フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年1月後半の子連れFrankfurt am Main日記
2001年1月31日-Mi.(のい1歳5ヵ月24日)
のいは、私が学校に行っている午後の間、卒論指導で忙しかった夫にも構ってもらえなかったせいか、
私がいる間は、私に密着状態だ。ドイツに来てから長らく、してやらなかったオンブが、ここ数日のお気に入り。
さて、VHSの月〜水曜の担当のFrau.B(たぶん50才代)とは、いまいちソリが合わないような気がしていたが、
今日はそれが決定的となった。といっても、喧嘩した訳ではない。彼女が
「これはZDaF(外国人としてのドイツ語力認定試験)に出る」と言ったから。試験対策の予備校は別として、
普通の教育現場で「これがテストに出る」などという俗なことを言う教師はロクなもんじゃない。ダメすぎ。
「◯◯を食べると太る」とか「某有名テニス選手が離婚して慰謝料をたくさん払った」とか、
下世話な話が妙に好きなのも……。しかし、俗な頼み事をすると、すぐに聞いてくれた。
今日は、再来月からのコースの登録開始日。私が「3月半ばから始まる上のクラスには通わずに、
会話と聞き取りの特別クラスとZDaFの直前対策だけを、受講したいのだが……」と、計画表を見せて相談したら、
即座に推薦状(テストなしで登録可)を書いてくれた。おかげで、休憩時間に予約を済ませることができた。
上のクラスが使うテキストは、夫が昨夏に勉強したのと同じなので、分からないことは夫に訊くつもり。
これからは気候もよくなるし、昼間は のい と一緒にいて、のい を外で遊ばせてやりたいのだ。
2001年1月30日-Di.(のい1歳5ヵ月23日) 満員バス
またまたZeilのバーゲンへ。時間がないので、今日はH百貨店で、家庭用品売り場だけを攻めた。
帰りのバスでは、小学生の団体と一緒になった。一般の人も乗るバスなのに、
50人ほどが一緒に乗り込もうとしていて(無理だっちゅーの)阿鼻叫喚の沙汰。煩いこと騒がしいこと。
うかうかしてたら、ベビーカーのスペースがなくなる! 乗るときに、先生らしき男性の傍にササッと移動し、
ベビーカーを乗せるのを手伝ってもらい、バスの中の居場所を確保した。先生と、その隣の少年としばし会話。
降りるときも大変で、大声で子供たちに注意を促し、ノロノロして動こうともしない頭の悪そうなガキを押し退け、
やっとのことで昇降の段差へ。…と、さっき会話した少年が、私の後ろから着いてきてくれていて、
ベビーカーを下ろすのを手伝ってくれた。ドイツの子供はよく躾けられていると言われるが、
外国人の多い街だからか、必ずしもそうは思えない場面によく出くわす。いい子と悪い子の差が極端だと思う。
そもそも今日の場合、乗合バスで大勢が一斉に移動したこと自体がナンセンス。教師の常識を疑った。
さて、のいは、昨日あたりから、下駄箱の靴を並べ替えるのがブーム。
パズルのように、一つの棚に、きっちりと、皆の靴を押し込んでいた。
親の言ったことをきちんと理解していて、私が「これが終わったら次は一緒に新聞を読もう」とか言っておきながら、
雑事にかまけて忘れていると、泣いて怒って抗議。しかし、新聞を読むのがそんなに面白いかね?
のいを膝の上に抱いて、私は赤、のいは水色のダーマトグラフ(油性色鉛筆)を握るのが、新聞読みの基本形。
私が新聞を眺めたり印をつけたりしている間に、のいは、なぐり書きをしているのである。
2001年1月29日-Mo.(のい1歳5ヵ月22日) 日本を意識した日
久々に街中心部へ。領事館で在外選挙の登録をして、JAL提携の旅行代理店で資料をもらい、
日本語普及センターに顔を出して、ベビーシッターのFさんに記念写真の焼増を渡し。サクサクと用事を済ませた。
日本語普及センターやANAの入っているビルのエレベーターで一緒になった、小柄な西洋人女性が、いきなり
「ドイツ語できるか?」と聞いてきた。「チョットダケ」と答えたら、
「これはなんだ?」と、木製のブレスレットを見せてきた。大きなビーズの一つに、少林寺拳法の卍が。
実はワタクシ、予備校生だった暗い暗い時代、2ヵ月ほどだけ、少林寺拳法クラブ員だったのだ。
話すより、実物を見せた方が早い!とエレベーターホールでやってみせた。
最初の礼の格好を見て「それは神か? このマークは、ドイツではヒトラーなのだが」と言うので、
「神ではなくて、スポーツのシンボルマークなのだ」と説明した。…ちと違うような気もするが、まあいいや。
デパートは冬物の最終バーゲンが始まり、大賑わい。地下の出口で、アジア系の親子に
「英語できるか?」と聞かれた。思いっきりうなずきながらも、ドイツ語で「Ja!」と答えてしまった。
相手の質問(紙オムツを売っている店はどこか)に対して、口をついて出て来るのはドイツ語ばかり。
英語に訳すのに難儀した。12歳のときから教わったはずの英語も、使わなけりゃ忘れてしまうのである。
VHSには、パキスタンのSが来ていた。金曜の午前中に会ったのに、午後の授業に来なかったので、
もしやインド西部の大地震で、彼女の家族に被害があったのかもと心配していたのだが、杞憂だった。
クロアチアのS、タイのKと、領事館でもらってきた日本の資料、地図を見ながらおしゃべり。
日本の海溝って、そんなに有名なの? 知らなかったわい。
2001年1月28日-So.(のい1歳5ヵ月21日) 何もできず
天気がよく暖かい。しかし、夫は、学生の卒論の面倒で、一日中、パソコンに向かいっぱなし。
のい を歩かせて、近所を巡ったぐらい。しなければならないことは山のようにあるのに、
何か始めると、のいが甘えてきて、相手をしてやらないと泣き出すので、仕事にならない。
夫によると、夫とのい だけで家にいるときは、こんなに甘えてこないという。
今通っている語学コースが終わった後の生活を考えてしまった。
2001年1月27日-Sa.(のい1歳5ヵ月20日) 泥んこ!
ダウンジャケットなしで十分に暖かい。雨上がりの午後に、のい を歩かせて、ちょっと先の公園へ。
かなり距離があったが、嬉しそうに一生懸命歩いていた。バスが通れば奇声を上げ、
すれ違う人には、さっと手を上げて、直立不動で挨拶していた。挨拶された相手は
一瞬驚くが(そりゃそうだ、見知らぬ小さい子が、自分に向かって無言で手を上げているのだから)、
大抵は「ハロー」とにっこり。しかし無言なので気付かずに行ってしまわれることもあり、のいは、ぶ然としていた。
段差は のい自らが注意して乗り越えていたが、土や芝生の窪みには、まんまとはまってすっ転び、
手足を泥だらけにした。うーん、子供のいる生活ってかんじ。
のい のペースでゆっくり歩いていたら、3週間前に落とした傘袋を、空き地の縁に発見した。吃驚。
2001年1月26日-Fr.(のい1歳5ヵ月19日) トルコ人向けの食料品店
午前中、商店街へ。照るかと思えば雨が降ったりの安定しない天気だが、気温は5〜8度で暖かい。
途中の横断歩道で、のい が大声をあげながら手を上げたので、対岸で待っていた人がニコニコ。
たぶん挨拶をしたんじゃなくて、その後ろの車に気をとられたんだと思うが、喜ばれるのは良いことだ。
帰りのバスを待っていたら、同級生のパキスタンのSとその夫に会った(なぜかVHSには今日はSは来ず)。
VHSでは、ヘビの話題になったので、ここぞとばかりに干支の話をした。今年は巳年ということで。
のい の絵本で、動物のドイツ名を覚えていたのが、役に立った。
しかし、授業の大方は、私の知らない単語が多すぎて、青息吐息であった。
パウゼ(休憩時間)に、VHSのそばの食料品店へ。納屋のような入口なので大したことはないと高をくくっていたら、
驚いたことに、中はかなり広くて充実したスーパーマーケットだった。
しかし店員と客の多くはトルコ人で、何しゃべってるのか全然分からなくて恐ろしかった。レジの人も頭巾被ってるし。
ドイツの他の店では見たことのない商品もいろいろ。巻寿司のようなお菓子とか。怖いが、また行ってみたい。
急いでVHSに戻ったら、教室内にはアラビッシュな歌謡曲が鳴り響いており、昨日に引き続きディスコ・パウゼ状態。
モロッコのZがブルガリアのDに教えているステップが、かなり簡単に見えたので、
とうとう私も一緒に1コーラスほど踊ってしまった。何やってんだか。あああ、昨日は自制してたのに。
ブルガリアのDは、ドイツ語/日本語のカセットテープを人から貰ったとかで、今日は「コニチハ」と言っていた。
2001年1月25日-Di.(のい1歳5ヵ月18日) 復活と勝手な推測
朝は、のいをベビーカーに乗せて市場へ。のい は元気に手を挙げて、いろんな人に挨拶していた。
午後は、久々に学校へ。3日休んでいる間に、授業は次の課に進んでおり、お題はちょうど「病気」。
「風邪ひいて寝ていた」と言えば、即座に「喉が痛い」「咳!」「頭は痛いか?」の声が飛んだ。はああ。
そして最年少のMがニッコリ笑って「Y、新年おめでとう」。へっ?何のことか一瞬分からず。
どうやら昨日の旧正月のことらしい。中国の旧正月の様子は新聞にも載っていたが、日本ではそんなに祝わないよね。
昨日は中国のBも欠席だったので、先生が勝手に推測して「二人は正月のパーティーで忙しいんだろう」と話したらしい。
ヨーロッパから見たら、日本も中国も一緒なんだわな。とほほほほほほほ。
Mは「Georgia(ゲオルギア)出身」と自己紹介しており、私は今日まで“ギリシャ”出身だと勝手に推測していた。
が、ギリシャ人にしては??な点がある。それで、家に帰ってから世界地図をよく見直してみた。
Gで始まるヨーロッパの国を探してみたら、あったよあった。Georgiaって“グルジア”のことかい!
2001年1月24日-Mi.(のい1歳5ヵ月17日) やや復活
夫が大学の講義には出られるようになった。帰りに食料品を買ってきてもらった。
私は大事をとって、本日も学校を休んだ。熱は下がったが、身体が非常にだるく、
午後は頭から布団をかぶって寝た。夕方からようやっと復活。
のい はありとあらゆるもの(積木、絵本、牛乳パック、丸パン…)を列車に仕立てて喜んでいた。
2001年1月23日-Do.(のい1歳5ヵ月16日) 一家全滅その2
家の中から一歩も出ず。今日も二人とも語学学校を休んだ。
私の熱は、38度近くから37度台を行ったり来たり。
のい はせっせと、夫の本棚の本を綺麗に並べ替えたり(ホントに几帳面かも)していた。
2001年1月22日-Mo.(のい1歳5ヵ月15日) 一家全滅その1
夜中にまた雪が降り、それが溶けかかってベチャベチャ。とても歩いていられない。
夫は体調が戻らず、午前中の語学学校を休んだ。私にも風邪がうつったようで、首から上がイガラッポイ感じ。
のい を夫に見てもらって、午前中、バスに乗って速攻で食料品を買い出す。
昼、熱でフラフラしながらサンドイッチ用丸パンに切れ目を入れていたら、左手の人差指の付け根をザックリ切った。
結構深いが、医者を探して予約を入れる体力的/時間的余裕、思考能力は、既にない。
慌てず騒がず、でもうめきつつ(痛い!)、指とガーゼで圧して止血した。
そんなときに、日本から「ホームページ(18日までの)見たよ、大変やなあ」と電話。
今まさにもっと大変な状態になっているんですが……
午後はとうとう、私も学校を休んで、夫と2時間交代で眠った。
「一人でも倒れたらこの生活は成り立たなくなる。健康管理に十分気を付けないと一家総倒れになる」と
口を酸っぱくして言っていたのに! 帰宅後のうがい手洗い顔洗いも励行してたのに。ちきしょう。
「身体を休ませられるときに、なぜきちんと休まなかったのか!」と今さら言ってももう遅い。が、とりあえず怒鳴る。
のい が、鼻水だけで割と元気がいい(しかも食欲モリモリ)のが救い。
2001年1月21日-So.(のい1歳5ヵ月14日) 積雪
ドイツにて初めての積雪。10cmもないだろう。今年の日本は大雪と聞く。ドイツの方が雪が少なかったかも。
夫が家でゆっくりできるよう、のいを散歩に連れ出した。雪合戦をしている少年たちに奇声を上げて近づこうとしたり、
立入禁止の工事現場に積もった、誰も踏んでいない雪に見入ったり。なかなか家に戻ろうとしなかった。
夫の風邪がぶり返した。あーあ。
2001年1月20日-Sa.(のい1歳5ヵ月13日) 初めての焼増
雪。私一人で買い物競争。写真の焼増を頼んであったのを受け取った。
ドイツのDPE屋では、普通のプリントサイズが9×13インチで、日本より一回り大きい。これは良い。
しかし、ネガフィルムを裸で封筒に入れてくれるので、ヒヤヒヤする。
商店街の中にある、シティバンクの24時間ATMに寄ったら、中に乞食が住み込んでいた。暖かいからな。
他のお客さんに紛れて、急いでドイツマルクを引き出した。のい連れでなくて、良かった。
2001年1月19日-Fr.(のい1歳5ヵ月12日) あらこんなところに日本人
家を出たところで、前を歩いている女性が、赤ちゃんをオンブして、ママコートを着ているのに気付いた。
“ママコートは日本にしかない”って書いてあったのも、またまた嘘だったか!と思い、
(某海外生活ガイド本に「ドイツには可愛い子供服はあまりない」と書いてあったが、嘘だったね)
「スミマセーン、ドチラノゴ出身デスカ?」とドイツ語で声を掛けてみたら、
相手は「こんにちは?」。見事に日本人だった。話してみたら、我が家の北側の棟に住んでいるとか。
彼女の隣の住居にも、同年代の日本人が住んでいるとか(彼女は殆ど付き合いがないと言っていたが)。灯台下暗し。
学校では、今日はドイツの地理クイズ大会。休憩時間には、歌い踊る人たちも。しかし風邪ひきっぽい人も多かった。
2001年1月18日-Do.(のい1歳5ヵ月11日)
ここ数日、ずっと快晴が続いて冷え込んでいたが(道端の犬の糞も凍る寒さ)、今日久しぶりに雪と雨が少々降った。
のい は、朝起きると、まず、ぬいぐるみたちに手を上げて挨拶する。機嫌のいいときは両手を上げる。
最近のブームは、積木を横に揃えて並べるのと(意外に几帳面かも)、膝をちょっと折ってポーズをとること。
買い物の後、歩いて帰っていたら、歩道を清掃中の清掃局のおじさんが、のい に声をかけてくれた。
「この寒さは子供には良くないよ」。うーん、普段着の上にスキーズボンとフード付きフリースと真冬用ヤッケを
着せているのにまだ足りない? のいは、ここのところちょっと愛想が悪くて、「チャオ!チュース!」にも答えず。
フランクフルト清掃局の、清掃員の制服とトラックは、蛍光がかったオレンジ色で統一されていて、なかなか良い。
学校では、休み時間に、イランのP(既婚)が、ヴルスト(ソーセージ)入りサンドイッチを食べていたので、
「牛肉なしのヴルストはどこで買うのか?」と尋ねてみた。そしたら「知らないの。ママが買って来るから」だと。
元イスラム教教師、パキスタンのSのお腹を触らせてもらった。胎動がするというので。
彼女はスーダンのH、トルコのEとは違って、皆に妊娠を表明していない。たぶんイスラムの戒律なんだろう。
2001年1月17日-Mi.(のい1歳5ヵ月10日) 靴なしの散歩
夫の熱はなんとか下がった。
オレンジジュース(ビタミンC)をチビチビと大量に(一日で約1.5リットル)摂取したおかげか。
午前中は、のい と外出。地下鉄の中で、子供好きのおばさんとお話した。さて目的地に着いて、
電車から降りようと、ベビーカーに座っている のい を見たら、靴を履いていない!!
思わず駅のホームで「どこで落としたの!」と叫んでしまったが、よく考えてみたら、
大量のゴミを出す(1階に共同のコンテナがあり、分別して入れる)ことに気を取られ、
のいに靴を履かせるのを、私が忘れていたのだった。失礼しました。
防寒のため、長過ぎるスキーズボンを履かせていたので(たぶん、幼稚園児でもOKなほど長い)、
ズボンを先まで伸ばし、足先までスッポリとくるんで、靴なしでやり過ごした。
体調の回復した夫は、夜、担当教授のところに来た、アメリカの研究者の講演会にも出席できた。
2001年1月16日-Di.(のい1歳5ヵ月9日)
夫が風邪気味。熱もある。しかし、日本の勤務先での仕事、卒論の最終指導をメールでやらねばならず、大変そう。
心配なので、学校から電話をしたが、のい は機嫌良く遊んでいるとの返事。最後まで授業に出させてもらった。
急いで走って帰ったら、学校から家まで20分で着いてしまった。
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