16区六合駅〜掛川駅  全行程 26.6Km

 

日時 平成23219 終日曇 

 

参加人数 スタッフ3名 県外門信徒 6名 教覚寺門信徒 10 合計19

 

手記 椎木俊郎 写真 伊藤俊悦

 


天候は曇りでちょっと雨が心配な雲ゆきです。女性は(いつもは大半)若手スタッフ1名を含め4名と珍しい構成で参加は19名ちょっと淋しい気がしました。

今までの参加は平均17.3/区と説明が有りましたのでただ平均に近いようだくらいにしかその時は思いませんでした。

行程途中で16区は該当寺がなく遠くの静岡西組教覚寺の方々が引き受けられたと知りしかも5回も下調べされたとお聞きして頭が下がりました。お話の中で聖人存命中からの直弟子光信房が開基のお寺と話され由緒ある寺歴なので取組方等が念入りなのを見ても然も有りなんと思いました。

まず島田街道を通り本陣跡おび()通りで休憩丁度時計台が10時をさすと祭りと同じ奴姿の人形が現れ踊り終了と同時に見えなくなるのには吃驚しました。

次は国道を一寸はずれて大井川の畔に島田市博物館と保存されている人足宿に到着1516宿が軒を並べ江戸時代にタイムスリップした感じでした。

川札や色々な連台を見て川渡りを想像しながらしばしの休憩を取りました。


そして大井川鉄橋は1Km強ありお色直し中でしたが1列縦隊で黙々と歩き15分で渡り金谷宿です。これから小夜中山の難所(東海道箱根に次ぐ)を登りますが皆さんの足だと3時間以上掛かりますので登りだけ・・・を使いますと言われ一同歓声、手配の車で15分峠の久延寺に着きました。前の広場には先遣隊

の方々が待受けておられ伊豆の椎茸入昆布茶を振舞われ勇気百倍となりました。

曹洞宗の由緒あるお寺さんで西行法師の歌碑、関が原の合戦に向う途中の徳川家康を山内一豊接待話、夜泣石物語等見聞きして11時半日阪宿に向け出発です。

20分ばかりは左右一面急斜面を利用した見事な茶畑が続き疲れを感じませんでした。いよいよ急坂の難所にさしかかり一般車危険の為通行止ですから想像がつくと思いますが足首を痛めないよう慎重に30分かけ降り切りました。目指す法讃寺が見え10分の長かった事12時半到着です。本堂の階段補修、新通路工事の多忙中にも関わらず会館に案内されいよいよ昼食です。テレビにて紹介された高血圧、心筋梗塞等に利く掛川茶と茶葉の佃煮接待に感激です。

食後に御多忙の中帰寺されたご住職の法話を聴聞させて頂きました。

真宗大谷派岡崎教区31組に属され江戸時代宿場に一寺を置くと言う幕府の要請にて建立されたとお聞きしました。又親鸞聖人帰洛時に近くの宮村に3ケ月



逗留されそのお礼に掛け軸3幅が送られ今もお堂に祭られているので案内するとの事全員吃驚です。法話が終了するや逸る心でついて行く事30分農家の奥に1軒の瓦葺きのお堂がありました。上の写真がご説明中の住職で傍の叢の中には掘られた井戸と石碑までありました。昭和の初期に古くなり危険なので藁葺きを瓦に修理して現在に至ると門徒でお堂御守の農家の当主の方が説明の後、中に入れて頂きました。近くによって拝見しましたが薄暗い中お像の様な姿が黒くぼんやり見え今専門家に分析を依頼しておりその内時代とか内容が判明し事実なら大発見です。今まで人伝に語り継がれお堂まであるので事実だと思いました。

残りの4.3Kmを全員黙々と歩き4時掛川駅に落伍者もなく無事に到着しました。

お世話頂いた教覚寺、法讃寺、築地別院スタッフの皆さんお世話になりました。