フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年9月前半の子連れFrankfurt am Main日記
2001年9月15日-Sa.(のい2歳1ヵ月8日) 幸運
3人で街へ。いわゆる日本人ツアー客がよく連れていかれる土産物店に行ってみた。不思議な品ぞろえ。
Konstabrawacheの土曜市場で、お気に入りの豚のシュニッツェルやワッフルを食べた。
「これを食べられるのも今日が最後」と、カメラを構えたところ、鳥の糞が私のコートを直撃。
慌てて拭きまくって「まあでも運(ウン)がついたね」ということにした。大笑い。
ちょうどそのころ、日本では、実妹夫婦に、待望の赤ちゃんが生まれていたのだった。
幸運って、Iちゃんのことだったのね! めでたい。
2001年9月14日-Fr.(のい2歳1ヵ月7日) 大家H氏チェック
思い立って速攻でオッフェンバッハへ。皮革製品を購入。しかし、店に入るとのいがぐずって暴れ、話にならず、
外をしばらく散歩して眠ったところで店に戻って、やっと品定めができた。
帰りのSバーンで、のいと同じくらいの歳で、同様に鉄道好きで妙に活発な子がいて、両親が手を焼いていた。
「こういうチャカチャカした子はヨーロッパ人にもいるんだなあ」と興味深かった。
またZeilに寄って、先日貼った不用品処分のビラを剥がして回った。
夜、大家のH氏が来られた。現状を見てもらい、大きな破損汚損部分を、こちらから申告した。
割ったコップや傷つけたフライパン、溶かしたヘラなどは弁償しなくてヨシだったので、拍子抜け。
ドラム式洗濯機のゴムに出来たシミについては、予想通り、渋い顔であった。
(渡独当初、洗剤の量を日本並みに少なくしていた上、布オムツを洗濯後、扉を閉め切っていたのが敗因)
しかし、クローゼットの板が狂って歪んで金具が取れてしまったのについては、
この日、H氏は「問題ないよ」と笑っていたのに、後日、結構大きな請求が来て「えー!」。
H氏も大家初心者なので、家に帰ってからドイツ人の奥さんに言われたのであろう。
ともあれ、ドイツでは通常、カーペットの張り替えや壁の塗り替えをして返さねばならないのだが、
我々は、綺麗に掃除するだけでいいことになった。ラッキー。
この日、H氏は珍しく長時間座って、夫と雑談。小泉首相のことも話題にのぼり、
“日本人は普段の生活ではすぐ謝るのに、前の戦争については韓国や中国に謝らないのか”
などという話になってしまった(この時点では、まだ首相は韓国を訪問&謝罪していなかった)。
H氏は、引き渡し日直前に、アラブへの出張があるとのことで、先日のテロを受け、
「生きていたらまた会おう。帰れなかったら妻が引き渡しに立ち会う」と変な冗談を飛ばして帰っていった。
2001年9月13日-Do.(のい2歳1ヵ月6日) アホなオカンです私
最近、「Nein,No,いや、反抗期!」と、のいに言わせては夫と喜んでいる。
親の言うのを素直に復唱するのに「ハンコウキ」もヘッタクレもあるもんかい。
そのほか私は、Macを起動しながら、のいに「Macさん(MacOSのマーク)」
「なんなん(ポスペの猫のこと)」などと、覚えても何の役にも立たないことを教えている。
更に、デスクトップパターンにしている、「つっこみ如来(みうらじゅん氏考案)」の格好を真似しながら
二人して「ツッコミー」と叫ぶのである。アホやねえ。
2001年9月12日-Mi.(のい2歳1ヵ月5日) 寿司桶茶碗
夕方、近所の日本人で新婚のYさんが、プラスチック寿司桶など、日本の生活用品を引き取ってくれた。
茶碗を喜んでくれて、さっそく使って下さったとか。それまでは洋皿で米飯を食べていたそうだ。
祖母の俳句集を某日本関係団体(9月10日のとは違うところ)に寄贈した。
2001年9月11日-Di.(のい2歳1ヵ月4日) テロ/電話の嫁ぎ先決定
不用品処分のビラを追加で貼りに行った。ついでに、ずっと欲しかったパン切りナイフを買ってしまった。
午後、家に戻ったら、ビラを見た日本人T氏から電話があり、さっそく夕方、品物を見に来られ、売買成立。
のい はスーツ姿の若い男性を見て固まってしまい(若い男性は苦手らしい)、夫にしがみついていた。
ずっと留守電機能無しだと思い込んでいたのに、その人の一言で、実は留守電機能があったと判明。
使い始めたときはドタバタで、取扱説明書を読む余裕もなかったし、留守電らしいボタンも無いため、
今まで全く気付かずにきてしまった。夫は、何か別売の機器が必要なのではないか?と言っていたが。
T氏の来訪直前、のい と子供専用チャンネルを見ていたら、普段とは違う時間にニュース番組になった。
ビルに飛行機が突っ込む映像……アメリカで同時多発テロが起こってしまったのだった。
のい は「コワイ、コワイ」と言い、その後もニュース番組になると嫌がって、誰かにしがみつくのだった。
2001年9月10日-Mo.(のい2歳1ヵ月3日) ホテル予約+ビラまき
朝、帰国直前の2泊分のホテルを予約する。我が家と同じ通りにあるMホテル。
フロントで料金を聞いたら、某日本系代理店がいっていたのより安かったので、その場で予約。
不用品処分のビラをコピーして、日本関係団体各所に貼ってもらった。
途中、久々に託児のFさんに会った。また祖父の作品集を、某日本関係団体に寄贈した。
普段通らない道(Konstabrawacheの北側)を歩いて、木の玩具と本の専門店を発見した。
かなり良心的な品ぞろえ。蜂蜜のロウでできたクレヨンや粘土なども。
帰宅してふと思い立ち、オヤツに人参を丸齧りすることにした(皮は剥いた)。のいもポリポリよく食べた。
のい は人参を食べ終わると、さらに「モモー!」と催促。彼が示しているのは、桃じゃなくて林檎。
いつも桃(1kgで2DM弱の黄桃)は丸かじりさせているので、林檎も丸のまま与えてみた。
固いので泣くかな?と思ったが、抱え込んでシャコシャコポリポリと、一人で半分くらい食べてしまった。
さて、ホテルの予約確認書。FAXで送ってくれると言っていたのに、夕方になっても来ない。
電話してみたら予約担当者曰く「Faxが壊れている」。吃驚して「うちのFaxは正常だ」と返したら、
ホテルのが壊れていたのだった。そりゃ大変だわねえ。
2001年9月9日-So.(のい2歳1ヵ月2日) Lecker!
「食べて治す」をモットーに、いろいろつくりまくる。
野菜たっぷりのハヤシライスもどき(肉はもちろん豚。去年の11月以降、牛肉は食ってない) に、
余った林檎を煮て冷凍してあったのを使って、アップルパイとか。んー、レッカー(美味しい、の意)。
2001年9月8日-Sa.(のい2歳1ヵ月1日) Bahntag
昨日、夕方から眠ったおかげで、だいぶ回復したが、まだ腹痛は少し残っている。
睡眠不足と疲れ → 腹痛 → 貧血 → 倒れる というのが、高校3年のときからのパターンで
最初の段階で、何とか手を打っていれば(つまり休息をとる)酷い目には遭わないで済むのだが。
今回は、倒れる直前、空きっ腹に、コーヒーを飲んだのもまずかった。
帰国したら、ピンチのときに のいを 預かってもらえる近所の人を見つけなくてはと思った。
きょうび、元気な若い主婦は出歩くのに忙しく、大分のご近所は高齢化が激しい。でも絶対に必要だ。
高校生のころ、同じアパートに住む2〜3歳児たちが、よくうちに遊びに来ていた。
「おばちゃーん」こと私の実母こそが、彼らのお目当てだった。まだ“おねえちゃん”だった私ではなく。
退院直後の新生児の沐浴まで、母がしていたっけ。彼女のような子供好きの人が、近所にいたらいいのに。
さて、本日は、DBのBahntag(鉄道の日)のイベントがあり、皆で行くのを楽しみにしていたが、
夫とのい だけで行ってきてもらい、私はバスで週末の食料確保をした以外は、家で針仕事/編物などしていた。
のい は、ICEでヘキストの先のICE洗車場まで行き、ICE形のグミをもらってバクバク食べ、
本物の蒸気機関車を見、クマの着ぐるみの警官を見て「ベア!」と言ったらしい。
疲れたのか、家に戻って私の顔を見るなり、乳母車の中で眠ってしまった。
昨夜、殆ど何も食べられず、「あれなら食べられるのに……」と脳裏に浮かんでいたのを、
恨みがましく今日食べた。野菜スープ、番茶に梅干、とっておきの塩昆布。
のい も、我々と一緒に梅干1個をペロリを平らげてしまった。
2001年9月7日-Fr.(のい2歳1ヵ月0日) 公園託児見学/激腹痛
久々に、いつもの商店街の奥の方を散歩。散歩がてら、先日新聞で見た、
1〜3歳児の託児をやっている公園を見に行った。これは、市のパイロットプロジェクトで、
9月と10月の2ヵ月間、平日の午前中、親なしで子供を遊ばせてくれるというもの。
新聞に「雨合羽着用」と書いてあったし、実際小雨だったので、のい には合羽と長靴を履かせてあった。
面倒を見てくれる人のうちの一人に、「今日は親付きで見学をさせてほしい」と話して、様子を見た。
子供6人を1人の大人が面倒を見る…ということだが、大人しく座って砂遊びをしている子もいれば、
1人で遊んで、大人の見えない隅に行ってしまう子もあり。出入口で親を呼んで泣き腫らしている子もいた。
のい は、やはり総ての遊具を試してみないと気が済まないタチらしく、あちこちに走っていっていた。
一番気に入ったのが、丘の上の水たまり(!)で、入り込んでは、尻まで浸かってハネを飛ばして喜んでいた。
そこの水のポンプを占領している、大きい男の子2人組が、のいを含め、他の子を追い出そうと
小突いたり後ろから砂をかけたり(コントロールが悪くて届かないのだが)して意地悪するのだが、
他の子があきらめて別のところで遊び始めても、のい だけは何をされても「ウケケケ!」と笑って
意地悪の効果なし。何度も攻めていっては「またBabyが来たぞ!」と言われていた。
もう2歳なのに、のい は、髪が薄いし、骨太な西洋人に比べたら華奢だし、言葉も通じないしなー。
あまりに のい が楽しそうなので、また短時間、連れてきてやってもいいなと思った。
ただ、預けるときの手続きがあまりに簡単すぎるのが、かえってちょっと心配。
泥だらけになって夢中で遊んで(のい が一番泥んこだった)、お腹がすいたのか、
昼食のパンをいつもの倍くらい食べた。帰宅したら、ちょっと乳を吸ってコロッと眠った。
その後、私は急いで家事を片付けようとしたが……睡眠不足と疲れによる、例の腹痛が起きてしまった。
のい の昼寝の後半、一緒に横で寝たのだが、それだけではとても治まらず、のたうちまわって苦しんだ。
のい は私がソファやベッドで横になっている間、一人で大人しく遊んでくれていた。
「ごめんね、お腹痛くて立てないの」と言ったら、のい がすべすべの頬を寄せて、ヨシヨシまでしてくれた。
医者より薬より、誰か のい を見てくれる人がいれば、安心して眠って治せると分かっているのだが、
電話番号を知っている近所の日本人女性は、この時間帯は、不在だと分かっている。
最後の手段で、夫が隠って論文執筆中の大きな図書館に電話したが、「来館者は300人もいるから探せない」と
呼び出しを断わられた。仕方なく4時間、時計を見ながら、息も絶え絶えヨレヨレになっていた。
夫が帰ってきたときには、本当に「助かった……これで眠れる」と思った。
のい も私の様子の異様さに甘えるのを我慢していたのだろう、即、夫に飛びついていったようだ。
夕食を有りもので済ませるようにお願いして、私は眠らせてもらった。くくくるしい。
2001年9月6日-Do.(のい2歳0ヵ月30日) Zeilsheim
バスに乗って、ヘキストのまだ先のZeilsheimへ。車内で、韓国人2人組(出張ビジネスマン?)から
英語で「あなたは中国人ですか?」と聞かれてしまった……。うーん。
さて、Zeilsheimでの本日の目的は、またもや教会のバザー。以前に、ヘキストで降りるつもりで間違えて
このZeilsheimまで来てしまったことがある。整然とした、可愛らしい、昔からの住宅地である。
その地域共同体の中心を、この教会が強力に果たしているらしく、通りの辻辻に「教会の集会所はこちら」
と常設の看板が出ている。会場に入ったらば、またこれがバザーなのか?と思うくらいの整理の行き届きよう。
子供服や玩具が、サイズや種類別に分けてディスプレーされ、客が荒らした服を畳み直す係の人までいる。
商品にはすべて、商品番号つきの値段シールがつけてあり、出口で集中的に会計するようになっていた。
さらに「母子手帳をもった妊婦は、一般の30分前に入場可」という、素晴らしいルールも。これは凄い。
のい は乗り物や玩具のコーナーで、夢中になって遊んでいた。他の子が乗っているものにも、
乗りたがって足を上げる。そのアクションが、まるで蹴っているようで、喧嘩になりそうに。
阻止するのが大変だった。目を離した隙に、のい が 売り物の三輪車で走り去って見えなくなってしまった。
「のいー!」と叫んだら、逆の方向から得意げな顔が。会場を一周してきたらしい。はあ(ため息)。
なんとかかんとか、雨合羽と雨ズボンなどをゲットして、「ケーキを食べようね」と誘って、
のい を乗り物や子供用椅子から引き剥がし、支払いを済ませて会場を後にした。
「ケ!ケ!」と叫ぶ のい を制しながら、手づくりケーキを購入。席に着いてしばらくしたら、
斜め向かいの女の子の様子が怪しい。……さっき、のいが玩具の取り合いを仕掛けた相手だった。
のい は気付かずにケーキに夢中になっていたが、女の子は半ベソ。そそくさと食べ終えて出た。
2001年9月5日-Mi.(のい2歳0ヵ月29日) のい嬢?
小雨だが、できるだけ出て片付けられる用は片付けたいので外出。南駅DAM、レーマー、ハウプトヴァッヘ。
百貨店でドアを開けてくれた親切なおばあさんが、のいを「可愛いお嬢ちゃんね」。久々に間違えられた。
半ズボンに大きなウィンドブレーカーというイデタチは、ワンピースを着ているように見えたかも。
2001年9月4日-Di.(のい2歳0ヵ月28日) 乳から血
ここ数日、乳首の皮膚が弱り気味で、「少しヤバいな…」と思っていたところ、
未明に泣いて起きた のい に強く吸われて傷付けられてしまった。激痛。母乳パッドには血が。
明け方にまた泣いて吸おうとしたときには、あまりの痛さに、泣かれても乳をやれず。
眠いし痛いし、こっちの方が泣きたい。普段より1時間も早く起きて、6時半のテレタビーズを見る羽目に。
乳首には、ゲンタシン軟膏塗布のサランラップ貼り を久々に施した。
これで断乳できるかと思ったが、やはり寝る前は乳なしではダメ。
最近は眠るときに、ヌイグルミも抱えるようになったのだが……。特定のお気に入りはなく、
日替わりで、犬(バウバウ)か羊(メーメー)かモグラ(ヤーヤ)を指名する。博愛精神?
のい に振り回されるのは、もうこりごりだと思い、本日は遠出をせず、のい が泣こうがわめこうが、
自分がやると決めたことはやることにした。でないと帰国準備が出来ないもの。
午後、近所の図書館に行ったら、お祭りのときに のい を遊んでくれた女の子たちと再会。写真を渡した。
夕食に、昨夜仕込んでおいたタルト生地を使って、赤ザワークラウトのキッシュをつくった。
ザワークラウトの酸味と卵があいまって、マヨネーズのような味が出て、色も綺麗。
毎度ながら、適当につくった割には、美味だった。よしよし。冷凍庫の片づけもできたし。
それにしても作り付けオーブンって、単純明快でなんて使いやすいんだろう。
2001年9月3日-Mo.(のい2歳0ヵ月27日) ハズレの日
NordwestZentrumへ。靴屋に行けば、のい がはしゃぎ回る。隙を見て品定め。
やっと気に入った靴を見つけたところでオムツからはみ出しそうなウンチをされた。
慌てて店を出て、広いショッピングセンターに1つしかないトイレに入ったらば、
オムツ替えの台が壊れていて、入口の掃除婦は“マットを化粧用の狭い台に置いて替えろ”と指で示す。
こんなところから石貼りの床に赤ん坊が落ちたら…何を考えているんだろうか、ここの管理者は。
床にそのマットを敷いて、ベトベトのウンチを公衆の面前で拭かねばならなかった。
頭に来たので、抗議を示すためチップを出さずに帰ろうとしたのだが、ドイツには珍しく
そもそもこのトイレは無料……。入口に御親切に「kostenlos」と書いてあるのだった。
オムツ替えの台を直すカネがないなら、チップぐらい徴収すればあ?
…やれやれ、と店に戻ってみたら、さっき見つけた靴は既にもうなかった。がっくり。
さらに、食べさせても飲ませても のい がなかなか眠らず、でも眠いので乳母車の中でうるさくわめき、
店にも入れず。やっと眠ったときには、こちらが疲れ果てていた。トルコ産のイチジクを買ってみたが、
日本のイチジクの方がずっと甘くて瑞々しいと思った。今日はハズレばかり。
2001年9月2日-So.(のい2歳0ヵ月26日) 呑気な日曜日
のいが普段より長く深く昼寝。途中でソファから落ちたが、そのまま床のクッションの上で寝ていたほど。
季節の変わり目だからか、バザーが多い。のいの長い昼寝のせいで、家を出るのが遅れて、
会場の教会の集会室に着いたら、もうほとんど終わっており、ちゃちな玩具を一つだけ買おうとしたら、
財布から小銭を選んでいる間に、よその子供に素早く買われてしまう始末。ドン臭いことだった。
のい は店じまいの人に「玩具を一つ持っていっていいよ」などと言われていたが、
まるで執着せず、店先の玩具を一渡り触ったら、あっさり「バアイバーイ」。
夜、ベイクドポテトをつくったら、のいがパクパク食べた。ドイツの美味なジャガイモとも、後4週間でお別れ。
2001年9月1日-Sa.(のい2歳0ヵ月25日) Bornheim
Bornheimの教会のバザー。帽子とズボン、絵本(のい用、私用)などを買った。
のいは、屋台の形をした大きな玩具に夢中になり(子供が群がって遊んでいた)、
私が隣の店を眺めていたときに、のいに近づいてきた年上の女の子を のいが小突いてしまったらしい。
女の子の叫び声と のい の何やら文句を言う声に驚いて戻ったら、女の子は去っていくところだった。
のい は平然として再び玩具で遊んでいたが、うーむ、一体何をしたんだか気が強いのはいいが……。
Bornheimの商店街は、北側の方が気取りがなくて良い感じ。ちょうど土曜市場をやっていて、
うちの近所BockenheimerWarteの木曜市場の八百屋さんも来ていた。
よく知らない街で、知っている顔を見ると何だか嬉しい。
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