フランクフルトぼちぼち行こか日記
2000年11月前半の子連れFrankfurt am Main日記
2000年11月15日-Mi.(のい1歳3ヵ月8日) VHSのテスト
VHS(市民大学)の外国人向けドイツ語テスト(受講クラス分けのための、簡単なもの。三択)を受けた。
予想通りの結果で満足。今まで習った部分はほぼパーフェクトだったので、うれしかった。
登録もしたかったが、あまりに混んでいたので諦めた。会場は、色んな国の人でごった返していた。
一番驚いたのは、エントランスホールで、頭巾系の女性が立ったまま、授乳していたこと。
それも人通りの多い方に前を向けて。胸も乳首も全く見せていないのは見事だった。
私も外乳はよくやったが、彼女には「負けた!」。まるでマリア像みたいだったよ(あら宗教違い)。
外に出たら、だいぶ元気になった。やはり家の中に閉じこもっているのは健康に悪い。
先々週あたりから、のいが おふろを嫌がって泣くため、お風呂用のアヒルのおもちゃを用意してあった。
使い始めたら大成功。日本にもよくあるアヒル(中国製)だが、ヨーロッパ向けだからか目が青い。笑える。
2000年11月14日-Di.(のい1歳3ヵ月7日) 憂鬱
Frau S.の子供さんが病気のため、本日のドイツ語会話クラスは休講。朝、Kさんから電話があった。
楽しみにしていたのにガッカリ。雨で外に出られず、一日、家の中。のい と煮詰まっていた。
2000年11月13日-Mo.(のい1歳3ヵ月6日) 突っ伏し泣き
本日も体調はいまひとつ。雨のため、アパートから一歩も外に出ず。
家の中で、のい と遊びつつ、のいの帽子を編んだ。
最近、のいは、自分の思うようにならないとき、クッションやソファに突っ伏して泣くのを覚えた。
ソファのところまでわざわざ歩いていって、おもむろに泣くので、ちょっと笑える。
2000年11月12日-So.(のい1歳3ヵ月5日) 晴れているのに
2駅先の教会で、子供用品の蚤の市が催されていたが、体調が悪いのでパスした。
のい を夫にみてもらって寝ていた。単なる睡眠不足による腹痛(高校時代から常習)ならいいのだが。
2000年11月11日-Sa.(のい1歳3ヵ月4日) 元気な高齢者たち
観光地レーマーの中のホールで、高齢者団体のバザーをのぞいた。手作りの品々の色彩の美しいこと!
会場の奥で、お年寄りばかり20人編成のオーケストラ演奏を聴いた。派手な曲ばかり! 愉快愉快。
にんじんとクルミのケーキ(美味!)や、グーラシュなどを食べた。これらも団体のメンバーの手づくりだ。
側にいた老夫婦が、のい を見て声をかけてくれた。もっとドイツ語ができれば色々とお話できたのに……残念。
のい はベビーカーの日よけで、自ら「イナイイナイバー」をやって、周りを笑わせ、ご機嫌だった。
レーマー前には、市から市民へのプレゼントとして、大きなモミの木が立った。これから飾りつけだ。
その後は、少しだけ“お買い物競争”をやったり、デパートの屋上から街を眺めたり。
最寄り駅から家までの帰路、あるアパートで、住人同志が蚤の市を開いていた。木のおもちゃを買った。
2000年11月10日-Fr.(のい1歳3ヵ月3日) ヘキスト
洗濯がまだ終わっていなかったのに、スイッチをオフにしてしまい、結局最初からやり直し。
ドラム式の洗濯機は、途中で扉を開けられないので、重々気を付けねばならない。洗濯の後、
隣町のヘキストへ(有名な製薬会社の本社工場がある)。家の前からバスに乗り、30分ほどで着くはずだった。
が、住宅街ばかりだなーと思っているうちに乗り過ごし、いつの間にか、そのまた隣町まで運ばれてしまった。
10歳位の小さな紳士が「(ベビーカーを下ろすのを)お手伝いしましょうか」と声をかけてくれたので、
それで終点だと気付いた次第。とりあえず降りて、運転手さんに道を訊ねた。彼は折り返すバスに乗せてくれ、
乗り換えの停留所で下ろしてくれた。しかし教わった通りに乗り換えずに、“散歩”と洒落込んでみたら、
また失敗。途中で歩道がなくなるし、雨は降ってくるし、もう散々。慌てて屋根付きのバス停に逃げ込んだ。
結局、目的地の、ヘキストのVHSにはたどり着けず。Sバーンでフランクフルトに戻った。疲れた。
ミュンヘン近郊にお住まいの、私の友人の友人からFAXが届いた。なんだか身体がだるい。貧血気味。
2000年11月9日-Do.(のい1歳3ヵ月2日) 翻訳証明の受取
本日も託児をお願いする。託児室に着いた途端に、嬉しそうにあちこち歩き回る のい。
他の子は、母親から離れず泣いていたりするのに。「好奇心が大変旺盛」とはFさんのお墨付き。
領事館で、運転免許の翻訳証明を受け取った。今年は37DM。しかしパスポートが戻らないので、
まだドイツの運転免許への書き替えはできない。領事館から銀行街を散歩して、繁華街に戻った。
2000年11月8日-Mi.(のい1歳3ヵ月1日) 同じ姓の日本人
朝、のいがオマルに座って、ウーン!と気張っているときに、予期せぬ来客のベル。
まだ家にいた夫が出ると、来た人は「暖房を修理に来た」という。
「暖房は壊れてはいない」と夫が言うと、「管理人から頼まれた」という。
彼が「おたくの電話番号だ」と示す、その番号は、我が家のではない。
夫がその電話番号にかけてみると、なんと! 夫と同じ姓のM(=not松永)さんが出た!
どうやらそのMさんも、うちと同じく、例の日本人不動産屋を通して契約していて、修理を頼んだのだが、
同じ姓だったので、不動産屋の方で間違えたらしい。確認しろよー、ちゃんと仕事しろよー、N不動産。
先日、トイレが壊れたときの対応があまりにチンタラしていたので、私が散々文句をつけたのだが、
その印象が強烈だったのかも……とは夫の談。それにしても、Mってよくある姓じゃないのに、奇遇だなー。
土曜に、大家のH氏が「暖房が壊れたのか?」と電話してきたのは、つまりそういう訳だったのね。
ともあれ、うちの管理人の仕事の速さときたら、N不動産に爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。
2日前、郵便受けとオートロックの表札に、「Matsunaga」と私の姓を手書きで貼ったら(今までは夫の姓のみだった)
いつの間にか、ちゃんと2つの姓を並べてタイプし直し、貼り替えてくれていた。しかも部屋のドアの表札まで。
2000年11月7日-Di.(のい1歳3ヵ月0日) 働き者で社交家?
ドイツ語講座へ。のい は、シッタールームに入ると、さっそくオモチャを引っぱり出し、
Fさんや他の子に寄っていっては、我が物顔で遊んでいた。チョコマカとまあよく動くこと。
たくさんの子供を世話してきたFさんの見立てでは、のい は「働き者」で「社交家」だそうだ。
一事に執着する「理工系」ではないとのこと。
2000年11月6日-Mo.(のい1歳2ヵ月30日) パスポート返らず2+ゲーテハウス+日本
朝早く、再びZeilの役所へ。まだパスポートは窓口に届いておらず、「来月6日に来い」とのこと。がっくり。
またしても雨。今日は、観光名所のゲーテ生家へ。新築された館の受付で、ベビーカーもコートもリュックも皆預け、
久々にダッコ紐をして、古い屋敷を見学した。台所のケーキ型の模様が、繊細で驚いた。
日本人がよく訪れるせいか、監視役の一人からは片言の日本語で話しかけられた。こちらは片言のドイツ語。片言同志。
最近お気に入りMax Beckmannの『ファウスト』の挿絵展をやっていたので観るが、線画は、ちと、えぐかった。
ゲーテの肖像に、のい がちょっと似ている(ギョロ目で、目鼻が顔の中心寄り)ので、笑ってしまった。
のいは、ゲーテとはちょうど250年違いの、同じ8月生まれなのであった。
夜、旧東ドイツの調査から帰国途中の、夫の師であるS先生、先輩のM先生、K先生にお目にかかる。
Zeilの日本料理店Hにて、のい と3人、御馳走になった。店の中は、思いっきり日本だった。
内陸部で刺身なんて…と思っていたが、「サラリーマン定食“宴”」には、トロも入っていて美味だった。
私は、母親としての先輩でもあるK先生に、育児の愚痴ばかりこぼしてしまった。
2000年11月5日-So.(のい1歳2ヵ月29日) お疲れ休み
昨夜は何度も泣いて起こしてくれた。寝不足。泣かれては乳をやりで、とうとう私は、乳丸出しで寝ていた。
勉強も家事も進まず、焦る。のい に積んだ積木を壊される度に、頭の中にもヒビが入っていくようだ。
のいが、昼食をまともに取らずにふざけていたくせに、昼寝のときに乳を長々と欲しがって泣いたときには、
とうとう切れてしまった。昨日の買い出しのせいで、肩も凝っている。
授乳中だからかもしれないが、まだ産後、一度の生理も来ていない。太る暇も無い。
2000年11月4日-Sa.(のい1歳2ヵ月28日) ダルムシュタットヘ
朝、夫にのいを頼んで、歩いて15分の商店街へ買い出し。
背中のリュックと両手いっぱいに、それぞれ数キロずつの食料を買い込んだ。
食料を冷蔵庫に詰め込み終えた後、Sバーンでダルムシュタットヘ。
のい をあやしてくれていた女性が、私たちがよそ見をした隙に、のい の口に、のど飴を放り込み、
のい は、しばらく舐めてからハッカの味に泣き出した。もうビックリ。相手も済まなさそうな顔。
ダルムシュタット中央駅では、サッカー場に行く人たちが大声で歌っており、すわ暴動か?とビビッた。
2両編成の長いバスで、マチルダの丘に上り、20世紀初頭の芸術家村を見た。
ベーレンスの住宅は今も住宅として使われていた。ドアの優美さもさることながら、タイル使いが美しい。
ロシア正教会(ミサ中にお邪魔)、美術館なども見た。
歩いていたら、4人組の30代くらいの男女に声をかけられた。「オハヨウゴザイマス」「モシモシ」と口々に言う。
とどめに、のいに「バイバイ」と言って去っていった。おそらく彼らの職場に日本人がいるに違いない。
この芸術家村のデザインは植物的な曲線が印象的。肉々しさがなく、彫像や食器類には東洋の影響が見られた。
家電製品BRAUNのデザインセンターも面白かった。結婚記念塔がなぜか休館で、上に登れなかったのが残念。
結婚記念塔前の広場では、少年のように遊びに興じるオジサンたちがいた。
テニスボールくらいの大きさの金属のボールをぶつけあう遊びで、ペタンクというらしい。
そこここにルールの金属板が貼られており、マイボールをケースに入れて持ち歩いている人もいる。
「ダルムシュタットの市民大学には、ペタンク講座があるに違いない」と、夫と言い合ったことだった。
2000年11月3日-Fr.(のい1歳2ヵ月27日) パスポート返らず1+満面の笑顔
朝早く起きて、10月6日、外国人登録の際に預けたパスポートを戻してもらいに、Zeilにある役所の窓口へ。
預けるときに「4週間後に返す」と言われたので、カレンダーを見て同じ金曜日に来たのに、
窓口の女性は「4週間後といったら、11月6日だ」と言う。押し問答するが、
とにかく登録局からパスポートが戻ってきていない以上、どうしようもないので引き下がった。
役所を出たら、雨。朝早くてまだ店も開いていない。踏んだり蹴ったり。
仕方ないのでZeilギャラリーに逃げ込んだ。すべての階が斜路でつながっている。ベビーカーを押して上まで散歩。
その後デパートで品定め。のいにレインコートを買おうと思ったが、気に入ったデザインのはサイズがなく諦めた。
時間があるので、エレベーターで同じ子連れの人に話しかけてみたり、レジで隣り合ったおばあさんと話したり。
(おばあさんたちは、私の怪しいドイツ語を、「何ですって?」と聞き返しながら、
我慢強く聞いてくれることが多い。ありがたいことだ)
さて、ドイツでは普通「バイバイ」は使わない。子供に別れ際に言うのは「チュース!」。
のい も「チュース!」は、さっそく覚え、手をチャッと上げて応えている。
地下鉄に降りるエレベーターで、のい は乗り合わせた人たちにあやされたのが嬉しかったか、
途中のホームで降りるとき、「チュース!」と声がかかると、手をブンブン振り回した。箱の中は爆笑。
シースルーエレベーターの中の5人が、みんな満面の笑顔のまま、下の階に下がっていくのは壮観だった。
のい のドイツにおける社会貢献度は、私なんかより、ずっと高い。
2000年11月2日-Do.(のい1歳2ヵ月26日) 初めての託児
のい を初めて、他人に預けた。ドイツ語の授業を受けている間、同じ階のシッタールームで、
他の子供たちと一緒に、Fさん(妙齢の日本人女性)に面倒を見てもらったのだ。
人見知りが激しい子なので、“今日は預けている時間中、泣いているだろう…”と予想していたのだが
大ハズレ! 私が教室に行くときには、絵本の棚に気をとられていて、泣きもせずすんなり離れ、
私が授業を受けている間は、室内のいろいろなものを触っては喜んでいたそうな。
他の子のお母さん(同じクラスのNさん)が用意してくれたリンゴを御馳走になり、
相当リラックスできたのか、ウンチまでスッキリ出し。Fさんがお尻も綺麗にしてくれていた。
私がシッタールームに戻ったら、備え付けの、バスのオモチャで遊んでいた。
Fさんに抱かれても全然泣かず、泣くどころか満面の笑みを浮かべていた。
初対面の人に嫌がらずに抱かれたのは、伯父に続いて2回め。やはり子供好きの人は分かるのだろう。
帰りに、木曜市場で買い物をしていたら、のいは、ちょうど近くにいたラテン系の姉妹(4歳と1歳くらい?)に
手を振って無言でコミュニケートし、特に妹の方とは、何やら微笑みながら見つめ合っていた。
地下鉄の中で一緒になった、ゲルマン系の男の子(2歳くらい?)には興味がなかったようなのに。
子供なりにも、気が合うとか合わないとか友達になりたいとかなりたくないとか、色々あるのだろう。
領事館に寄って、日本の運転免許をドイツの運転免許に書き換えるための、翻訳証明をお願いした。
2000年11月1日-Mi.(のい1歳2ヵ月25日) ライツ式ファイル
昨日の騒動で疲れていたが、水曜日なので美術館へ。シルン芸術ホールへ行ったが、
段差の多さと入口の暗さに、ヤル気をそがれ、観ずにホールを出た。今日は街で用事を済ませるのみ。
インフォメーションでリーフレットを集めたり、街一番の書店でVHSのテキストを探したり。
しかし、商品や本を のい が触りたがってわめき、ゆっくりと選ばせてもらえず。泣かれると疲れも倍増。はああ。
クリスマス用のお菓子のシュトレンを買ってみた。粉糖のかかった固いフルーツケーキ。のいは喜んで食べていた。
先日買ったライツ式ファイルが良かったので、追加で購入。
日本にいるときから愛用していたファイルだ。レバー一本で開閉でき、書類が動かないよう止める金具もあるし、
項目毎に仕切って開き易くするための厚紙も用意されている。とても使いやすい。
なのに、日本(の地方)では扱っている文具店が少ない。コ◯ヨとか◯ング◯ムばかりでさー。
ファイルのみならず、ドイツの合理的なやり方は、私がこの1年で体得したいと思うことである。
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