フランクフルトぼちぼち行こか日記

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最後の子連れFrankfurt am Main日記




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■オマケ/日本を出る前のドタバタ→→ ドイツ生活準備の記



2001年9月30日-So.(のい2歳1ヵ月23日) フランクフルト最後の日・Waaaaaaaaas !?
  1. 荷造りは続くよいつまでも
  2. タクシー置き忘れ事件
  3. チェックインカウンター前大泣き事件
  4. 手荷物検査の悲劇
  5. Qちゃん、ありがとう
  6. ロンドン乗り換え

  1. 荷造りは続くよいつまでも
  早朝から、ホテルの部屋で最終の荷造り。家から背負ってきた各種段ボールに、預け手荷物をせっせと詰める。
  機内持ち込みの大型カバンは、カメラやパソコン、貴重品・貴重書類、のい の身の回り品などで
  既に満杯である。引越なのだから仕方ない。しかし、預け手荷物にも重量制限がある。
  エコノミークラスでは1人20kgまで、3人で60kgまで無料で預けられるが、それ以上のは追加料金が要る。
  (今回、欧日会員特別枠のためJAL分の重量制限は緩かったが、ロンドンまでの英国航空BAは通常対応)
  インド方面系のポーターさんに頼んで、荷物を詰めた段ボールをホテル地下の秤で計ってもらうこと数回。
  だいたい60kgに納まりそうな状態になったのは、出発予定時間ギリギリだった。
  荷物に入れなかった衣料品などは、ビニール袋に綺麗に入れて、またまた赤十字のコンテナへ。
  また、部屋の清掃や梱包に使った資材、1年間愛用したドイツ仕様のドライヤーなど、
  日本に持って帰っても仕方がなく、でもまだ使えるものは、大きな紙袋に入れて、
  「まだ使えるものは、どうぞ使って下さい/M」と貼紙して、ベッドの上に置いてきた。
  使わなかった段ボールは、まとめて『Muell(ゴミ)』と貼紙して、机の下へ。
  のい は、ホテルの部屋では「Ki.Ka」が見られるので、機嫌良くしていた。
  大体荷物が納まった午前10時すぎ、やれやれ……とテレビのチャンネルを替えると、ベルリンマラソンの中継中。
  アナウンサーが「Japanerin(日本人女性)!」と言うので、画面をよく見れば、走る高橋尚子選手の姿が。
  しかしのんびり見てはいられない。我々は、ともかく空港へ急がねばならない。
     *   *   *   *   *   *   *   *   *
  2. タクシー置き忘れ事件
  大量の荷物なので、普通のベンツタクシー(ドイツのタクシーは大抵ベンツ)では無理と見て、
  フロントに頼んで、バン型のベンツタクシーを呼んでもらった。
  荷物をロビーに下ろして、チェックアウト。しかしチェックアウト後に、ガムテープが足りないような気がして、
  また部屋に戻らせてもらった。カードキーを再発行してもらうため、フロントでドタバタもした。
  なんだかんだあったが、やっと荷物(段ボール箱3箱と乳母車、大カバン2つ)も積み終わり、いざ出発。
  1年間住んだ、このVolta Str.とも、とうとうお別れだ。住んでいた集合住宅の前を通り過ぎるとき、
  のい が「オウチー」と言った。「昨日、ここで皆とバイバイしたね」と返事をした途端、泣けて泣けて。
  私が泣いているのを、夫が運転手に「ここに1年間住んでいたので、妻は感傷的になっているのだ」と
  説明してくれた。運転手は「でもこれから日本に帰るんだろう? 故郷は故郷、一番だよ」と言った。
  途中のアウトバーンで、カーブを曲がり損ねたのか、柵を乗り越えて茂みに突っ込んでいる車を見た。
  フランクフルト空港ターミナル2(T2)へ到着。運転手には、ICEの割引券もプレゼントした。
  荷物がとても多いのに、歩道にワゴンが見つからなかったので、私がターミナル内へ探しに。その間に、
  私のコートと手提袋を後部座席に置いたまま、トランクの中身だけ降ろしてタクシーが行ってしまった。
  思わず「ええええええ!!!」と絶叫。夫に「どうして確認してから、タクシーを送りださなかったの!」となじるも、
  行ってしまったものは仕方がない。急いで公衆電話からホテルに電話した。
  フロントマンは「見つけるのは不可能」との返事だったが、とにかく探してもらえるよう頼んだ。
  日本でもやったことのない大失敗に、腹が立つやら、腰が抜けそうになるやら。
  ため息をつきながら、公衆電話から夫のいる降車場に戻ったら、なんと。
  夫が、私のコートと のい の餌(菓子)やガムテープが入った手提袋を持っているではないか。
  タクシーの運転手は、反対車線にあるタクシー溜まりで待機中に、私の忘れ物を発見したが、
  車の列から抜け出せないため、降車場にいる夫に向かって「取りにおいで」と叫んだらしい。
  しかし夫は、のい と大荷物を一人でみている状態で、動けない。
  どうしたものか……と困っていたら、降車場にいた他の人が「子供はみていてやるから」と言ったので、
  ダッシュで道を渡って、忘れ物を取ってきてくれたらしい。うへー、なんて綱渡りな。
  改めてホテルに、荷物が見つかった旨、電話した。ホテルの部屋に残した大量の段ボールと中古品をはじめ、
  度重なる大馬鹿な私の行動に、Mホテルでは大笑いしていたことだろう。でもまたいつか泊まるね♪(いつ?)
     *   *   *   *   *   *   *   *   *
  3. チェックインカウンター前大泣き事件
  荷物が揃ったところで、BAのカウンターにて、やっとチェックイン。
  荷物台に箱を乗せたら合計61.5kg。1.5kgのオーバーである。
  「あと1.5kg減らさなきゃ」と夫とがっかりしていたら、カウンターのお姉さんはウィンクし、
  追加料金なしで、そのまま通してくれた。ありがたい。
  同じ航空会社でも、隣のおばさん(アフリカ系の客と長々ともめていた)では無理だったかも。
  OKが出たので、仮止め程度に貼っておいた段ボール箱のガムテープを、夫と私で、頑丈に巻きなおした。
  こんな悠長なことができたのは、T2は客が少なめだから。混雑するターミナル1(T1)では無理。
  のい がウロウロすると大変なので、乳母車にのせておいたのだが、梱包の間中、歩き回りたがって大泣き。
  我々はあやしもできず、「今、大変なんだから、待ってなさい!」と叫ぶのみ。余計に泣く。
  また、窓に映るトラムを見て「キシャー、乗るー」。鼻水を垂らし、持たせたグミキャンデーも放り投げ、
  乗っている乳母車を倒しそうな勢いで、全身を使って暴れる暴れる。
  対岸のベンチで見ている人たちの視線が、冷たく感じられる。子供を泣かせて何やってんだ、って。
  何とか巻き終え、段ボール箱3箱と、大カバンのうち1つを預けた。ヘロヘロ。でも、まだ我々にはもう一仕事ある。
  T2の無人Postでは足りない用事を済ませるため、トラムに乗ってT1へ。
  のい はやっと“キシャ”に乗れて機嫌をやや直したが、基本的にはまだ一触即発の情緒不安定。
  Postで待っている間も、木の丸椅子によじ登ったり、備品を触ろうとしたり、他の子にちょっかいかけて騒いだり。
  用事を終えた後、私は、使い残したガムテープを、そーっと小包の伝票のある記入台へ置いてきた。
  ドイツPostも民営化前は、確か、糊やガムテープなどは利用者が勝手に使えたと思うのに、今は無いから。
  Postを出てアイスクリームを与えたら、のい の笑顔がやっと戻った。泣いた分を取り戻すかのようにパクパク。
  気付くと、もうお昼。レストランで、のい を制しながら食事をする気力はもうない。
  屋台でサンドウィッチを買って、トラムに乗る途中の中2階のベンチにて、フランクフルトでの最後の食事。
  のい は食事に飽きると、仮眠をしている人たちの間を走り回って喜んでいた。ゴミを自分で捨てたがったり。
  しかし、T2に戻って、小さなスーパーにて水などを買っていると、商品に触らせろとまた暴れ、
  それが出来ないと分かると、そっくりかえって泣き、なだめるのに一苦労した。バナナで誤魔化した。
     *   *   *   *   *   *   *   *   *
  4. 手荷物検査の悲劇
  出発1時間半前の14時すぎ、ようやく搭乗ゲートが決定。
  パスポートチェックと手荷物検査の入口には、長蛇の列。同時多発テロの影響で、通過にかなり時間がかかっている。
  列の人は皆イライラ気味。乳母車の中でぐずる のい と大カバンに手こずって、前の人に少し遅れをとったとたん、
  後ろにいたフランス行きの中年女性と少女(母娘?)が、すかさず我々を抜いて、前に割り込んだ。
  ヨーロッパ系の顔でドイツ語をしゃべっていたが、秩序を重んじるドイツ人にもそんな輩がいるとは。不快。
  やっと順番が近づいてきたと思ったら、列の横に立っていた若い男の係員が、私を手招きする。
  既に殺気だっていた私は、「Waaaaaaaaaas(なにぃぃぃぃぃ)?」と、思いきり嫌そうな声を出してしまった。
  私の大カバンが怪しまれ、手荷物の厚さをチェックする枠に通せ、ということらしい。
  機内持ち込みギリギリサイズになるよう、最初から計算して詰めてあるんだから、大丈夫だってばさ。
  もちろん結果はOK。「これは予備検査で、まだこれから本検査があります」と言う。そんなこたあ分かっとんじゃ。
  列に戻ると、後ろの家族連れが、我々のパスポートの表紙を見て、「中国人かしら」などとヒソヒソ。
  振り向いて、またしても「Waaas ?」、さらに「何を知りたいの? 私は日本人だよ!」と
  イライラをむき出しにした声で言うと、母親らしき女性が愛想笑いしながら、何か言い訳をしていた。
  パスポートチェックの人は、普通の対応。
  次に手荷物検査。私の大カバンはX線検査を出たところで「開けなさい」。何を疑ってる訳? そんなに怪しい?
  やけくそで開けて、「これがカメラ、これが替えのレンズ、これがPC、これが子供のオムツ」と指し示すと、
  PowerBookを見たそのオヤジ係官、「起動させなさい」。思わず「Waaaaaaaaaas ?」。
  誰がどう見てもパソコンだっちゅうに。あんた、この虹色林檎マークを、見たことがないんかい?
  起動させるも、横で のい が泣き叫ぶうえ、バッテリーが切れかかっているため、さらに起動が遅く感じられ、
  もう泣きそう。オヤジは、『MacOS』の文字を確認したら、「よろしい」と去っていったが、
  初期設定を重たくしているため、なかなか起動が終わらない。ああムカツク!
  後ろにいた別の係官2人が、デスクトップの『つっこみ如来(みうらじゅんさん作)』を見て、どよめいていた。
  おうとも俺は仏教徒だよ…と説明する暇は無い。のい と夫(IBM製ノートPCを携帯するもお咎めなし)は検査を通過、
  その先の通路で待ってくれていたが、のい が泣きまくっている声はずっと聞こえていた。私も半ベソだ。
  検査台一杯に広げたカバンの中身を、急いで詰め直す。思い付く限りのドイツ語で“糞!酷え!”とののしりつつ。
     *   *   *   *   *   *   *   *   *
  5. Qちゃん、ありがとう
  もう、あとは搭乗の案内を待つだけだ。のい は泣き過ぎて、頬が腫れぼったくなっている。
  さっきまでの殺気立った行列が嘘のように、静かで人の少ないゲート内を歩いていると、のい は眠ってしまった。
  実に疲れた。この1週間しかり、この数時間しかり。どうしようもなく、コーヒーを飲みたい。
  夫とカフェへ。コーヒーを持ってきたオジサンが、我々の行き先を聞いてきた。夫が、日本に帰ると答えたら、
  「じゃ、“ヤル”だな」と言うので???。“ヤル”とは、JALのドイツ語読み。世界共通“ジャル”ではないのね吃驚。
  そして、「ベルリンマラソンでJapanerinが勝ったよ、おめでとう」。「ナオコ・タカハシ?」「そうそう」。
  手荷物検査の一件で、楽しかったフランクフルト生活の最後なのに酷い有様……と悲しくて仕方なかったのだが、
  コーヒーとQちゃん優勝のニュースで、ようやく気持ちが和んでいった。
  「パスポートチェックを通り抜けた後は、もうドイツじゃなかったんだから」と気を取り直した。
     *   *   *   *   *   *   *   *   *
  6. ロンドン乗り換え
  15時30分。BA905便で、ロンドン/ヒースロー空港へ出発。
  のい は、乳母車から下りるときには目を覚ましたが、座席に座り、離陸すると、また眠ってしまった。
  機内食に出た、サンドウィッチとプディングの美味しかったこと! さすがアフタヌーンティーの国の航空会社だ。
  ロンドンには、現地時間で16時過ぎに到着。ターミナル間の乗り換えバス(ベンツ製)にも迷うことなく乗れた。
  手荷物検査所前には、フランクフルト以上に長い行列ができていたが、今度はスムーズに通過できた。
  のい は乳母車の中で着替えてサッパリしたり、グミキャンデーを食べたりして、ご機嫌。
  フランクフルト空港での敗因は、殺気立って不審者顔になっていたからだったのかも。
  JALカウンターでチェックインした後、のい を夫に頼んで、急いで両替屋を探す。
  独マルクを英ポンドに替え、のい の 食べ物を買いに走った。注文するため英語を思い出そうとするが、
  口から出て来るのはドイツ語ばかり。言いかけたドイツ語を英語に言い直しながら、モタモタと喋っていたが、
  ベーグル屋のインド方面系のお姉さんは、終始ニコヤカで親切であった。
  残ったポンドを使うため、立ち並ぶ英国土産店や免税店を覗くと、ドイツでは目にするのが珍しかった、
  きらびやかで洒落たデザインの庶民向けグッズの数々に、目眩を覚えた。
  待合のベンチには同じ便を待つ日本人がたくさん。もう日本語で内緒話はできないねと、夫と苦笑。
  そしてやっと、18時55分、関西国際空港行きのJL422便に乗り込んだ。
  のい は1.4席分に横たわり、またもよく眠る。機内食は、ドイツでも食べたことがないほど塩辛かった。
  私は0.6席分に尻を納め、時差ボケ予防に殆ど眠らず。長い長い1日は終わったらしかったが、気付かなかった。

  ……完。ここまで読んで下さった方、お疲れ様でございました。




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