親鸞聖人のみあとをたずねて

       豊橋から藤川まで

       平成23年 3月6日 (日) 曇り

       区間21  豊橋〜藤川 

       距離    24.2km   

       集合場所  JR豊橋    参加人数  総勢19名

西方寺 2名、スタッフ 3名、務所の方 2名)

西方寺からの参加者

      川添道子 松尾良枝 (手記)

            

今回はスタッフのご要望をお受けしてハッピを着ての加です。

前泊のため5日に出しました。夕飯の過食による胃痛にまされ

睡眠も十分ではなく、心配をしながらいたような事です。

昔よくいわれました。

言い訳をするな。

健康管理も力のうちだ(おっしゃるとおりです)

豊橋を出し街を通りけ、右手遠方に山並みを望みながら国道1号線に入ります。

談や他寺院ではどのような活動をしているかお尋ねしながらき、40分で1回目の休憩。婦人部で活躍してる方の内容でした。 

再び1線を東街道に入りき始めて3時間で

御油松並木公園に到着です。昼食休憩を取り出

誓林寺さんにおりさせていただきました。

住職さんは出勤でお留守でしたが、娘さんが丁寧に応対をしてくださいました。

大きな和太鼓がありましたので、どんな時に叩くのかお尋ねしましたが、叩いたのは見た事がないとのことでした。お寺さんで叩く和太鼓の場合は経ギリ太鼓と呼ぶそうです。

 

 誓林寺さんの由 鎌倉時代、和天皇の流れをむ源氏の武士に高梨高がいた。

1235年、高直は親鸞聖人(62才)がこの地に逗留された折、えを受けて出家した

誓海の名を賜った。そのころは、額田郡山中村に庵を置ていた。

仁年間(1467〜   )の住職信海は音羽の地に移った。

蓮如上人より寺を、誓林寺、山を乙葉山を賜った。その後、領主松平氏により、

古谷山と改められた。本堂は建て替えられ、現在は文政7年に建立されたものです。

(誓林寺さんの栞より)

誓林寺さんを後にして、あと少しもう少しと励ましまされながら、

2回の休憩を挟んで藤川駅に到着。達成感を一緒に味わってくださいました、

皆さんありがとうございました。合掌   西方寺門徒 松尾良枝