものですね。しかし、あまりにも立派な建物でびっくりしましたが、閑散としており利用状況はどうなんでしょうか。
 帰って来て役所に行き、9月議会での一般質問の原稿をチェックする。約1時間にわたる質疑を、限られた字数でまとめるためなかなか難しい。 

境浄水場内
村山、山口貯水池からの取り入れ口

近くのお宅で見かけた「カラスウリ」
西久保一丁目にて

 


▲先頭に戻る▲ ●トップページに戻る● ▲アルバム「武蔵野からへ」▲