2000年9月18日
航空便にのせる荷物の最終チェック。
夕方、荷出し。お兄さん二人を待たせつつ、インボイス(内容明細)を記入。
嵐のように和英辞書をひく。予習をし忘れた授業前のよう。英語劣等生だった高校時代の悪夢を思い出した。
身の回りの物だけなのに、結局25kg入りの箱が7個。
常々、トランク一つでどこにでも行けるような身軽な暮らしを目ざしたいと思っているのに、
理想からはほど遠い現状。はああああああ〜。
2000年9月13日
外国系自動車保険会社から解約のための書類が届いたが、解約日が間違っていた。
電話で問い合わせたら、書類を送り直すという。このクソ忙しいのに、まだ待たせるのか。
解約する旨伝えたのは1週間も前なのに、届くのが遅すぎ。鈍臭いうえにボケときたもんだ。発狂しそう。
2000年9月9日
街に出て、超小型辞書、折り紙の本などを入手する。荷出日を18日に決定する。
2000年9月6日
廃車手続の確認、NTT・ガス・電気などの休止申し込み。
出国前日のホテルを予約。
母が荷出し前の数日間、のい をみてくれることになった。
小さい子の世話をしながら引越の荷造りをするのは骨が折れるから、本当に助かる。
夫が撮った、ドイツでの住まいとその周辺の写真ができてきた。うーむ。
フランクフルトは、ドイツ人が住みたがらない街というが、その理由が分かるような殺風景な環境である。
2000年9月5日
大分に戻り、私のビザについて、再びドイツ領事館に電話する。なんと、
「特に現地から“意義申立書”も来ませんし、『ビザを出していい』と領事が言ってます」とのこと。
「ご家族と一緒に受け取りの手続きをしてください」という。ラッキー。
一筆書いて下さった、DAAD東京事務所の方には、感謝感謝だ。
ただ、現地の外国人局でイチャモンをつけられる可能性もあるので、まだ手放しでは喜べないけれども。
ビザが出るのを受けて、ルフトハンザ航空にも電話。夫と同じ飛行機がとれた。
のいの分の席も確保した。1時間膝の上に載せていただけでも足がしびれたのだ、11時間はとてもとても。
2000年8月31日
夫が一時帰国。、現地の日本人会がつくった『フランクフルトの暮らし』を入手していてくれた。これで一安心。
ドイツで借りた部屋について、説明を受ける。
2000年8月29日
大阪のドイツ領事館に電話したら、一発でつながった。驚き。
しかも「ビザはまだか?」という私の問い合わせに、「まだ出ていないようなので、FAXで催促してみます」という。
あまりの親切さに、更に驚く。
モデムセーバーは、インターネットと電話を使って探した結果、心斎橋の東急ハンズにあった。
大阪に出た父に頼んで、買ってきてもらった。トラベル用品担当のYさんは、とても親切だったそうだ。
2000年8月25日
若い頃に留学経験のある大伯父から、ドイツ語のことわざ辞典をいただいた。とても嬉しい。
大伯父は、ドイツに「フランクフルト」が2つあることを知っていた。さすがだ。
2000年8月14日
夫から、住む家を決めた旨、電話あり。厳しい語学訓練のさなか、ありがたいことだ。
なのに、私は「うえー、100世帯もあるマンション? しかも5階?」と思いっきり不満な声をあげてしまった。
後から聞いた話では、大家はアフリカ系の若い銀行マンで、
家具からMicrowelle、掃除機にアイロンまで、まとめて貸してくれるという。
家賃は少々高めだが、1年間だけ住むのだから、ちょうど良かろう。
2000年7月28日
のい のパスポートを受け取る。
2000年7月27日
夫は、ドイツへ。語学研修(スーパーインテンシブコース!)と家探しが主な目的。
2000年7月26日
“夫とのいの分のビザが出たので取りに来るように”と、領事館からFAX。私のは、もう1ヵ月待てとのこと。
2000年7月25日
衣類の仕分けに着手。もっていく食器類で、普段つかいではないものを、箱にまとめた。
2000年7月24日
昨日は朝食と夕食の後、それぞれ、のいを夫に見てもらって、段ボール箱を探しに行ったが相応しいものはなし。
今朝はホームセンターへ。なかなかいいサイズのものが見つかった。
宅急便の不在転送を、電話でお願いした。
2000年7月21日
ある事情で後らせていた、のい のパスポートを、やっと申請した。
2000年7月19日
3週間ほど前から問い合わせていた件について、東京のO社から連絡。
あまりに鈍くさい対応にあきれ、電話口でブチ切れてしまった。頭にきた勢いで、フランクフルト現地法人に直接電話。
それで事の成りゆきがやっと判明、現地の担当者が嘘をついていることが分かった。
海外には、日本ではやっていけないような、だらしない人もいる…というのが、今回の教訓。
2000年7月9日
航空便用の大きい箱(3辺の合計が250cmまでなら、一律料金)を入手するため、
のい を夫に預けて、車でドラッグストアへ。しかし、狙っていたオムツの大箱はなし。
仕方なく、他の用事で立ち寄ったホームセンターで、家具を入れていた段ボール箱を発見。
もらうことができたのはいいが、潰してもかなりの大きさがあり、車に入れるのに苦労した。
2000年7月8日
午前中、損保の営業マンが来訪。フランクフルトに提携病院がどれだけあるかが、決め手になりそう。
その後、3人で街へ。引き続き、日本〜ドイツ間移動用のカバンを探す。
商店街のカバン屋さんに、条件をクリアするものがあった。まず1つを確保。もう1つを問屋に注文。
2000年7月2日
日本〜ドイツ間移動用のカバンを探しに、車で郊外へ。何しろ子連れなので、
背負えて、転がせて、ショルダーも手提げもできて、機内持ち込み可のギリギリ上限……というのが条件。
ドイツに持って行くのに、家庭の医学や世界地図などのレファランス本も買った。
2000年7月1日
アート引越センターが見積もりに来た。パンフは国内引越と同じだ。
いろいろ尋ねたら、ちゃんと調べて、後で資料を持ってきてくれた。あとは値段次第。
2000年6月29日
午前中に日通、午後にヤマト運輸の海外引越担当者が、見積もりに来た。
日通はパンフはちゃんとしているが、担当者が頼りなさすぎて(フランクフルトに港はないよ)、話にならず。
ヤマト運輸は、テキパキしており、しかもフランクフルトに事務所があるので、いいかも。
2000年6月25日
大家さんに、1年間ドイツに行くが帰国後も住み続けたい旨を話し、快諾を得た。
2000年6月16日
ドイツ滞在中の私の生活費を証明するため、郵便局で英文の預金残高証明書を出してもらう。
中央局に問い合わせたら、「どの局でも出せる」という。どうするのか見ていたら、
窓口のお姉さんが、サンプルをコピーして、修正液で数字と名前だけ消して、書き換えていた。
(後でよーく見たら、左肩に「例」の文字が残ったまま……)
その証明書を含め、ビザの申請書類を、夫が大阪のドイツ領事館へ郵送した。
2000年6月15日
ビザ申請書類中のある記述について、各所に電話で問い合わせ。
警察、裁判所、領事館、法務局、どこもかしこも「それは言えない」「分からない」。
タライ回しにされ、怒る。他人のことを聞いてるんじゃなく、私自身の情報について調べているのに。
最後に検察庁で粘りに粘って、やっと分かった。
というか、“口を割らせた”。風邪ひきの鬼気迫る声だったし、
しかも電話の後ろでアカンボの泣き声がしてるし、かなり迫力があったかもしんない。
2000年5月14日
書店で『ヨーロッパ建築案内2』(TOTO出版)を入手。
2000年5月12日
ドイツで歯の治療を受けるのは大変なので、一度総点検しようと、歯医者に予約を入れる。
自動車税を払ったら、廃車手続きが気になったので、さっそく調べた。
陸運局と、3年前愛車を格安で買った中古車販売店に電話して相談。
この店とは随分の御無沙汰だったが、店主は話をしているうちに私とCITYを思い出した。変な客だったもんな。
店に車を持ち込めば、すべて込み3000円で廃車手続きをしてくれるという。
ただし、リサイクル行政が激動しているご時世、10月に同じ状況である保証はないらしい。
のい のパスポート写真を撮ってくれるところも探した。アカンボだと言うと「無理ですねー」という店ばかり。
最後に、2年前に私と夫がパスポート写真を撮った店に(ここもそれ以来の御無沙汰)電話をかけたら、
あまり期待していなかったのに、あにはからんや「撮りますよ」。あれまー。
冬物をクリーニングに出した。これらを次に着るときは、我々はドイツにいるはず。
NHKラジオのドイツ語講座・昨年度の"Mit Pipo Deutsch lernen"を1週間分聴く。
大声で♪Backen Backen Kuchen♪と歌っていたら、のい が驚いて口元を見ていた。
お家へ帰ろう♪