22区 藤川駅から知立 21キロ 晴

手記 西原祐治

 

地震の翌朝、午前3時起床して交通情報でJR東日本の電車はすべてストップとのことであったが、

とりあえず東京駅へ車で向かう。

東海道新幹線は始発から運転とのことで、乗車率
170%の新幹線で一路愛知県藤川へ。

藤川着
15分前に担当事務局へ電話を入れると今日は中止とのこと。

初めから一人で歩くこともあろうと思っていたので、

今日は東京教区全権大使という思いで
850分、藤川駅をスタート。

 

一路国道一号線を岡崎へ。



東海道五十三次の絵にある乙川を渡っていると、一人で歩いていることが嬉しくなった。

西方寺の旅行など外でのイベントは、企画立案などすべてが世話人の采配で行われる。

したがってこの度の“聖人の帰洛路を歩く”も、企画、手配、予決算も

すべてが門信徒会の世話人の手になっている。住職である私は完全なお客さんである。

担当の世話人が一所懸命になっている姿をいつも見ていたので、

そんな世話人の思いへ、
100分の一でもご報謝できていることが、

一歩一歩の歩みの中に感じられ、念仏を称えながら、有り難い思いになり涙が出た。

 

3.8キロのところにある立ち寄り寺院の紫雲寺を探し当て、正信偈偈文のご縁をいただく。

また歩き始め、この度は「全権大使で輪番のようなものだ」と

誇る気持ちの拙さが念仏を誘発させ、呼吸と念仏が1つになって黙々と歩いた。

 

7キロ地点(1030分)で岡崎市役所に至る。

この辺りに本願寺三河別院があるはずだがと、通りすがりのご婦人に「本願寺派の三河別院は」と聞くと、

「ああ別院さん、あの市役所の先の突き当たりです」と反応がいい。

別院へ向かおうとしたとき。「あの歯切れの良さはきっと大谷派の別院に違いない」と踏んだ。

愛知県のお東のメッカで、同朋大学と言う大学まであるほどです。

別院に近づくと思った通り大谷派とある。

 

写真だけ撮って本派の別院に至る。“まあ、何とその差は?”という思いをもたせるほど、

その差が歴然としていた。年間の予算規模からしたら、おそらく
100倍は違うだろうと思った。

本派が
1000万円なら大派の別院は10億と言ったところだ。

本派の別院には常駐別院職員はおらず、留守を預かっているご夫婦がおられた。

鍵を開けてもらい正信偈偈文のご縁をいただく。

 

そして岡崎城をすぎ、1130分、立ち寄り寺院の聖善寺で、これまた正信偈偈文のご縁をいただく。



目的地までの残り
9キロは旧東海道を歩きながら目的の知立駅へ。1330分到着。

 

明日の「帰路地を歩く」も中止とのことで、

総代の西さんが明日歩くと知立駅に来てくれ、式章をバトンタッチ。