8区 平成23122日 快晴

JR戸塚駅横浜市)からJR平塚駅まで(神奈川県)まで22.9キロ

西方寺参加者及び完歩者 ;須藤友之、赤座規子、西田裕三

手記 西田裕三

○ 参加者総数23名、築地別院2

○コース責任組;鎌倉組

○出発900分 到着1613分 所要時間7時間13


○このコースは、午前中、あの箱根駅伝の3区(戸塚中継所から平塚中継所)のコースの一部と重なります。アップダウンの多い区間です。午後は、本願寺派の2つのお寺、永勝寺と上正寺にお参りしながら国道1号線に沿って行く平坦コースです。

○出発後30分過ぎ、「大坂」を登りきったところから駅伝コースに入りました。多数の車が行きかう中、旧東海道松並木などテレビでおなじみの風景が見られ「あ、こんなところか。」と感心しながら歩いていきました。意外に感じたのは、遊行寺坂の下り勾配が急だったことです。復路の8区はこれが登りになり、2区のゴンタ坂に匹敵するそうです。なお、時宗総本山遊行寺は坂をほとんど下り切ったところにありました。




○お昼近くに駅伝コースともお別れし旧藤沢宿に入り、永勝寺に到着。法要中であったため、先に昼食を摂りました。お寺からトン汁とお饅頭をいただきました。その後本堂にお参り。このお寺は江戸時代の「飯盛女」のお墓があることで有名です。飯盛女は食事の給仕もしますが、夜のお相手もしたと言います。親の借金の替わりに身を売られた薄幸の彼女たちの墓を旅籠の主人が自分の墓域に建立していました。
1212分お寺発。




○午後
120分過ぎ上正寺着。お汁粉を頂戴し、坊守さんからお寺の沿革をお聞きしました。開祖(中興の組?)は鎌倉初期の武将、佐々木四郎高綱。頼朝が近江から落ちていくとき従ってきた武将で、源平の戦いの宇治川の先陣争いは有名。後、出家して真言宗の僧となった。寺はこのように真言宗の寺であったが、その後、浄土真宗に改宗している。歩きながら鎌倉組の人に教えてもらったが、親鸞聖人は、平塚のお寺には8回ほど訪れているそうである。そんなこともあってか、鎌倉周辺の浄土真宗のお寺は天台宗、真言宗から改宗したお寺が多いそうだ。




3時過ぎには、普通右に見える富士が左に見える景勝地「南湖左富士」を通過したが、かすんで見えない。「馬入り一理塚跡」(京まで111里)通過。

○帰路平塚駅から快速に乗車。戸塚駅まで所要時間約20分。歩きとの差、

6時間50分。親鸞聖人の時代と比べて、こんなに便利になったというのに、我々は時間を有意義に過ごしているだろうかとチラッと頭に浮かんだ。