フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年5月前半の子連れFrankfurt am Main日記




2001年5月15日-Di.(のい1歳9ヵ月8日) 長い散歩
  暑くもなく寒くもなくしかも天気が良いので、乳母車にのい を乗せて、長い散歩に出た。
  S-bahnに沿って歩いて、Galluswarte駅のところで市街の方へ。結局中央駅の前に出てしまった。
  せっかくなので、危なそうな人(麻薬や酒で酩酊している人など)を避けつつ、トルコスーパーマーケットを探検。
  レジ打ちをしていた頭巾少女たちが のい を見てすっかり喜んでしまい、仕舞には飴までくれた。びっくり。
  今まで市電から眺めるだけだった場所も、歩いてみると結構いろいろ発見があるものだ。
  メッセトゥルムの隣の隣の公園で、鳥や噴水を見ながらパンを食べた。のい は掃除のおじさんと握手した。
  また、のいは、オフィスから昼食に下りてきた勤め人たちにも手を振って、可愛い可愛いと言われていた。
  メッセトゥルム前では、同じく小さい子連れの母子がいたので、ちょっとおしゃべり。
  のい はもう大喜びで子供に駆け寄っていったが、相手の子(1歳半)はちょっと不安気のようだった。
  母親は「彼は子供に慣れているんでしょう? 私の子はいつも私と二人きりだから」と言う。
  「うちもいつも二人きりなので、彼は子供を見ると大変嬉しいのだ」と言ったら、驚いていた。性格も色々だ。
  ドイツ人かと思ったら、彼女は、ユーゴスラビアの人だった。ドイツ在住10年とか。
  “ドイツ人の若い母親は、どういうわけか母親仲間をつくりたがらない”と聞いたことがあるが、
  (タバコを吸いながら乳母車を押す人なんて、こっちからお断りだが。ドイツは男性より女性の方が喫煙率が高い)、
  外国人同志だと、そうでもないのかもしれない。人なつこい母親だったが、名前も聞かずに別れたのはちと残念。



2001年5月14日-Mo.(のい1歳9ヵ月7日) 額の印
  H+S。久々に雨。しんどくてやる気が出ない。授業前、スリランカのMに、
  彼女の額、鼻筋の真上の赤丸印について質問したらば、「これは糊でくっつけてあるのよ」と言って、
  いきなり、ペロッと剥がして見せてくれた! 2,3日に1回、取り替えるんだそうだ。



2001年5月13日-So.(のい1歳9ヵ月6日) 口頭テストの練習/メッセトゥルム
  ZD準備コース3日め。私にとっては大問題の口頭テストの練習だ。1組ずつ、監督の前で課題について会話する。
  私と組んだのは、ルーマニアのM。すでに成人した3人の子供のお母さんで、ドイツに来て1年という。
  彼女が「最初の組は嫌よね」というのに大いにうなずき、しゃべれそうな若い人たちに先にやってもらうことにした。
  しかし、ヨーロッパ系の若い人たちは凄い!ペラペラと早口で、ややこしそうな構文もしゃべってるみたい。
  聞けば、ドイツに来て7年とか8年という人もいる。私なんかがこの試験を受けるのは時期尚早だったのだ。
  時間がたつにつれ、どんどん石になる私。たぶん顔は真っ青。あんなにしゃべれないよー。
  石になっていたら、結局、私たちのペアが最後になってしまった。
  まずは自己紹介の会話から。「職業は?」と聞いたら、Mは「今は主婦ですが、ルーマニアでは建築家でした」。
  えええええ! そんなにラッキーなことがあっていいのかあ? 私は「私は建築について書いていたのです」と、
  話が盛り上がった。横で監督が「ほほう、おもしろい」とか何とか言っていた。
  (帰りに、Mと話していたら、彼女が我が家近くのギリシャ正教会の信者ということも判明し、さらに驚いた。
   5月1日に、飲めや歌えやの大騒ぎをしていた素晴らしい教会だ。じゃああれは一体どこの民謡だったのか?
   さらに、ルーマニア語は、ラテン語族ということも初めて知った。彼女にはイタリア語や
   フランス語は簡単らしい。東欧って皆、キリル文字だと思い込んでいたら、大間違いだったのだ)
  統計資料を見て説明する課題については、直されまくり。2人でパーティーの企画をする課題では、
  私が「レストランの閉店時間によれば、パーティーが20時開始だと遅すぎないか?」というようなことを言って
  話を混乱させてしまった。教師が「なぜそんなことが問題になるのか?」と言うので説明したらば、教師は
  「フランクフルトに21時半で閉まるようなレストランはありません。普通は24時までは開いています!」。
  そして「ドイツでレストランに入ったことないんでしょう?」と言われてしまった。はい(nein)、その通りです。
    *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
  帰宅してから、昨日の続きでまたお祭りへ。家から一番近い、メッセトゥルムに登った。高層ビル街から離れているためか
  事前の予約カードを持たなくても、40分ほど並んで待っていたら登ることが出来た。59階の空きテナントから、
  街を上から眺めて楽しんだ。なんと緑の多いこと! のい は中央駅を見て「キシャ!」と叫んでいた。



2001年5月12日-Sa.(のい1歳9ヵ月5日) 子守娘/AlteOper
  ZD準備コース2日め。ポーランド出身でAu-pair Maedchen(いわゆる子守娘)として働いているJと話した。
  「ドイツ人の子は、子守に預けられっぱなしで両親といる時間が少ない。あなたの子供は幸せだ」と言われた。
  Jの世話する9才の女の子はとても憎たらしくて、父親に平気で「このデブ!」などと言うとか。恐ろしい。
  子守とはいえ、Jはポーランドの大学を出ている。ドイツでお金をためてから、また勉強を続けたいとか。
  大学では園芸専攻で、ハーブの知識があり、自分でいろいろ育てているらしい。色んな人がいるものだ。
  帰りにトルコスーパーに寄ったら、土曜の買い物ラッシュにはまり、すっかり帰宅が遅くなってしまった。
  のい は、待ち疲れて眠ってしまっていた。可哀相なことをした。のい が起きてから、遅い食事をした。
    *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
  今日はAlteOper(コンサートホール)が特別に中を見せてくれるというので、夕方、歩いて行った。
  今日と明日は、フランクフルトの高層建築のお祭りをやっていて、特別に市民に公開していた。
  フォスター設計のコメルツバンクに勇んで行ってみたが、入場制限でもう登れず。ものすごく残念だった。
  仕方なく、麓の緑地帯(普段は麻薬でフラフラしている人が多くてとても歩けない)で、バンジージャンプ等を見物。
  歩き回り過ぎて、私はすっかり疲れ、帰りの電車を待つとき、乳母車につかまってへたり込む始末だった。



2001年5月11日-Fr.(のい1歳9ヵ月4日) Datenschutz
  私たちにも風邪がうつったようで、のい も私も咳が出る。喉も痛い。しかし大して身体はきつくはない。
  昼前、スーパーで、釣りの50DM札を受け取り忘れたかどこかに落とした。気付いたのが3時間後だったが、
  一応スーパーに戻ってみた。無愛想に断わられるのを覚悟で「釣りを間違えなかったか?」と聞いてみたら、
  おばさんはレジを閉めて、調べてくれた。結局、釣りは間違ってなかったのだが、そのことを後で夫に話したら、
  「ドイツのスーパーのレジのおばさんでも、そんな親切な人がいるんだ!」と驚いていた。
  夕方、ZD準備コース初日。Galluswarte駅で、ちょうどG5+6intensivの帰りの元同級生、ブルガリアのAとDにバッタリ。
  監督の教師は結構ゾンザイな人で、出席のサインをする紙に、各人の住所と電話番号のリストまで付けて回していた。
  確か、Datenschutzという単語の説明のときにFrau.B.が「私たち教師は住所と電話番号のリストを持っているけど、
  生徒たちには絶対に見せてはいけないことになっているのよ」と言っていたはずだ。
  幸運にも私が3人めだったので、「これは良くない!Datenschutz!」と言って、突き返した。
  今日は筆記試験のモデルテストをやった。あまりに出来が悪くて、我ながらあきれた。やはり独学だと穴だらけだ。
  隣の人に「この文法事項は、どの教科書にあったか?」と聞いて帰り、家で深夜に探した。



2001年5月10日-Do.(のい1歳9ヵ月3日) 脂肪の塊
  快晴。木曜市場で、日本語普及センターに通っていたときに、一緒に子供を預けていた人にバッタリ。
  のい を見て「前は赤ちゃんっぽかったのに、すっかりお兄ちゃんになりましたね」と言われた。
  日本から遊びに来た彼女の友達が、市場で記念写真を撮りたそうだったので、シャッターを押してあげた。
  のい は例によって愛想良く、Yくんを見て喜び、彼女たち一行の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
  暑かったので、牛乳屋の屋台で、桃と苺のヨーグルトアイスを買い、大学構内で、のいと食べた。
  噴水前のベンチに座っていたら、女子学生(といっても20代後半?)が隣に座ってきたので、少々話をした。
  “ドイツ人は太陽の前では積極的に肌をさらして焼こうとする”との予備知識はあったが、目の前で見たのは初めて。
  彼女は、隣に男性がいるのも気にせず、おもむろにスカートをまくり上げて白く毛深い足を前に伸ばし、
  さらにTシャツの裾もまくり上げて、腹とヘソまで出した。
  その腹がポコンと膨れていて結構毛深いので、妊娠中?と思ったが、しかしカプチーノを飲んでいるし、
  妊婦が腹を陽に当てるか?と不思議に思ったので、腹の膨らみについては言及しないで、彼女と別れた。
  家に帰って夫に話したら、「そりゃ、言ったらヤバかったよ。下手したらブッ飛ばされてたよ〜」。
  よく見れば、ドイツ人の腹って、若いときから結構ポコンと脂肪がついてる! 年寄りに至ってはもう……。
  統計によれば、ドイツ人の約4分の1は太り過ぎらしい。



2001年5月9日-Mi.(のい1歳9ヵ月2日) ドイツ最初の日は?
  H+Sへ。今日のお題は『私のドイツ最初の日』。冬に初めてドイツに来た人は、かなり印象が悪いようだった。
  スリランカのMは、1歳半の子供と6ヵ月のアカンボを抱えて、初めてフランクフルト空港に降り立ち、
  迎えに来ているはずの夫とは、広い広いターミナルの中で30分以上も会えず、もちろんドイツ語は全然話せず、
  大泣きしたという。そりゃ泣くだろう。想像しただけで泣けて来るもの。しかも冬だ。
  私は、6年前の6月、1週間の休暇一人旅が初めてのドイツだった。幸運続きで好印象ばかり。そして今に至ると。



2001年5月8日-Di.(のい1歳9ヵ月1日) 新しい芸、初めてのドイツ語
  のい に「今何時?」と言うと、あたかも腕時計を見るかのように、腕を目の前に振り上げる。
  私が腕時計を見る仕種が面白かったのだろう。すぐに覚えてしまった。
  そして、絵本に救急車/消防車の音を「Taetue-tata(テートゥーターター)」と書いてあったのを
  私がそのまま読んでいたら、のい が覚えてしまって、「テ、テ、タ、タ」と言うようになった。
  これが、のいが最初に言えるようになったドイツ語とは。予想はjaか「チュス」だったんだが。ハズレまくり。



2001年5月7日-Mo.(のい1歳9ヵ月0日) むかつく日
  夫の風邪がひどく、予定していたMMR(おたふく風邪+はしか+風疹)予防接種を取り止めた。
  のい は元気そのものだが、MMRと風邪が同時に身体に入って来たら、何が起こるか分からない。
  午後、H+Sの教室まで行ったら、入口で教師が(もう“先生”とは言いたくない!)、
  「歯痛で授業ができないので、今日の授業は休みにします」だと。歯痛だあ? 自己管理がなってない。
  こちらがどんなに苦労して時間を捻出してるのか分かってんのか! 予定が狂うと試験に間に合わないじゃないか!
  嫌だ嫌だ、だらしがない奴は。いい年(大きな娘がいるから、たぶん50はいってる)して。



2001年5月6日-So.(のい1歳8ヵ月29日) 風邪
  またしても、夫が風邪をひいて寝込んだ。あーあ。気温はまた、冬の終わりに逆戻り。



2001年5月5日-Sa.(のい1歳8ヵ月28日) 新しいテレビ
  久しぶりに雨が降ったがすぐに乾いた。お昼すぎに、大家のH氏が新しいテレビを買って持ってきてくれたが、
  私は寝室で のい を寝かしつけていて、H氏はあっという間に帰ってしまったので会えず。
  これから中東に出張らしい。忙しい大家だ。焼いておいた日本の桜入りクッキーは、夫が渡してくれた。
  夫はそれから夕方まで、テレビとビデオと接続させるため、辞書を片手に悪戦苦闘していた。
  私と のい は、家から一番近い市立保育園へ。Frohmarktを見がてら、保育園を見学しようという訳。
  のい には「キシャを見ようね」と励まして、Kinderwagen(乳母車)なしで歩かせた。
  参加者は、頭巾系の人々が多く、なるほどうちの近所だけあるわい、という感じ。会場は園庭で、
  強風のためか客が少なく、トルテ(クリームたっぷりのケーキ)がたくさん売れ残っていたので
  お茶用に買った。持ち帰りの包装に手間取っている間に、のい が片付けを済ませた少女たちの後ろにくっついて、
  勝手に一人で保育園の建物内に入ってしまった。慌てて探したら、廊下の机を叩いて遊んでいたが、
  本当にビックリしたことだった。子供用のハーネスを付けねばならぬか。



2001年5月4日-Fr.(のい1歳8ヵ月27日) Nordwest Zentrum
  Nordwest Zentrumで探し物の続き。のい はKinderhausのフリマで、木のオモチャを3つ手に入れ、
  プレイルームで年上の子供たちが遊ぶのを、奇声を上げながら喜んで付いて回っていた。
  アトリウムのベンチでお昼ごはん。スーパーで「Gruener Tee入り」とあるヨーグルトを見つけたので試してみたが、
  茶は影も形もなし。のい は固いパンを一口齧ってはニコニコ。外で食べると気分が違うのだろう。
  そしたら、隣のベンチに座っていたオバサンが、一眼レフを のい に向かって構えるではないか。
  一瞬警戒したが(犯罪などに使われたら困る)、構えからしていかにも初心者。「趣味?職業?」と一応聞いたら、
  カメラの試し撮りをしているとのことだった。日本製のカメラだったのでそれを突端にしばしおしゃべり。
  のいが生後20ヵ月だと言ったら「大きいね」。昨日も地下鉄で隣り合った乳母車の2才児母にそう言われ、
  Wiesbadenの公園で のいと競り合った2才児の母にも、近所の人にも言われ、そのたびに「普通だと思います」
  と答えてきたのだが……頭が小さいから大きく見えるのか? 実はここ数カ月、全く身長も体重も測っていないのだ。
  地下鉄で帰るつもりだったが、電車が止まったらしかったので、バスでいつもの商店街へ。
  図書館に寄ったら、のい は、世界の機関車の絵本を離さず、結局借りる羽目に。あまりに大きな絵本で、
  貸出カウンターまで のい が抱えていった格好が可笑しかったらしく、若い女性職員が「可愛い」と言っていた。
  絵本はベビーカーの籠にも私のリュックにも入らず、のい がそのまま抱えて帰った。
  通りすがりの人が、「こんなに小さいのに、もう本を読むの」と、のい に言って笑っていた。
  夜、のい が眠ってから、私は買いたての梳バサミで、セルフ床屋を開店。ポニーテールが結えるほど長かったのを
  いつものオカッパに。後頭部はよく見えないので適当に済ませた。
  ただでさえ日本人と思われないのに、「謎のアジア人」度が進んだかも。



2001年5月3日-Do.(のい1歳8ヵ月26日) 散歩
  Zeilまで散歩。半袖で薄着なのに、歩いたら汗びっしょり。のい は途中で気持ち良く眠ってしまい、
  日本語普及センターに着いたときには熟睡。せっかく来たのに、子供たちと遊べず残念だった。
  前回、のい が備え付けの玩具を壊してしまったので、Frohmarktで買った代わりの玩具を置いていった。
  Fさんは、「そんなに気をつかわなくていいのよ。古い、お下がりのばかりだから」と言ってくれたが。
  買い物に出たが、探し物は見つからず。のい には、木の列車のオモチャの、追加のレールを買ってやった。
  新装開店したパン屋で品定めをしていたら、日本語普及センターでの前のクラスメートに再会。しばし立ち話。
  買ったパンをもって、マイン川の岸へ。のい は、野菜のたっぷり載ったチーズパンや、レーズンパンに
  かぶりついていた。鳩や犬を見て喜び、目が合った人すべてに手を振りながら、岸辺を歩いた。
  開催中の芸術イベントShipped Shipsは、今日はお客が少なかったので、係員に質問してパンフをもらった。
  中国人のスーパーでも寿司を売っていた。店内では、複数の店員から中国語で話しかけられてしまった。
  日本がGWだからか、日本人旅行者らしき人を結構見かけたような気が。
  のい は暑くて疲れたのか、帰り道でもまたベビーカーのなかで眠ってしまった。



2001年5月2日-Mi.(のい1歳8ヵ月25日) 夏?
  夏のように暑い。半袖Tシャツ1枚の人も、タンクトップの人もたくさんいた。
  H+Sでは、今日もインタビューの練習があり、私はスペインのGと組んだ。彼女は専門大学の学生で、
  ドイツに来てまだ2ヵ月。クラスでは最も滞在期間が短い(ちなみに、次に短いのが私/7ヵ月)。
  インタビュー内容の発表では、私の言っていることは文章になっていなくて、直されまくりだった。
  こんなのではZDに受かる訳がない…と、とても落ち込んだ。
  授業終了後、学校の前で のい を夫から受け取り、図書館へ。のい が他の幼児とカゴや踏み台の取り合いをして、
  キャスターつきの踏み台に相手の幼児が立っているのに、のいが押して奪おうとし、危うく怪我をさせるところだった。
  言葉が不自由なだけに、何か危害を与えてしまったときのことを考えると、ぞっとする。



2001年5月1日-Di.(のい1歳8ヵ月24日) Maitag(メーデー)
  素晴らしくいい天気。土曜日にテレビが壊れ(つけてから15分ほどで、突然、画面が真っ暗になる)、
  夫が大家のH氏にメールを打ったら、テレビの壊れ具合を見に来られることになった。午前中は夫と交代で部屋の片付け。
  支度が済み、約束の時間まで外で遊ぼうと、のいと2人、階下の広場に出たところで、H氏とバッタリ。
  私と のい は初対面。夫から聞いていた通り、とても感じがいい、朗らかな、北アフリカ出身っぽい紳士だ。
  3人でエレベーターに乗って部屋へ。エレベーターの中でH氏は、私に合わせてゆっくり話してくれた。
  スタスタと部屋に入っていって、H氏が夫に曰く「綺麗にしてますね」。ふう〜助かった。
  しかし彼の足元を見たら、靴のまま! この部屋は大家の所有なので、文句は言わず。
  結局、テレビについては、今週の土曜日にH氏が新しいのを買って、持ってきてくれることになった。
  H氏が帰った後、マイン川まで路面電車で行って散歩。Shipped Shipsという芸術イベント(?)をやっており、
  大盛況のようだった。日本からは、和歌山・新宮市の「くまの号」という乗合船が参加していた。
  今日のメーデーでは、ネオナチのデモに対し、反ネオナチがデモを行い、小競り合いもあったらしい。
  家の近くの教会でお祭りをやっていた。どうやらギリシャ正教らしい。ギリシャ民謡の生演奏に合わせ、
  教会の庭は、輪になって踊れやブズーキ飲めやの大騒ぎになっていた。楽しそうだった。
  のい と教会の隣の墓場のベンチで、夕涼みしながら見物した。



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