24 名古屋別院〜桑名宿まで 23.0Km

 

日時 平成 23 3 19

 

歩行者 椎木俊郎、 塘 幸生、 松本進

参加人員 スタッフ2名 県外門信徒 5 (内西方寺3名)

名古屋直参組 1

 手記 椎木俊郎 写真 松本

  前日午後6時名古屋駅に到着して、まず驚いたのは大震災の影響がほとんど感じられなかった事

駅内は雑踏、照明は明々、エスカレータ等も動いており、

電力に問題無いとは言え少しは節電とか配慮があるのではと思っていました。

 当日の7時半の駅前は、さらに数台の観光バスまでが満席で皆楽しそうな顔 と名古屋の活力、凄さを感じました。

地下鉄を乗り継ぎ別院に到着しました所、院内には人影が見当たらずこのギャップにも驚かされましたが

少々寒いので階段下の休憩所に皆さんが待機されていたのが判り納得しました。

 
名古屋別院にて

名古屋別院は長島と縁深く桑名郡長島杉江の願証寺を起源とあり

木曾三川の交わる交通の要所にあり伊勢志摩両国の浄土真宗繁昌の中心であったようです。

織田信長との戦いで2万人の法難者をだし退転の止む無きに至りましたが、

豊臣時代になり尾張国清洲に再興の後名古屋城築城と共に城下に移転し紆余曲折ののち、

明治9年に名古屋別院に改称となったとありました。

第2次大戦で消失しましたが昭和47年印度様式の本堂が建立され文化ホール、

幼稚園舎等逐次併設して中京都市圏の正法弘通の中心道場・教化の中心として現在に至ると有りました。

 9時薄曇りの中7名で出発です。

今回は全員男性ちょっと殺伐とした雰囲気の中でしたが途中から快晴となり

絶好のウオーキング日和で足取りも軽くなりました。

コンビニ等に立ち寄り休憩を取りながら目的のお寺さんの近くの一群の住宅地に時間通り到着しました。

すぐ傍に大谷派のお寺さん、浄土宗のお寺さんがあるのには又吃驚でした。


覚昭寺にて

丁度ご住職が所用でお留守、茶菓子とお茶が用意されておりましたので早速昼食です。

食べ終わる頃に帰寺されたので記念撮影とお話をお伺いしました。

お庭に親鸞聖人の大きな銅像がありお聞きした所住職の帰敬式の記念に建立されたとの事

30数年経過の風雪が感じられました。

坊守とお2人で周囲に沢山のお寺さんのある中懸命に努力されておられるのが良く伝わりました。

午後1時に次の蓮如堂に向け出発です。

1号線の長い直線コースには少々飽き気味でしたが

伊勢湾台風の被害の大きかった弥富市の役所に来ますと

今も町全体が沈下している掲示板等見て零メートル地帯の大変さを知り、

よく皆さん生活されているなとこの度の大震災を重ねながら話題となりました。



蓮如堂にて

ここを通り抜けて到着、大谷派に属し門徒の方が管理されている無人のお堂でした。

昭和
15年建立と判る石柱があり掲示板がありましたが由来等の説明文はなく、

石柱よりかなり古い歴史を感じさせる堂々とした建物でした。

しばし休憩し長島目指してウオーキング開始してほどなく木曾川に到着です。

川幅が1km以上あり悠然たる風景に圧倒され疲れも忘れる程でした。

尾張大橋を渡れば長島です。

三方を大河に囲まれ長さはあくまで長く交通の要衝と理解出来ましたが現在は見る影もなく

寂しい静かな町並みが続き愈愈
ゴールです。少人数でしたが有意義な1日、健闘を称え合い解散しました。