フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年2月前半の子連れFrankfurt am Main日記
2001年2月15日-Do.(のい1歳6ヵ月8日) 最後にできた人が勝ち
のい は、おんぶで眠ってしまった。夫が冬学期最後のゼミ+飲み会でいなかったので、私も一緒に寝てしまった。
夫が帰ってきたときには、私の顔の上に、のい の足が乗っていたらしい!
毎晩こうなのだとしたら、睡眠不足になるのも仕方なし。
授業前に、昨日のプリントの答え合わせ。ルーマニアのNに見せてもらう。
Nは、午前中、ずっと声を出してドイツ語を読んでいて、友達にゲラゲラ笑われていた(発音が変だから?)そうだ。
そのNが涙でアイシャドーを流してしまうほど、女っぽい仕種で笑わせてくれるタイのKは、
家では、同性のパートナー(ドイツ人)が持っているPCを使って、ドイツ語のCD-ROMで勉強していているとか。
間違っていると「ウガーー!」、正解だと「パチパチパチ!」との効果音付きだそうな。
彼は、授業中は大ボケをかましているが、昨日の復習テストは満点だった。
彼は、家に帰るとパートナーにノートや教科書、プリントをチェックされて
「なんでこんなのができなかったんだ!」と怒られるんだって。そりゃすごいわ。
授業中がどうであれ、“最後にちゃんとドイツ語を身に付けられた人が勝ち”だよね。私もがんばらねば。
パウゼには、チェスを見物(クロアチアのZが持ってきた)。将棋と似ているようでちと違う。
将棋人口とチェス人口、世界中で比べたら、やっぱチェスだろうな。
2001年2月14日-Mi.(のい1歳6ヵ月7日) 花
バレンタインデーには女性に花を贈るのがこちら式。学校では、休憩時間にカフェに行った人が花束を抱えて戻ってきた。
昨日話したプリントを手に入れることが出来た。先生が思い出してくれたので。ふう。
今日は宿題がなかったので、そのプリントを家でやった。
復習テスト、簡単だと思ったのに、ポカミスも含めていまいちな出来。7割強。うーむ。
2001年2月13日-Di.(のい1歳6ヵ月6日) タブー
学校では今日は「それぞれの国のタブー」について、それぞれがしゃべった。ということは宗教に関わる話も出る。
意外にイスラムの人が多いのに吃驚した。モロッコもスーダンもイランもパキスタンもトルコも、イスラム教なのかあ。
イランでは、大学以外の学校は、皆、男女別学なんだそうだ。
私は、日本では家の中では靴をはかない、畳の上では室内履きもダメ!という、無難な話をした。
帰りに、先週休んだときのコピー(プリント)を貰いたいと申し出たが、通じず。
2001年2月12日-Mo.(のい1歳6ヵ月5日) 林家パー子さん状態
4階のおばあさんと話した。うちの真下に住んでいることが分かった。
学校では、スーダンのHが、結婚式のときの写真を見せてくれた。手足にすごい模様を描いてあった。
授業中、ドイツ人観光客の話になって、モロッコのZに話が振られた。
彼は「ドイツ人は知らないが、典型的日本人観光客なら分かる。彼らはものすごく写真をとるんだ」。
お返しに、帰るときに、Zに向かって思いっきりシャッターを切る真似をしてやった。「Y、お前もか?」と爆笑。
2001年2月11日-So.(のい1歳6ヵ月4日) 芸
のい に「どーもすみません」(by 故林家三平師匠/私と誕生日が同じ)を教えたら、
一瞬で覚えてしまい、さらにそれを両手でやるようになってしまった。まるで頭を抱えているみたい。
2001年2月10日-Sa.(のい1歳6ヵ月3日) 鉄道マニアへの道?
地下鉄U4番に乗って、子供中央図書館(Zentrale Kinder-und Jugendbibliothek)へ。
のい はベビーカーから下ろした途端に、座って絵本を読めるコーナーに向かってピューと小走り。
そこにいた母子に向かって、手を振っていた。相手も「ハリハロー!」(ハローハローだと言いにくいから)。
次にそのコーナーにやってきた父子にも手を振って、「ビンケビンケ!」(テレタビーズだ)と言われていた。
のい のあまりの目の輝きように、夫は驚いていた。図書館に行くといつも、のい はこうなっちゃうんだよ。
帰りに、図書館の近くの商店街へ。うちの近所の商店街もなかなかいいけど、ここも便利そう。
実は、今日の午後から、地下鉄U4番が延伸して、我々がよく利用するBockenheimer Warte駅から、
メッセ、中央駅、そして子供中央図書館の方まで、乗り換えなしで行けるようになったのだ。
という訳で、電車の中は、特に用もないのに新駅を見るだけのために乗っている“物好きさん”で一杯。
私たちも、新しく出来たメッセ駅(Festhalle/Messe)と、Bockenheimer Warte駅の新ホームを見物した。
のい は、メッセ駅ではしゃいだり(ホームからガラスのコーンを通じて、メッセ塔が見える)、
周りの人に手を握られたり振られたり、そして私たちにあちこち連れ回されて写真を撮られたり。
それで疲れたのか、Bockenheimer Warteの新ホームを見終わったところで、眠ってしまった。
本と電車、のい の大好きなもの漬けで幸せな一日? 鉄ちゃんへの第一歩?
何しろ、この人のオモチャコーナーには、Deutsuche Bahn(DB)グッズのカタログが入っているのだ。
2001年2月9日-Fr.(のい1歳6ヵ月2日) クッキーじゃなかった
夜何度ものい に起こされ、起こされついでに宿題を仕上げたりしていたので、かなり睡眠不足。
それでも、のい は定刻に起き(機嫌よく起きたときは、我々の顔にチウー!だ)、ドアを開けろとうるさい。
ドアを開けてやると、一人で居間へ走って行く。ぬいぐるみたちに挨拶した後は、ラジオをつけろと催促。
FM(Frankfurt Business Radioが、我々の最近のお気に入り)をつけてやると、音楽に合わせてステップ!
夫にのい の着替えを頼んで、私は朦朧とした頭のまま台所へ。
のい用オヤツを補充しようと、入れ物(半透明タッパー)を手にとってみたら……
なんじゃこりゃ!! クッキーの残りかと思ったら、白木の積木がああ! のいの仕業である。朝から大笑い。
おかげで、頭痛が少し良くなった。しかしまだ、人の声が頭に響く感じ。
学校の休憩時間は、人としゃべる気にならないほど疲れていたので、外を一人で散歩してリフレッシュした。
学校の1階で、子供の絵の教室の展覧会をしている。興味深い。早く のい と一緒に絵を描きたいな。
2001年2月8日-Do.(のい1歳6ヵ月1日) 頭の中
のい は、次々とおかしなことを考案しては実行する。二つの椀で球をつくったり、
犬のくんくんくん(→ぬいぐるみ)と一緒に四つ這いになって移動したり、廊下に本を広げて列車のように並べたり。
パンをちぎってスープに入れることを覚え、それを喜んで食べている。スプーンを使うのもうまくなってきた。
玄関ドアを内側から閉めるとき、私が両手で力一杯押すのを真似て、一緒に押すようになった。
私の耳鳴りと頭痛は、少々軽くなったような気がするが、0にはならず。
昨夜、夫と大喧嘩+仲直りしたので、ストレスのもとは、ある程度取り除かれたのだが。
学校では、昨日休んでいた間に、私が大の苦手とする、名詞につく形容詞の活用の単元に進んでいた。
宿題の答え合わせのときは、あまりの難しさに吐き気まで催したが、
形容詞を使ったゲーム(トランクに一枚ずつ服を入れる)で遊び、大笑いしたら、かなり軽くなった。
俺の頭の中、のい の頭の中、ドイツ人の頭の中、スパッと簡単に見えたら楽ちんなのに。
2001年2月7日-Mi.(のい1歳6ヵ月0日) また休み
耳鳴りと頭痛がひどくて起きられず。午前中はなんとか家事をこなしたが、午後は学校を休んで寝ていた。
風邪ではないし、思い当たる理由がない。あるとすればストレスだけか。
2001年2月6日-Di.(のい1歳5ヵ月30日)
ヨーロッパのホテルを格安でおさえられるミキライゼン(旅行代理店)へ。ミュンヘンのホテルリストなどを貰った。
帰りに百貨店Kへ。同級生である中国のBが昨日「Kの地下食料品売り場でネズミを見た!」と大騒ぎしていたが、
どこのスーパーも、ネズミがいても不思議ではない乱雑さなので、気にせず買い物。
のい は、レジを出たところで、車椅子のおばあさんに手を振って、とても喜ばれた。
地下鉄のエレベーターの中で、日本人母子と知り合いになった。のい と2ヵ月違いの男の子。
学校では、ずっと休んでいたトルコのZが、ギブスと杖とともにやって来た。足を骨折して入院していたとか。
タイのKは、来週、結婚式を挙げるらしい。彼は男性なのだが物腰も話し方も女性的。もしや…と思っていたら、
やはりそうだった。結婚相手はドイツ人男性。ドイツでは最近、同性パートナーとの結婚が公式に認められた。
Frau.BはさっそくKに「子供はどうするの? 養子をもらうのか?」などと訊ねていた。
私は睡眠不足のためか耳鳴りがして、ディクテーションでは散々な出来だった。
2001年2月5日-Mo.(のい1歳5ヵ月29日) 音楽付きチーズ
雨のち晴れ。スーパーで料理用秤(おフランス製だけど安物)を買った。これで安心してケーキが焼ける。
のい は、布オムツが濡れると、自分でズボンの股のボタンを外して教えるようになった。
踊るステップはますます複雑になり、将来が楽しみだ。母ちゃんと一緒にライブに行こうね!
積木で集中して遊び、時々とても面白い物をつくる。壊してしまうのが勿体ないほど。
学校では、引き続き食べ物の話。それぞれが、自分のお国料理をドイツ語で説明した。興味深かった。
ルーマニアのNが説明した、ザワークラウトのロールキャベツは、ぜひつくってみたいと思った。
さて、教科書にあったドイツ料理のシュパイゼカルテ(お品書き)に、
『薫製チーズ・音楽付き』というけったいな一品を発見。「これは何だ?」とFrau.Bに質問。と、彼女は突然小声になり、
「これはタマネギと一緒に食べるチーズで、食べた人は皆、トイレに行ってお尻から音楽を出したくなるのよ」。
隣の隣の席で聞いていた、何でもよく知っているブルガリアのAも「ホント?」と大笑い。
そしてFrau.Bは、AとNの辞書をめくってから首を振り、「日本のドイツ語辞書は、一番良いから載っているはず」と、
私の辞書を手にとった。「これよ、これ」と彼女が差した単語は……屁!!
休憩時間にクロアチアのZとおしゃべり。Zは自分でアプリコットの蒸留酒(アルコール50%)をつくっていたそうだ。
クロアチアでは家庭で酒を造るのは合法とか。詳しい作り方を知りたかったが、ドイツ語で説明できないようで残念だった。
2001年2月4日-So.(のい1歳5ヵ月28日) オアーアン!オトーアン!
雨。雪は消えた。昼間、日本に電話。のい の運動不足&ストレス解消のため、アパートの入口ホールで遊ばせた。
階段を全身で登っているところに、4階のおばあさんが通りがかり(彼女とはこれまでも何回か顔を合わせていた)、
のい にいろいろ話しかけてくれた。「ノイ!」と呼び掛けられて嬉しいのか、のい は笑顔で手を振っていた。
ここのエレベーターはシースルーなので、のい は面白くて仕方ないらしい。
夜は、Fastnacht(カーニバル)の番組を見て、一緒にアーアーと歌ったり、小刻みにステップを踏んだりした。
そして、お風呂から上がるとき、とうとう「オアーアン!(お母さん)」「オトーアン!(お父さん)」と、
はっきり言えるようになった。なかなか言葉が出なかったが、私たちの言うことは、
「エプロンを棚から出して、お父さんに付けてもらって」などという複雑な内容でも理解していたので、
そうは心配していなかった。それでも、初めてちゃんと呼ばれると嬉しいものだ。
私は初めて、ドイツ語のほんとの手紙(宿題とかじゃなくて)を書き上げた。
2001年2月3日-Sa.(のい1歳5ヵ月27日) 雪、更に雪
朝起きたら、雪が積もっていた。更に雪。昨日買い物をしておいて大正解だった。
どこにも出かけられず。一歩も外に出ず。家の中で、のい と遊びながら、家事を片付けた。
のい は、旅行代理店でもらってきたパンフの中から、バスや列車の写真を探し出して喜んでいた。
「今日のオヤツはヨーグルトね」と言いながら台所に入ったら、
後ろから、のいが絵本を持ってトコトコ追いかけてきた。
?と振り向くと、無言で、絵本に描かれたヨーグルトを指差しているのだった。爆笑。
2001年2月2日-Fr.(のい1歳5ヵ月26日) レストランの敷居は高い
晴れのち吹雪。学校では、今日はレストランの話題だった。私にとっては悲しい話題。
せっかくドイツに来たのだから、レストランで本当のドイツ料理を味わってみたいのだけれど、
ジッとできない子供を連れていては、とても入れぬ。せいぜい市場の屋台。あとは自分で料理本を見てつくるか。
モロッコ人は「私はいつも家で料理する。この話はつまらん!」と言って途中で帰ってしまった。
逆に普段あまりしゃべらない人たちが「私の国のレストランは……」と、よくしゃべっていたから善し悪し。
日本のレストランでのディナーの値段を聞かれたので答えたら、皆あまりの高さに驚いていた。
休憩時間に学校の前のトルコ人スーパーマーケットで野菜を買い(新鮮で安い!)、帰りにはスーパーにも寄った。
週末のための買い出しだ。明日明後日は定期券無し。次の1ヵ月定期券は来週月曜日からのにしたから。
2001年2月1日-Do.(のい1歳5ヵ月25日) 『カレーヴルスト』
ZeilにあるVHSのサービスセンターで、昨日登録したコースとテストの費用を払った。
帰りのUバーンで、数日前、のい が手を挙げて挨拶したのをとても喜んでくれた、若いアジア人女性に再会。
日本の友達に似ていたので気になっていたのだが、訊ねたらベトナムの人だった。ドイツ在住7年とか。
しかし、今日はいまひとつ機嫌が良くなくて、彼女があやしても全然笑わず。
バスを待っている間にリンゴジュースを飲ませたら、のい はその後のバスの中で寝てしまった。
オレンジジュースを飲んだときは絶対に眠らないのに、リンゴジュースだと眠ってしまうのはなぜだ?
米国では、夜泣きする子供には「オレンジジュースを止めるといい」と助言されるというが。
VHSでは、「〜のときには〜する」という文をつくって、それをモチーフに即興詩を書いた。
私は、オチつきの詩を書いて笑いをとり、朗読のアンコールを命じられるはめに。しかし
聞き取り練習では、私だけ全然ダメで、皆が細かい言い方までバッチリ聞き取れているのに驚いた。
最後に、ヘルベルト・グレーネマイヤーの『カレーヴルスト』という曲を聞いた。
飲んだくれのオヤジの歌。独特の雰囲気のあるダミ声もいい。ピアノがまたごきげんで素晴らしかった!
ハイディ先生は、歌詞のコピーを15等分して配り、自分のパートが流れたときに、その場に立つように指示。
歌詞に集中して聞くための、面白いやり方だと感心した。
日本の運転免許をドイツの運転免許に書き替えるため(国際免許は、ドイツ入国後6ヵ月を過ぎると無効となる)、
休憩時間に、VHSの近くにある、外国人登録の役所(Ordnungsamt)まで走っていった。
しかし長蛇の列ができていたので、諦めた。受付開始から30分しかたっていなかったのに!
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