親鸞聖人のみあとを訪ねて
23区 平成23年3月13日 天気 晴
東京教区 千葉組 西方寺門徒 西久昭
23区レポート(知立宿から名古屋別院まで23.1km)
22,23区共歩く予定で、11日に柏駅に行くと大地震で電車が動かず駅で待機、
其のうち駅舎が危険ですので第一小学校へ避難してくださいと誘導された。
22時頃、回復の見通しが立たないとの放送で帰宅.
12日一人で歩かれたご住職より知立駅でたすきの式章をバトンタッチ、
今日も全体での歩きは中止ですが西方寺からの二名だけの歩きとなりました。
知立駅を8時10分出発、
ひたすら国道一号線(東海道)を一枚の地図を頼りに名古屋に向かって歩きました。
途中の刈谷市で名古屋まで25kmの道路標識が有り、
23.1kmでなく少し長いのかなと話しながら、豊明市の境川のほとりで給水休憩。
大谷派西蓮寺で子供姿の親鸞様に御挨拶、
つぎに目にとまったのが、桶狭間の戦いで戦死した方を埋葬供養した戦人塚、
桶狭間古戦場では、今川義元が織田信長に襲われて戦死したと伝えられる田楽狭間を拝観。
戦人の哀れ、我々の無常を感じつつ、傘の形をした笠寺駅を左に見ながら到着した壮大な東本願寺の名古屋別院、
その先西本願寺別院に到着参拝の後、教務所に挨拶して退散したのが3時でした。
親鸞聖人のみあとを訪ねて〜稲田から本山へ歩く〜 に参加しました。
手記と歩行者 塘 幸生
23区 2011年3月13日(日) 天気 晴れ
知立(ちりゅう)宿〜本願寺名古屋別院 23.1km
22区(12日)も歩く予定で、11日2時40分に柏駅に行くとまもなく大地震が起き、
駅舎がガタガタと大きく揺れて怖くなり、外のコンコ−スへ出て気がすっかり動揺してしました。
しばらく駅で待機していましたが、余震が続き 駅舎も危険だからと、
駅近くの第一小学校へ誘導され避難しました。
22時頃、駅に戻ると、「地震の為閉鎖中」とJRのシャッタ−が封鎖され、
回復の見通しがないのでやむなく諦めました。
ただ高島屋は、帰宅難民を店内に受入れて、柏商店会の方々と共に、
災害用の保存水とパンを配られておりました。
帰宅難民らしき方に話しかけましたら、
「仕事で柏に来たが、自宅は横浜、家族とも携帯連絡がとれない、
電車止まったので、此処の高島屋に泊まるしかない」と、・・。
私も息子が心配になり、バスにて帰宅しました。
この日、息子は渋谷の勤め先から動き始めた銀座線(21時半頃)で上野まで着いたが、
23時半頃、常磐線不通のため柏まで歩くことを決断しました。
北千住駅に12日1時半頃着いたそうです。
その駅で知り合った40代の男性と一緒に、
夜間営業のコンビニでトイレ休憩・コ−ヒ−などご馳走になり暖を取りながら
暗い道をいろいろ励ましながら、松戸駅近くまで歩いたそうです。
3時40分になっていましたが、その方の松戸のご自宅に寄って、
車で柏の家まで送っていただいたそうです。
息子は、家へ帰ってきて興奮していました。
・・・・朝4時半頃だったと思います。「親爺、今日はすごい親切な方に遇ったよ、ものすごく嬉しかったよ。
その人も歩いて疲れているし、こんな時間になっても送って下さったよ。
こんな方がいるんだ、本当に有難かったよ。時々余震有るし助かったよ」と、
「その方は、何か云ってた」と聞いてみると、
「その人は、歩くのが少しきつかったけど、一人でなくて君と一緒に歩けて、嬉しかったよ。
暗い道もあったが、君がいてくれて安心だったよ。有難う」と、話してくれたよ。
どんなに苦しくとも、決して一人では生きているのではないよ
、暗い夜道で、明るい大きな船に出遇い、
その明かりに向かって進む力が湧いたと、感謝したいです。
話を聞いていて、ふと目がしらが熱くなりました。
23区 2011年3月13日(日) 天気 晴れ
知立(ちりゅう)宿〜本願寺名古屋別院 23.1km
さて、親鸞聖人のみあとを訪ねて は、
大震災のため、東京教区としては、22・23区は中止になりました。
そのような状況の中、12日一人で歩かれたご住職より、
知立駅でたすきの式章をバトンタッチされた、西さんと二名だけで歩きました
2011年3月13日(日) とてもすがすがしい知立駅を8時10分出発しました
ただ国道一号線(東海道)を一枚の地図を頼りに名古屋別院へ向かう旅です。
途中の刈谷市で名古屋まで25kmの道路標識が有り、
23.1kmでなく少し長いのかなと話しながら、豊明市の境川のほとりで給水休憩。
大谷派西蓮寺で子供姿の親鸞様に御挨拶、
つぎに目にとまったのが、桶狭間の戦いで戦死した方を埋葬供養した戦人塚、
桶狭間古戦場では、今川義元が織田信長に襲われて戦死したと伝えられる田楽狭間を拝観。
戦人の哀れ、我々の無常を感じつつ、傘の形をした笠寺駅を左に見ながら到着した壮大な東本願寺の名古屋別院、
西本願寺別院に到着参拝の後、教務所に挨拶し退散したのが3時でした
「不退転」
名古屋別院本堂の扁額「不退転」は、昭和47年の本堂復興に際し、
本願寺第23代勝如上人(大谷光照)より賜ったとありました。光り輝いておりました。
有難いことでございます。