フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年6月後半の子連れFrankfurt am Main日記
2001年6月30日-Sa.(のい1歳10ヵ月23日) 初めてのドイツレストラン
夫と3人で、Hauptwacheの欧日協会へ。階段セール(蚤の市)を眺めたが、特に出物はなし。
お昼は、初めてレストラン(と言っても、外のテーブル)で食事をすることにした。飲食街フレスガスの
「Das Wirtshaus」というドイツレストランに、ちょうど席が空いたので、座ることにした。
のい は、コースターを並べて「キシャ!」と叫んだり、周りに愛想を振りまいたりしていたが、
椅子に立ったり、気にいらないことがあると奇声を上げたりして、こちらは落ち着かなかった。
料理はやはり量が多くて、のい に取り分けて食べても、十分満腹という感じ。のい は途中で飽きて、
ママリュックに持参したイチゴを要求。店の人に見えないよう、こっそりと食べさせたのであった。
夫が注文したSchweinehaxe(豚骨付きモモの焼いたの)とジャガイモ団子は、巨大で、
夫曰く「もうしばらく豚肉のことは考えたくもない」。味は良かったようだが、量が多すぎ。
腹ごなしに散歩していたら、やはり家族連れだった、託児のFさんに会った。「あら両方に似てること」。
夕方、近所の商店街からの帰りに、昨日とは別の公園に立ち寄ったら、小学生と幼稚園児のベトナム人姉妹に
のい がすっかり気に入られた。のい本人は、至ってマイペースで、砂遊びなどしていたが、
お姉ちゃんたちは「ダッコしていい?」「一緒に滑り台を滑っていい?」「家に遊びに来ない?」。
のい を含めて、なかなか帰りたがらず。彼女らのお母さんも困っていた。
雲行きが怪しくなってきたので、皆で一緒に公園を出た。帰宅直後、近くに雷が落ちた。間一髪。
2001年6月29日-Fr.(のい1歳10ヵ月22日) 恐るべき社交性
いつもの商店街の端から少し北側に入ったところに、いい公園を発見。ガラスの破片など落ちていないし、
遊具も壊れていないし、アル中もいない。素晴らしい。ちょうどお昼用に買ったパンとプラムを食べて、
遊び始めたら、のい と同じくらいの男の子と妹(赤ちゃん)が、祖父母に連れられてやってきた。
祖母に話しかけたが、スペイン語しか話せない様子。昔、NHKラジオのスペイン語講座を齧った記憶をたどって
何とか思い出せたのは、1、2、3(ウノ、ドス、トレス)。で、「2?」と言ったら、彼女の返答に
「…August…2…」を聞き取れた。8月に2歳って、のい と同じじゃん。
「同じ!同じ!」と身ぶり手ぶりで伝えた。のい は、そのセバスチャンくん にニコニコと
近づいて行ったが、彼はちょっと怖れ気味。アジア人は初めてだったのかも。
彼が妹を抱いて滑り台を滑り降りたときに、のい が派手に拍手したら、彼は のい に好意的になったが、
今度は のい の方が、他の遊具に目移り。結局、ほとんど一緒には遊ばず。
そのうち、ゲルマン系の兄弟や、幼稚園児くらいの女の子たちが次々と公園にやってきた。
のい を見て、あからさまに「あの子だれ?」と言う子もいて、ちょっと嫌な感じ。
それでも、のい は臆せず、砂場で好き勝手に遊んでいた。すべての遊具を一通り試した後、
私が、のい に「まだ用事があるから、皆にチュス(バイバイ)して帰ろうね」と言ったら、素直に
のい は笑顔で、全員にチュス(バイバイ)。すると女の子たちが喜んで「友だちね」と握手。
結局、公園にいた全員と握手し、盛大に手を振られながら、公園を後にしたのだった。驚くべき社交性!!
私は、スペイン人の祖父母に「アディオス!」。どうして思い出せたのか、自分でも驚き。
夜は、近所の日本人女性に知らせることがあったので、家まで来てもらった。
のい は大喜びで、「ここに座れ」だの何だの、世話を焼いたり、彼女が笑うと一緒に笑ったり。
帰り際、彼女を真似て、オジギまでした。こちらでは滅多にオジギをする人を見ないので、面白かったのだろう。
2001年6月28日-Do.(のい1歳10ヵ月21日) コアラ〜パンダ
夜中、暑くて寝苦しかった。のい はビッショリ汗をかいて、パジャマのみならず枕まで取り替えたほど。
そのせいか、私ものいも睡眠不足気味。イライラして、ややこしい事務処理の途中に のい がまとわりつくと
怒鳴ってしまったり。私が怒っていると、のい が、顔を覗き込んでニコッと笑う。ケナゲな奴よのう。
今日は、夫が外で夕食をとるというので、普段は午前中に行く木曜市場に、夕方行ってみた。
一番お気に入りの八百屋の屋台では、激しい叩き売りが展開され、目の前でみるみるうちにベリー類が消えた。
幸運にも、最後のイチゴをゲットできたが。ライム10個1DMとか…安すぎ。頭巾の人たちが群がっていた。
のい を歩かせようと、歩道に下ろしてやったが、いつもはゼンマイ付き玩具のようにテコテコ走っていくのに、
今日は「ヤンヤンヤン」と甘えて下りず、コアラのように私にしがみついていた。可愛いので抱いて帰った。
夜(といっても外は明るい)は、久々に私がのい で風呂。のい は日焼けで、顔と手足だけ真っ黒。パンダみたい。
メッセと中央駅の間に「新熊猫飯店New Panda」って中華料理店があるな。のい(neu独/new英)パンダ?
2001年6月27日-Mi.(のい1歳10ヵ月20日) 先史原始博物館
水曜は、たくさんの美術館博物館が無料となる。のい連れでは、階段の昇降ばかりさせられて、
とても展示を見るどころではないので、カネを払うのが勿体ない。というわけで、
展示に関心のない、空間だけ見られりゃいいや……な、先史原始博物館へ。
ここは、ずっと外からだけ見ていて、「古い修道院と現代建築の合体が面白い」と思っていたのだが、
内側から見たら……うーん、現代建築の方は物足りない感じ。外観だけで勝負したのかも。
2つの博物館が、回廊(壁画が素晴らしかった)の途中の扉でつながっていて、これは面白かった。
私が展示に無関心なため、のい のテンポに合わせて館内を動けた。親子ともにストレス少なく機嫌よし。
のいは収蔵品の中から、動物の絵柄を探し出し、「メーメー」「モーモー」「ワンワン」と叫んでいた。
彼にとって、多くの動物は大中小の区別しかないらしい。大が「モーモー」、中が「メーメー」、小が「ワンワン」。
博物館から、レーマー〜パウルス教会前まで、ほとんど のい は自分で歩いたが、
私が「車が来るよ」と言うと、すぐに私に近寄ってダッコをせがむし、とてもとても、聞き分けが良かった。
それでも眠くなると、足がフラついているのに階段登りをしたがり、乳母車に乗せると泣いて暴れた。
満腹にして、百貨店でオムツを替えたら、やっと眠った。初めて、乳母車のシートをリクライニングさせてみた。
昨夜、乳母車のシートを洗ったとき、初めて、うちのB型ベビーカーも背もたれが倒せると知ったのだ。遅すぎ。
眠ったすきに、書店で建築本をチェック。店内のカフェでカプチーノも飲んだ。10〜6年前に戻ったような、贅沢。
2001年6月26日-Di.(のい1歳10ヵ月19日) ベーレンスの工場に侵入?
のい と家の前からバスに乗って、Hoechst(ヘキスト)へ。最高気温は31度。でも湿度が低いのは幸い。
バスには、アル中の人が自転車で乗ってきて、ベビーカー用の場所に自転車を置いてヨロヨロし、終いには
私の隣に。話しかけられたが「ドイツ語ワカリマセーン」と逃げた(本当に何を言ってるか分からなかった)。
昼食は、マイン川沿いの公園の広い芝生の上で。犬や貨物船、小鳥を見て、のいが喜んだ。
ヘキストは、フランクフルト市内だが、元々は別の町だった。昔のPalace(宮殿)は、今は市役所支所。
いかにも宮殿な、バラと噴水の素敵なお庭を楽しんだ。宮殿とは別に、川辺の丘にSchloss(城)もあり、
のい は坂道を元気良く登った。Alt-Hoechstあたりを散策。半ケツのジイサンが水撒きをしていて、
のいに「シャワー浴びるか?」と言って、水をかけようとしたり(今日はイカレた人に縁がある?)。
有名なマイセン窯から出た職人が拓いた、ヘキスト窯も見つけた。博物館は本日は見られず(水土日曜のみ開館)。
のい は、「イーヤア!」とか「ンパー、ンパー」とか言いながら、たくさん歩いた。
歩き疲れて入った公園で、見事なウンチ。ベンチのある場所で踏ん張るあたり、孝行息子である。
その後、スッキリしたのかベビーカーに乗せてしばらく歩いたら、眠ってしまった。
眠っている間に急いで、製薬会社のヘキストAGの工場入口へ。目的は、P.ベーレンスが設計した染色工場。
門の警備のオジサンに、建築ガイドの写真を見せて「これを見たい」と言ったらニッコリ。
「来客者窓口で、入館証をもらっておいで」。が、来客者窓口の兄ちゃんは「使用中の建物だからダメ」と頑な。
「外側だけでも見たい」と粘っていたら、さっきのオジサンが、建物のパンフを持って助けに来てくれた。
それで、兄ちゃんも「じゃ、パスポート見せて」と、やっと入館証をつくってくれた。オジサン、ありがとう!
門を通過したら、一人で勝手に見に行けた。目ざす建物では、タイルの釉のグラデーションの美しさに圧倒された。
のい が眠っているので、階段登りに付き合わされることなく、静かに20世紀初頭の表現主義を堪能した。感涙。
帰りは、Niedaradの北側を通るバスに乗って、エルンスト・マイの計画した集合住宅群を車窓から眺めた。
2001年6月25日-Mo.(のい1歳10ヵ月18日) 季節外れの「ンパー!」
予防接種へ。DTP1期追加。先週受けるつもりで、ワクチンを用意してもらっていたが、
本人が風邪だったので延期したもの。結局今日は、HibとポリオとDTPの混合不活化ワクチンを尻に打たれた。
夏休みとあってか、待合室は人が少なかった。前回もいた年上の女の子(弟の付き添い)と遊んだが、
のいは彼女のやることなすこと真似し、同じ玩具で遊びたくて追いかけ回して困らせた。
待合室を出て帰るときは、居合わせた子供、その親、皆に手を振って、笑わせた。
お昼、家に一番近いスーパーで、ZDの準備コースで一緒だった旧ユーゴ出身の女性とバッタリ。
職に就くため、うちの近くの職業訓練校でコンピューターだの計算だのを習っているとか。
のい は、「ンパー、ンパー!」と得意になって叫び始めた。私と夫が、カーニバルの漫談のときの
「ンパー、ンパー!」という楽器の“合いの手”を面白がって、時々会話の中で使っていたので、覚えたらしい。
でも、もうカーニバルから4ヵ月も経ってるんだけど。
2001年6月24日-So.(のい1歳10ヵ月17日) ゴッホ展
快晴。マイン川を散歩。弁当は、久々に おにぎり。のいは、味付海苔と砂糖漬けレモンを、催促して食べていた。
汽車型の遊具では、ハンドルを回してゴキゲン。白色のビールケースでつくったインスタレーションも見た。
岸には水着姿で日光浴をしている人たちがゴロゴロ。のい は歩きながら、すれ違う人たちに愛想良く手を振り、
いろんな国の人から(今日は英語をしゃべっている人も多かった)ニコニコされていた。
たくさん食べて歩いて階段を昇り降りして、十分に疲れたところで、いよいよ我々の目的を遂行!
嫌がる のい を、郵便博物館のベンチで無理矢理オンブして、一路、シュテーデル美術館のゴッホ展へ。
背負って30秒ほどはジタバタしていたが、そのうちに眠気が襲ってきたらしく、大人しくなった。
さすがに人気展で、入口に特別の入場券売場とミュージアムショップの出店ができていた。
仮設とはいえ、白色ポリカーボネートを上手く使っていた。同じ素材のインスタレーションも。
有名な『自画像』がアムステルダムから来ているためか、入口の警備員チェックが厳しかった。
夫が「乳母車を持って入っていいか?」と尋ねたら、警備員が「乳母車はいいが、バッグはこの透明袋に」と言い、
さらに私に向かって「リュックサックはクロークに預けて」。リュックサック? それってオンブ紐のこと?
すかさず「リュックじゃないです」と、のい の頭を見せたら、それまで真面目な顔だった警備員が、大笑い。
展示室に入ると、やっと のいが熟睡した。のいを背中から乳母車に乗せ替えていると、別の警備員が面白がった。
彼は「さっき、生後10日の子がダッコバンドに入って来てた。とーっても小さかった」と言っていた。
生後10日! 日本では考えられない(生後1ヵ月でやっと軽い散歩)。ドイツでは退院後すぐから
親子での外出を奨励するらしい。それはワタシ的には素晴らしいと思うが、いくら何でもこんな人込みは……。
さて、のい が熟睡している間に、ゴッホ展を見て(今日の発見1:ゴッホって、ある意味でポケモンかも)、
常設展でいつも素通りしていた宗教画を見て(今日の発見2:宗教画って、ある意味でマンガかも)、
最後に小特別展室で Max Beckmannの版画展を見、見終えようというときに、
ちょうど のい が機嫌良く目を覚ました。素晴らしいタイミングであった。
家の前まで戻ってきたら、犬の散歩をさせているオバアサンに会った。のい は初めて犬を触った。
2001年6月23日-Sa.(のい1歳10ヵ月16日) 無人駅
ダルムシュタットへ。しかし電車の接続が悪く、ダルムシュタット郊外の目的の駅に
路面電車と徒歩でたどり着いたときには、目当ての蒸気機関車はとっくに駅を出た後だった。
仕方なく、次の目的地、ダルムシュタットから電車でさらに30分ほど行ったところのOtzbergへ。
今日明日と、ヘッセン州建築家協会のTag der Architektur(建築の日)で、88軒ものオープンハウスがある。
そのなかで、私が見ようと思ったのは、古い農家を再生した障害者のグループホーム。
しかし、最寄りのLengfeld駅に下りたら、駅舎がない。駅で道を尋ねようと思っていたのに、無人駅とは…。
帰りの時刻を調べようにも時刻表さえない! とにかく街の方へ歩く。
やっと見つけた人は、肉屋のオバサン。土曜の午後の店終いをしているところだった。
建物の写真と所在地が載ったパンフを見せて、尋ねた。歩くとかなり距離があり、しかも険しい道という。
他の店員のオバサンが、のい を見て喜んで、Wurst(ソーセージ)の大きな切れ端を のい にくれた。
教えられた道は、大麦畑の真ん中の、車1台がやっと通れる程の細さだった。広々とした眺めは北海道のよう。
のい は、放牧中の馬を見て「モーモー!」。彼にとっては牛も馬も同じらしい。
思ったより早くグループホームに到着し、案内の列に混ざった。しかしのい が設備などに触りたがって騒いだため、
夫が 外に出て、のい を遊ばせてくれた。私だけ、しかと建築を見せてもらった。
本当は、夫にも面白い建築空間を体験してもらいたかったので、残念ではある。
地元新聞社の女性記者が取材に来ていて、「学生か?」と聞かれたので、少しだけ話した。
建築的にはディテールがかなり乱暴で(特に構造の補強)、地震国日本では絶対認められんだろうなーと思った。
電車で来たのは私たちだけで、ゆっくり見ていてフランクフルトに戻れなくなると大変と思い、
早々に見学者の一団から離れて、のい と夫と、帰ることにした。のい は畑の道を鼻歌混じりに歩いた。
駅に着くと、ベンチに座っていた男の人が「電車の時間を知っているか?」ときく。「知らない」と言うと、
「あと2分で来る」。これはラッキー!グループホームの人は、1時間に1本ぐらいと言っていたのに。
ダルムシュタットでもすぐに快速急行に乗り継ぐことができた。だがさすがに暑くて疲れたので、
フランクフルト中央駅でソフトクリームを探し回った。売っていたのはマクドナルドだけだった。謎。
2001年6月22日-Fr.(のい1歳10ヵ月15日) 「パ!」
図書館へ。のい は、いつものように、鉄道(Eisenbahnen)の本のところへひた走り。
「パンを買いに行こう」と言ったら、「パ!」(パンのこと)と叫んで、やっと鉄道絵本を離した。
有機パン屋でApfelbroetchenを買う。美味しい。のい は、そんなに好きじゃないようだが。
チェーン系パン屋では、のいが売り子のお兄さんに愛想良く手を振り、喜んだお兄さんが、
売り物のBroetchenを のい に手渡そうとした。さっき食べたばかりなので…と断わったが。
のい は、最近、袋にいれてもらったパンを必ず自分で持ちたがる。
本日も、1kgもあるMischbrotを持つ!と主張して譲らず。重たくて音を上げるまで、持たせることにした。
スーパーでも、歩きたがったので、初めて乳母車から下ろしてやった。すると、
よく私が買うもの(牛乳、Quark(チーズとヨーグルトの中間のような食べ物)、安いパン等)の各棚へ
ピューと走っていって、私を待っている。恐れ入ってしまった。
帰路、満腹と疲れのおかげで、のいが乳母車のなかで眠ってしまった。
ラッキー!と、急いで図書館にUターン。調べものを片付けた。貸出カウンターに並んでいたら、
鼻水 のい が大きなイビキをかいているので、前の女性が吃驚して振り返ってニッコリ。
「小さいけれど、オジサンみたい」と言ったら、彼女は吹き出してしまった。やった、笑いのツボ突いた!
2001年6月21日-Do.(のい1歳10ヵ月14日) Stachelbeeren/梯子/ドア
今日から、ドイツ各州のトップを切って、我らがヘッセン州の子供たちが夏休みに入った。
ヨーロッパ一、旅行にカネをかけると言われるドイツ。そのせいか、今日は心なしか、街に人が少ない。
いつもの木曜市場では、黄緑色のStachelbeeren(スグリ/グズベリー)を見つけた。
のい の絵本で見て、気になっていたものなので、即購入。500gで4.90DMだった。
店のお兄ちゃんに、どうやって食べるのか尋ねたら、「酸っぱいから、ジャムやサラダにするとよい」。
帰宅して、刺のある皮を剥いて齧ってみた。確かに酸っぱいが、生で食べられないほどではない。
酸っぱい果肉の内側には、トロリとしたゼリー状の膜をかぶった種が入っていて、こちらは甘い。
台所に侵入してきた のい と、酸っぱいもの好き同志、分けて試食。彼もうまそうに食べた。
午後、天気が良いので、「久々に、滑り台で遊ぼう!」と公園へ。
のい が、滑り台の梯子をほぼ一人で登れるようになっていたのには、驚いた。いつの間に!
もちろん、時々重心が狂ってフラつくので(幼児は頭が重い)、私が後ろから付いていたが。
帰りに、駅の方まで散歩をしたら、また階段を自分で昇り降りするだの、キシャに乗るだの、大騒ぎ。
泣き叫び鼻水を垂らす、ワカランチン状態の のい11kgと、遊び道具を担いで、家まで帰った。
オヤツを食べさせたら、「ねんね、ねんね」と言うので、仕方なく乳をくわえさせたら、
乳だけ吸って、15分後にはスッキリといつもの機嫌のよい のい坊主 に。
どうも、乳から、チウーッ!とエネルギーを吸い取られているような気がする……。
さらに「今日はやけにドアの把手に執着するなあ」と思っていたら、夕方、爪先立ちで把手の端に手をかけ、
全体重をかけて把手を下げ、片方の手でドアを押し引きし、とうとうドアを開ける技を完成させてしまった。
2001年6月20日-Mi.(のい1歳10ヵ月13日) 郊外
晴れたので、バスと路面電車で郊外に出てみた。知らない道をバスで行くのは面白かったが、
いわゆるロードサイドの大型店で、雑用を片付けようとするも、目当てのものは見つからず。
のい が「いーやあ!」と叫んで歩道橋の階段を上りたがったので、乳母車を担いで手をつないで上っていたら、
後ろから来たオジイサンが乳母車を運ぶのを手伝ってくれた。しかし一人でさっさと上まで持っていってしまったので、
のい は、「自分の椅子(乳母車)を知らない人が持っていってしまった!」と勘違いして大泣き。
結局、階段上りの練習どころではなく、泣いて暴れる のい を担いで、おじいさんの後を追うはめに。
のい の顔は、涙と鼻水とでペカペカ。路面電車に乗れば、眠る前のワカランチン状態で、椅子に立って暴れるし。
のい お気に入りの日本産アニメ『Heidi』(アルプスの少女ハイジ)は、本日最終回だった。
2001年6月19日-Di.(のい1歳10ヵ月12日) とにかく睡眠
朝、私は身体がだるくて起きられず。夫が講義のない日だったのをいいことに、
昼まで夫に のい の面倒をみてもらい、私は布団をかぶって寝させてもらった。
おかげで、午後にはやや回復し、食料の買い出しにも出られた。
夕方、早目に食事の支度が出来たので、少し寝させてもらい、さらに、のい を寝かし付けるのと一緒に寝た。
2001年6月18日-Mo.(のい1歳10ヵ月11日) 私も風邪気味
引き続き不安定な天気のため、家の中で過ごした。
のい は鼻水は垂らしているが、いつも同様、「キシャ!」と叫びながら、日中は元気一杯。
ただし、夜は何度も起きて泣いた。刺激を受けすぎたせいか、風邪のせいか。
そのため、私も参ってしまい、乳丸出しで眠っていたのと疲労とで、私も風邪気味に。
2001年6月17日-So.(のい1歳10ヵ月10日) のい鼻水
不安定な天気。一家3人、お疲れ休み。のい は少し風邪気味で、鼻水が出てきた。
2001年6月16日-Sa.(のい1歳10ヵ月9日) 両親帰国
朝は、両親の泊まっているホテルにて皆で朝食をとった。
のい は女性従業員たちに愛想を振りまきまくり、朝からヴルストをしっかり食べた。
その後、夫は大学図書館へ。両親と のい と私は、いつもの下町商店街へ。
トルコ人の八百屋で、たぶんシーズン最後のシュパーゲル(白アスパラガス)を買って、昼に食べた。
午後、タクシーで一緒に空港へ。しかし、のい は、連日のはしゃぎ疲れと、昼寝が短めだったのとで、
すっかりワカランチン状態に。落ち着いて見送るどころではなかった。
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