15区 府中宿から藤枝宿 22キロ(公表数)
日時 平成22年2月13日 天候 快晴
手記と歩行者 西井利男
参加者 20名
8時55分、教覚寺ご住職のお見送りを受け、静岡駅北口を出発。まもなく鶴河大橋にかかったところで振り返ると、雪化粧をした富士山が輝いていた。しばらく東海道に旧道(丸子通)を歩いて行く。この辺り一帯丸子宿は、東海道20番目の宿場町として栄えていたようです。テレビ放送で見た峠の茶屋「とろろ汁」で有名な「丁子屋」がそこにあった。
宇治の谷峠の手前に静かな集落があり、家々の軒先に掲げた屋号の看板や石畳が往時の風情をしのばせています。
明治9年に開通した日本初の有料トンネル(今は国の有形文化財)を通り、岡部道の駅で昼食。
午後は、吉の本公園、岡部宿公園で休憩をとり、蓮生寺(大谷派)にお参りしました。お茶をいただき、お寺の縁起について聴聞し、本日のゴール地点、JR藤枝駅へ向かった。午後4時到着。
本日の全行程において、築地別院のスタッフの方々を始め、担当教区の方々からも行程マップや休憩場所でのお茶やお菓子の接待等、きめ細かいお気づかいに感謝いたします。大変お世話になり、ありがとうございました。
15 区 府中宿から藤枝宿 25.4km(実数)
歩 行 者 西井利男、塘 幸生、松尾俊彦
参加人数 20名(スタッフ 3名、参加者17名)
報告者 松尾俊彦
静岡駅に8時6分到着、すでに静岡西組皆様、スタッフの方が見えて受付を終えて西組の推進員、教覚寺ご住職の挨拶、準備運動後竹千代君像に別れを告げ藤枝宿へ出発する。
昨日、14区の方が教覚寺に到着し門信徒さんから歓迎される様子が2月13日の静岡新聞に写真入りで大きく掲載、報道されていました。
国道1号線を歩き安倍川を渡り丸子(まりこ)宿に入りこの宿にはいろいろな商いをされていた屋号が家の軒先に掛けてあり宿場の面影が残る街道でした。
日本紅茶の発祥地を通り宇津ノ谷峠手前に静かな集落がありここでも家々の軒先に掲げた屋号や石畳が往時の風情をしのばせていました。宇津ノ谷峠に開通した日本初の有料、明治トンネル(国の登録有形文化財)を通り(この峠には大正、昭和、平成のトンネルもありました。)岡部宿へ、ここは旧東海道の松並木がきれいに保存されていました。
目的地の藤枝宿に入り熊谷山蓮正寺にお参り、ご住職から蓮正寺の開基を拝聴しました。蓮正寺の開基は蓮生坊すなわち熊谷次郎直実であります。熊谷直実は源氏と平氏の戦い、いわゆる源平合戦おいて決して敵に後ろを見せることなく常に先陣を切って勇敢
に戦い、源頼朝からは日本一の強者と賞賛された武将でありました。一ノ谷の合戦において平敦盛という若武者の首を泣く泣く切らねばならなかったことが心の痛手となり敦盛の菩提を弔うため出家したといわれています。戦いとはいえ数多くの敵を殺してきた罪業の深さにおそれおののく直実は、法然上人の本願念仏の教えに自分の本当に救われる道を見出し、上人の弟子になり名も法力房蓮生と改め熱心な念仏の行者となりました。中略 ・・・・藤枝宿の福井長者が生まれて初めて称えた念仏に驚いた福井長者は蓮生坊から本願念仏の教えを詳しく聞き、随喜して師弟の契りを結び、家財をなげうってここに念仏道場、すなわち蓮正寺を建てました。その後、貞永二年(1233年)に関東のおられた親鸞聖人が京都へ戻られる途中に蓮正寺に立ち寄られたご縁で浄土真宗のお寺となりました。(ご住職談)
午後4時10分全員、藤枝駅に到着いたしました。最後に推進員、門信徒さんには歩みの途中、途中に数々のおもてなしを頂まして感謝申し上げます。