フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年5月後半の子連れFrankfurt am Main日記
2001年5月31日-Do.(のい1歳9ヵ月24日) ゆっくり、ゆっくり
まだしんどい。しかし来週の月曜もまた祝日で3連休で店が開かないので、食料を買い出さねばならず。
泣けて泣けて身体に力が入らないが、顔を5回くらい洗い直して、やっと外に出ることが出来た。
いつもの郵便配達(Brieftraeger)のお兄さんが、自転車で私たちを追い越すとき、向こうから挨拶してくれた。
商店街で乳母車を押しているとき、ぶつかりそうになったオバアサンが、私の腕をとって、
ニッコリ笑い、“Langsam,langsam”とおっしゃったので、また涙が出そうになった。
市場には、ドイツ産の苺が出回り始めた。スペイン産と違い、再生紙のパックに入っていて小ぶり。
2001年5月30日-Mi.(のい1歳9ヵ月23日) 燃え尽き/「ワンワンワン」
肉体的な疲れと、「あんたのドイツ語は酷い」とたて続けに言われたショックで、外出する気力も出ず。
のい が何かに熱中しているか眠っている間に、皿回し/サーカスのように家事を片付けるのにも、もう疲れた。
頑張っても頑張っても誰にも認めてもらえないのなら、何にも考えず、人のお膳立てに乗って気楽に暮らす人の方が
いいやね。頑張った私がバカみたい。とにかくだるくてだるくて眠りたかった。これって「燃え尽き症候群」?
しかし、のい を見ていなければならないので(aufpassen:監視)、座ってできることをしていた。
ドイツ語のカセットやラジオのニュースをつければ、のいに消されてしまうし。……眠りたい勉強したい、
バウハウスゆかりのデッサウやワイマールを見てみたい…すべて我慢だ。何しにドイツに来たんだか。悲しい。
夕方、パキスタンのSから電話。5月2日に、元気な3099gの女の赤ちゃんを生んだとのこと。良かった。
のい に「犬は?」と聞くと、絵本の中の犬や、ヌイグルミのクンクンクン(→という名前だ)を指差して
「ワンワン」とか「ワンワンワ」「ワンワンワン」と言うようになった。
2001年5月29日-Di.(のい1歳9ヵ月22日) 背負い鍋
母の時代から通算20年以上使っている古い圧力鍋(西ドイツ製)を、リュックに入れて担いで、Zeilへ。
とうとう、蓋の部品の隙間から蒸気がもれるようになってしまったので、見てもらった。
台所用品専門店でも百貨店でも、「修理すると高くつく」と言われた。
鍋の傷は、修理不能だが、普通に煮炊きする分には差し支えないとのこと。
のい を日本人の子供と遊ばせてやろうと、某センターへ行ったが、今日は、
幼稚園入園前の大きな子ばかりで、静かに遊んでおり、のい は赤ちゃん扱い。
積木でつくったものを のい が壊す度に相手の女の子に謝り、
ある男の子の所有物である電車の玩具を のい が触ろうとする度に、その子にキーキー叫ばれ、
始終 のい を制さねばならず、すっかり疲れてしまった。あーあ。
重たい鍋を背負ったまま、街を歩いたが、買い物も探し物も、得るもの無し。がっかり。
ゲーテインスティテュートへ行き、個人授業+ZDは可能かどうか、尋ねた。
「先週、ZDを受けたのだが、私の喋りは酷くて…」と言ったら、「そうね」とはっきり言われてしまった。
夕方、疲れた身体を引きずって、大学図書館前のバス停にいたら、またしてもモロッコのZに会った。
楽しく近況報告をし合ったが、「先週、ZDを受けたのだが、私の喋りは酷くて…」と言ったら、またしても「そうだね」
そして「今はドイツ語は勉強していないの? 毎日、子供と歩き回ってるだけ?」と言われてしまった。
私だって学校に行きたいよ! 好きでこうしてる訳じゃないんだよ。すっかり凹んでしまった。
2001年5月28日-Mo.(のい1歳9ヵ月21日) 予防接種その1(B型肝炎)
予防接種のため、約半年ぶりにDr.ラーマンのところに行った。
半年前は、受付の人とも医師とも、ほとんど夫がしゃべったが、今回は私が答えられることも多かった。
生後21ヵ月の検診も行われたが、身長、体重、頭囲を測り、心音を聴いただけ。身長は85cm、体重は11kg弱。
本来あるはずの、言語や運動能力の発達などはチェックされず。一目見て「元気だね」でおしまい。
心音は、細かい雑音があるが問題なしとのこと。『育児の百科』にも“問題はない”とあったので気にしないとする。
医師からは、半年間予防接種に来なかったことを「大人の都合はどうでもいい、子供には重要なんだ!」と
言われてしまった。今日は、MMR(麻疹+おたふく風邪+風疹)を打ってもらうつもりだったが、医師と話した結果、
まずはB型肝炎にして、MMRは来週に回すことに。看護婦がワクチンを持ってきて、のい をうつ伏せにし、
尻に瞬時に注射して去っていった。余りに素早くて、のいは針を刺されたことにも気付かず、泣きもせず。
ちなみに日本では、B型肝炎の予防接種はハイリスク者(医療関係者、家族が感染者 など)にしか行われていない。
帰りに、2駅先の語学学校へ行き、コースについて質問した。が、校舎と周辺環境が堪え難く、通う気になれず。
2001年5月27日-So.(のい1歳9ヵ月20日) 馬車
フランクフルト市の境界近くの農家へ。一般開放のイベントをしていたので、見に行った。
古いトラクターや、ウサギ、鶏、厩舎などを見せてもらい、のい は、トラクター型の三輪車に乗って大喜び。
馬車の荷台に乗せてもらって、村の中を一回り。助手席に乗った子供たちが、運転?するオジサンに質問攻撃。
「この馬は7歳」とオジサンが答えたら「へえ!僕と同じ」と感嘆していたのが可笑しかった。2頭とも牝馬だった。
のい ははしゃぎ疲れて、帰りのバスの中で眠ってしまった。
2001年5月26日-Sa.(のい1歳9ヵ月19日) Zertifikat Deutsch
ZD(外国人としてのドイツ語検定)本番。…というのに、のい が夜中に普段の倍くらいの回数も
泣いて起きて、ただでさえ緊張して眠りが浅いのに、バッチリ睡眠不足状態。フラフラやんかー。
お昼とオヤツと、口頭テストで遅くなったときに備えて夕食まで用意して、家を出た。GalluswarteのVHSへ。
試験室に入ると、長机の両端に椅子が一つずつ置いてあり、受験者が二人ずつ向い合わせに座るようになっていた。
かなり座りにくいが、これだと、隣の人の様子が分からない。特に受験番号はなく、好き勝手に座った。
私が席に着くと、隣には、カメルーンのL、向かいにインドネシアのAが、親し気にやってきて座った。
Lはやたら話が長く、人から借りたものは催促されるまで返さないし、Aは暴挙の人で、どちらも困ったちゃんだが、
どういうわけか私に親しみを持ってくれているらしい。うーん…。簡単な単語だけでゆっくりしゃべるから?
筆記試験は楽勝だったが、ヒアリングはいまひとつの手ごたえ。手紙では、締めの言葉で大失敗した。
手紙の相手が2人とはね。「あなたがたのY(→私の名前)」とすべきところを、練習通り「あなたのY」と書いちまった。
暴挙の人Aはまたまたやってくれた。休憩時間に、試験問題冊子に、予め書いておいたメモを仕込ませるとは。
手紙試験終了後に監督が見つけて処遇を協議していたようだが、本人には全くカンニングの意識はないらしかった。
手紙試験の後で、午後の口頭テストのペア発表があった。俺の相手はL…。Lは喜んでいたが、私はため息。
休憩しようと、人気のない自販機コーナーに入ったら、扉の取っ手が壊れていて閉じ込められてしまった!
ジタバタしていたら、通りがかりのおじいさんが開けてくれた。そのおじいさんは、
試験監督かと思ったら同じく受験者で、3年前、ロシアから息子(現在38歳)の暮らすドイツに来たらしい。
私が日本人だと知ると驚いて(苦笑)、お世辞かどうか「君の発音が分かりやすかったから」とつけ加えた。
同じ会話クラスに3人の日本人がいたが、彼らの発音は理解しがたかった、とか。そうなのか?
口頭テストは、相手がLであれ誰であれ散々な出来だった。予想もしていなかったお題(TVと映画/音楽会の企画)、
さらにすっかり緊張してしまって、何しゃべってんだか分からぬ状態。絶対不合格だわ。
Lと口頭テストの部屋を出ると、暴挙の人Aが待ち構えていて「試験監督は何をきいてきたか?」などと
探りを入れてきた。懲りない人だ。のい に何か果物でもとトルコスーパーに行きかけたら、
「どこ行くの、私も」とLが一緒に付いてきた。中学生女子じゃあるまいし。なんだかなー。
ルーマニアのMは、口頭テストもばっちり出来たようだった。高齢でたった1年の滞在なのに凄いと思った。
しかし私も、口頭テストが悲惨だったとはいえ、この試験を受けられるまでになれただけでもよく頑張ったと思う。
滞在たった8ヵ月、学校には途中までしか通えず、基礎コースの最後3分の1はほぼ独学で、
しかもアジア人である。ま、今回の試験は、普通の人の場合は、職に就くためのドイツ語力証明なのだが、
私にとっては、実力を測るためのテストだったということ……にしとこう。
さあいよいよ、滞在期間は残り3分の1。これをどう使うか、しっかり考えなくっちゃ。
2001年5月25日-Fr.(のい1歳9ヵ月18日) 「ヤーヤ」「カバ」
3月19日に来られたIさんから、のい の写真が届いた。
「ヤーヤちゃん(Iさんにもらったモグラのヌイグルミ)が初めて来た日だよ、覚えてる?」と話したら、
急に「ヤーヤ、ヤーヤ!」と言い始めた。一番長いつきあいのルー(LHでもらった鳥のヌイグルミ)の名は
まだ呼べないのに! そして、絵本のカバを見て、「カバ」と言うようになった。
全くこちらが予想もしていない言葉ばかりが、先に出て来るので、笑ってしまう。
今日も、午後早くに夫が戻ってきて、のい を見てくれた。その間に家事と勉強をせっせせっせ。
2001年5月24日-Do.(のい1歳9ヵ月17日) 「キリン」
祝日。どういうわけか、のいが突然「キリン!」と言い始め、絵本のキリンを指差すようになった。
夫が、のい を連れてパルメンガルテン(植物園)まで出てくれた。その間、家事と勉強を効率的に片付けた。
夕方も夫が、眠け覚ましにと、のい を家の前の広場に連れ出してくれたので、少し勉強ができた。
しかし、布オムツのまま遠くに行ってしまい、ウンチが背中からはみ出した状態で戻ってきた。
排便してから相当時間が経っていて、オムツにベットリしみ込んでおり、洗う手間が新生児並みにかかった。
2001年5月23日-Mi.(のい1歳9ヵ月16日) ドイツ的海辺の休暇
古本屋で、夏の海辺での休暇の様子を描いた、文字のない絵本を見つけたので、速攻で買った。
屋根付きの小屋みたいな椅子、その中で肌を焼きながら編み物をしている人、スッポンポンの子供……面白い。
のい に「船は?」「犬は?」「アイス食べてる人は?」などと尋ねると、指で示す。
家の近くで、4月から我が家の隣の集合住宅に住み始めたという日本人女性と出会った。
夕方、夫が のい を散歩に連れ出してくれた。
2001年5月22日-Di.(のい1歳9ヵ月15日) 実態
ドイツでの のい の玩具は、殆ど私が買ったもの(頂き物以外は)。食費と日用品の殆ども私が払っている。
私は1999年5月以降、収入がなく、渡独後は生活費すら、稼いでいる人から貰っていないにもかかわらず。
“だれが食わせてやってると思ってるんだ”という台詞があるが、それはまさに私の言う台詞だ。
稼いでいる人(日本の大学から給与、加えて、僅かではあるが奨学金をもらっている)は、
フランクフルトの高い家賃と大分の家賃の両方を払ってくれてるから、まあバランスはとれてると思っていた。
が、昨夜、稼いでいる人に「土曜に教会で蚤の市があるから、行って玩具を買ってやって」と言ったら、逆上された。
なんで私が怒鳴られなきゃならないの? もの凄くショックで、一日中、気分が悪かった。試験の準備どころではない。
近所に遊び仲間もいない子に、玩具も与えないでどうやって育つ?
「買ってやりたい気はある」って、気持ちだけで子供が育てば苦労はないよ。
これを読んでいる方は「ドイツ語の勉強をしている間、子供の面倒を見てもらえていいわね」と思っているだろう。
子守は確かに有り難いが、私はそんなに優雅ではないのだ。自分の身(心身+貯金)を削って暮らしているのだから。
※※ 上記の内容は、稼いでいる人(夫)本人の了承を得て、掲載しています。
2001年5月21日-Mo.(のい1歳9ヵ月14日) H+S4-6最終日/押しの強い人
H+S4-6最終日。途中から来なくなった人も多く、今日出席したのはたった5人。
基礎4-6のレベルのはずなのに、教師が、中級クラスに進んでいる人に合わせて授業をするので、
私にはとても着いて行けなかった。お題は『病気』。だが、そんなややこしい言い方しなくても医者にはかかれる
というような表現や語彙を並べ立て、私が口を開けば、文の端から端まで直す。嫌になってしまった。
高校の英語の授業を思い出した。何か答える度に「違います」と教師に言われ、苦痛の時間だった。
どの英語教師にもいい思い出はない。苦痛ばかりで、英語の方はロクに身につかなかった気がする。
…で、この教師も、実は元高校教師。何か共通の要素でもあるのか? 苦痛を与えれば生徒が伸びるという信念?
私は、楽しくなけりゃ脳ミソの蓋は開かない、と思う。苦虫噛み潰して勉強した人にはそれが分からないのだろう。
最後に聞き取りをしたが、私だけがちゃんと聞けていなかった。もうサンザン。
終了時間になっても、教師がどうでもいい事務手続きを長々として皆を引き止め(煙草は吸いたくなかったのか?)、
夫から のい を受け取る時間に遅れそうになったので、「さようなら。ご幸運を」と言って先に帰った。
後で、商店街で彼女を見たが無視された。所詮そういう人なんだ。授業中はつくり笑顔。ハイハイ、サラバじゃ。
* * * * * * * * * * * * *
家に帰って、家の前の広場で、中国人女性(在住12年)とその娘L(ドイツ人とのハーフ、10歳)と知り合った。
Lはとてもボーイッシュなので、私はずっと男の子だと思っていた。逆に、のい は女の子だと思われていた。
母親に「neinは日本語で何と言う?」と聞かれ、「“いいえ”と“ダメ”だ」と教えたら、
のい が自転車に触ろうとしたとき大声で「ダメ!ダメ!」。のい は他人に日本語で怒鳴られて驚いたのか、
大泣き。私も「今度の土曜にZDを受けるんだが、たぶん落ちるだろう」と話したら、発音をバリバリと直された。
私の印象では、中国人は、とても控えめな人と、異様に押しの強い人の両極端に分かれるような気がする。
2001年5月20日-So.(のい1歳9ヵ月13日) ZD準備コース最終日
ZD準備コース最終日。朝少し寝坊したうえ、私の留守中に大家H氏が来るというので準備をしていたため、
予定していた電車に乗り遅れた。「日曜だから次の電車は20分後にしか来ない」と思い込み、
VHSまで歩いていくことにした。約35分の道のり。しかしメッセ駅のところまで来たら、後ろから電車が!
今日はメッセ開催中なので、普通の日曜とはダイヤが違っていたらしい。とほほほ。
結局たどり着いたら、15分の遅刻。ちょうど、口頭テスト練習のペアを決め終わったところで、私は
1人余っていたインドネシアのAと組むことになった。彼は前回、用意していた文章を読み上げるという暴挙を行い、
私以上に会話を混乱させ、観衆を大いに笑わせてくれた。ただ、彼と組んだ日本のYは、とても気の毒だった。
今日は私がその気の毒な役って訳だ。試験前にはうってつけじゃーん。
やはり今日も、ヨーロッパ系の若い人たちがどんどん先に手を上げて前に出ていき、私とAは最後の組になった。
(途中、Aが、校内では禁止されているビデオカメラを回し(これまた暴挙!)、気付いた教師が厳重注意する一幕あり)
Aは自分が話すことに夢中で、特に最初は緊張もあってか人の話をまるで聞かず。アジア系の男性によくあるパターン。
教師も前回の彼の暴挙に懲りて、そういうときには「ちょっと待った!」と介入していた。
課題については、私は結構「よろしい、gut」と言われたので、大いに驚いた。かぶりつきの席で先の人たちが
しゃべるのをメモしていたおかげか。あるいは教師の集中力が切れていたのか。たぶん後者だろう。
健康についての話題で、「私の子供は毎晩1回か2回泣き、母乳を飲まないと眠らない。母乳は血からできている。
だからいつも私は睡眠不足で貧血だ。はああ。Mein Gott(なんてこった)!」と言って、笑いをとった。それは満足。
* * * * * * * * * * * * *
家に帰ってから、のい と散歩したり、家の中で遊んだり。のいは、椅子を汽車に仕立てて、
せっせせっせと忙しくヌイグルミたちを運んでいた。なぜか熊かモグラのどちらかが運転士。帽子を被っているから?
2001年5月19日-Sa.(のい1歳9ヵ月12日) 失敗クヌーデル→ポタージュスープ
朝、少し早めに家を出て、VHSの前のトルコスーパーで週末の買い出し。
今日のZD準備コース担当者は感じのいい先生で、質問に対する答え方も丁寧で(金曜と日曜の教師はゾンザイ)
普通のクラスも受けたい!と思ったほど。本番では口頭テストの試験監督らしい。お手柔らかに頼みたいところ。
夕方、初めてクヌーデル(ジャガイモのゆで団子)をつくってみたが、小麦粉をちゃんと計らなかったため、
ゆでたらドロドロになってしまった。あーあーあ大失敗! でも、
ジャガイモたっぷりのゆで汁をスープに仕立てたら、のい が喜んで飲んだ。怪我の功名。
2001年5月18日-Fr.(のい1歳9ヵ月11日) 回復
午後はH+Sの追加授業(教師の歯痛で中止になった分)が教師宅で行われたが、昨日に引き続き疲れていたので、
サボって家で休養した。夕方、VHSのZD準備コースへ。今日の教材は、夫のおすすめで買った問題集からだった。
時間がなくて、まだやっていない練習問題だったので、助かった。
前週に書いた手紙が添削されて戻ってきた。結構、点があったので、驚いてしまった。
同級生たちと話をしたら、だいぶ元気になった。走って家に戻ったら、のい が眠る時間に間に合った。
2001年5月17日-Do.(のい1歳9ヵ月10日) 疲労
明け方に咳が止まらず、自分でも驚くほど痰が出た。風邪の治りかけが、疲れでこじれたのだろう。
夫には申し訳なかったが(そもそも夫がもらってきた風邪だが)、一日中、のい を見てもらった。
昼過ぎまで寝させてもらったおかげで、多少回復した。食料品は私が買い出すしかないので、夕方、一人で外出。
一番近い商店街まで往復40分、リュックを背負ってヨロヨロ歩いた。ただ、乳母車なしだと身動きは楽だった。
2001年5月16日-Mi.(のい1歳9ヵ月9日) 夢の家?
H+Sへ行った。私が建築に関連する仕事をしていたというのを教師が知ったからか、
今日のお題は『私の夢の家』。なんだかなー。理想の家なんて、固定観念ないんだけどな。
皆が、ゴージャスな家(エレベーターがあって、プールがあって、云々云々)について話すなか、
「日本のかつての首都、京都の町家に住みたい。すべての戸を開くと、一つの部屋になるのだ」
とか言って、私一人だけ浮いていた感じだった。例によって文章は直されまくり。
家は、時間をかけてコツコツつくっていくのが面白い。造り込まれた住宅、用途の決まりすぎた部屋はつまらん。
……って、うまくドイツ語で言えれば良かったのな。長年、自分が当たり前だと思っていたそういうことが、
日本だけじゃなくて、ここでも当たり前ではなかったとは。ふうう。精神的に疲れた。
日本で2DKとか3LDKなどと言うのと同様、ドイツでも2-Zimmerwohnung(2部屋の住居)とか言うものね。
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