フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年3月後半の子連れFrankfurt am Main日記




2001年3月31日-Sa.(のい1歳7ヵ月23日) フンデルトヴァッサー幼稚園
  のいと2人で、市立フンデルトヴァッサー幼稚園へ。フンデルトヴァッサー氏は画家で、昨年亡くなったが、
  ユニークなデザインの建物を実現させたことでも知られる。今日はこの幼稚園でバザーがあるというので、
  家からは遠いが路面電車とU-bahnを乗り継いで出かけた。路面電車に乗ろうとしたら、
  車窓に「Y(私の名)!」と叫んで手を振る人がいてビックリ。VHSで同じクラスだったモロッコのZだった。
  バザーでは絵本と服を少々購入しただけで、のい と外階段を登ったり降りたりして遊んだ。
  緩やかな傾斜の屋根の上で、遊べるようになっているのだ。そこら中、子供だらけで、のい は嬉しそうだったが、
  ハイハイしている赤ちゃんが、遊び場の端に止めておいた のい のベビーカーに掴まって立とうとしたときだけは、
  血相が変わった。ベビーカーにかけた手を のい が振り払い、赤ちゃんは転んでしまった。慌てて助け起こしたが、
  ほんとに吃驚した。のい にも「自分のもの」という意志ができていたのか。
  直前まで、赤ちゃんに向かって両手を広げ、ヨシヨシしていたのに。
  近くで見ていたその子の父親は、“子供の争い意に関せず、放っとけ放っとけ”という感じ。そんな相手で助かった。
  園庭では、日本に10年住み、我々より1ヵ月前に来独したという中国人母子に会った。
  彼女は医師資格がある。にもかかわらず、出産後はずっと専業主婦とか。
  日本では中学受験用の塾通いをする上の娘のためにお弁当をつくったり、送り迎えをしたりしていたとか。
  そういったことを、とても流暢な日本語で話す。彼女はそのような生活に満足しているようだったが、
  こんな優秀な人が…勿体ない。世界にとって損失じゃないか? 大きなお世話だろうけど。



2001年3月30日-Fr.(のい1歳7ヵ月22日) ヘキスト2回めの正直
  のいと2人で、フランクフルト市のはずれの街、製薬会社で有名な、ヘキストへ。金曜市場のリンゴ屋で
  売り子のおばちゃんが、「これは子供へのゲシェンク(贈り物)」と1個オマケしてくれた。
  街を探検していたら、巨大な中国スーパーを発見。アジア食材なら何でもござれという感じ。
  大分では滅多にお目にかかれぬようなタイ、中華食材が、とても安かったので、まとめ買い。
  日本の食材は目が飛び出るほど高かった。日本人価格? 日本人なら高くても買うからかも。私は買わぬが。
  品ぞろえは良かったが、中国人らしい女店員がウルトラC級に高飛車で、感じが悪かった。
  30分に1本のバスに乗り遅れたので、公園でお昼。桜やレンギョウが咲いていて、暖かく、のい はご機嫌で遊んだ。
  バスに乗って女性運転手から切符を買おうとしたら、また子供に間違われた。うーむ、この年増が分からぬか。



2001年3月29日-Do.(のい1歳7ヵ月21日) Heimat
  H+S最終日。宿題がたくさん出ていたのに、「それぞれの故郷について話す」という宿題だけで、時間終了。
  異国の話を聞くのは大変面白かったが、このクラスがなぜ盛り上がらなかったのかも、同時に分かった。
  発表者に対して質問をするのは、中国のPと私ばかり。他人に興味がないならば、盛り上がる訳がないわな。
  私は、他にも日本人がいたので、「大分」について話した。2002年ワールドカップの宣伝までしてしまった。
  大分は私の故郷ではなく、どころか、文句を垂れさせたら幾晩でも言えるというくらい。しかし数えてみたら、
  私の人生の中で一番長く住んだ街は「大分」なのだった。幼児期の4年間を合わせて7年半! とほほほほ。



2001年3月28日-Mi.(のい1歳7ヵ月20日) 好き好き♪
  午後、雨が上がったので、Roedelheimまで歩いてみた。思ったより近かった。苺250gを1DMで購入。
  帰ってから、家の前の広場で、近所の中国の親子(2才の女の子Yと、大人しそうな若いお母さんS)に会った。
  のい は彼らがとても好きらしく、Yにはやたらと抱きつくし(1回はもんどり打って、2人で転がっていた)、
  Sの膝には登るし。思うに、Yちゃんと のい って、顔の雰囲気が似ているんだな。
  しかし、Yの父親が出てきて、Sが家に戻ったら、のい は途端におとなしくなった。
  働き盛りの男の人は苦手らしい。リタイアして長いようなジイチャンたちには、愛想がいいんだが。



2001年3月27日-Di.(のい1歳7ヵ月19日) あくび
  H+S。着ているものの話。前のインテンシブクラスでさんざんやったところ。
  先生がもってきた品々で、買い物のロールプレイングをしたときには、
  バングラデシュのFは私の隣で「やる気がしない」と言って、あくびをしていた。
  辞めたと思っていたイタリア人が再び来たが、聞き取りの間違いを「自分が正しい」と言い張っていた。またしても。



2001年3月26日-Mo.(のい1歳7ヵ月18日) 無言の人
  午前中、近くの小学校へ。「ママのためのドイツ語クラス」について問い合わせ。
  (18日の日曜に選挙があり、投票所として校門が解放されていたすきに、選挙権がない私も
   のい の散歩ついでに侵入。そのときに貼紙を発見していたのだ)
  通りがかりの生徒に事務所の場所を訊ねたら、「違う建物だから」と、わざわざ連れていってくれた。
  事務所にいた女性たちは親切だったが、8〜12月だけしか開講されていないとのことで、残念。
  帰りに近くの小さな公園に寄った。後から中国人の2歳くらいの男児とそのベビーシッターの老女(中国人)がついて来た。
  オバアサンは中国語で私に話しかけてきたが、私が中国人でないと分かると押し黙った。ドイツ語が通じず。
  彼らは乗り物に座って無言でパンをかじりながら、私と のい が、すべり台で遊ぶのを、じーっと見ていた。不気味。
  別の日、乳母車を押す彼女と道ですれ違った。挨拶する前に、いきなり逃げられた。なんなんだ! 驚き。
  


2001年3月25日-So.(のい1歳7ヵ月17日) 
  雨。午前中の晴れ間に、家の前の広場を散歩させたぐらいで、家の中で過ごした。
  のいの鼻水を、私が無理矢理すすってやろうとしたら、唇を噛まれてしまった。血がダラダラ。



2001年3月24日-Sa.(のい1歳7ヵ月17日) オッフェンバッハ
  珍しく晴れ。のいと夫と3人で、フランクフルトの隣の市、オッフェンバッハへ。Sバーンでそう遠くなかった。
  まず某カバン屋の工場直営店へ。アジア人がやたら多くて、ドイツじゃないみたいだった。
  私たちが“免税扱い”ではなく、片言でもドイツ語を話す子連れだったせいか、店員がとても親切にしてくれた。
  次に街を探検。市場で野菜などを買い込んだ。チェーン店ではないパン屋で美味なパンを購入。
  昼食を探している間に、のい は眠ってしまい、その隙に、大人は食事+コーヒー。夫のオゴリ。
  Tschiboというチェーン店の立ち飲みコーヒーだが、久々のエスプレッソでうれしかった。おいしかった。
  その後、皮革博物館へ。よくここまで集めた、と嘆息するほど、素晴らしい収集。
  特にタイ、中国の影絵は見事だった。日本の染め物の型の皮もあった。
  現ドイツ外務大臣フィッシャー(過去のテロリストとの交友が問題になっている)が、
  ヘッセン州の環境大臣に任命されたときの「ナイキのスニーカー」には、笑わせられた。
  受付のおじさんがまたとても親切だった。ここでも、某カバン屋から流れてきたらしき日本人の団体に遭遇。
  昨日の百貨店内でも、若い日本人女性の集団を見たが、一体?? 卒業旅行のシーズンだからか?
  のいは館内でも延々眠り続け、見終わる頃にやっと起きた。
  外の庭で、クロウタドリのさえずりを聴きながら、遅い昼食を与えた。帰りのSバーンではすっかりご機嫌で、
  お買い物競争帰りの人々と乗り合わせたが、オバチャンやお姉さんに愛想を振りまいていた。
  夜、いつもより1時間も早く、のい が眠りたがって泣いた。翌日から夏時間になるのが分かってか?
  未明1時59分59秒の後は、いきなり1時間飛んで、午前3時になってしまうのだった。
  1時間早く眠らないと、睡眠不足になるのである。



2001年3月23日-Fr.(のい1歳7ヵ月16日) アジア食ブーム?
  またしても雨。しかしベビーカーに雨よけをつけて、Zeilへ。探し物は見つからず、ヘトヘトになった。
  のい は相変わらず、自分のペースで泣いたり笑ったり騒いだり眠ったり食べたり飲んだり。
  百貨店の地下に回転寿司を発見。若い西洋人女性がカウンターに一人。ものすごく変な箸のもち方だが、
  うまそうに(うれしそうに)食べてた。どうも、寿司はフランクフルトでは、流行のお洒落な食べ物らしいのだ。
  シラー通りで、私と同年代の女性に声をかけられた。繁華街で声をかけてくる奴は怪しい人が多いが、
  この人は、どう見てもきちんとした身なり。なぜ彼女が私に声をかけてくるのか分からない。
  「あなたはフランクフルトに住んでいるのか? 食べ物はどこで買うのか?」
  あっけにとられて「はあ?今日はすぐ先のところで金曜市場をやっているよ」と答えたら、
  「いやいやアジアの食料品だ」。彼女から少し離れたところで連れの男性が待っている。ヤッピー風。
  なるほど、これからアジア食材を買い込んでお洒落な食事というわけね。
  徒歩5分のところに日本食料品店があるので教えた。
  (彼女は親切にも、私の「徒歩」というドイツ語が変なのを直してくれた。有り難いことだ)
  後で、そこから100mも離れていない所に、中国人の食料品店があるのに気付いたが、まあいいや。
  この中国食料品店にも、ドイツ人の通?がよく来ていて、モヤシや豆腐を買っていくのだった。
  最後に、本屋のベビールームで、のい のオムツ替え。ベビールームから出たところで、
  VHSのインテンシブクラスで一緒だった、トルコのZを発見。彼女も大喜びで、例の東欧式挨拶。
  彼女からは、「フランクフルト大学に外国人向けに無料のドイツ語講座がある」という情報をもらった。
  のい のおかげで、友達に再会できた。家に着いた頃に、やっと晴れた。



2001年3月22日-Do.(のい1歳7ヵ月15日) 滞在半年
  本日でちょうどドイツ滞在半年。
  午後はH+Sへ。このクラスの人は、寡黙な人が多いので、口を割らせるのにテクニックが要る。
  先生も何とかしゃべらせようと、今日は「それぞれの国のお茶の入れ方」を話題にもってきた。
  私は、のい の写真を見せて、やっとバングラデシュのFと仲良くなれた。
  彼女は、8年半もドイツに住んでいて、7歳になる下の子はドイツで産んだらしい。
  授業終了直後に、先生の子供が教室に入ってきた。まだ幼稚園くらいの男の子だ。
  実は彼女のことを50代だと思っていたのでビックリ。見かけで年齢を判断するのは難しい。
  雨続きで、ライン川上流のネッカー川が氾濫したほど。フランクフルトはどうという被害もないようだが、
  子連れでは外出もままならないので困る。夕方になって、少しだけ晴れ間が出たので、のいを外に出して歩かせた。
  地上階の店の、いつも挨拶する女性が、タバコを吸うのにちょうど外に出てきており、
  のい に「小さな男の人、こんにちは」。しばし、おしゃべり。学校で口慣らしをした後だと、しゃべりやすい。



2001年3月21日-Mi.(のい1歳7ヵ月14日) FAX紙切れ
  雨で外に出られず。のい が、クシャミ鼻水で、どうも風邪らしい。
  日本人経営の旅行代理店にホテルリストのFAX送信を頼んだが、なかなか来ず、
  やっと来たと思ったら、今度はこちらの紙が切れてしまった。のい が昼寝を終えてから下の雑貨屋へ。
  のいをダッコ紐に入れて行ったら、店の兄ちゃん姉ちゃんがニッコニコ。
  しかし、サーモ紙は、徒歩15分の例の商店街まで出ないと買えないと分かった。
  夫は、日本からのお客さん(本日夜帰国)と午後会って、夕方遅くに帰ってきた。
  夫とバトンタッチして、やっとFAX用サーモ紙を買いに出ることができた。旅行代理店の閉店時間ギリギリ。ふう。
  しかし、のいが風邪では、週末の小旅行は無理かも。のいの機嫌はいたってよろしいが。



2001年3月20日-Di.(のい1歳7ヵ月13日) H+S
  H+S。とうとう、唯一のヨーロッパ出身であるイタリア人は来なくなってしまった。
  前回、彼女は、伝言ゲームで自分のところから間違ったために、プライドをいたく傷つけられたらしく、
  「つまらない!」と叫びながら帰っていったのだった。大丈夫かな?と思っていたら案の定……。
  短い文をだんだん長くしていく宿題が出ていて、私は「私は洗濯をする」という文を
  「私は毎日、息子の約20枚の日本の伝統的な木綿のオムツを含めた洗濯物を、洗濯機で洗って、干して、毎晩畳む」に。
  読み終わったら、人々から笑いが。シーンとなりがちなクラスなので、良かった。ふう。
  帰りにインド人の食料品店に寄ったら、オクラを売っていた。ドイツでもタイでも、オクラはオクラと呼ぶらしい。



2001年3月19日-Mo.(のい1歳7ヵ月12日) Iさん来訪
  かつて、同じ会社で働いたデザイナーのIさん来訪。ドイツ、イタリア、フランスを一人旅中とか。うらやましい。
  同時期に同じ部署にいたことはないのに、お互いに覚えていたとは、一体どういうこと(笑)? たぶん飲み会?
  のい は、モグラのぬいぐるみをいただいて、すぐに彼女になついたが、途中で昼寝に入ってしまった。
  地蔵のような寝顔を、写真に撮られていた。今日は寒くて、午前中は雪(アラレ?)も。



2001年3月18日-So.(のい1歳7ヵ月11日) ザクセンハウゼン
  午後の晴れ間に、ザクセンハウゼンの教会の子供用品バザーへ。高級住宅地の大きな教会だけあって、
  いいものがどっさり。これまでのフリマから、ドイツの子は少ない枚数の服を着倒すのかと思っていたが、
  そうでもないらしい。また来ている子供たち、特に女の子の服が、どれもシックで可愛らしい。
  年代物と思われるワンピースも。のいが男の子で助かった。女の子だったら、選択の余地があり過ぎて、
  あれもこれもと買いまくってしまいそうだった。とりあえずTシャツなどを買い込む。
  ズボンは、ドイツでは小さい子にも固いデニム、それも大人同様のジッパーのを履かせるようだ。
  百貨店のオムツ替えコーナーで、隣の親子がそういうズボンに悪戦苦闘しているのを見たことがあったから、
  買う気にならず。家具、乗り物の類はステージに並べてあって、三輪車も出ていた。
  こちらの三輪車には、親が後ろからコントロールできる棒とブレーキがついており、
  妙な絵柄や変な音楽の鳴るブザーなどはついておらず、シンプル。物を乗せる台がついていて、これは乳母車同様。
  三輪車をひとしきり眺めていたら、隣の木馬の持ち主が「買わない?」と駆け寄ってきた。
  1時間半ほどで店じまいし始める店も出始め、のいを抱いてくれていた夫が
  「今、ヘビの縫いぐるみがあったけど、仕舞われちゃった!」。慌ててその店の人に、
  「スミマセン、ヘビオモチャ…」と言って、見せてもらった。
  洗える縫いぐるみで、安かったので、即購入。ちゃんと洗濯して新品同様に清潔なのが、さすがだ。
  のい は教会の表階段で遊んでいる子供たちに混ざって、はしゃいだ。
  お屋敷街を散歩してから帰ったが、散歩中も、買ってもらったヘビのぬいぐるみを離さず。



2001年3月17日-Sa.(のい1歳7ヵ月10日) 雨の土曜日
  雨が降ったり止んだり。今日は夫だけ街へ。いいよなー、身軽に動けてさ。
  私は、のいをベビーカーに乗せ、雨の合間を見て、商店街まで食料の買い出し。
  スーパー入口の自動ドアが、2時ちょうどに開かなくなったのを目撃した。やだやだ閉店法。
  気の毒にも、2時1分すぎに入ろうとしたおばあさんが、閉め出されてガックリしていた。
  トルコ人の八百屋では、イチゴを叩き売りしていた。週明けには腐っていそうな、熟れ熟れのやつ。



2001年3月16日-Fr.(のい1歳7ヵ月9日) 春
  天気がいいので、のい と街まで歩いて行った。クロッカスは終わりかけ、水仙や梅が咲いていた。
  日本もドイツも、春は似ている。Zeilで、のい にヨーグルトを食べさせていたら、ラジオ局の女性記者が、
  隣のベンチのおじさんに「春が来ましたね。春について、何か話してもらえませんか」と、マイクを向けていた。
  のい は、店に入ると商品を触ろうとしたり騒いだり、終いには泣き、まともに買い物させてくれなかった。
  昼食とオヤツの後だけはゴキゲンで、大声で「キシャ」だの何だの叫んで、街ゆく人を振り返らせ、笑わせた。
  ずっと騒いでいて全く眠らず、あきらめて帰路についたところ、家のすぐ手前でやっと眠った。



  最新のドイツ日記に戻る

お家へ帰ろう♪