フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年1月前半の子連れFrankfurt am Main日記




2001年1月15日-Mo.(のい1歳5ヵ月8日) 健気な のい
  月曜の午前中ならバーゲンとはいえ人も少なかろう…と街に出たが、狙っていたものは既に見当たらず。
  あれまあ。のい はバスの中でいつの間にか靴を脱ぎ捨てるし。後席のおばあさんが教えてくれなかったら、
  また片方だけの靴が下駄箱に増えるところだった。労多くして益少なしの朝であった。
  速攻で家に戻り、のい を乳で眠らせ、雑用を片付け、夕食と昼食をつくり(つくりながら、私は立って昼食)、
  ……と、いつの間にか、のい が目を覚まして、台所の入口に立っていた。泣かずに自分でソファから下りるとは驚いた。
  「ごはんだよ!」と言うと、自分で敷物を運び、自分の食事椅子を出そうとし、エプロンをつけろと持って来る。
  大人のすることをよく見ている。今日は、妙に腰に手をあてて立っていたが、一体誰の真似なんだか? ワタシ?
  学校では、とにかくしゃべるよう努力した。今日の文法事項は、復習ばかりだった。
  電車の中で、形容詞の活用をブツブツ唱えていたら、前の席のおじいさんがニコニコ笑っていた。



2001年1月14日-So.(のい1歳5ヵ月7日) 寒い散歩
  引き続き快晴で氷点下。うちからよく見える『ヨーロッパ塔』(テレヴィ塔)に上って街を見下ろそうと、
  気分転換を兼ねて路面電車で出かけたが、入口は閉鎖されていた。冬の間は一般人は上がれない模様。
  我々同様の家族連れが、塔の周りをウロウロしていた。仕方ないので、バスでDornbuschに出て
  地下鉄に乗り換え、Hauptwacheへ。ブルガリアのAとその兄に会った。のい はあやされたのに笑わず。



2001年1月13日-Sa.(のい1歳5ヵ月6日) フリマ
  快晴、気温は氷点下。午前中、のい にスキーズボンをはかせて、散歩しながら買い物へ。
  太陽があまりに低いため、ベビーカーの のい にはまぶしくて、道端で大泣き。慌てて後ろ向きに抱いた。
  アパートの周りを歩かせた。随分しっかり歩けるようになった。凸凹には慎重で、足を出さずに立ち止まっている。
  午後、のい が長い昼寝に入ったすきに、夫にのいをみてもらって、私一人で教会のフリマへ。
  のい の衣類数点と、木のおもちゃを購入。異教徒としては値切れず、言い値で買った。



2001年1月12日-Fr.(のい1歳5ヵ月5日) ウアラウプ(バカンス)
  今日はバカンスの話。ゲームをしながら、ランダムに出会った相手と、先生が設定した場面における会話練習をした。
  先生が陽気なサンバ風の音楽をかけるので、皆大笑い。歌い踊る人も出る始末。
  しかし、授業中、よく時間を止めてしまう私は、今日もなかなかうまくしゃべれず。疲れた。相手も疲れただろうなあ。
  そんななか、ブルガリアのAとの会話は面白かった。彼女はこのクラスで一番よくできて、
  しかも人の話をよく聞いていて、先生が耳半分で聞いているのをフォローまでする。頭がいいんだな。
  モスクワの大学を出て、モスクワで働き、日本にも2ヵ月ほどいたことがあるらしい。
  私は、ドイツ行きで最も楽しみにしていた、美術館巡りと建築巡りが全然出来ていないため、
  その鬱憤がここに爆発して、「バカンスには美術館と建築をたくさん見るんだ!」と言い張ってしまい、
  ボリビアのKには、あきれ顔で「Y、あなたのバカンスのプランは素晴らしいわね」と言われてしまった。



2001年1月11日-Do.(のい1歳5ヵ月4日) 2回めの自己紹介
  今週から、木曜金曜は、ハイディさん(女性だ)の担当。
  ハイディさんは下のクラスからの持ち上がりなので、同級生のうちの5人とは旧知の仲だ。
  5人以外は、2回めの自己紹介をした。今日から参加したクロアチア人のおじさんも。
  1回めには聞き取れなかったことが、2回めの自己紹介でやっと理解できたおかげで、
  休み時間には各所で話が盛り上がった。パキスタンのKさん(名はSと、やっと判明)の自己紹介のときに
  「子供が二人」と聞こえたので、後で「子供がいるんだ?」と聞いたら、
  旦那さんには彼女の他にもう2人、妻がいて、その子供だとか。パキスタンは重婚OKなのか?謎だ。
  今日から、夫は、夜のゼミ(コロキウム)へ。早めの夕食は、朝、市場で買っておいた、若鶏の焼いたの。
  鶏半羽分の値段しか払っていないのに、手と足が二本ずつ入っていたのはどういうことか?謎だ。



2001年1月10日-Mi.(のい1歳5ヵ月3日) テキスト
  午前中、買い物に出ようとバス停で待っていたら、急ぎ足のおばあさんから「もうバスは行っちゃったか?」と
  きかれた。対して私は、JaとNeinを逆に答えてしまい、気がついたら彼女はスタスタと遥か遠くへ。
  しまった!と思ったがもう遅い。今度会ったら謝らねば…東洋人は嘘つきだと思われたらどうしよう…
  などと色々考えながら商店街を歩いていたら、思いがけなく彼女と再会できた。
  「ゴメンナサイ、私は『56分に次のバスが来る』と言いたかったデス」と謝った。
  寛容な人でラッキーだった。許してもらったうえに、「いい新年を!」と言われて別れたのだった。ふう。
  さて学校。とうとう、テキストを買っていないのは、中国のBだけになった。彼女は全く買う気がないらしい。
  で、私がずっと見せてやっているのだが、授業中に机に頭をもたせかけたり、関係ないことを私に聞いてきたりで、
  ちょっと困ったちゃんだ。また人に年齢を聞かれる度に、違う年齢を答えたり、誤魔化したりする。どうも怪しい。
  それはともかくとして、私はこのクラスにはついていくのがやっとで、
  教科書を彼女に見せてやっている状態では、授業の内容に集中しにくくなってきた。
  なので、授業の終了後、「買うつもりがないのなら、コピーして」と頼んだ。一瞬吃驚していたが、
  とりあえず、1階のコピー機で、10ページほどコピーしてくれた。
  夜、皆既月食を部屋から眺めた。



2001年1月9日-Di.(のい1歳5ヵ月2日) ハーモニー
  先生が、「このクラスはハーモニーがとれていて良い」という。何のことかと思ったら、
  外国人同志、政治的に対立する立場にいて、反目し合ったりすることもあるんだそうだ。すると、
  「私が子供のときに通った学校がまさにそう。授業中にプラカードを揚げる子もいた」と言い出す人もいた。驚いた。
  パキスタンのKさんが、帰り道、「家に来てコーヒーでも」と誘ってくれたのに、
  失礼にも本当のこと(育児と家事で、ヘトヘトになるほど時間がない!)を話してしまい、大後悔。
  翌日、「ホントに忙しくて、家の中では私はサーカスやってるみたいなの。でも、あなたも家に来てね」と謝ったが、
  今度は“サーカス”とはなんぞや?という話に。さて一体彼女は私が家で何をやっていると理解したのか。
  まさか、象を飼っているとは思うまいが、私が曲芸ができると思われていたらコリャ大変だ(笑)。



2001年1月8日-Mo.(のい1歳5ヵ月1日) 地獄2週め
  いつも頭巾をかぶっている、パキスタンのKさんが、実は近所に住んでいることが判明。
  彼女は学校まで約35分の道のりを歩いて通っているらしい。雨の日も。すごい。
  中国人の女の子が、故郷の絵葉書に日本語(日本語専攻の友人が文章をつくったらしい)を書いて、私にくれた。
  今日はなんとかついていけた。



2001年1月7日-So.(のい1歳5ヵ月0日) 郵便局探し
  英語で書かれたガイドブックに、「フランクフルト中央駅の郵便局は日曜も開いている」とあったので
  日本宛の郵便物をまとめて、出しに行くことにした。ところが、駅2階の郵便局にたどり着いたら、閉まっていた。
  そして、開いている局について書かれた貼紙を見て、うちの近くの郵便集配局だと早合点。
  路面電車で戻ってその局に行ってみたらば、また閉まっていた。
  「第◯支局」と書いてあったのを、「〜通り◯番地」だと、夫も私も勘違いしていたのだった。
  ウロチョロ歩いた末、結局、駅を探索してオヤツを食べただけのことになってしまった。変な日曜日。
  のい が、ICEや路面電車など、好きなものをたくさん見て嬉しそうだったから、ま、いいか。



2001年1月6日-Sa.(のい1歳4ヵ月30日) 休息
  あまりに疲れていたせいか、昨夜久々に のい をおんぶして遊んでやったせいか、
  未明の授乳中に足がつってしまい、「痛い!痛い!」と大騒ぎ。
  別室で仕事中の夫(夫ものいの子守で、平日の午後は殆ど仕事にならず)を呼んで、マッサージをしてもらうはめに。
  定期券を使って朝のうちに食料品の買い出しを済ませ、お昼から午後にかけて、3人で街へ。
  特に急いで買わなければならないものがなく、しかも気温が高く、久々にのんびりとした土曜日になった。
  市場の豚のシュニッツェルを買ったら、のい が大口を開けて催促。香辛料の効いた衣をはがして、食べさせた。
  熱いアップルワイン(フランクフルト名物)を初めて飲んだ。田舎っぽい味だが、悪くない。
  街はバーゲン中だが、私はノートをまとめ買いしたくらい。夫は、大きな大きな辞書を買った。
  殺気だつ人々を横目に、デパートの生活用品売場でナイフとフォークのセットを下見した。
  のい はリンゴジュースに満足したのか、デパートでも本屋でもぐっすり眠っていた。



2001年1月5日-Fr.(のい1歳4ヵ月29日) 地獄の4日め
  話のネタに、ドイツ語クラスへ、のい の写真を持っていった。
  休み時間に、モロッコ人の男の子(この人は授業中によくしゃべるので、先生にフランス語で注意される)が、
  「あんたは家でいつ勉強するのか? 小さい子供がいるのに」と聞いてきたので、
  「昨日は台所で宿題をした」と答えて驚かれた。とにかく私には時間が足りない。
  昨夜は帰宅してからずっと、食事の間以外は立ちっぱなしで家事をして、
  のいを寝かし付けたら体力が尽きて、風呂にも入らずに一緒に眠ってしまったのだった。
  今日の授業中はもうフラフラ、最後の練習問題の答え合わせでは、すっかり頭が混乱してしまった。
  最後「全部、分かりましたか?」と先生が言うのに、皆が「分かった!」と声を上げて帰り支度をするなか、
  私一人が「3番が全部分かりません!!」。先生が血相を変えて飛んできて、「一体どこが分からないの?」。
  とにかく語彙が足りない。それは自分でも分かっているんだ。悔しくて悔しくて、ボロボロ泣いてしまった。
  先生は説明してくれた後、「文化の違う国から来た人にはドイツ語は難しい。ブルガリアのAにも、タイのKにも、
  中国のBにも、日本のY(→私のこと)にも。あんたはドイツに来てまだ3ヵ月なのに、よくやっている」などと、
  慰めてくれた。そして練習問題の本を貸してくれた。授業中に借りたい人を募って誰も借りなかった本なのだが。
  中国のBが残って待っていて、いろいろと慰めてくれたが、やっぱり悔しくて、電車の中でも涙が止まらず。
  小学校に上がりたての頃、上級生に混じって九九を覚えるはめになり、泣きながら覚えたことを思い出した。
  泣いてもしようがないと思っても泣けてくるのは私の体質。そして泣きながらでも頑張れるのが私だ。頑張ろう。



2001年1月4日-Do.(のい1歳4ヵ月28日) 地獄の3日め
  のい は、すっかり電車の絵本を気に入り、隅から隅まで見ている。
  駅構内の様子のページ中に、ポスターに描かれたICE(ドイツの新幹線)の絵があるのだが、
  豆粒ほどの大きさにもかかわらず、目ざとく見つけて、奇声を上げて指差していた。
  今日のドイツ語クラスでは、皆に積極的に話し掛けることにした。
  ザイールのHは、妊娠中で、5月に出産予定。旦那さんが家事が全然できないので、産後が心配だそうだ。
  今日から来たトルコのEには、頼んで、トルコ語の簡単な言葉を教えてもらった。
  「ハロー」は「メルハバ」、「ありがとう」は「テセキュア」、「バイバイ」は「ギュレギュレ」。これは使える。
  中国の女の子Bは、別の学校では中級クラスにいるのだが、文法ができないので復習のために通っているとか。
  どうりで教科書を買わない訳だ。現在、テキストは2人で1冊状態。私はいつもBに見せているのだった。



2001年1月3日-Mi.(のい1歳4ヵ月27日) 地獄の2日め
  Macを立ち上げると、まだ「謹賀新年」との挨拶が出る。が、こちらは既に平日フル営業状態。
  朝は、昨夜電話で取り置きしてもらったテキストを買いに、のい を連れて街の本屋へ。
  テキストに加えて電車の絵本も密かに買い、のい に見つからないところに隠した。
  留守中、ぐずったときに見せるよう夫に頼んで家を出た。のい は、かなり喜んで見ていたらしい。
  さてドイツ語のクラス。ブルガリア人の女の子はよく出来る。モロッコ人にいつも授業の解説をしてやっているほど。
  私にはついていけないレベルだ。イラン人の2人以外は、皆、休み時間中もずっと、ドイツ語でしゃべり続けている。



2001年1月2日-Di.(のい1歳4ヵ月26日) 地獄の初日
  朝のうちに掃除洗濯買出を済ませ、午前11時半に、のい が昼寝に入ったところで、一気に食事の支度をし、
  のい のランチとおやつを用意して、午後1時すぎに戻ってきた夫とバトンタッチして、家を出た。
  家からVHSまでは、電車と徒歩で約30分。
  同級生は、ブルガリア、イラン、トルコ、ザイール、モロッコ、パキスタン、タイ、中国(大陸)と、
  様々な国籍が入り乱れて、興味深い。日本人は私だけ。ほとんどが20代で、子持ちは私だけ。
  教科書は、私があらかじめ買っておいたものと、そのもう一つ下のテキストを使うことになった。
  帰りに、中国の女の子が、私が持っているテキストを「コピーしたいので貸してくれ」と言ってきた。たくましい。
  家に帰ると、夫が疲れた様子。のい が仕事の邪魔をするので、ぶち切れてしまったらしい。
  のい は夕方の昼寝をしなかったうえ、夜もなかなか眠らず。乳でやっと寝かし付けたが、乳首を噛んで離さず。



2001年1月1日-Mo.(のい1歳4ヵ月25日) 赤飯
  「餅はまだ のい には無理」と、餅を用意しなかったので、赤飯で新年をお祝いした。
  久しぶりに和食をつくり、出汁とりまくりだった。ぜんまい(日本から持ってきた)の煮物に、
  コールラビでつくったカブの甘酢漬に、だし巻き卵、そして豆腐とワカメの味噌汁。
  「初詣」をしようにも、こちらには神社がないのであった(笑)。
  「初日の出」といっても、ドイツまで来ると、世界の皆さんが拝み倒した残りのようで、ありがたみがない。
  明日から3月初めまで続く、ハードな日々に備えて、のい と のんびり過ごした。
  のい に、「ちゃっちゃん(ぬいぐるみのクマ)が抱っこしてほしいって」と言うと、
  得意そうに抱き上げ、部屋中を歩き回っていた。電車が好きで、絵本に出てくると叫び声を上げる。



  最新のドイツ日記に戻る

お家へ帰ろう♪