親鸞  聖人のみあとを訪ねて

1区  平成22124日天気 晴

       手記と歩行者  西久昭
                    
               住職談 西方寺門信徒会切り込み隊長です。

1区のレポート(稲田草庵からJR新治駅まで)

 

    スタート地点は、親鸞聖人様が、越後から関東の地にこられて在留20年間、主に  ベースキャンプの地とされた稲田御坊跡です。

 稲田山西念寺は、茅葺の四脚山門があり鎌倉中期の築と思われる切妻造で国の重要文化財に指定されています。山門を潜りますと、親鸞聖人様のお手植えと言われる銀杏の巨木があり、「お葉つきのイチョウ」と書いてありました。

受付開始は八時からで、歩かれる方は19名と3人の地元世話人及び築地本願寺の方々です。



八時半から出発式があり、一同合掌礼拝の後、開式のことば、真宗宗歌と続き実行委員長の山本教務所長さまから、昨日の荒れた天気から日光山がよく見える上天気になった事、親鸞様が教行信証の著述を頂いたお陰で我々が救われて居ること等、京都本山まで645Km体調管理を行い完歩してくださいと結ばれました。続いて茨城東組長挨拶、事務連絡があり、カウントダウンで二発の花火を上げ出発は9:00ちょうどでした。

ルートは、JR福原、岩瀬、新治駅までのコースで約19Kmです。



2名の方が途中リタイアしましたが、私が感心しましたのは、栃木県東組から来られた、82歳のおばあちゃんで、歳ですから今日途中で死んでも良いと思い応募しましたと言いながら一番先頭を歩かれ最後のクールダウンまでしっかり完歩されました。




手記と歩行者 塘 幸生

親鸞聖人のみあとを訪ねて〜稲田から本山へ歩く〜 に参加しました。

 

12月3日夕方4時20分に、稲田御坊・西念寺に到着しました。

宿泊者は、私一人でしたが、一番いい部屋を用意してもらい、5時から食事をおいしくいただき、風呂は家族用の風呂に入らせていただき、とても細かい心遣いを、有難くお受けさせてもらいました。

夜8時頃に、突然どしゃ降りの大雨になり、西念寺奥方様が「雨がかなり降ってきたね、明日は大丈夫ですかね・・」とお寺の皆さんから心配してもらってくれている。本当にありがたや〜。

いよいよ明日出発か、と多少緊張しながらちょっと早目の10時半に就寝。

4日朝6時起床、昨夜の雨のことがあり、心配して見返橋を望むとしっかり見える、本日の晴れを確信しました。

ひんやりとした空気が身を引き締める。凛としてすがすがしい京への旅立ちの日である。

 7時からの稲田御坊本堂でのお朝事も、正信偈と阿弥陀経を30分間に短縮してのおつとめでした。

ここにも、お寺のご住職方々のこころからの温かいまなざしを感じました。気をつけていってらっしゃい、と。

8時から受付を済ませ、8時半からの出発式開式に参加、出発前のラジオ体操、茨城東組組長の号令のもと二発の花火で9時5分前に、見返橋を出発しました。歩かれた方は19名の仲間と3人の地元世話人そして築地本願寺の方々でした。最初の一歩がこんなにも嬉しいことか、またまた感激でした。

第一区は稲田御坊・見返橋より途中休憩しながら、食事は好きなお寿司を食べて新治駅まで18.7キロを無事完歩しました。当たり前かな()それは・・二人ほど途中リタイヤしましたが、栃木県東組から来られた82歳の老婦人が(おばあちゃん)が「歳ですから今日歩いている道中で死んでも悔いはないよ、と思い参加申込しました」と・なんともみごとに完歩されました、その心意気と姿勢に感動しました。「大丈夫ですか?」と聞いている私が逆に「頑張ってよ・・」と励まされていました。

まさに親鸞さんの弟子として、一緒に歩かれているような姿を感じさせてもらいました。

私も、見返橋の地からの歩みが、本山へと続くのだと感動でした。親鸞さまもこの地面に立って出発されたとき、今私の立っている足跡は、親鸞さまと同じ足跡の上に居させていただいているのでは・・・そのような情景の場所として彷彿させてもらいました。

御同朋(どんなことがあってもあなたを見捨てないとの阿弥陀様のあたたかなまなざしに支えられている仲間)とともに歩ませていただき、身も心もパンパンにあつく燃え盛ってしまいました。

 信心の行者にお育ていただき、今回の仲間との旅は無上の歓喜を味わいました。

自分の方からいくら望んでも本日の出遇いはありません。阿弥陀様のぬくもりに出遇わせてもらいました。

親鸞さまが、稲田西念寺より京都へと旅立つ前夜はどのような心境であったのか?

この見返の場所に立つ歓びを親鸞さまは、京都への一歩としてどう感じたのか?

この見返の場所に立つ親鸞さまは、恵信尼さまとの別れをどう受止められたのか?

前日から御坊にて過ごすことができたのも、生かされている自分を振り返ることができた見返橋でした。

今後は、32区間歩いて2011年4月9日大恩忌法要初日の朝のおつとめ前に到着します。

全区間歩くと言われる御夫婦参加の方(門推10回生)には、ごりっぱと感服しました。

私も今5区間は申込済ですが、あと3区間は希望したいと思います。

 誰かご一緒したいという方がありましたら、すばらしい感動を共有したいと思います。ご縁お待ちしています。

ちなみに、4区は私もスタッフとして、守谷駅〜高林寺(23.6キロ)を担当します。

親鸞さまの思いを踏みしめて、み教えを仰ぎながらの旅にしたいと思います。

 

追記

稲田御坊・西念寺の坊守の稲田幸子さんよりメ−ルをいただきました。

12月4日はお見送りできず、申し訳ございませんでした。
奉仕作業から帰ってから家の者に聞きましたところ、大変立派な開会式で、素晴
らしかったと感激しておりました。私も拝見・拝聴したかったけど残念でした。
塘さん、西さん共に完歩とのこと、本当におめでとうございます。
筋肉痛など大丈夫でしたか?
新治まででもスゴイ!と思うけれど、歩くことしか手段のなかった親鸞様(昔の
人)は本当にエライですね。旅路を想像するにつけ、ご苦労に頭が下がります。』と。

前日から宿縁をいただき感謝申し上げます。おかげさまで、みんなの思いが伝わった大変有難いご縁でした。

「み法に会えば人の世の旅路も 味わい深く心ゆたけし」

 

一区担当 報告者 塘でした


2区 行程 長福寺(筑西市)から関東鉄道常総線石下駅まで 22,3km

3区 行程 石下駅から守谷駅 まで 22`

4区 行程  つくばエクスプレス守谷駅(茨城県守谷市)から浄土真宗本願寺派高林寺(千葉県松戸市上本郷)まで 23.6km

5区 行程 北松戸駅から築地本願寺まで 24.1Km

6 行程 本願寺築地別院(東京都)から川ア宿(神奈川県)まで19.7キロ


7区  川崎宿から戸塚宿まで  23,5km

8区 JR戸塚駅横浜市)からJR平塚駅まで(神奈川県)まで22.9キロ

9区   平塚宿から小田原宿まで   22,0km

10区   箱根湯本から箱根駅伝ミュジアム

11区  箱根駅伝ミュジアムから三島駅

12 区  三島駅から吉原駅まで  22.2km

13区    吉原宿から興津宿

14区  興津宿から府中宿まで

15区 府中宿から藤枝宿 22キロ

16区 六合駅〜掛川駅  全行程 26.6Km

17 区  掛川宿(掛川駅)から見付宿(磐田駅)まで  19,4km

18区 見附宿から浜松宿

19区間  浜松宿〜新居宿

20区 新居宿から吉田宿まで 26キロ

21区  豊橋〜藤川   距離    24.2km

22区 藤川駅から知立 21キロ 晴


23区 知立宿から名古屋別院まで
  23.1km


24区  名古屋別院〜桑名宿まで 23.0Km

25 区  桑名宿(近鉄長島駅)から四日市宿(JR四日市駅) 25,3km

26区 三重県 内部(うつべ)駅から関駅(関宿) 22.7キロ

27区 関宿(せきじゅく)から土山宿まで 17キロ

28区 土山宿から石部宿(JR草津線甲西(コウセイ)駅)まで 21.2キロ

29区  石部宿〜石山駅 21.2Km(JR草津線甲西駅〜東海道線石山駅

30区  JR石山駅〜三条大橋  17,4km

31区 三条大橋〜本山前(緑風荘)まで 6,5km

32区(最終区間)レポート(京都緑風荘から本願寺本山まで 約0.5km)

御礼 西方寺上記イベント、無事完歩しました。

“みあとを訪ねて”。昨年十二月四日、茨城・稲田をスタートして、三十一行程を経て京都・本願寺までを親鸞聖人の帰路地を訪ねて歩く。七百五十回忌大遠忌法要が始まる朝、門徒推進委員の方々の企画によるこのイベントが完結しました。企画をした門信徒の人たちの熱い思いが、参加された多くの同朋に感動を与えたことでしょう。

私が住職を務めている西方寺では、イベントに歩行参加した人75名(総数)、協賛金で参加した人三十八名、約三カ月、門徒式章をバトンにして引き継ぎ無事に完歩、おおいに盛り上がりました。

住職の私も3行程参加し、その一回は地震の翌日(2.12)で一人旅でした。東海道五十三次の絵にある乙川(おとがわ・愛知県岡崎市)を一人で渡っていると嬉しさがこみ上げてきました。当寺では、旅行や団参でも企画引率は、世話人の采配で行われています。このたびの “みあとを訪ねて”も、手配、予決算もすべてが世話人によって行われ、住職である私は完全なお客さんです。いつも世話人の一所懸命になっている姿を見ていたので、その世話人の人たちへ百分の一でもご報謝できているという思いが、乙川を渡る一歩一歩の中に感じられ、念仏を称えながらその有り難さに涙が出ました。

そして四月九日の朝五時半、サプライズがありました。本願寺の正門で、関東からの同朋が小雨の舞うなか開門を待っていました。重厚な門が開くと、その正面に本願寺総長をはじめ宗門の幹部がならび、傘をささずに深ぶかと礼をして関東の同朋を迎えてくれたのでした。

晨朝が終わって新門さまのお言葉、橘総長のご挨拶をいただき、総長は「あれほど感動したことはなかった」を口にされました。おそらく聖人が関東の門弟を迎えた時のことを追体験して感動されたのだろう思われます。

この企画を提唱され完歩に向けて推進された方々に、惜しみない敬意を表します。

西方寺750大遠忌記念行事≫

―親鸞聖人の帰洛路路を歩くー茨城・稲田から京都・本願寺までー

このイベントは東京教区の門信推進委員会が企画する「親鸞聖人のみあとを訪ねて〜稲田から本山へ歩く〜」への合流イベントです。2区以降の紹介は下段よりお入りください。

  2010124日(土)〜201149日(土)