フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年2月後半の子連れFrankfurt am Main日記




2001年2月28日-Mi.(のい1歳6ヵ月21日) 灰の水曜日/ズドラベーイテ!
  市内乗り放題の定期券も、あと少しで無効になる。午前中、のいを連れて、Sバーンに1駅乗って、Roedelheimへ。
  メーンストリートを探索。静かな住宅街だが、うちの近所にはないスーパーもあった。高齢者が多かった。
  パン屋さんで、“バイエルン風”と銘打ったパンを買ったら、これが香ばしくて大当たりだった。
  昨夜、インタネで検索して覚えた、ブルガリア語の挨拶「ズドラベーイテ!」をDとAにしたら、
  二人とも一瞬驚いてから、喜んでくれた。Aは「私も日本語2つ知ってる。“コンニチハ”“アリガトゴザイマス”」。
  日が長くなり、授業が終わって走って帰ったら、夕方明るいうちに家に着けるようになった。
  私が帰宅すると、のい が玄関までニコニコで走って来る。靴を履いたまま荷物を置いて、
  のい に、上着とオーバーズボンを着せて、家の前の広場を散歩するのがここ数日続いている。今日は
  広場に面したカフェバーの、いつも角の席に座っている おじさん が、のい に手を振ってくれた。
  のい は、カフェバーの外壁の下の方についている鏡を、1枚1枚覗き込んで、嬉しそうにしていた。
  一昨日、そのまた2軒先のパン屋に寄ったら、キョロキョロとショーケースを覗き込んで、
  売り子のお姉ちゃんに「可愛い!」と手を握られていた。得な性格である。
  一つ手前のバス停まで歩いて、バスに乗って家に戻ったり。定期券があるからできるんだが。



2001年2月27日-Di.(のい1歳6ヵ月20日) Fastnacht
  今日の午後はカーニバル。そのため、昼過ぎの電車には変なヅラを被ったり、顔に色を塗ったりした人がゾロゾロ。
  テレビでは、どこかしこでカーニバルを祝うパーティーの中継番組をやっていた。それはいずこも
  学芸会みたいなセットに、ダンス、漫談(オチのところで、オーケストラが、♪ンパー♪)で構成され、ちと間抜け。
  パン屋で、カーニバル名物Kreppel(ジャム入り揚げドーナツ)を買ったところ、値段を私が勘違いして、
  釣りを出す出さないので押し問答。オヤジが「へえへえ、今日はカーニバルだから」と諦め顔で釣りを寄越した。
  数十m歩いてから、俺が出した金では足りなかった!と気付いた。慌てて店に戻り、
  「スミマセン!今、理解しました」と謝って不足分を払ったら、オヤジ、小声で「分かったか」だって。
  イランのKが「昨夜、Y(→私のこと)の夢を見た」と言った。なんじゃそれは? 愛か?(苦笑)
  「その夢は、今ではなく2年後の状態で、YとYの夫と息子、そしてもう一人、女のアカンボが一緒にいた」。
  ……キミは預言者か? 休憩時間、イスラム教〜宗教について話が盛り上がった。
  ブルガリアのAはカトリック教徒だが、家にコーランを持っているらしい。「でも、難しくて理解できない」。
  なぜ、イスラムでは男は重婚が許されるのに、女は許されないのか。「それは伝統だから」。……うーん。
  皆でイスラムのムスリム話で盛り上がっているところに、Frau.Bが割り込んできて、
  キリスト教の話に持っていってしまった。ちえっ。彼女とは、ホントにとことん気が合わないようだ。
  しかしあと数回の我慢だ。ドイツ語を習得することにのみ意識を集中させるのだ。



2001年2月26日-Mo.(のい1歳6ヵ月19日) バラの月曜日/欠席裁判
  今日授業に来なかった2人の優秀なクラスメートAとNについて、授業中、批判する声が出た。
  「彼女たちばかりが発言して、私たちにしゃべらせない」「間違えたら笑う」などなど。
  先生であるFrau.Bも一緒になって彼女たちを「エゴイストだ」などと悪く言うので、あきれてしまった。
  そう言っている人たちも、彼女たちに対抗して、私が私が!と発言するくせに。
  タイのKが「でも彼女たちは、とてもnett(親切な、気持ちが優しい)よ」と言ってくれたので、救われた。
  Frau.Bは先週、「来週の火曜日は、カーニバルだから授業は休み」と言ったのに、今日になって前言を撤回。
  「明日も学校は開いているので、普通どおりにやります」。ええええー、何それ?
  そんなこと最初に確認しろよ。今頃になって言うなよな。今日休んでる人はどうなるんだよ。
  仕方ないので家に帰ってから、パキスタンのSに電話した。簡単な話なのになかなかうまく伝わらず。



2001年2月25日-So.(のい1歳6ヵ月18日) カーニバル
  フランクフルトのカーニバル。レーマー近くのMMKでパレードを眺めた。「ヘーラウ!」と叫んで手を振りあげ、
  山車に乗った人からは、飴やお菓子がばらまかれた。私たちの頭を飴の雨が直撃。あいたたたた。
  子供たちは、大きな帽子と袋を持って、お菓子を拾うのに忙しい。多くの人は滑稽な衣装を着ている。
  のい にはまだ飴は無理なのに、通りすがる人たちが、のいのヤッケのポケットやフードに、拾った飴を入れていった。
  韓国の人たちのチャンゴ隊もあった。あんなにたくさんのチャンゴを見るのは初めてだった。
  トラックの山車が多いが、馬車もあり、馬の糞がそこここに落ちていた。
  もうみんな羽目を外して、そこここで大騒ぎ。アップルワインの屋台の周りは、こぼれたワインでいい匂い。
  地下鉄の中でも、すっかり出来上がったオトウサン(30代後半?)が大声で何か歌って、子供にたしなめられていた。
  普段は真面目にしているが、ここぞという時にはドカーンとバカ騒ぎする、そんなドイツ人の気質が私は結構好きである。
  そして、日本だったら絶好の稼ぎ時なのに、店はやっぱりお休みなのである。日曜日だから。



2001年2月24日-Sa.(のい1歳6ヵ月17日) ぶち切れる
  吹雪。予定していた買い物は中止。外に出たがる のい を抱っこ紐に入れ、
  新聞屋まで夫の購読する新聞をとりに行ったくらい。
  私はのい の世話と家事に追われて、自分の時間が1分もなかったのに、夫は自分のことばかりにかまけていた。
  我慢していたが、夜、とうとうぶち切れた。頼めば嫌な声を出すし、黙っていればいい気になって。



2001年2月23日-Fr.(のい1歳6ヵ月16日) オラ!アミーガ!
  昼間に1時間ほど吹雪。しかしすぐに晴れた。まったく変な天気で油断ならない。
  ボリビアのKに「オラ!」と挨拶したら、彼女がとても喜んだ。それで調子に乗って「アミーゴ!」と言ったら、
  「アミーガ!」と直された。女性形は「アミーガ!」なのね。失礼しました。
  今日は、イランのKの隣に座った。ペルシャ語で私の名前を書いてもらった。うーんエキゾティック。
  帰りに、トルコスーパーマーケットで週末のための買い物をしたので、普段より30分ばかり遅くなってしまった。
  そしたら、VHSのある住宅地の周りを3台のパトカーが包囲するのを見るわ、
  Ordnungsamtの横でヤクの売人らしき人を2組ばかり見るわで、怖かった。実はVHSはヤバい地区にある。
  帰りのバスで、2階に住んでいる通称(って私と夫の間だけだが)“犬のおばさん”と、一緒になった。
  最近やっと、のい抜き、犬抜きでお互いを認識できるようになったようだ。犬の名前は「レア」だそうだ。



2001年2月22日-Do.(のい1歳6ヵ月15日) たった1年とは短すぎる
  イランのPのお兄さんが、テヘランから遊びに来ており、今日は一緒に授業を受けた。
  ゲーテインスティテュートに5学期いたそうで、彼のドイツ語はばっちりだ。うらやましい。
  トルコのZと初めて隣り合って座った。今日は不定詞。「私は本当に〜する気がない」という例文をつくるとき、
  私は「私は本当に日本に帰る気はない」、ギブス中のトルコのZは「私は本当にもう一度足を折る気はない」、
  そして逆隣のモロッコのZは「私は本当に若い女の子と知り合う気はない」と書いた。3人で見せ合って、爆笑。
  帰りは猛ダッシュ。Sバーンの駅まで走り、電車に駆け込み、さらにバスにも駆け込み。というのも、
  夜、夫が留学生同志の自主コロキウムに出るため。木曜日は、タッチ交代でのいの世話という感じだ。
  のい は、夕食をお腹いっぱい食べ、食後は私の膝に乗り、私にもたれてテレビを眺め、まったりしていた。



2001年2月21日-Mi.(のい1歳6ヵ月14日) バイリンガル
  モロッコのZに、かねてから聞きたかった質問をした。「あんた、何か国語をしゃべれるの?」。
  彼の母国語はスペイン語だが、お母さんがアラビア語をしゃべり、小学校ではフランス語で授業を受け、
  上の学校では英語を習ったそうだ。そして現在ドイツ語を学んでいる……という訳で、5か国語ができるらしい。
  「大学では航空関係の情報工学を学びたい。その分野はドイツと日本が一番進んでいる」と言っていた。
  へえ、そうなの? いちおう工学部出のくせに、なーんも知らないワタシであった。とほほほ。
  のい は、「買い物帰りには、家の前の広場を歩くもの」と心得ているらしく、
  いつもベビーカーから下ろしてやる地点に近づくと、もう声をあげて笑っている。
  のいの頬がプクプクしているのを、パキスタンのSは「“ムングムング”してて可愛い」と言う。面白い。



2001年2月20日-Di.(のい1歳6ヵ月13日) 下町
  スーパーのレジのところで、眠くなった のい にぐずられていたら、前に並んでいたオジサンが、
  犬や猫の鳴き真似をして、あやしてくれて助かった。「いくつなの?」と聞かれて、「1歳半だ」と答えたら、
  「それは良いね!」とか言っちゃって、一体何が“良い”の?と苦笑していたら、オジサンは更に鳴き真似。
  真に迫ってる! そして「私は、全くもって壊れちゃってるんだ」とのたもうた。
  真面目そうな人なので気付かなかったが、レジのベルトコンベアーの上には、ジンが一本だけ。
  なんだ酔っ払いのオジサンだったか。乞食も酔っ払いも多い、我が家の商店街ならではである。



2001年2月19日-Mo.(のい1歳6ヵ月12日) のい には世界中に友達をつくってもらいたい
  商店街を歩いていたら、夫の知り合いの日本人に会った。私が「VHSのドイツ語クラスに通っている」と話したら、
  「貧しい国の人がたくさんいるでしょう」と言われた。はあ? 何なのそれ?
  日本人の多くは金持ちかもしれないが、だからって何で、出身国だけで蔑む訳? 信じられん。
  スーパーでは、カギ十字を後頭部に彫り込んだ(ネオナチだ!)オヤジを見るし。顔だけなら温厚な紳士に見えるのに。
  帰りに、新しく出来たアジア食料品店で、タイのインスタントラーメンとビーフンを買った。
  店主夫人らしきインド人のおばさんが、のい が笑うのを喜んで、グミベア(お菓子)などをくれようとした。
  それは売り物だし、のい にはまだ無理なので、気持ちだけ受け取って、丁重にお断りした。
  4階のおばあさんと玄関ホールで会った。のい は「ドイツ語が分かる?」などとドイツ語で話しかけられたうえ、
  頬やアゴを撫でられていたが、嫌がりもせず、ニコニコとされるがままになっていた。
  のいは手先が器用になって、今日の新聞読み(というか新聞眺め。のい は落書きタイム)のときは、円も描いていた。
  学校では、先週、ハイディ先生がDat.(3格)とAkk.(4格)の使い分けを大変スッキリと教えてくれたので
  頭の中が爽快になったせいか、何だか妙にたくさんしゃべれたような気がする。



2001年2月18日-So.(のい1歳6ヵ月11日) マイン川散歩
  天気が良いので、のい を散歩に連れ出した。午前中は私と近所を歩いた。
  午後は、オヤツを持って、皆でマイン川へ。川岸には宿泊できる遊覧船が停泊していた。
  のい は川岸の公園にて、砂場を歩いたり、私に抱かれて滑り台をすべったり、よその子とシーソーに乗ったり。
  のい は、例によって、愛想よく手を振って、相手から何語か分からない言葉(色んな国の人がいた)を話しかけられていた。
  ただ、人見知り真っ最中らしき、トルコ人の女の子には大泣きされ、さすがの のい も当惑していた。
  のい と同じくらいの子供でも、上に兄姉がいる子は、低い滑り台を一人で滑り降りていたので驚く。
  近くに良い公園があったら、毎日でも遊ばせてやれるのだが……。うちの近くの公園は、
  暗くて汚くて、遊具が壊れていて、安心できない。そもそも遊んでいる子供を見たことがない!
  さんざん遊んで疲れたのか、夜はいつもより早い時間に、眠りたがって泣きわめいた。



2001年2月17日-Sa.(のい1歳6ヵ月10日) 指を挟んだ!
  夫の買い物に付き合って、のい を連れてZeilへ。
  夕方、帰宅した後、のい がドアの蝶番側にいるのを気付かずに、夫が洗面所のドアを閉め、
  のい の左手の人さし指をはさんだ。爪が赤くなり、指の腹にも内出血。
  夫を思いっきり罵りながら、氷と濡れタオルで冷やした。のい は、指をはさんだときは泣いたが、
  冷やした後はまったく痛がらなかったので、大したことはなかったようだ。
  小さな子供と一緒の生活では、一瞬の不注意が命取りになってしまう可能性もあるので気をつけねば。
  夫には、雑誌の切り抜きの「事故防止」のページ、『家庭の医学』の応急処置の項目など読ませ、猛省を促した。
  新築の家を借りている関係上、ガムテープなどで蝶番側の隙間を塞ぐことはできない。注意するしかない。
  ドイツの生活で助かるのは、引き戸がないことと、ドアやサッシの把手が日本のものより高い位置にあることだ。
  ドイツのドアの把手には、のい はまだ背が届かない。が、日本のサッシ、ドアにはもう余裕で届くはずだ。



2001年2月16日-Fr.(のい1歳6ヵ月9日) ばっちりbraun
  私の発音では、braun(茶色)と言っているつもりでも、blau(青)ととられてしまうので困っていたが、
  ブルガリアのDに頼んで教えてもらった。「r」のときは舌先をデュルルルルとオーバーにやればいいのね。
  休憩時間にスクラップの整理(→これは私の趣味だ(笑))をしていたら、モロッコのZが
  「なんで日付けを書き込むのか? 今日の新聞以外は皆、古いんだから関係ないじゃないか」と言うので、驚いた。
  さらに帰りに、パキスタンのSが「月曜まで辞書を貸してくれないか」と言う。えー日本語を読めないのに?
  ウルドウ語-ドイツ語の辞書というものは、この世に存在しないらしい。彼女のノートには大量の動詞が書いてあって、
  「過去形と過去分詞形を全部書き出したい」と言うので、動詞の変化表付きの文法書を貸した。
  午前中、のいを 連れて図書館に行った。行きの地下鉄の中でおばあさんが、のい に手を振っているので、
  私が振り向いたら、「Fuer Sie keine Meinung」と言われた。直訳すると「あなたには関係ない」。うへー。
  「あなたに何か用があって手を振ったのではないから、気にしないで」ってことなんだろうけど。ドイツ語って直接的だよな。



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