親鸞聖人の帰洛路を歩く 茨城・稲田から京都・本願寺まで
7区 川崎宿から戸塚宿まで 23,5km
手記・歩行者 続木栄一・良子夫妻、松尾俊彦
参加人数 28名(随行者4名、参加者14名)
午前9時準備体操後川崎駅前を出発してしばらく進むと京急八丁畷駅手前に松尾芭 蕉と弟子が別れた記念碑がありこの先色々な史跡を見ながら進みました。
旧東海道には各所に一里塚、江戸見付、なにわ見付があり、歩くのにいい目安でした。
昔の面影がある魚屋さんが今でも営業されているようです。鶴見川橋を渡ると生麦事件(1862年9月14日)跡の碑を見て神奈川のキリンビール横浜工場で休憩、神奈川公園で昼食を取る。
午後は、神奈川宿歴史の道では安藤広重が東海道五十三次の絵の一枚に描かれておる「田中家」が今でも営業されていました。又竜馬の妻の「おりょう」が仲居で働いていそうです。
横浜の台所で有名な洪福寺松原商店街では買い物客でにぎわっていました。
保土ヶ谷陣屋跡を過ぎると善然寺の長谷山住職、房守さんが激励に見えられお菓子
の差し入れを戴きました。
この先、大学駅伝で有名な權太坂を上りきった所、不動坂には武蔵国と相模国の塚があり、ここでしばし休憩しました。
この先、東海道の面影が残る品濃一里塚を経て東戸塚駅(開業S55年10月1日)に到着、小休憩し途中、不動坂で組長さんの出迎えを受け元気を頂、無事全員、坊守、
お子さん、門信徒の方に迎えられ善了寺さんに全員無事、午後4時到着いたしました。
到着後、讃仏偈を拝読、戸塚歴史研究会の会長さんから戸塚宿についてお話を頂ました。
又総代のお話を戴きながら美味しい「ぜんざい」をご馳走になりました。
善了寺さんから完走記念に「腕輪念珠」を戴きました。
川崎から戸塚を歩いて
社会人になって三十数年、今思えばこんなに歩いた事は有りませんでした。
善了寺で迎えて頂いた時には、私も妻も足が痛くて痛くてたまらなくなっていました。
川崎駅に集合し旧東海道の史跡を辿りながら、「生麦事件やおりょうの田中屋さん」
「武蔵の国と相模の国の境木」「思っていたより急な権大坂」
今は道も整備され歩き易くなっているのですが、それでもこんなに大変たった事を
思えば当時の親鸞聖人が歩かれた時代は六十二歳と言う年齢で道路もでこぼこで
いかに天変だった事かと思われました。
まして、三十分の一の距離を歩いただけなのに・・・・・。
そんな事を、色々思いながらも夫婦で歩き切らせて頂く事が出来ました。
そして、皆様方とご縁をいただきました。有難う御座いました。
続 栄一
朝、松戸の駅で電車を待っている時、雪がちらついていて今日はどんな日に
なるのかなど思いながら出かけましたが、日中冬晴れに恵まれ日陰こそ風が強く
寒かったが、日向はホカホカ暖かく、普段運動不足で歩いた事もない生活をしている
私達夫婦。 川崎 戸塚と言う上地は数十年前に数度訪れた程度にしか
馴染みが無い土地でしたが、旧東海道が所々残っている道を歩いて
「神社仏閣が多い街だね。」とか「坂道の多い所だね。」とか色々発見しながら、参加者
の皆さんとおしゃべりしながら、権大坂では夫婦で励まし合いながら
重くなった足をゴールの善了寺に向け、一歩一歩引きずりながら歩いて 感動!
大変だったけど忘れられない1日になりました。
皆さん有難う御座いました。そしてまだ先まで歩かれる皆さん頑張ってください。
1月17日 続 良子