フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年4月後半の子連れFrankfurt am Main日記
2001年4月30日-Mo.(のい1歳8ヵ月23日) ロールキャベツ
Postに行ったついでに、その近くの公園で、保育園の人たちに混じって、のいを遊ばせた。
大きい子の真似をしたがり、階段もサッサとは登れないのに、後ろについて遊具の櫓に登りたがっていた。
走り回ったら催したのか、ウンチまでした。最後に遊具の階段を下りるとき、あと3段のところで転がり落ち、
左の小鼻、鼻の下と、下唇の下端をすりむいた。しかし、一泣きしただけであっさり終了。痛がらず。
家に戻ってきたら、下の広場で、台湾人の母子と知り合った。在住13年のWと、2歳4ヵ月の女の子A。
昼寝の後で、遊びがてら、のい に料理を初めて手伝わせた。ロールキャベツを巻くのをやらせてみた。
喜んでクルクル巻いていた。途中からは、蒸したキャベツを1枚ずつ剥がす方を面白がり、上手にやってくれた。
おかげで、手早く楽しく支度ができて、のい も楽しく遊べて、いいことずくめ。
夕食の時に「のい が手伝ってくれたのだよ」と言うと喜んで、元々、ロールキャベツは好物なのだが、
スープまできれいに平らげた。一緒にやれる料理をまた考えよう!と楽しくなったことだった。
2001年4月29日-So.(のい1歳8ヵ月22日) Wiesbadenでオモチャになる
フランクフルトから片道40分の高級温泉保養地Wiesbadenへ。目当てはNerobergのケーブルカーだったが、
のい が駅からのバスの中で眠ってしまい、のいが目覚めるまで、改札のところで待つはめになった。
ヘッセン州議会であるSchloss(城)の前では、自転車で遊んでいたインド系(でも英国の)の3姉妹が、
のいに多大な関心を寄せ、「触っていい?」と聞いてきた。乳母車から出してやったら、もう大喜び。
自転車の荷台にのいを載せたり、広場を走りまわったり。上手に遊んでくれた。放っておいたら、
のい を連れ帰って、オモチャ箱に入れちゃうんじゃないか?と思うほどの可愛がりようで、面白かった。
2001年4月28日-Sa.(のい1歳8ヵ月21日) 便座
雨。ただでさえ疲れているのに、重たい食料を両腕に抱えて背負って、ヘトヘト。
午後、小雨の中、3人で家から30分ほど歩いてKirchplatzの教会へ。今日は蚤の市(Frohmarkt)。
のい の便座を1DM(=約57円!)で、ほかに絵本などを買った。
のい は三輪車や自転車、大きなトラックのオモチャに執着していたが、親の気に入る品はなかったので
可哀相だが今回は買わなかった。ひとしきり見た後、のい は中庭の滑り台で遊んで、服を泥だらけにした。
腕白そうな年上の子が一緒に滑り台で遊んでいて、のい は邪魔にされるかな?と思っていたら、
あにはからんや、「Bruder!(=brother)こっち見て!」などと話しかけてくれていた。
お母さんも大らかそうで、しかし粗暴・放任ではなく、いい感じだった。私もああいう風にならねばね。
この手のFrohmarktの出店者は大抵、場所代に加え、ケーキ(Kuchen)を持ち寄ることになっている。
そのケーキは主催者が売る。ドイツ家庭の味! 今日は、クルミとサクランボのKuchenが、とても美味しかった。
のい に便座を見せ、「これはシーするときのだよ」と言ったら、のいも「シー」と言って理解していたようだが、
肝心のオマルでシッコ!は、まだ滅多に成功しない。4月13日のはマグレだったのだ……。
2001年4月27日-Fr.(のい1歳8ヵ月20日) 警戒心
昨日同様、変な天気。午後になって小降りになった隙に買い物に出たが、いつも買うパンは売り切れていた。
のい は、スーパーのレジに、自分が持っている商品を載せることを覚え、「おばちゃんにピッ!してもらおうね」
と言ったら、素直に商品をレジのベルトコンベアへ。今までは、一度何か持たせたら離さなかったのに。
また、目が合った人、特に女性とオジイサンには積極的に手を振り、「可愛い子だね」と言われていた。
その愛想の良さも、ベビーカーにのっているときだけ。一人歩きのときには、警戒心もちゃんと機能するらしい。
歩きながらも、近づいて来る人をよく見ている。男の人が近づいてくると、もう駄目で、
私の足にしがみついて怖がり、その人が通り過ぎるまで離れず。
2001年4月26日-Do.(のい1歳8ヵ月19日) 雨宿り
晴れたり嵐になったり雷雨だったりと変な天気。木曜市場へ。いつもの八百屋のオバチャン、愛想よし。
市場にいる間は晴れていたが、帰り道で暴風雨に遭い、集合住宅の中庭への出入り口で雨宿り。
雨が止むまでの間、ベビーカーの中の のい と、雨除けカバーを一緒に被って、
オヤツ用に買ったパンを食べた。なんだか可笑しくて、のい とゲラゲラ笑ってしまった。
パリパリに焼けたチーズパン(Kaesebrotchen)を、前は固くて嫌がっていたのに、おいしそうに平然と食べた。
家に着く頃には晴れたので広場を歩かせた。のい は自分でベビーカーを引っ張って得意気。今日は機嫌がいい。
昼寝から起きるとき、何を寝ぼけたか「ハイジ!ハイジ!」と叫んでいた。
2001年4月25日-Mi.(のい1歳8ヵ月18日) 妨害
昨夜遅く、時差と幼子がいる生活への配慮が欠けた電話がかかってきたために、夫と大ゲンカ。
気分が悪いことこの上なし。のい も眠りが浅かったのか、朝起きてからの機嫌は悪いし、
生活のリズムが狂い、午前中いつもより早くに昼寝、夕方からもまた眠り、夕食の時間になっても起きず。
何とか起こして食べさせたが、途中で、ソファを指して眠りたがって大泣きし、本当に可哀相だった。
結局、ほんの少し食べただけで、眠ってしまった。夜中に腹が減って泣くに違いない。困ったことだ。
* * * * * * *
H+Sでは、カメルーンのLと仲良くなった。彼女にも生後9ヵ月の子供がいて、もう歩いているそうだ。
日本人たちのうち、授業中も日本語で他の日本人と話す人がいて、先生が、明らかに嫌な顔をしていた。
また、先生がLに対して質問しているのに、日本人、トルコ人、ベトナム人らが我先にと答えを叫び、
Lが答えるのを妨害した。「日本人は大人しい」なんて嘘で、集団だと、がめつくて暴力的な感じ。やだやだ。
授業終了後、ダッシュで帰路についた。夫が大学の講義に出るので。途中の公園で、のい を受け取った。
図書館に寄って、さあ帰ろうとしたら、のい が出入口のガラス入り扉を触って、指をゴムパッキンに挟み込み、
抜けなくしてしまった。誰も通らないからと油断していた一瞬の間。親指の爪が折れて血が出て、吃驚した。
本人は一泣きしただけでケロリとしていたが、また内出血で爪が黒くなり、凸凹の爪が生えて来るのかと思うと
ため息が出る。ドアに近づいて一度は痛い思いをしているのに、まだ覚えないのか! ああああ。
2001年4月24日-Di.(のい1歳8ヵ月17日) 米って毎日炊くんですか?
天気がよく、とても暖かいので、高級住宅街を突き抜けて、Zeilまで歩いていった。のい の絵本などを買って、
日本語普及センターへ。ベビーシッターのFさんやFrau. Sに再会し、他の子供と のい を遊ばせよう…
…と思っていたのだが、Frau. Sは子供が病気のため休講。それを知らずに来た子持ちの生徒さんらと
Fさんと、託児室で、子供たちを遊ばせながらおしゃべり。1歳3ヵ月の子が来ていて、
「のい も ドイツに来たばかりのときは、こんな風に赤ちゃんっぽかったなあ」と思い出し、感慨深かった。
Fさんからは、「背が伸びて、お兄ちゃんっぽくなった」と言われた。のい はマイペースで、
備え付けの車や飛行機などのオモチャで「キシャ!」「コギ(飛行機)!」と叫びながら遊んでいた。
驚いたのは、子供たちのお弁当が皆、米飯だったこと! 思わず「わ、ごはんだ。よく炊くんですか?」と尋ねて、
逆に「え? 毎日ごはんを炊かないんですか?」と聞き返されてしまった。そうか、普通の日本人家庭では
ドイツでも毎日米を食べているのか、すごいなあ。米に合うオカズを用意するのが大変だと思うが。
うちでは週1回か2週間に1回、圧力鍋で米を炊くのがせいぜい。おかずも中華だったりして。
日本から持ってきた味噌も醤油も海苔も梅干しも高野豆腐も、全然減らないぞー!
帰りにまたZeilを歩いていると、そこここで路上演奏をやっており、のい はバイオリンソロや、
金管四重奏に、ベビーカーから身を乗り出してノリノリ。踊ってる! うーん、さすが私の子だ。
トランペットの人が、踊っている のい に気付いて、演奏しながら手を振ってくれた。
演奏が終わると、のい は小さな手で一生懸命拍手していた。他の大人が誰もしてなくても。
2001年4月23日-Mo.(のい1歳8ヵ月16日) Hoeren und sprechen G4-6
VHSの Hoeren und sprechen G(基礎)4-6がスタート。場所は、前回同様、近所の商店街内。
前のG2+3で一緒だったタイのJをはじめ、アジア人が多く、中でも日本人は、11人のうち4人もいて最多。
ネパールとスリランカの女性は、それぞれとても感じがよくて、すぐに仲良くなった。
普通クラスで既にG5かG6を終えている人がほとんどで、M(中級)3の人も。
日本人たちは、いかにも高級そうな服やカバンを身につけてて、金持ちな感じ。
…って、私が変な日本人なだけか。仕方ない、ほんとに大変なんだもの。髪振り乱して頑張ってんだもの。
先生は50代くらいのハキハキした女性。が、時間管理がイマイチで、他己紹介さえも全員分終わらなかった。
授業終了後、夫が のい を連れてきて、子守をバトンタッチ。夫は大学の講義へ。
(夫は、この後、大学構内に置いておいた自転車から、タイヤだけ盗まれる羽目に。
曰く「自転車屋が『もうこのタイヤは駄目だと思うよ』と言ってたほどのボロタイヤを何故…」)
のい連れで商店街を歩き、同級生に のい を自慢げに見せ回った。トルコの若い医者とは、のい は握手までした。
2001年4月22日-So.(のい1歳8ヵ月15日) ゼンケンベルグ博物館
午後、ゼンケンベルグ博物館へ。家から一番近い博物館なのに、まだ行ったことがなかった。
入ろうとしたら、ものすごい数の親子連れで、館内は阿鼻叫喚の沙汰。なんだなんだ??と思ったら、
某コーンフレークスメーカーが、恐竜グッズ入りコーンフレークの宣伝のため、
館内の恐竜コーナーでイベントをやっていたのだった。おかげで入場無料。
本来触ってはいけない大型恐竜の骨の実物大模型なども、監視の目が届かず、皆触りまくり。
のい の興味は、コーンフレークでも化石でもなく、専ら、他の子ども。
ふざけあっている兄弟を見て、のい が大声で笑ったら、その子たちが喜んで、持っていた風船をくれた。
2001年4月21日-Sa.(のい1歳8ヵ月14日) 臨月の人
午後、臨月妊婦であるパキスタンのSから電話をもらった。12日に彼女の家に寄ったが留守だったので、
クラスメートと撮った写真だけ、ポストに放り込んで来たのだった。
出産予定日は25日。安静を命じられたり(でも彼女は守らなかった!)入院したり、
大変な妊娠期間だったが、いよいよ出産だ。がんばってほしい。
2001年4月20日-Fr.(のい1歳8ヵ月13日) はあ
今日は昨日とうってかわって、感じの悪い(リズムの合わない?)人たちばかりに会い、
商店街と図書館を回っただけなのに疲れた。精神的に。……何か悪いオーラでも出ているのか私。
2001年4月19日-Do.(のい1歳8ヵ月12日) 航空券どうしよう
これまでとは逆に、昼間が晴天で、夕方から雨。助かった。
市場では、先週知り合った日本人母子と再会。日本から来ていた彼女のお母さんも一緒。感じのいい方々。
さて、私たちの航空券は今年9月22日まで有効のオープンチケットなのだが、
夫の都合で、ビザの滞在許可期限ギリギリの9月30日くらいに帰国することになりそうだ。
「オープンチケットは売ればいいじゃん」と高をくくっていたのだが、国際線の場合は、
パスポートとの照合があるので航空券の名義変更は不可能!と今日初めて知り、ショックを受ける。
たかが15万円(のいと私の分)? 幼児を抱える身で、仕事復帰のメドのたたない私には大きい。
だって自腹だもん。のい と二人だけで、9月22日までに先に帰国するという手もあるが、
引越の手配、大量の手荷物(子供の身の回り品はかさ張る!)、機内で一人で のい の相手をすること、
1年分のホコリと蜘蛛の巣がたまった大分の家の掃除など、考えただけで寝込みそう。
2001年4月18日-Mi.(のい1歳8ヵ月11日) ハイジ
夕方までずっと雨で外に出られず。のい は次々と絵本を持ってきては膝に座る。「読め!」ということらしい。
読んでいる間はじっとしているが、さすがに2回ずつ読むと、のい も私も飽きる。家の中に閉じ込められていると、
気分的に煮詰まって、余裕がなくなる。私が何かしようとすると、のい も手を出してきたり、
構ってほしくてモノを投げたり、家具に悪戯したり。家具も借りものなので、つい真剣に叱る。
叱ると余計に暴れる。悪循環。こちらも何もさせてもらえずストレスが溜まった。勉強も家事も進まず。
先週から放映が始まった『アルプスの少女ハイジ(独題:Heidi)』のドイツのエンディング曲を口ずさんでいたら、
のい が「ハイイ!」。ええ?? 空耳かと思ったら、夕方、夫が「ハイジは?」というと「ハイイ!」。
確かに、食い入るように見ていたが、覚えるほど「ハイジ」という言葉は聴いていないはずだが。
また食事後、食べ終わったお皿を指して「空っぽ」と言うと、のいが「カア!」。「カラ!」と言っているつもりらしい。
どうやら、のい が言えるようになった単語と、その言葉を聴いた回数とは、全く関係ないようだ。
回数だったら、「のい」「お母さん」「お父さん」が断然トップだもの。
最初が「キシャ」、続いて「クァギ(ヒコウキ)」「シー」「ハイイ(ハイジ)」、「カア(カラ)」。さて次は?
2001年4月17日-Di.(のい1歳8ヵ月10日) ウンのつき
久々の普通の日。しかし、予防注射を予約しようとしたら、Dr.ラーマンは留守電。月末まで休暇中とのこと。
商店街やPostで用事を済ませ、図書館に本を返した。さっさと帰ろうとしたのに、図書館に入ってしまうと、
のい が“ベビーカーから下ろせ”と暴れ、「少しだけね」と下ろしたのが運のつき。もう収拾がつかず。
階段を昇り降りし、女学生たちに愛想をふりまき(そういえば商店街の店の中でも、私が品定めをしている間、
若い女店員たちに手を振って、「Suess!(ズース:可愛い!)」とか言われていた。調子のいい奴だ)、
絵本には見向きもせずに、走り回っていた。そして、紙オムツを取り替えた直後に「う、うーん」。
朝、立派なウンチをしたので、まさかもうウンチはないだろうと思ったのに〜替えのオムツがない!
慌てて、そのままとっ捕まえてベビーカーに乗せ、しかし家には直行せず、スーパーで最後の買い物をして帰った。
のい が身体をずらすたびに、プーンと臭いが……。しかも、スーパーを出るときには大雨になっていて、
ベビーカーに雨除けをつけねばならなかったので、のい は臭い中に閉じ込められることに。
ワタシは傘なしで、ずぶ濡れになって帰宅。たどり着いて、のい を見たら、臭い中で眠っていた。
さらに、そのまま1時間ほど熟睡。煎餅状につぶれたウンチをお尻に敷いたまま……。
2001年4月16日-Mo.(のい1歳8ヵ月9日) Ostermontag
オースター2日め。休暇帰りの人で交通機関が混雑しているのは必至と判断し、家の周りで過ごした。
3人で近所の公園へ。珍しく、遊んでいる子とそのおじいさんがいた。聞いてみたら、
立ち退き問題の集合住宅に以前住んでいたギリシャ人だった。休みだから久々に来てみたのだろう。
ついでに、Westbahnhof(西駅)の横まで歩いて、電車が行き過ぎるのを、のい に見せてやった。
そうしたら、駅への地下道を下りると言ってきかず。手をひいて階段を登り下り。電車に乗りたがって暴れるのを
「今日は切符がないから」と言い聞かせ、放っておけば一人で勝手に駅の方に歩いていくのを
やっとのことで連れ帰った。しかし、さすがの のい も疲れたのか、夕方、2回めの昼寝をした。
起きたところで、某センターで託児を担当しているFさんから電話をいただいた。
たった10回ほどのおつき合いだったのに、のい のことを気にかけて下さって、ありがたいことだ。
「のいくんは根っから陽気なのね。あなた、いい子供に恵まれたわよ」。全くその通りだと思う。
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