17 区 掛川宿(掛川駅)から見付宿(磐田駅)まで 19,4km
歩行者 西井利男・松尾俊彦(手記)
参加者 31名(スタッフ4名、教務所2名、25名)途中参加者あり
掛川駅は日本でも珍しい木造の駅舎で市民の皆様が駅の保存活動をやられているとのことでした。又駅北口正面には掛川城の天守閣がそびえ迎えてくれました。(掛川宿は東海道五十三次品川宿から数えて26番目の宿)
8時半過ぎには受付が終わり、ラジオ体操、ストレッチを行った後、蓮舟寺の安藤住職、静岡西組々長の山村さま(満福寺)、推進委員の海老原さまの挨拶、スタッフからの注意事項等の話があり、全員でスタート前の記念撮影をして「奴さん」のからくり時計、お江戸日本橋の歌に送られて出発しました。
東海道を一路目的地の見付宿に向かう。途中、松並木が所々にあり、昔の面影がうかがえました。袋井宿どまん中茶屋(宿の中央の位置、日本一小さい歩く道の駅)でお茶、甘酒、おしんこの接待を受ける。
しずか橋で昼食、休憩後、見付宿(磐田)に入り旧見付学校(明治8年に建てられた日本最古の木造擬洋風小学校。国の史跡)見学後、満徳寺(真宗大谷派)さんの開基を拝聴、門信徒さん子弟のコーラス(親鸞様の子守唄)を聴き、後は皆さんと恩徳讃を合唱、経蔵(享和三年1803建立)の210年の前の当時のままの天井画が鮮やかな彩色で残されていました。林鶴梁のお母堂のお墓にお参りする。(鶴梁=伊太郎は幕末から明治初めの儒学者)
お寺さんのすぐそばが駅で安藤住職の坊守、お子様、門信徒の方々に迎えられ予定通り午後4時磐田駅に到着いたしました。坊守、お子様から「おつかれさま」のメッセージいりのクッキーをいただきました。
今回もスタッフの皆様の暖かいおもてなし、お心使いに深く感謝しました。
17区見付宿(磐田駅)までの完走距離は363,5km本山まであと281,5km.
17 区 掛川宿(掛川駅)から見付宿(磐田駅)まで 19,6km
歩行者と手記 西井利男
おもむきのある木造の駅舎の掛川駅を9時10分に出発。
右手に小高い位置に小さなお城(山内一豊によって築かれた掛川城)を見ながら、しばらく旧道を進む。松並木の保存地区がところどころにあり、弘重の東海道五十三次の絵と案内の看板が風景の中に溶け込んでいる。
袋井という辺りが東海道のほぼ中間点ということで「どまん中茶屋」で休憩をとる。
歩きながら感じていたことは、道路にゴミ(空き缶、ビン、ビニール袋等)が落ちていないということで、とてもさわやかな気持ちで歩くことができた。
袋井宿公園で昼食休憩となったが、そこにもお手伝いの方々が駆けつけており、お茶やお饅頭をごちそうになりました。
午後は現在の東海道をひたすら歩き、磐田市に入る。見付地域にある旧見付学校(明治6年に開校、今は磐田文庫として当時の様子が展示されている)で休憩。これより今日のゴール地点(磐田駅)まであと2キロちょっと歩き、駅まで数百メートルのところにある最後の訪問地、真宗大谷派の満徳寺に着く。
ここではお茶と甘酒のご接待を受け、ご住職から寺の縁起を伺ったあと、ホールで子どもたちによる仏歌の披露があり、心地よいひと時を過ごさせていただきました。
今日一日、私たちの後となり先となり動いていただいたスタッフを始め、多くの方々にお世話になり、また一歩、京都へ近づきました。ありがとうございました。
大遠忌法要をお勤めできる喜びと共に、聖人のみあとを訪ねる旅に参加させていただきましたことは、私の生涯の思い出として大切にしていきたいと思います。