フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年8月後半の子連れFrankfurt am Main日記
2001年8月31日-Fr.(のい2歳0ヵ月24日) 冷え込み/のいのカバン
急に寒くなった。3日前と比べたら、最高気温も最低気温も約10度も下がった。
近所のオフィスにご出勤の人々の中には、コートを着ている人も。ヤッピーさんたちは通常通りスーツだが。
朝、買い出しに出ようとバス停に向かったら、のい に「キシャー、キシャー」と泣かれてしまい、
予定を変えてSバーンに乗った。MesseとGalluswarteの間にある機関車群を見て、のいが喜びの奇声。
「大声出さなくても、キシャは『あそこに電車好きなちっちゃい子がいるなあ』って分かってくれてるよ」
と耳元で囁いたら、大人しくなった。Gallusの金曜市場を冷やかして、公園などを探検して帰ってきた。
近くにTrinkhalle(立ち飲みの売店)があるせいか、芝生が瓶の破片だらけ。うちの近所のもそうだが嫌なもの。
ドラッグストアで、パンツ型おむつを発見、購入。こちらではたぶん初お目見えだと思う。USA製のパンパース。
昼寝と昼食の後、またSバーン、路面電車とバスを乗り継いで、空港近くの教会のバザーへ。
教会に着いて、のいを乳母車から下ろしたら、また喜びの奇声。庭で遊んでいる子供たちを見つけて走っていき、
さらに「キシャ!キシャ!」。またもや、蒸気機関車型の遊具を見つけたのだった。どうやら視力は良いようだ。
のい が横に座っても怒らないで相手になってくれるお兄ちゃん(5〜6歳くらい?)もいて、
はしゃぎ回っていたが、歩き方が変だと思ったら突然立ち止まって「ウーン」。
ちょうど横にいた親子が、その様子を見て爆笑。慌ててオムツ替えの場所を探すが、館内は混んでいるし、
異教徒が神様に失礼をしてはいけないし……と迷った挙げ句、結局裏庭の地面に新聞紙を敷いて替えた。
バザーでは、のい用の リュックサックを買った。帰国の機内用に良いのがないかと、ずっと探していたのだが、
変なプリントかキャラクターのついたものばかりで、単純素朴で綺麗な色のがなく、困っていたのだった。
こんなところでイメージ通りのものに出会えるとは。それも2DM(約120円)で。安すぎ。
のい はとても気に入って、「カバン、カバン」と嬉しがり、乳母車の中でも背負ったまま。
帰りのバスで夫と一緒になったときも、夫への一言めが「カバン!」。家の中でもずっと背負っていた。
2001年8月30日-Do.(のい2歳0ヵ月23日) もうクリスマス菓子
Zeilへ。今日も帰国準備の買い物……の下調べ。玩具屋の遊び場で のい を遊ばせて休憩したり。
のい は今のところ、欲しがって駄々をこねることはない。親は買ってくれる人ではないと思っているからか。
ヨソのお母さんが、1歳半の男の子を売場の玩具から引き剥がすのに手こずっており、
のいを見て「He is a good boy!」と言われた。いやー、本物のキシャ相手だと、この子も大変なんですけど。
台所用品店では日本語のパンフを見つけて、びっくり。日本人のヨーロッパ観光シーズンだからか。
帰りに寄った近所のスーパーには、もうクリスマス用のお菓子レープクーヘンやシュトレンが並んでいた。
オバサンたちが口々に「まだ4ヵ月もあるのに」「でも安い」「私は買わない、今から食べるなんて嫌だ」
などと言い合っていた。レジで私の前に並んでいた、酔っ払いのオジサンが のい を見て喜んで、
チョコレートをおごってくれそうになったが、丁寧に断わった。すると後ろに並んでいたオバサンの一人が、
すかさず「じゃ、私がもらいましょうか(笑)」。さすが、うちの商店街だ。
2001年8月29日-Mi.(のい2歳0ヵ月22日) あと1ヵ月
フランクフルトとサヨナラする日まで、ちょうど1ヵ月となった。貴重な時間をカネで買おうと、1ヵ月定期券を購入。
今日は、昼前に不動産屋がまた客を連れて来るはずだったのに、約束時間の直前になって「30分遅れる」と電話。
さらには、「客の都合で、今日のTermin(約束)はなしになった」とキャンセル。
眠い のい を「お客さんが来るから」と、昼寝も昼食もさせずに起こしておいたのに……どうしてくれるんだ。
変な時間に昼寝になってしまい、時間が中途半端になってしまった。全く、ちきしょう!である。
久々にシュテーデル美術館に行ったが、まだゴッホ展開催中のため、常設展まで混雑していたので諦めて出た。
マイン川沿いを歩いていたら、橋をくぐったところで、のいが奇声を上げながらダッシュし始めた。
?と首をかしげながら付いていくと、200mほど先に、蒸気機関車形の遊具があったのだった。目ざとい。
3〜4歳くらいの金髪ショートヘアの可愛い女の子と、キャハキャハと声を上げながら、
登ったり追いかけっこしたりで楽しく遊んだ。途中、腸も運動したのか、ウンチまでした。
別れ際、その女の子に折り鶴をあげたら、何語か分からない言葉でお礼を言われた。東欧系?
まだ日本が夏休みだからか、マイン川沿いからZeilにかけて、異様に日本人が多かった。
だれも聞いちゃいないと思ったのか(俺は謎のアジア人♪)、日本人の若い男女がプロポーズ中のところを
すれ違い様に、偶然聞いてしまった。オカシイやら、こっちが恥ずかしいやら。
どうして百貨店の地下食料品売り場、それもチーズの冷蔵棚の前でプロポーズなんだよう……。
これまで試したことのない、ニシンの酢漬け赤ビーツソース を買って帰った。
2001年8月28日-Di.(のい2歳0ヵ月21日) のい語
「ポムリ」=ポンフリ(フライドポテト)。「ポリ」=耳カキ。
「シュー」=熱い。「アウア」=痛い。「バウバウ」=犬。「ナンナン」=猫。
「バ」=カバン。「チューチュー」=ジュース。「ミ」=水。
「ハム」=ハムまたは大口開けてパクッと食べること。
「キカ」=車輪状のもののこと。Kikaのマーク。
「ここ」=軟膏を塗れ!ということ。
「ッタッタ」=もの探しをして見つけたときに言う言葉。
「シシー」=お姫様。『Susi(ズシー)』というお姫様アニメの影響。
今日は午前中、のい のペースに振り回されて何も出来ず。やっとの思いで、午後出かけ
百貨店で品定めをしようとしていたら、「ポムリー、ポムリー」。
昼ゴハンをあまり食べなかったから仕方ない。表のいつものポンフリ屋でフライドポテトを食べさせる。
そうこうしている間に制限時間が終了。なあんにも買えずに、帰路についた。
ウィンドーショッピングしに来た訳じゃ無いのに。トホホホ。
2001年8月27日-Mo.(のい2歳0ヵ月20日) 熱帯夜?/メロンも好き
昨夜は、私も のい を寝かし付けながら眠ってしまった。ここのところ連日、睡眠4時間だったし。
未明2時半に、のい が乳を欲しがったが、私も喉が乾いていてとても乳が出そうになかったので、
2人で台所へ。水を飲んだ。そして寝室が暑くて寝苦しいので、居間の敷物の上で眠った。
ドイツなのに、夏も終わりなのに、どうしてこんなに暑いんだろう。家の気密性が高いから、
防犯のために窓を閉めたまま眠ると、35度くらいになっちゃうんじゃないか?
最近、のい は昼間、居間の大きなクッションの1つを掛け布団、もう1つを敷き布団にして
一人で横になって、おもむろに(だれかが見ているのを見計らって)眠ったふりをする。『ねんねごっこ』。
で、今日は、私も疲れがたまっているので『ねんねごっこをするのい ごっこ』(笑)をして、横にならせてもらった。
なぜなら、普通にソファなどに横になると、のい が怒って叩きに来るからだ。
久々にメロンを与えてみたら(7月6日に嫌がられて以来)、ペロリと食べた。なーんだ嫌いじゃなかった。
また、夕食に、シュペツェレ(ドイツ料理のパスタ)のゴーダチーズ和え を出したら、これも意欲的に食べた。食欲旺盛。
2001年8月26日-So.(のい2歳0ヵ月19日) 引越した知人
午後、いつものように砂場で遊んでいたら、中国のAとその父親がやって来た。
「いつ新しい家に引越すのか?」と聞いたら、「もう引越して、今日は皆で掃除をしにきた」。
えええ、もう引越してしまってたの! 慌てて、Aの父親に のい を頼んで、家にカメラを取りに戻った。
のい と Aの写真を撮った。上海から、Aの父方の祖父も来ていた。あとから
Aの母親Hも砂場に下りてきて、ひとしきりおしゃべり。新しい家は、フランクフルトの郊外にあり、そこは静かで
小さな庭もあるとか。その庭に早速、笹を植えたとか。長く祖国を離れていると、アジア風が恋しくなるのかも。
のい は、Aに親し気にくっつき回っていたが、Aはそういうのが嫌なようだった。何かというと
砂場道具を取り合ったり、三輪車をとりあったり。それでも子供同士だと嬉しいようだった。
彼らとお別れした後、のい に「A、新しいお家に行っちゃった。もう、しばらくは一緒に遊べないよ」と言うと、
のいが初めて「A、A」と彼女の名前をつぶやいた。子供なりにも分かったのかしらん。
一緒に居るときに、名前で呼びあえたら、もっと仲良くなれたのにね。
私とHが、あまりに長時間しゃべっていたので、のい はいつになく遊びすぎて、
夕食を食べる前の段階で既に、疲れて目がトローン。暑かったし。普段より1時間早く寝かせた。
2001年8月25日-Sa.(のい2歳0ヵ月18日) 学校の蚤の市/引渡日決定
午後は のい と、郊外の小学校のお祭り&蚤の市へ。
途中、乳母車の車輪に無理な力がかかったらしく、車輪のタイヤ部分が外れて落ちてしまった。
落ちたときは分からず、しばらく歩いてから異音で気付いた。慌てて、のい を下ろして歩かせ、
私は乳母車を畳んで担いで、タイヤ探し。やはり、急ブレーキをかけた、三叉路の真ん中に落ちていた。
車が来ないのを見計らって、そそくさと拾った。
歩きながら「kaputt,kaputt(壊れた、壊れた)」と言っていたら、のい も真似して「カプ、カプ」。
到着した小学校のベンチで修理。隣に座っていたオバサンが、タイヤをはめるのを手伝ってくれた。
蚤の市では、のい が、下に並べてあるミニカーやローラースケート、他人が持っている玩具に手を出し、
とても落ち着いて品定めさせてくれなかった。激しく動き回る のい に手を焼く私の様子を見ていた人が
「あなたの子にGeschenk(プレゼント)よ」と、ベランダにつける風車をくれた。
また、中庭に置いてあった機関車形の遊具から離れず、夢中で遊び、引き剥がすのも一苦労だった。
座ってピエロの出し物を見ている少年になぜか擦り寄り、隣にチョコンと座っていたのは可笑しかった。
今日も暑かった。33度はあったろう。Uバーンや路面電車は窓が開かないので、蒸し風呂状態だった。
夫のEmailに対して、大家H氏からやっと電話。1回めでは明日の昼前来訪の予定だったが、
多忙らしく、2回めの電話で今日の夕方に会うことになった。壊したものなど申告。
夫とH氏は、明け渡しまでの段取りを相談した。ドイツでは普通、壁の塗り替えなどをして出ねばならないのだが、
H氏は「きれいに掃除をするだけでいい、あとは私の仕事だ」と言う。それほど汚していないから助かった。
引き渡し日は、帰国ギリギリの29日に決定した。帰り際に、日本の緑茶1箱をあげたら、とても喜ばれた。
2001年8月24日-Fr.(のい2歳0ヵ月18日) 火車
遊び場に行ったら、今日も中国の子供がいた。4歳のY'とその祖父母。
のい の好きな「キシャ」は、中国語では「火車」(ホーチャー)と言うらしい。
Y'は今まで のい をよく邪魔物扱いしていたのだが、たまたま私が持っていた折り鶴をあげたら
急に態度が軟化した。子供ってそんなもの。滑り台で楽しそうに遊んでいた。
スーパーでは、のい が口に手を当てて「ブー」とオナラのような音を出すので、人が見て笑っていた。
夜、持って帰る資料の整理を始めたら、翌朝未明3時までかかってしまった。夫の論文執筆も大詰め。
『ふくのゆ の けいちゃん』(福音館書店)という絵本が、最近の のい のお気に入り。
銭湯の家の子のある一日を描いたもの。のいは「け、たん」と言いながら、
広い家のどこに主人公のけいちゃんがいるのか、探すのだ。
昨晩、尋ねてきた某宗教団体の日本人について、一応、我々も参加している某日本人組織に伝えた。
一体、どこから情報が漏れているのであろうか。気持ち悪い。
2001年8月23日-Do.(のい2歳0ヵ月16日) こいだ!
思い立って、朝9時から外で遊ばせてみたら疲れて、昼前の11時に のい が昼寝した。
のい と遊びながら、隙をみてはメモをつくった。のいが遊びに集中できる時間が長くなってきたので助かる。
眠っている間に超高速で、電話や家事、引越支度、手紙書きなど、メモの中身を片付ける。
バスケ部時代にやらされた、最もしんどいトレーニング「インターバル」に似ている。
これは、急〜緩〜急〜緩とスピードを変えながら、とにかくずっと走り続けるというもの。
まだ暑いせいか、ここのところ、のいの昼寝の寝起きは悪く、一度起きたのに「ねんねー」と泣く。
今日は、残りパンでつくった、パンプディング(レーズンたっぷり)を口に入れてやったら、機嫌が直った。
まだ眠る前の授乳はやめられない。あるサイトに「母乳の栄養学的断乳は9ヶ月、心理学的卒乳は2〜3才」とあり、
また同じページで「乳離れが遅い子は、3〜4才になると“自立心が旺盛で、依頼心が強くない”という共通点あり」
との調査結果も見つけたので、帰国まで無理に止めさせず、このままでいくことにする。
日本に帰ったら、助産婦さんの断乳マッサージも受けられるし。
ついでに、トイレトレーニングも、ドイツでは無理してやらないことにする。カーペットの張り替えはたまらん。
大分の古いアパートだったら、古い畳に、偽フローリング(塩ビ)の床だ。オモラシされても全然平気。
午後、いつもの商店街まで散歩。家の手前で のいが「ケラー!」と言うので、
部屋に戻らず直接入口階のケラー(物置)に寄って、三輪車で遊んだ。
初めて、少しだけペダルを自分でこいだ。私が嬉しくて拍手したが、本人は涼しい顔。
どうやら蹴って進む方が早くて便利だと思っているらしく、その後は全然漕がず。
2001年8月22日-Mi.(のい2歳0ヵ月15日) Liebieghaus(彫刻専門)、民族博物館
水曜恒例の博物館巡り。今日は、Liebieghaus(彫刻専門)と郵便博物館、民族博物館と
マイン川沿いの3館をハシゴした。時間が限られているし、のい が走り回るので、さっと見るだけ。
Liebieghausも民族博物館も、このあたりザクセンハウゼン地区のお屋敷を使っており、
建物を見るだけでも面白かった。民族博物館では、「オリノコ族」の特別展を開催中で、
不思議な模様をした毒蛙も見た。民族博物館の別館では、展示室の真ん中にビーズクッションが置いてあり、
のい と二人、ゴロンと横になって、現代のアフリカアートを眺めた。気持ちが良かった。
郵便博物館の屋上階には、アマチュアラジオ局があり、見晴らしの良い空間。
そこで景色を眺めていたら、のい が「ウウーン」。気持ち良くなると、ウンコも出ちゃうのかな。
明後日からMainuferfest(マイン川沿い博物館通りのお祭り)のため、屋台の設営が始まっていた。
見終わったら、お昼になったのでZeilへ。AIDSチャリティーの屋台で、久々にBratwurst(焼きソーセージ)。
並んで前の人たちを観察していると、Rindwurst(牛)が大量に売れていた。BSE騒ぎは何だったのだろう。
午後、また不動産屋が次の入居希望者を連れてきた。私と同じくらいの年齢の女性。あっという間に帰っていった。
2001年8月21日-Di.(のい2歳0ヵ月14日) Sesamstrasse
引き続き暑い。セサミストリート(ドイツではSesamstrasse)のキャラクター2人組が
のい と 夫に似ているので、指差して「パパと のい だ!」と私が言い続けていたら、
とうとう覚えてしまった。街角で「パパ!のい!」と突然言うので、何のことかと思ったら、
のい の指差す方向には、そのキャラクターのヌイグルミ が飾られたショーウインドーが。
ベルリンで猛暑にやられて以来、やたら炭酸水が美味に感じられる。体質が変わったのか。
2001年8月20日-Mo.(のい2歳0ヵ月13日) ベルリン疲れ
疲れて大人2人は朝起きられず。のい だけは普通に起き、早速、汽車の玩具や積木を引っ張り出して、
テレタビーズもそっちのけで遊んでいた。たが、やはり疲れていたのか、午前中に昼寝。
それにしても、道を歩きながら、あるいは居間で のい に絵本を読みながら、しみじみと
「ベルリンよりフランクフルトのほうが、10倍快適!」と思ったことだった。
主な旅行も終わって、いよいよ引越モードに入らねばならない。久々に大分の数カ所と電話で話したが、
プロとは思えないズサンな(田舎的呑気な?)事務処理に、あきれ果てた。ますます帰国するのが嫌になった。
のい は“ダッコ”と言えず、まだ「カッコ」と言い続けている。
また、“DB(ドイツ鉄道)”を“デーベー”と正しく発音せず、「ベーベー」と言い始めた。
2001年8月15〜19日
については、
子連れドイツ旅 ベルリンの巻
を工事中です。近日公開!
最新のドイツ日記に戻る
お家へ帰ろう♪