ここでは議会以外の活動を含め、感じたことや考えたことなどを皆様にお知らせし、ご意見や感想をいただきたいと思います。

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8月(葉月、月見月)


31日(水)晴
 2日目。18選挙区の中を府中、小金井両市を中心に遊説が始まる。
 西久保一丁目で一昨年から地域の皆さんの協力でスタートさせた新しい交通規制が始まって、ちょうど丸2年が経過しました。それを記念して、協力されている皆さんがお集まりになり懇親会を開催する。その席に呼ばれる。あわせて議長就任のお祝いを兼ねての会になった。そこでも土屋候補のことが話題になり応援の弁を述べる。
 夕方、議長室で決裁を済ませねばならないものがあり決裁ために市に行く。

30日(火)晴
 いよいよ公示。
小泉首相が第一声を吉祥寺北口を選ぶ。武蔵野市始まって以来である。9時半の始まりが9時ごろから人が続々集まり始め、小泉首相の頃には身動きが取れない状態であった。約6千人集まったとか。郵政民営化から始まり、政策を力強く訴え、最後に土屋候補の役割である真の地方自治への三味一体の改革には必要な人であるとと強調される。期待のほどがヒシヒシと伝わる演説であった。また、土屋候補も自分の役割として地方自治体の実情を分かるものとして、永田町で力を発揮したいと力強く演説をした。
富山県南砺市利賀村から前助役他2名が応援に駆けつける。ありがたいことです。

29日(月)晴れ
 就労支援センターMEW協同就労支援システムの勉強会に出席。
知的障害者の就労支援を行っているMEWの皆さんにも頑張っていただきたし、応援したいと思います。
夕方より新聞販売店の皆さんの組合の総会へ。市報の新聞折込などで協力をいただいており、また昨年はクリーンセンターでアセチレンのボンベが爆発した際にもいち早く市のお知らせ対応の折込を入れ市民に注意を喚起するなどの協力をしていただいています。
商売を抜きにしての取り組む姿勢、体制を作ろうとしているお話をお聞きした。


28日(日)晴れ
総合防災訓練。10年ぶりに吉祥寺の繁華街を中心に行われる。朝9時半から開始という時間で、商店も影響を受けたでしょうが協力をしてくださりスムーズにできたようである。実際に地震などが来た時にはこの繁華街対策が大きな問題になると思われます。
今回は参加者も多く、買い物に来ていた方も訓練に参加したりして繁華街での訓練はうまくいったのではないかと思います。街の安全・防災に力を入れてきた土屋市長の最後の公務がこの防災訓練になった。
 私の事務所を使って選対会議が開かれる。後2日。

27日(土)
土屋市長選対本部の事務所開き。約120名ぐらいの方がお見えになり盛大に開催される。挨拶のみで簡単に済ませる。
 夕方から武蔵境にある武蔵境自動車教習所主催の「交通遺児チャリティフェスティバル」へ。初めてご招待を受け参加。教習所の敷地をいっぱいに使い、メインステージを中心とし屋台もかなり出て大変な賑わいでした。遅くなると花火も打ち上げるとか。
一企業である武蔵境自動車教習所がこれだけの規模でこの催しを企画し運営していることには驚きました。参加者にお聞きいたしましたら、毎年楽しみにしているとのこと。地域における企業のあり方を考えさせる催しでした。
 引き続き、桜堤の中央公園で開催されている、「サンバリエ桜堤自治会」の夏祭りへ。早い時間だったせいかまだ人の出も少なくゆっくりと皆さんと話ができました。
小金井公会堂で行われた「第18選挙区立候補予定者公開討論会」へ。初めての菅VS土屋の直接対決とあって込むのではないかと思ったがそれほどではなかったが、論戦は熱を帯びたものになった。土屋さんは、さすがに22年の実績から具体的な数字を挙げ鋭く意見を述べていたのが印象に残った。いよいよ公示まで後3日。

26日(金)晴
 台風11号の影響も武蔵野市ではたいした被害も無く、ホッとする。気温がぐんぐん上がり暑い日でした。
外環特別委員会、鉄道対策・農水省跡地利用特別委員会が開かれているので、役所で決裁などをしながら過ごす。夕方より、選挙関係の打ち合わせに出席。直ちにお手伝いの方の依頼をする。

25日(木)雨
 台風が近づいている。雨が降っていて、午前中は公式の仕事も無いので久しぶりに少しゆっくりしようかと思っていたところに、選管の委員長が市長選の日程が委員会で決定したので報告にいらっしゃるとの連絡が入りすぐさま役所へ。本日委員会を開催し、正式に10月2日告示。9日投票日と決定したとの報告を受ける。急なことなので大変だとは思いますが、遺漏無きようにお願いいたしますと挨拶。
帰ろうとした頃。「都政タイムズ」の斉藤社長がお見えになる。選挙戦などの情報交換をする。
 夕方から、土屋選挙対策会議に出席。終了後お世話になった方のお通夜に。

24日(水)晴
 建設委員会傍聴。市長は公務のために途中退席。
 夕方から、恒例の土屋市長のビールパーティへ出席。急に決まったことなので励ます会に急遽変更になり、近隣の市長始め1000名近くの皆さんがお集まりになり熱気が異常なほど盛り上がる。期待の大きさをひしひしと感じる。私も議長として挨拶をし乾杯をしたが壇上にいてもいつもの様子とはまったく違っていた。今回はいつもと違って最後まで帰らない方が非常に多く感じられた。
 終了後、市民クラブで打ち合わせ。

23日(火)晴れ
 今日も朝から暑い日でした。
 9時から正副議長、議会運営委員会正副委員長による四者会談開催。今日の議会運営について確認する。
9時15分 議会運営委員会開催。議事進行について確認。終了しだい代表者会議。8月29日の土屋市長最後の日のセレモニーについて報告。無会派の議員に今日の議会運営委員会で決定したことを報告し協力を求める。
 10時。時間通り本会議開会。
 土屋市長から8月19日に議長宛に出された辞職願の辞職日を8月29日付けの希望通りに認めることをはかる。全会一致で承認する。引き続き「衆議院選挙の実施に伴う予算の専決処分に関する件」を議題とする。いくつか質問も出たが、全会一致で議決する。
 いよいよ、土屋市長本会議での最後の挨拶が始まる。約20分にわたる挨拶でした。市の職員時代から数えると40年もの長きにわたって市政に携わって来たことになる。ご苦労様でした。
 特に57年12月23日に当事土屋市議会議員の事務所で、自由民主党武蔵野市議団のから市長選への推薦の使者を向かえる時に立ち会ったことを思い出し、市長の最後の挨拶を議長として一番近くで聞くのも縁か。不思議なものを感じました。
 




22日(月)晴れ
 酒田市阿部議長来庁。
酒田市との交流は、消防団の交流をきっかけにし始まったもので青空市、桜祭りにも酒田の物産が販売されたり、酒田市への市民交流団が訪問したり、セカンドスクールの実施などでお世話になるなど交流が続いています。
今回は「むぎわら帽子」の視察にお見えになりました。麦わら帽子では姉妹友好都市の物産を販売しておりますが、酒田の物産は売り上げ金額においてもトップを走っている状況を担当者から説明する。酒田市は、11月1日から合併しますが引き続き交流をとのお話を伺う。先日お邪魔した時にも阿部市長からも同様のお話を伺っていましたが、武蔵野市の市長が変わることになりましたが、私個人としてはこの交流は必要であり大切にしていきたいと考えを述べました。
 明日は、臨時議会。土屋市長の最後の挨拶が行われる。議会事務局とマスコミの対応や明日の運営について打ち合わせ。
 利賀村の畠山さんがその瞬間に立ち会うためにわざわざ利賀村から出てきたとの連絡。ご苦労様です。

21日(日)晴  先日、久しぶりに関前公園を通りました。池には睡蓮の花が咲いていました。また公園では、イトトンボが交尾していました。何と言う名前のイトトンボなのでしょうか。さて、睡蓮と言えばモネの作品を思い出します。30数年前リック一つでヨーロッパをあるいた時に、パリのマルモッタン美術館で見た睡蓮の部屋が思い出されます。たしか中心に長椅子がおいてあり、そこに座ると回り一帯にモネの睡蓮が書かれていたのを思い出します。いつかもう一度訪れてみたい場所です。こちら関前公園の睡蓮は2つ咲いているだけでした。
 市民クラブ、自民党の市議団、土屋後援会の皆さんと午前中から選挙に関する打ち合わせ。事務所の場所も決定し作業に取り掛かる早さ。あっという間に選挙の準備が進んでいきます。
 「新党日本」の旗上げが行われる。以前の新党ブームの時には新党側に明らかに改革を目指す動きから立ち上がった感があったが、それに比べると今回は自民党の非公認のグループの選挙互助会的な要素が強い。
 


20日(土)晴
 今日も暑い日でした。朝からテレビで衆議院選の報道を見る。竹中大臣と菅直人氏が討論をしていたが、菅氏は郵政民営化についての竹中大臣の質問にたじたじ。民主党の郵政に対する考え方で国民の方に理解が得られるのだろうか。まずは、自民党の圧勝であった。だんだん郵政民営化の問題が、争点になってきているようであり、国民の関心もかなり高まっているようである。自民党のいわゆる「刺客」も擁立がほとんど終わったようである。各党のマニュフェストもでそろいじっくりと読んでみる。今回の選挙は今までの選挙と違い、はるかに大きな意味を持つ選挙にである。関心も高く毎日めまぐるしく状況が変わっているため忙しい。

19日(金)晴
 土屋市長から議長宛に辞職願が出される。臨時議会の打ち合わせ。
 午後から、他の会派との打ち合わせ。市長は順調に精力的に動き回っているようである。我々が出馬を聞いてからわずか3日も経たないがその動きのすざましさにはいつもながら感心する。
夜は、私の活動を支えてくださる方が集まって議長就任のお祝いをしてくださる。40名ぐらいを予定していましたが、60名を越える方々が集まって下さいました。最後には、土屋市長、小金井の稲葉市長もお見えになり盛り上がる。正式には10月を予定していましたが、このような状況でどうなるのか。

18日(木)晴
 都議会議員松下玲子氏議長室に訪問に来る。20分ばかり話をする。
 引き続き「防災総合会議」に出席。8月28日に行われる総合防災訓練の概要の説明を受ける。今回は10年ぶりに吉祥寺の繁華街で行われる。今まで以上に市民の方の参加をお願いする。
  商工会議所の会頭が議長室にお見えになる。稲垣会頭になられさらに商工会議所の活動は活発になっているようである。
 夕方から、農業委員の交流会に出席。都市型の農業を維持していくことは緑の問題等環境の問題や食の安全、防災の面からも必要であり、議会としてもご協力させていただくと挨拶。それにしても都市での農業を営むのは大変だとつくづく感じる。
 国民新党が結成される。郵政民営化賛成か反対かの選択を迫る自民党の候補者の擁立が注目を浴びている。今のところ小泉首相の作戦は当たっているようである。


17日(水)晴
 総務委員会。継続案件の陳受6号「事業にかかわる支出金額の広報に関する陳情」を審議し全員賛成で可決された。
 すぐさま代表者会議開催。引き続き議会運営委員会で23日に土屋市長の辞職に伴う臨時議会を開催することを決定。その後議会広報委員会開催。午前中に4件の会議をしたことになる。
  その後他の会派の議員の方と衆議院選についての情報交換。
 

16日(火)雨
 朝、役所に行き直ちに土屋市長から連絡があり、十八選挙区から市長が自由民主党から出馬することを正式に告げられる。昨晩から、いろいろな方面から情報が入っていたので、いくつかお考えをお聞した。8日の日に議員団が集まり打ち合わせをした時には全然そんな話が無かったでしたが、先週市長が韓国に行ったりしていた合間に話が来たようである。
 市長から話を受けて、市長の辞任の為の臨時議会の日程などを議会事務局と打ち合わせ。秘書課と打ち合わせを済ませ、明日に代表者会議、日程の変更などを決める議会運営委員会を明日開催するように指示する。
 市長は夕方、正式に小泉首相、安倍幹事長代理等々から出馬の要請を受け決意したとのこと。
  この国の仕組みが大きく変わろうとしています。、官から民へ、中央から地方への大きな転換点であり、今回の選挙は歴史的な選挙となると思われますが、そのような時に、住民にもっとも身近な自治体の運営に精通している方が国政の場で発言をしていくことは大変意義のあることだと思います。私も30年近く土屋市長とお付き合いをさせていただいていますが、いかにも土屋市長らしい決断だと感じました。昼間に大分大きな地震が起きましたが、武蔵野市にとってこの地震は、さらに大きいものでした。

9日(火)〜15日(月)
 夏休みを取らしていただきました。

8日(月)晴れ
 議会運営委員会、代表者会議が開かれる。いずれも議会改革に関する議題でした。いくつかが決まり早速実行できるのもの決まりました。
予想通り衆議院解散になる。
夜は、議員団が集まり打ち合わせ。今日の出来事はまた書き込むつもりです。
以上の報告の通りです。明日から、夏休みを取らしていただきます。15日に帰ります。1週間失礼いたします。

7日(日)晴れ
 涼しいうちにウォーキング。今日は中央公園の周りを歩く。顔見知りの方と出会う。
関前公園で睡蓮などを久しぶりに写す。カメラを持つのも久しぶりである。
 明日行われる議会改革に関する資料を読む。議長になって今取り組む課題の最大のものである。情報公開とIT観点の環境をいかに整えるかが大きな流れだと思います。
 夜は、緑町都営住宅、中央コミセンの夏祭り、吉祥寺の月窓寺の門前市に顔を出す。夏祭りも議長として呼ばれほとんどに出席しているがそれぞれに特徴があって趣がある。

6日(土)晴れ
 いよいよ郵政法案は否決される状況のようである。基本的には郵政民営化は賛成である。しかし、進め方にはいかにも無理がある。広島で語った小泉首相のの発言も弱気になったようである。解散を脅しの材料に使ってここまで来たが土台無理があったと言うことか。これで解散にでもなったら何の大儀でするのか分からなくなる。可決の努力よりも小泉首相の説得の方が大事なのではないだろうか。景気一つ見ても踊り場を抜け出しつつある状況がもし空白が生じたらどのように変わってくるか分からない。また、予算のシーリングも進まず来年度の予算に大きな影響を与えることでしょう。無用な解散は避けるべきだと思いますが。
 久しぶりに時間が出来たので、HPの溜まっていた分を片付ける。これだけ泊まりが多いとなかなかうまく書き込めません。
  それにしても暑い日々が続きます。

3日(水)〜5日(金)  友好都市の山形県酒田市及び岩手県遠野市を議員の皆さんと訪問。毎年姉妹、友好都市と交流を深めながら、市民団の自然体験ツアーや子供たちのセカンドスクール等でお世話になっている御礼を兼ねて訪問しています。
酒田市は消防の交流から友好関係をきずいた全国でも珍しいケースです。防災協定を結び、毎年の防災訓練には坂田氏から救援物資が届いたという想定の訓練なども行われております。市民ツアーやセカンドスクールでもお世話になっています。街中を少し案内していただきましたが、北前船で栄えた商業都市の面影を残し歴史と文化の厚みを感じました。また、学生時代に自転車で日本縦断した際に国道7号線を走り、47号線を最上川沿いに走った思い出のある街でした。
  4日はバスで5時間かけて次の訪問地遠野市へ。昭和60年ごろに三鷹駅前の施設で地元の企業が遠野の材木を使った建築をしている関係で遠野物産展を開催したのが始まりでした。その後武蔵野市と正式に交流が始まり、セカンドスクールが遠野の地で開催されたりしましたが、昨年から「親子ふれあい自然体験IN遠野」が好評で、本年2回目を迎えています。行った時も遠野ふるさと村で親子連れ25家族87名が、そば打ちや、けいらん作りに地元の方の指導で挑戦していました。ある家族の方に伺ったところ、昨日は民泊をさせてもらったが遠野の皆さんが、決め細やかにサービスしてくださるので大変楽しく子供たちも自然を満喫しているとのこと。遠野市の方に伺ったところ家族構成にあわせ民宿のペアリングをしてくださっているとお聞きいたしました。ありがたいことです。毎年この事業は行っていますので皆さんも民話の故郷遠野市を訪問してみてはいかがでしょうか。
酒田市は11月、遠野市は10月に合併を控え今後の交流をどのようにお考えかをお聞きすることも今回の目的に一つでしたが、両市とも今後も引き続き交流を継続していく意向だとのこと。議会としても大いに歓迎をしたいと思います。
 5日は議長会があるため、議員団とは別行動で朝、9時前に出発し東京へ向う。午後3時よりの8月定例議長会に出席。初めての議長として紹介される。これで、ようやく3回の泊まりのある公式行事も一段落です。

遠野ふるさと村にて
曲り家:何とも言えない懐かしさを感じました。
今日は「親子ふれあい自然体験IN遠野」の参加者はここに泊まります

酒田市:米蔵に今も使われている山居倉庫

2日(火)晴れ
 議会運営委員会。8月から11月までの日程の確認他であった。終了後、マンション問題で相談を受けている団体の方が挨拶に見える。担当から説明を受ける。皆さんの要求と市の方向がかなり一致していると感じる。うまく進めば良いと思います。
 西久保一丁目で住宅の問題で相談を受ける。最初の方の要望は建築業者もかなり受けてくださりスムーズにいったが他の方が、さらに要望を持ってこられたので、無理だと判断し残念ながら関与するのはお断りした。出来るだけのことは協力したいが、無理なものは無理である。はっきりとお断りするのは辛いが仕方がありません。年に何回かこのようなケースがあります。辛いですね。

1日(月)晴れ
 いよいよ8月。早いものです。別名月見月と言うのは梅雨が終わり月見を待っている気持ちが出ていて好きな呼び方です。
 
朝から、役所で井之頭小学校50周年の記念誌掲載原稿と市民交響楽団創立30周年の記念誌の原稿書きをする。その後溜まっていた決裁をしたり議会改革に関する書類を読む。
 夜は、立川高校の同窓会、武蔵野紫芳会の大先輩の皆さんが暑気払いを兼ねて議長就任のお祝いをしてくださる。ありがたいことです。
 

8月らしく睡蓮を:武蔵野自然園にて



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