フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年7月前半の子連れFrankfurt am Main日記




2001年7月15日-So.(のい1歳11ヵ月8日) 野生の黒苺/焦げ
  雨。涼しくて、半袖半ズボンでは肌寒いほど。晴れ間に、のい を連れて近所を散歩していると、
  裏の工事現場事務所の脇で、私と同年輩の男女が、ラズベリーを摘んでいた。すれ違い様に「ソレ、オイシイ?」
  と、ちょっかいをかけてみたら、「美味しいよ。まあ、試してみ」と、真っ黒に熟したのを二粒くれた。
  よくよく見れば、取り壊した建物の脇や、線路際などに、たくさんのBrombeeren(黒苺)が。
  私も彼らとは別のところで少々摘んで、家に帰って試食。ベリーA(→葡萄)のような、濃い味だった。
  のい は、日本から持ってきた、ライオンのアップリケがついた砂場着を着て、よく歩いた。
  のい が昼寝に入っている間、いつものように急いで夕食の支度をし、さらに今日はクッキーも焼いた。
  ところが、のいが30分ほどで起きて泣き(いつもは1時間は眠る)、焦ってしまい、
  オーブンの火だけ切って、電気コンロの火を消したつもりで消し忘れたまま、
  のい を寝かし付けるため居間に行ってしまった。10分後、台所に戻ってきたら、焦げ臭い!!
  フライパンの中の料理が炭となり、ヘラの先が溶けて焦げ、煙が出ていた。
  慌てて火を消し、窓を全開にしたが、腰が抜けそうだった。情けない。ここのところ睡眠不足だったし、
  本来は夫担当の のい の風呂なども一手に引き受けていた疲れかしらん。それでも注意力散漫すぎる。
  そんなことが起こっている間、のい は勿論、夫も寝室で昼寝中だった。
  私だって、十分に眠りたいよ! 寝てる間に飯が出来てたら、言うことないやね!
  二人が起きてきた後、いけないいけないと思いながらも、八つ当たり。煙を出すため窓を全開にしていたら、
  5階なのにハエが入ってきて(日本式に言うと6階。こちらでは普通の家には網戸はない)、
  格闘の末、私が見事に仕留めた。2人の拍手喝采を浴びたら、ちょっと腹の虫が治まった。なーんて単純な。
  のい はだんだん、言葉を覚えるのが早くなってきた。今日は「ハエ」「入る」など。
  熱いもの のことをすべて「シュー」と言う。圧力鍋から出る蒸気からの連想。もちろん汽車の煙もシューだが。



2001年7月14日-Sa.(のい1歳11ヵ月7日) 回復/「テディ」「チュス」
  夫は、レントゲンを撮ってもらいに、タクシーで大学病院へ。
  私と のい は、ミュンヘン行き航空券の変更のため、商店街の旅行代理店へ。
  格安チケットは予約変更不能ときき、ガックリ。キャンセルもせずに店を出た。
  のい は「テディ」「チュス!(ドイツ語の“バイバイ”)」が言えるようになったので、
  得意になって、商店街のショーウインドーの中のヌイグルミを指しては「テディ!」、
  カフェの店先に座っている人らに「チュース!」と言って、手をふっていた。
  スーパーでは同年輩の男の子を見て喜んで走っていき、後ろから思いっきり背中を叩いてしまった。
  さらに、ベビーカーに座っていた、その子の妹か弟がくわえているオシャブリを引っ張り、
  もう参った。さらに、店内ですれ違うたびに「チュース!」。相手の男の子は茫然としていたが、
  のい は全然平気で、笑いながら手を振り続けていた。いい度胸だ。
  帰りに公園で遊んで、さらに家の前の広場で遊んでいたら、夫がちょうど帰ってきた。
  痛みもかなり引いたらしく、またレントゲン撮影の結果、大したことではないと分かり、一安心。
  「サッカーで痛めた」とお医者に言ったら、昨日の往診医にも今日のレントゲン医にも
  「で、勝ったのか?」と尋ねられたそうな。呑気なものだ。さすがサッカー王国ドイツというか。
  この調子で回復すれば、ミュンヘンに行けるかも。もちろん、のんびり滞在型プランに変更して。
  今日は、のい が乳を飲み逃げ(飲んでも眠らない)するのの先封じとして、
  「おかあさんも眠いなー。のい のオッパイ、飲ませてちょうだいねえ」(出るわけないやん)
  「おいしそうな子供だな、食べちゃおうか! ガウウ」などと遊んでみたら、
  のいは笑って「ヤンヤンヤン!」と逃げ回り、そのせいかどうか乳の要求は少なかった。
  フルーツティー(桃の香りつき)をたくさん飲んだのが、良かったのかも。



2001年7月13日-Fr.(のい1歳11ヵ月6日) 怪我人発生
  昨日のサッカーで、夫は足首をやられた。プレイ中もグリルパーティー中も帰宅時も何ともなかったのに
  未明に激痛で目が覚め、起きたら「痛くて歩けない、軽く触れただけでも痛い」という。
  突発事故だからと、夫が海外旅行保険を使おうとしたのが、間違いの元だった。
  日本の某海上火災の海旅保険に入っていたのだが、対応のノロいことノロいこと。
  朝8時半に最初の電話をしたが、フランクフルトの提携病院を調べるだけのことに何時間もかかって、
  結局、分かったときにはすべての診療所で、診療時間が終了していた。アホちゃうか。
  電話帳には、近所だけで3軒もの整形外科医が載っていたので(保険屋の返事が来るまでに見つけた)
  ドイツ最低レベルの健康保険でも、さっさと診てもらった方がマシだった。
  3人1年分、約30万円も払ったのにふざけるんじゃないよ、某海上火災のヨーロッパ窓口!
  結局、夜7時近くなってやっと、一般医の往診を受けることができた。
  レントゲンを撮らないとはっきりとは分からないが、急激な運動で骨と軟骨と筋が分離したのでは、とのこと。
  明日、大学病院にレントゲンを撮りに行かねばならない。
  夫本人は、今日一日中、電話を抱え込んで、とりあえずの湿布を貼って、寝たきりだった。
  私と のい も、いつ医者の予約が入るか分からないので、一日中、家で待機していた。
  今日も用事を片付けに出ようと思っていたのに、予定がすっかり狂ってしまった。
  来週は、3人で ミュンヘン〜ノイシュヴァンシュタイン城 に行く予定で、飛行機や宿など
  のい の邪魔を避けつつ苦労してブッキングしていたのに、すべてが水の泡となった。
  まず、ノイシュヴァンシュタイン城のすぐ下の民宿に、キャンセルの電話を入れた。
  城はどうでもいいが、ミュンヘンの美術館巡りはずっと楽しみにしていただけに、何とも情けない。



2001年7月12日-Do.(のい1歳11ヵ月5日) 在外選挙/夏休み前のサッカー
  今日から在外選挙の投票が始まったので、早速、フランクフルトの日本領事館へ行ってみた。
  投票記入台はまさしく日本と同じものだったが(まさか持ってきたのか?)、
  候補者リストも政党名も何も貼られていなくて(外務省からまだ届いていないとのことだった)、
  支持政党が特にない人は、何を書きゃあいいんだ? あきれた。まあこれも一つの体験である。
  用事と買い物を済ましてサッサと帰るつもりだったのに、のい連れだと、そううまくはいかない。
  トイレでオムツを替えた直後に大便。再びトイレに駆け戻ったが、掃除婦へのチップが2倍かかった。
  靴を選んでやろうとしたら、大量の靴を見て興奮して駆け回り、落ち着いて品定めさせてくれなかった。
  なかなか眠らないので、百貨店の地下でヨーグルトを買って、ベンチで食べさせていたら、
  隣に座ったオバアサンが、のい の相手をしてくれた。のい は彼女のステッキを振り回して喜んでいた。
  まだ力の加減が分からないので、乱暴で困る。小さい子にも手加減ができないので……。
  夕方、夫の夏休み前最後のコロキウムがあり、といっても今日は勉強はせず、希望者でサッカー&グリル。
  家族や友人同伴可だったので、私と のい も参加してみたのだが、夫たちがサッカーの試合をしている間、
  雨は降ってくるわ、のい が他の子どもたちの玩具を取り上げて我が物顔に遊ぶわ、
  教授の赤ちゃんの帽子をとるわ、果てはバドミントンのラケットで叩いて泣かすわ(幸い、網の所だったが)、
  こちらは気をつかって、とても楽しむどころではなかったので、2人で先に帰った。
  韓国人の女性でとても感じがいい人がいたのに、殆ど話もできなかった。悲しかった。
  のい以外の子供は、幼稚園児たちと、赤ちゃん1人だったから、のい のワカランチンぶりが
  際立ったのかもしれないが、しかし、小さい子を泣かしたのは、私にはとてもショックだった。



2001年7月11日-Mi.(のい1歳11ヵ月4日) こむら返り
  ハムを丸めて食べるのが、のい のここ数ヵ月のお気に入りなのだが、今日は何を思ったのか、
  いつものように丸めてから、中心の穴を覗き込んで「ええ〜っ?」と叫んでいた。一体、何が?
  図書館では、我が物顔で椅子など並べていた。出してきた絵本が『Ich bin Koenig(僕は王様)』。はあ。
  ちゃんと食べているくせに、甘えて「ねんね、ねんね」と乳を求めては、飲み逃げを繰り返したので、
  私は疲労がとても酷く、夜中にとうとう、こむら返りを起こした。ふくらはぎが猛烈に痛くて苦しんでいるのに、
  その間も、のい は「ねんね、ねんね」と乳を吸っていた。吸血鬼に近いかもと思った。もうフラフラだ。



2001年7月10日-Di.(のい1歳11ヵ月3日) 
  暑さのせいか睡眠不足か、疲れて力が出ない。のい の世話をして、食べることを用意するのがやっと。
  することが山のようにあるのに、のい と遊んでいなければならないのも、イライラして精神的に疲れる。
  こんな調子で、ちゃんと帰国の準備ができるのかいなあ。とほほほ。
  今日は昼寝のタイミングが狂って、のい は何度も寝付くための乳を吸い、夕方、赤ちゃんっぽいウンチをした。
  夕方、テレビの『ピノキオ』を一人で大人しく見ていると思ったら、
  ピノキオが悪い狸にだまされる怖いシーンで、泣きながら台所に駆け込んできた。



2001年7月9日-Mo.(のい1歳11ヵ月2日) のい車掌
  朝から台所に侵入してきたので、「Kelle(ペロペロキャンディー状の、円盤付き信号棒)だよ」と
  ゴムべら を手渡したら、大得意。「車掌さん!」「Herr Zugfuehrer!」と呼んでやると、
  サッとゴムべら を上げている。円盤に棒のついたものなら何でも のい は「ケ!」と呼ぶようになった。
  買い物帰りに、近所の公園の砂場で遊んだが、我々のほかは、ものすごく太った女子高校生2人と
  ゲームボーイ(ドイツでも人気だ)に夢中な女子小学生の1組だけ。どことなく不穏だったので、話しもせず。
  彼女たち3人がシーソーに乗ったら、板が見事にたわんだ。折れるかと思った。
  太ったドイツ人が多いのは、ビールのせいではなく、若いときから脂肪分の多い食生活をしているからだと思う。
  特に乳製品。料理のレシピを見たら、アイスケーキをつくるのに「生クリーム1リットル」……うげげげ。
  こちらの太った男女は、顔だけ見ると普通だが、首から腹までがビア樽状態 というのが多い気がする。
  のい は帽子好きが高じて、額の周りにあせもをつくった。砂場から帰宅後はすぐシャワーへ連行した。



2001年7月8日-So.(のい1歳11ヵ月1日) Johannisbeeren
  先日、市場で衝動買いした、白のJohannisbeeren(コケモモ?/500g 4,50DM)で、ジャムをつくった。
  ジャムなら普通は、赤のJohannisbeerenを使うんだが、まあいいさ。
  枝についた実を手でちぎっていたら(後で料理雑誌を見たら、フォークでちぎると簡単とあった。失敗)、
  のい が台所に侵入してきた。生の酸っぱいJohannisbeerenを口に入れてやったら、平然と食べた。
  お椀に入れてやったら、居間に持っていって一人で食べては(夫は、一口で拒否)、
  台所に戻って催促。うーん、さすがに酸っぱいもの好きだけある。
  好きといえば、カブリモノも大好き。帽子のことを「ぼーぼー」と言い、今日は家の中でもかぶっていたし、
  フード付きパーカーを着せると必ずフードを催促。タオルやハンカチをかぶるのも好き。将来は、ピエール瀧?
  「ねんね」と言いながら、目をつぶって眠ったふりをして見せるようになった。
  機嫌のいいとき、何やら色々一生懸命しゃべっていたが、新しく言い始めた言葉の意味が不明。
  もしかしてドイツ語? デタラメな歌も歌っていた。本人はデタラメのつもりじゃないのかもしれぬが。



2001年7月7日-Sa.(のい1歳11ヵ月0日) Main-Taunus Zentrum〜Pozellan,Schlossfest
  フランクフルト郊外のお買い物ゾーンのうち、まだ行ったことのなかったMain-Taunus Zentrum(MTZ)へ。
  SバーンでBad Sodenに出たら、駅の前にMTZ行きのバスが待っていた。周囲になあーんもないところに、
  忽然と現れたショッピングセンター。土曜とあって、中は家族客でごった返していた。
  こういうアメリカ的な商業施設は便利かもしれぬが、薄っぺらな感じ。あまり世話にはなりたくない。
  3人で中をザッと歩き回ったが、結局、探し物の決め手がなかったので、昼ご飯だけ食べて、
  バスで、ヘキストに出た。アジアショップで、もやし、ビーフン、ベトナムの即席ビーフンを購入。
  店内で、のい が眠ったので、急いで中心街へ。眠っている隙に、イタリアンカフェでコーヒーを飲んだ。
  Kaffee Hagというのを頼んだら、薄かった。夫の頼んだ普通のコーヒーの方が、煎りが深くて美味だった。ちぇ。
  夫に古いヘキストの街並みを見てもらってから、ヘキスト陶器博物館へ。ここは土日祝日のみの開館。
  貴族の邸宅を修復して、一部を博物館として使っている。最上階には、今も普通に人が住んでいるらしい。
  呼び鈴を押して中に入ると、70近いオバサマが手招き。客は私たちだけだった。オバサマは のい を見て喜び、
  色々親切にして下さった。冷たいミネラルウヲーターまで頂いてしまった。最後の部屋では、
  のい はオバサマに抱かれて、窓の外を見せてもらったり、いろいろな扉を開け閉めさせてもらったり。
  昔ながらの木の階段(手すりの幅が細かく、段の縁が緩やかなカーブで優雅)があって、
  のい がまた登り下りをしたがった。結局、皆で付き合ったが、子供好きのオバサマだったので気は楽だった。
  帰るとき、オバサマが大きく手を振るのを のい が真似して、笑わせた。
  さらに、出た扉の前に座っていた浮浪者風の男にまで手を振り、男のイカツイ顔を笑いでゆがませた。
  マイン川沿いではSchlossfest(城祭り)をやっていて、さまざまな出店や遊具が並んでいた。
  空中高くをメリーゴーラウンドのように回るブランコは、のい なんか乗ったら飛んでいっちゃいそうだった。
  くじ引きの屋台もあった。高齢者向けなのか、商品が全部観葉植物という店も。
  出店ごと車の後ろに牽引してくるだけあって、一つ一つの店が大きく、日本とのスケールの違いを感じた。



2001年7月6日-Fr.(のい1歳10ヵ月29日) メロンは嫌い
  暑い。疲れもあって昼間は家の中で過ごした。夕方、意を決して外に出ると、風さえもヌルイ。
  まるで日本のようだ。今まではどんなに暑くても、風が吹けば涼しくて快適だったのに。
  とはいえ、湿度は日本に比べたら圧倒的に低いので、助かる。
  のい は、暑さのせいか食事をあまりとらず。果物なら食べる。が、メロンは嫌がって口を開けない。
  メロン嫌いの人は結構いるような気がするが、一体メロンのどこが嫌なの? 教えて下され。
  とにかく何か口に入れてやらないと…と、夕食には、のい の好きなクリームスープをつくった。
  「プ!プ!」と催促して食べた。熱いので、フウフウと息をかけて冷ますのが「プ!」の由来らしい。
  (我々はスープとは言わず、ドイツ式にSuppe(ズッペ)と呼んでいるので)
  のい は、花のことも「プ!」と言う。初めての花摘みのとき、タンポポの綿毛を吹いて飛ばしたため、
  花には息を吹きかけるものと勘違いしているらしい。花びらは飛ばないってば。



2001年7月5日-Do.(のい1歳10ヵ月28日) Sちゃん/便意伝達のうえ/2語文
  パキスタンのSのところへ。生後2ヵ月のSちゃんはとても小さく、可愛かった。
  ただ、Sちゃんは身体が弱くて、ずっと病院通いをしているとかで、大変そうだった。
  のい に「ベイビー、ねんねしてるね」と言うと、すぐに覚えて何度も「ベイビー、ねんね」と言っていた。
  のい は、本日初めて、便意を私に伝えに来たうえで、オマルでの排便に成功した。
  今までの成功は、気張っているときにこちらが察知してオマルをあてがったものなので、
  とても嬉しい。のい も、自分でオマルの中身を確かめて、拍手していた。
  排尿の方は、2時間も間隔があいた試しがないので、教え始めるのは、なかなか難しそうだ。
  「ナイネー」と「ッタ、ッタ(あった、あった)」が言えるようになったので、
  組み合わせて、2語文をしゃべり始めた。「モモ、ナイネー」とか。だんだん人間になってきたぞ。
  絵本を見て、何やら読んでいるような、でたらめな言葉をしゃべっている。もしかしてドイツ語?
  暑かったので、市場の牛乳屋で、500ml入りのイチゴ入りButtermilch(バターミルク!ガラス瓶入り)を
  買って、のい と飲み干してしまった。脂肪分豊富なので、ドイツ人っぽい感じ。たまには良かろう。



2001年7月4日-Mi.(のい1歳10ヵ月27日) DIYの店/ユダヤ博物館/バナナ
  市電を乗り継いで、DIYの店へ。家1軒丸ごと自分で建てられるように品ぞろえされており、目を見張った。
  電動工具類や、水回り関係が特に充実していて、シャワーブースも自分で組み立てられるようになっていた。
  のい を満腹にして電車のなかで眠らせたすきにユダヤ博物館へ。ユダヤ博物館は2つあって、今日は、
  現代建築の、戦前のユダヤ人ゲットー地区にある方を訪ねた。戦前の建物の土台が遺跡として保存されていた。
  シュテーデルにある、Beckmannの私の好きな作品は、このユダヤ人ゲットーを描いたものだったとは。
  見終わったとき、ちょうど のい が目覚めた。散歩がてら、建物裏のユダヤ人墓地を一緒に歩いた。
  のい は「ナイネー」と言い始めた。ちょっと独特のイントネーションが笑える。
  また、こちらの生の黄桃を気に入っているからか、果物全般を「モモ」と言う。水のことは「ミ!」。
  “食べたい”を表現するのに、自分の口を懸命に指差す。今日は、バナナを“食べたい”と、台所で大騒ぎ。
  なのに半分食べたらゴチソウサマ。童謡の『サッチャン』に ♪バナナを半分しか食べられないの♪ とあったのは
  「小さい子はバナナを半分食べたらお腹が一杯になってしまう」という意味だったのか。
  「小さい子はバナナを半分しか食べてはならない。お腹を壊すから」…だと思ってたよ。ああああ勘違い。



2001年7月3日-Di.(のい1歳10ヵ月26日) ゼミの邪魔をする
  ここのところ、のいが早起きで困る。夜中に「ねんね、ねんね」と言って乳を要求するし。
  もう眠っているのに「ねんね」って何? のい は、朝と午後の2回、昼寝して元気一杯だが、
  私は色々することがあって一緒に寝てはいられないので、疲れ気味だ。
  本日のお昼は、大学近くのカフェ兼パン屋で買ったパン。安くて美味。今まで避けていたのが悔やまれる。
  大学の中庭でお昼を食べていると、周りで自主ゼミが始まった。のい は退屈気味の学生の格好の相手となった。
  一度など、ゼミの全員が「ワンワン!」と叫ぶ のい を見て笑ってしまい、ゼミを中断させてしまった。
  のい は大きなカエデの木漏れ日に「ハイジ!」と叫んだ。山小屋のモミの木を見上げるシーンを覚えていたのだろう。
  帰国の航空券は、昨日、すんでのところで超格安のを逃し、結局、欧日協会の枠で予約をとれた。
  ドイツに慣れて、面白くなってきたところだけに、帰国するのが残念でならない。夫とため息をつく。
  帰国に伴い、夫がドイツでの公的健康保険(AOK)の解約告知をしたのだが、
  その理由について、AOK本部から問い合わせの電話。話がややこしそうだと思ったら、
  タイミング良く、のい が「ねんねー」と泣き出したので、夫の帰宅時間を言って切った。
  ドイツでは健康保険も色々種類があって、AOKのような最低額の保険では、恐ろしい話だが、
  医師が診療を後回しにしたり、酷いときは放置するような事件も最近起こっているらしい。
  収入のある層がPrivat(私的保険)に移っているようで、医療費のかかる高齢者ばかりに残られては
  AOKも困るというもの。でも、我が家の場合は、日本に帰るんだから仕方ないじゃんねー。



2001年7月2日-Mo.(のい1歳10ヵ月25日) 予防接種終了
  Dr.ラーマンのところへ。今日はB型肝炎のワクチンで、これでドイツで可能な限りの予防接種が終了。
  もし次に来ることがあれば病気か怪我のときだから…と思い、ドクターとの記念写真を撮ってもらった。
  暑さのせいか、今日は2回も昼寝をした。



2001年7月1日-So.(のい1歳10ヵ月24日) ハイデルベルク
  ハイデルベルクへ。往きはEC(Euro City)に乗った。ギリギリの時間に車両に乗り込んだら、
  3席予約したうち1席の番号が車両内にない! そもそも座席番号が連番になってない! そんなのアリ?
  空いていたので、他の席に座ることができたが、DBにもこういう妙なことってあるのね。
  「席がない!」と騒いでいたら助けてくれたのが、胸に名札をつけた調査会社の女性で、
  乗客に、交通に関するアンケート調査をしていた。簡単なアンケートだったので、私もタドタドと答えた。
  ハイデルベルク中央駅では、Informationで、ハイデルベルクの哲学者マップ(?)を手に入れ、
  市電で旧市街へ。のい 用のジュースを忘れてきてしまい、代わりに車内でサクランボを食べさせるはめに。
  ケーブルカーで城に登り、ワインの大樽を見、城のバルコニーから市街を一望した。
  再びケーブルカーで下りて、有名なAltebrueckeのたもとへ。観光客から離れて、川岸のベンチでお昼。
  その後、川を渡って、夫が見たかった社会学の古典、マックス・ヴェーバーがかつて住んだ家々を訪ねた。
  私もヴェーバーは読んだはずだが何も覚えていない。でもこの家探しは面白く、オタク心が十分に満たされた。
  Schlangen Wegという薄暗い狭い急な坂道を、のい を背負って登り(のい は背中で眠ってしまった)、
  哲学者の道へ。観光客とおぼしき高齢者グループが、私がオンブしているのを珍しがって、話しかけてきた。
  「この子の名前は、のい で、呼び名は“ganz neu(最新)”」と冗談をかましたら、ちょっと受けた。
  眠っている のい を乳母車に下ろして、素敵なお屋敷を眺めながら、プラプラと散歩。
  哲学者の道から見た、旧市街地と城とネッカー川 の風景は、とてもとても美しかった。
  しかし、その美しい風景にアグラをかいているのか、Informationの人は不勉強で不親切だし、
  中央駅前の市電の切符自動販売機はどれもこれも壊れてるし、他にも横着な振舞に遭って、げんなり。
  私たちも日本人だが、あまりの韓国人、中国人、日本人観光客の多さにも、うんざりした。
  帰りは、快速(RB,RE)を乗り継いだ。電車が遅れたうえにマンハイム駅が改修中で、乗り換えに一苦労したが、
  Kelleを持った女性車掌さんが助けてくれて、ラッキーだった。



  最新のドイツ日記に戻る

お家へ帰ろう♪