13 区 吉原駅〜興津駅まで 25.2 km

 

日時 平成2326

 

歩行者 椎木俊郎・松本進

参加人数 スタッフ3名 県外門信徒6名 

常願寺、長榮寺 門信徒 約30名(内6割女性)

手記 椎木俊郎  写真 松本進

 

快晴でしたが霞が懸かり富士山が薄っすらとしか見えず予報では夕方雨との事。

出発前に一同記念写真を撮りましたが辛うじて富士山が写りほっとしました。

(全体写真は地元の方々が撮られました

 ので間に合いませんでした)

 

引受役の常願寺は駅から遠くパンフレットによる紹介でしたので後から知りましたが、静岡第3番目の都市富士市には90カ寺がありその内浄土真宗本願寺派は2カ寺だそうです。

身延山が近い事もあり日蓮宗寺院が半数、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗、浄土宗、真宗大谷派等様々な宗派の寺院があるそうです。

静岡県全域でも21カ寺と非常に少ない地域ですが近年は西日本からの移住者も

増え真宗門信徒も増加傾向にあるそうです。

2班に別れガイドさんに連れられいざ出発です。元吉原宿を通り県道139396号(東海道)に出て一路富士川橋に向かいました。途中左富士の松、1里塚跡(日本橋より35番目)雪模様の鶴の歌碑、2里塚跡等休憩を取りながら説明を受けて11時半頃到着しました。


橋から雁堤がよく見え雁が並んで飛ぶような形なのでこの名前がついたそうです。堤は江戸初期
50年の歳月を掛け古郡重高、重政、重年3代により1974年に完成しました。日本3大暴れ川の一つ富士川が治水された事により今の吉原、富士の中心部があるのだそうです。吉原の語源は葦原とも言われたそうですから判るような気がしますし氾濫により大小様々な沼が残って昭和の始めまで有名な鰻や鯉の産地でもあったようです。

吉原の古文書には、鎌倉時代の初め吉原湊の近くに見附が構えられ長い間旅人を船で渡したとの記述もあるそうなので親鸞聖人もきっとここから蒲原の方へ船で渡られたのだと想像しました。

昼食は富士川傍の休み処で熱い味噌汁と沢庵の御馳走に勇気をもらいました。

午後には、すぐ富士川橋を渡りその先には源平富士川の合戦の平家陣所跡とも言われる場所?もありましたし何万羽もの鴨が一斉に飛び立ちその羽音に驚き平家が逃げ出したのも然もありなんと思いました。

富士川駅の傍を通り396号から外れ蒲原宿旧道の鈎形の入り口が東木戸跡です。

ここも海岸から近いので度々台風や高潮などの被害があったとの事ですので

鎌倉時代はもっと山手の方の道かもとの説明もありました。

しかし本陣、脇本陣、旧家等江戸時代の面影を残しており丁度西木戸跡近くの所に長榮寺さんがありお邪魔しました。

多くの方に出迎えられ庭先で、取り立ての蜜柑の100%果汁は美味でした。

門前にて皆さんと記念撮影。


 

開創は伊丹与左衛門が駿府で西教寺(お東)に帰依して正海となり1650年蒲原に小庵を構えたとあります。

紆余曲折があり8年後の1662年に本山直末長榮寺として認められた歴史のあるお寺さんです。以後10代の了愃住職が(1993)山門、門信徒会館、伽藍を整備されて現在に至るとお聞きしました。

予定時間より30分遅れた為後ろ髪を牽かれる思いでお寺さんを後に一路最終地点を目指して黙々と歩き出しましたが由比の宿は東海道の名のある街道筋、本陣跡が情報拠点交流館になって広重美術館も併設されているので当初の予定通り休憩しました。後日もっとゆっくりと名ガイドさんの案内で歩きたいと思いました。空も曇り雨が降りそうなのでピッチを上げ歩け歩けです。

由比の駅の手前の由比川で20kmここで甘酒を頂き勇気100倍、予定の地点にようやく到着しこの時には雨もぽつりぽつりと降りはじめまして慌しく駅前の広場で簡単な解散式をやり終了となりました。

地元のお寺さんの心憎いまでの気配りサポート、大会企画のスタッフの皆さん、名ガイドさん等多くの方々と親鸞聖人のお陰様にて全員怪我もなく無事完歩出来ました。改めて感謝申し上げます。