フランクフルトぼちぼち行こか日記
2001年8月前半の子連れFrankfurt am Main日記




2001年8月14日-Di.(のい2歳0ヵ月7日) 『ぐりとぐら』/ベトナム
  昼食後、散歩に連れ出したら、のい が乳母車の中で眠ってしまったので、それ幸いと、自宅に引き返し、
  夕食をつくりながら、引越荷物を整理して、ベルリン行きの旅支度もした。3つも同時進行すると、皿回し状態。
  しかし、好奇心が人一倍旺盛な子と一緒だと、奴が眠った隙にしか、物を広げられないのだ。ちなみにMacも。
  クローゼットの中の、存在すら忘れていた箱から、絵本や幼児雑誌の付録シールなどを発見。
  11ヵ月前、のい には難しかったシール貼りも、今やもう楽々。昼寝から目覚めた後、さっそく与えた。
  絵本では、昨夏、実家の屋根裏物置で発見した『ぐりとぐら』『シナの5人きょうだい』を気に入り、
  何度も何度も、読め!と持って来る。時々、「…ぐら」と、つぶやいたり。
  『シナの5人きょうだい』って、とっても非教育的な話だと思うんだが……。
  昼寝の後で、散歩のし直し。図書館に行く途中で、ベトナム人の知人に会った。どういう訳か
  私は、よくベトナム人に間違われる。自分でもベトナムの人の顔を見ると、懐かしい気がする。
  ベトナムに行ったことはないが、何かと縁がある。私と同じ顔の人が3人はいそうな気がする。



2001年8月13日-Mo.(のい2歳0ヵ月6日) ベルリンの宿予約
  ベルリンの宿を予約。Information(BTM)のWebから入れしようとしたが、Doppelzimmer(ツイン)だと
  自動的に「宿泊者2名」になってしまい、うちの2歳児 のことを記入できない。備考欄もない。
  しかたないので、BTMに朝FAXを送って、OKかどうか改めて電話で尋ねたら、出た女性が、
  「泊まりたい宿が決まっているなら、直接そこに電話して」と、私が希望した宿Bの電話番号(Web不掲載)を言う。
  宿に電話をしたら、Webで見たのより高い料金を言ってくるし、電話の途中でいなくなるし。なんなのー?
  あきれて、再びBTMに電話。別の宿を紹介してもらおうと、希望地区と予算を言ったが、
  予算より少し高めの宿を提示してきた。「これより安いのはもうない」とその男性は言う。
  最初の宿Bと同じ額だったので、「じゃあ、いいや」と電話を切り、最初の宿Bに再び電話。
  申込のFaxも送って、受付済のFaxもすぐ届いて、予約バッチリ完了! 
  ベルリン人はどうしてこう早口なのか。聞き取りだけで疲れた。のい が足元で泣くし。
  まあ、それでも宿が確保できたからやれやれ……と思っていたら、
  それから2時間も経ってから、BTMから朝に送ったFAXでの申込分「OK」のFAXが。
  それも、ちゃんとWebで見た安い料金になっていた。なんなんだ〜! 嘘つきー!ちゃんと仕事しろ〜!!
  再び、宿Bに電話して、前の予約をポイしてBTM経由での予約に変更するよう、話さねばならなかった。
  なんだか、せっかく楽しみにしていたベルリンに行くのに、今からウンザリな気分。
  あの早口もそうだし、人も気持ちがすさんでいそう。あーあ。ミュンヘンが楽しかっただけに……。
  今日は、のい が、用意した朝食を遊んで食べなかったくせに、食後に台所に入り込み、
  果物やお菓子を食べたがって泣いた(冷蔵庫の扉にかぶりつくなよ)のを始め、イラつくことの多い1日だった。



2001年8月12日-So.(のい2歳0ヵ月5日) Zoo
  Zoo(動物園)へ。今日は子供のお祭りで、17歳までは入場無料になっていた。
  付き添いの大人は通常料金なので、Kasse(切符売り場)から地下鉄の出口まで、長い行列ができていた。
  行列のことを、Schlange(蛇)と言うが、Kasseの前の柱にちょうど蛇のポスターが貼ってあったのには笑った。
  入ってまず目ざしたのは、のい の好きなキリン。前回(2000年10月1日)は、一番奥のキリンを見る前に
  のい は眠ってしまったんだった。途中、メリーゴーランドなどに乗りたがるのを制して、
  キリンの広い運動場に着いたら、ちょうど、キリンが高く上げたカゴから草を食べているところだった。
  キリンたちのよく見えるベンチで、我々も用意しておいた、おむすび を食べた。
  我々も、通りすがりの人々から、珍しい生き物として観察されていたような気がするが(特に海苔!)。
  のい は、動物よりも、そこここに用意してある遊具の方が面白かったようだ。



2001年8月11日-Sa.(のい2歳0ヵ月4日) Strassenfest
  LeipzigerStr.(いつもの商店街)のお祭り。お昼前に、週末の食べ物の買い出しをしたが
  お祭りの準備段階からもう賑やか。「日本空手協会」という団体もテントを出していて(そんなのがあるとは…)
  貼ってある漢字入りの旗が、見事に裏返し。会員らしき西洋人に「裏返しだ」と教えたら、笑いの渦が。
  夕方、図書館帰りの夫と待ち合わせて祭りを見た。いつも車道になっている石畳は、乳母車にはつらかったが。
  屋台はうちの商店街だけあって、とてもInternational。タイ、ブラジル、キューバ、中国、インド、トルコ…。
  アフリカ料理の屋台で、初めてクスクスを食べた。美味い! 上にかかったソースはグーラシュに似ていたが。
  ライムの沢山入った、コロナビールのカクテル(これ、なんて名前だっけ?)が美味だった。
  のい は、hofに設けられた小さい子専用遊園地で、Huepfburg(空気入りトランポリン?)に挑戦した。
  のい が入口の斜路にしがみついていたら、小学校低学年?くらいの女の子3人組が引っ張り上げてくれて、
  トランポリンに入った後は、彼女たちの玩具状態。ダッコしたり、手をとって一緒に跳ねたり。のい はニコニコ。
  ひとしきり遊んで、お得意の「チュース!」。他の遊具を含め、彼女ら小学生が交代で世話係を担当しているようだった。
  えらいねえ。女の子3人が、それぞれヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系なのも、さすがうちの商店街であった。
  途中、VHSのHoeren & sprechen4-6の教師だった、Frau.Hに会った。「ここは私たちのブロードウェイね」。
  彼女はVHSを辞めて、この新学期から、またギムナジウム(進学のための高校)で教え始めたそうだ。
  以前、公園で のい を 可愛がってくれた ベトナム人の姉妹のお母さんにも会った。姉妹には会えず。
  歯科医や、薬屋(水に溶かすビタミン剤の試飲屋台!)、幼稚園、銀行、旅行代理店も屋台を出していた。
  キューバの踊り、タイの踊り、サンバのパーカッション隊……。ああ、盛り沢山すぎ。でも明るいうちに帰った。



2001年8月10日-Fr.(のい2歳0ヵ月3日) 中国人のガールフレンドたち
  集合住宅群の、うちとは別棟の遊び場に行ったら、その棟に住むY(2才半)とA(2才7ヵ月)がいた。
  2人とも中国人の女の子。のい は、付き添いの祖父母たちにビビってしまい、珍しく私にしがみついて泣いたが、
  Yの おじいちゃんがお菓子をくれたら、泣き止んだ。最初は、のい は人の砂場道具をとったりしていたが、
  滑り台で遊び始めたら、だんだんいつもの調子が出てきて、Yとハシゴのところで、
  顔を出したり隠したりして大笑い。Aも加わって、3人でまあ楽しそうなこと。
  しかし、のい は人が乗っている乗り物を横取りしようとするし、まだまだ放っておけない。
  女の子2人は半年早い分だけ、ちょっと分かりが良い。それだけではなく、二人ともオムツがとれていた!
  Aの母は、「ドイツにいる間は何度もトイレトレーニングをしては失敗していたが、この夏、
  台湾に帰ってからは、暑いからパンツなしで過ごして、1週間でとれた」と言っていた。そうかー。
  三輪車もスイスイ漕ぐし。のい は、2人が自分の三輪車に乗っていても全然平気で、
  綺麗な丸石を集めるのに夢中になっていた。2人も、のい の様子を見て、一緒に綺麗な石を集めはじめ、
  女の子同士で、同じ石を取り合ったりしていた。のい をはさんで、3人で砂場の縁に腰掛けている様子は
  まさに両手に花……。でも、A一家は、半月後にはフランクフルト郊外に引越してしまうそうだ。
  のい は新しいゴム長靴を履いていったのだが、大きすぎて、すぐぬげてしまうので、
  Yの おばあちゃん が 「チャオツー」といって笑っていた。“長靴”の こと。
  “よくできた”は「ハオハオ」。Aの母が「この近所の子は中国人が多い。のい は中国語を覚えるかもね」。



2001年8月9日-Do.(のい2歳0ヵ月2日) 
  木曜市場で、久しぶりにOさんとKちゃん母子に会った。
  新聞屋のお姉さんに、先日の誕生日プレゼントのお礼を持っていった。のい から手渡し。
  夕方、3組めの入居希望者が来訪。約束より20分も早くて、広場で三輪車に乗った後、砂場に行こうとしたとき
  入口のインターフォンに不動産屋がいるのが見えたので、慌てて引き返したのだった。
  3組めは、ドイツ語を話すオジサン(付き添い?)と、英語の若い男女。
  オジサンがあまりに巨体で、お客さんにについて回りたい のい もさすがに部屋のドアを通れず、
  つまらなさそうだった。夜、なぜか打ち上げ花火が上がった。うちの近所の工事現場? Mainfestの幻?



2001年8月8日-Mi.(のい2歳0ヵ月1日) 入居希望者
  朝、ベルリン行きの航空券を確保しに空港へ。9月22日までの日本行きの航空券(紙屑と消える運命)と取り替え可能か、
  交渉してみたがダメだった。さらに、国内線では真っ正直に申告しなくても良いのに(苦笑)、
  のい の年齢について、うれしそうに「昨日2歳になったんです」と言って、子供料金をしっかり取られた。
  帰りに、Marienplatzまで出て、例の鉄道絵本を探すも、まるで空振り。
  帰りのバスで、真下の部屋のSさんと一緒になった。「9月末に日本に帰る」と、初めて明かした。
  午後、大家の不動産屋が、次の入居希望者を連れてきた。お客さんと分かると、のい の張り切ること。
  玄関マットの上にチョコンと立って、いつ上がってくるかと待ち構えていた。1組めは、ドイツ語をしゃべる中年の男女。
  男性は写真を撮りまくっていた。のい がわざと写りたがるので、笑ってしまった。
  私が「日本に帰るのは残念だ」と言ったら、女性が「分かるわ。日本は家がとても狭いものね」。う。
  2組めは、夕方6時半で若い女性2人組。のい はニコニコ。後ろから付いていこうとする始末。
  どちらもさっさと見て、数分で帰った。子供の物が散らばった乱雑な我が家を見て、判断できたんでしょうかね?
  夕方、広場に、1歳半の女の赤ちゃん(まだヨチヨチ)とベビーシッターのおばさんが来ていた。
  のい は「Baby!」と叫んで駆け寄り、何をするかと思ったら、乳母車の椅子に置いてあったオシャブリを
  赤ちゃんの口にプスッ! この片付け好きが「オシャブリは口に戻さなくちゃ」と思ったのか。
  赤ちゃんはぶ然としたまま、オシャブリをくわえていた。ちなみに、のい はオシャブリ未経験。
  ベビーシッターのおばさんは、「日本人や中国人の子供は頭か優秀だ。自分の娘(12歳)の同級生の
  日本人や中国人は賢いし、よく勉強する」と言っていたが、「私は知らないね」と答えておいた。



2001年8月7日-Di.(のい2歳!) Zum Geburtstag viel Glueck♪/入学式
  本日で2歳。昨夜、スポンジケーキだけは焼いておこうと思ったのに爆睡してしまったため、
  朝から大忙し。日本式の分量で生地をつくって、ドイツの型に流したら……あーれー、足りない。
  急遽、ゼリー固めの柔らかトルテに変更する。脂肪分20%のQuark(ヨーグルトとチーズの中間)に、
  先日つくったJohannisbeerenの真っ赤なジャムを混ぜたら、まあ素敵。ピンクになったわい。
  そして缶詰のフルーツを混ぜて……あーれー、ゼラチンをふやかしすぎたよ。……今度は水を加えすぎ。
  型に流し込んだら、ケーキ型の下から、ゼリー部分が流れ出て来る〜きあ〜!
  のい が昼寝している間に、焦ってやるものだから、いい加減さが裏目裏目に出て、さあ大変。
  ハタ!と思い出したのが、大家H氏の置いていった、金属製の平たいボール。これにゼリー部分を流し直して、
  冷凍庫にストックしておいた、冷凍泡たて生クリームを投入。一気に冷やして固まらせた。
  生の果物と生クリーム、そしてスポンジ(薄い!)で蓋。これで何とか解決。
  生クリームとブドウで飾ったら、何とか見栄えのするものになった。
  それに、祝い事のワタシ的定番、赤飯。餅米じゃなくてトルコ米だけど、伯母がつくった日本の小豆だ。
  ロウソクは、「2」と飾りが付けてある太いのを1本。火種を買うのを忘れて(この家の中には炎自体が存在しない)
  夕方、夫がいつもの新聞屋/タバコ屋で買ってきてくれた。のい を気に入ってくれるお姉さんにもプレゼントを貰った。
  世間では、小学校の入学式。新入学児童が自分の背丈近くもある円錐形の箱を抱えて(中身はお菓子?)、
  真新しい通学カバン(ランドセルではない)を背負って、母親らに連れられて歩いているのを見かけた。



2001年8月6日-Mo.(のい1歳11ヵ月30日) 優しい兄弟
  夕方、砂場からの帰りに、広場を横切ろうとしたら、うちの斜め下の4階のオバサンと、その孫兄弟がいた。
  4歳半と2歳半。とても優しい子たちで、のい が彼らの玩具に手を出しても全然怒らない。
  どころか、のい が車を並べて電車をつくりたがっていると分かると、ボール遊びをやめて
  次々と、自分の車の玩具を持ってきて、並べてくれた。オバサン曰く「私の自慢の孫よ」。
  夜、Mainfest(フランクフルトのマイン川沿いの祭り)の花火が上がると聞いていたが、私も のい も爆睡。
  去年の8月6日も、大分川の花火大会を、のい と二人で見たっけ。
  2年前は、のいが生まれた晩に花火が上がったんだよね。



2001年8月5日-So.(のい1歳11ヵ月29日) ダルダル
  ダルダル。レーマー〜マイン川でやっているお祭りに行くつもりだったが、夫も私もだるくて動けず。
  元気がいいのは、のい だけだ。ただ、のい の食べる量は少なく、水分ばかり欲しがる。尿量多し。



2001年8月4日-Sa.(のい1歳11ヵ月28日) 英語
  土曜の朝の『テレタビーズ』は、英国本家版。当然、英語。のい が、最初の「one,two……」を
  後から真似して「one,two……」と言っていたのには、驚いた。毎日見ているドイツ語版では黙っているのに。
  最後の「Bye-bye」も、テレタビーズと一緒に言っていた。ドイツ語版の「Winke,winke」は絶対に言わないのに。
  英語を耳にする機会は殆ど無い(私はもう忘れたよ英語)のに、なぜだ。発音しやすいのか?
  晴れたので、久しぶりにRoedelheimへ。駅前の蚤の市を覗いたが、欲しいものは何もなし。
  出店中の親に相手にしてもらえなくて、ヒマにしている金髪の女の子(3才くらいか?)が、
  のい に付きまとってチョッカイをかけてきて、何やら意地悪を言う。不愉快なので無視した。
  言葉が達者になってきて、幼稚園で意地悪を覚えたくらいのこの年代、うっとおしいったら。
  この子は、親に道端でオシッコさせられていた。ドイツでも道ションはOK? 彼らはドイツ人じゃないのかも。
  どうも蒸し暑く、のい も機嫌が悪い。先日割ってしまった のい のコップの代わりを探すが、
  白のプラスチックのカップがなかなかない。百貨店にまで行かないとだめなのか?
  探すのが面倒になり、NUKのマジックカップの中から、できるだけドギツクない色のを買ってやった。
  帰国の飛行機内で使う飲み物入れにもなるし…と思ったのに、説明書をよくよく読んだら、
  「気圧の変化するところ、例えば飛行機の中などでは使わないで下さい」とあって、立腹。
  今日も天候が不安定で、ちょうど土砂降りにあたってしまった。
  夕方から、悪いものを食べた訳でも無いのに、腹が重苦しく、立っていることが出来なくなった。
  座ってできることは何かないか考え、のい の冬の帽子を編み始めた。
  のい がなかなか眠らなかったので、寝かし付けを夫に頼み、私が先に眠ってしまった。
  夫によると、のい は、結局私の乳をくわえてから、やっと寝たらしい。私自身は何も覚えちゃいないのだが。



2001年8月3日-Fr.(のい1歳11ヵ月27日) 自分で履ける
  久々に雨。晴れかと思えば、土砂降りの繰り返し。
  のい は自分でズボンを履いたり脱いだりできるようになった。靴も、マジックテープのなら自分で履ける。
  外出前のこちらの支度が忙しいときに、のいが格闘している間、時間が稼げるのは助かる。
  のい の汚し防止に敷いておいた、日本から持参の敷物を外してみたら、カーペットに若干の色ムラを発見。
  しばらく、敷物なしでやってみて色ムラが改善されるかどうか、様子を見るとする。貼替は避けたい。
  のい は、私が焼いたクッキーの入った戸棚を指して、「クキ!」と要求するようになった。



2001年8月2日-Do.(のい1歳11ヵ月26日) カタコトの日本語
  朝食の後、赤のJohannisbeerenのジャムを作った。今回はフォークで実をむしり取った。簡単簡単。
  こちらでは、ペクチン入りのジャム専用の砂糖も売っているが、特に必要はなく、冷めたらゼリー状に固まっていた。
  冷蔵庫で眠っていたリンゴで、アップルパイの中身もつくって冷凍庫へ。
  夕方、引越用の箱セットが到着。「1時間遅れる」と日本人から電話あり。が、来たのは日本人ではなかった。
  カタコトの日本語で挨拶されて、さらに、ドアの前で靴まで脱がれて、吃驚した。
  さすが日本人相手の会社は、そういう所まで指導するんだな。
  のい は、顔に水をかけるのが好きになった。洗面所で手を洗わせると、顔にも水をかけろとうるさい。
  「こわい」という言葉を覚えて、自分の傍に来てほしいときなど、子供ながらの知恵で、
  やたらと「こわい、こわい」と芝居をするようになった。



2001年8月1日-Mi.(のい1歳11ヵ月25日) 恒例の美術館巡り
  風邪ではなかった。が、朝、急いでいたら、のい のガラスコップを割ってしまった。
  水曜恒例の美術館巡りをする。建築博物館では、のい も面白がってみていた。奇しくも磯崎展をやっていた。
  フランクフルトの建築ガイドを買った。改訂版だが、全て網羅されている訳では無いのが残念。
  映画博物館(常設展は水曜無料)で古い車のセットに入ってカメラに映って大喜び、
  郵便博物館前で昼食をとってから、工芸博物館横の庭で遊んだ。芸術的にデザインされた遊具があり、
  横に「自己責任の下に遊んでください」というような但し書きがあったので??と首をかしげていたら、
  滑り台が酷いものだった。手すりはささくれているし、そもそも傾斜が急すぎて、滑るというより落ちる感じ。
  のい も一番下のところで、頭を打ちそうになった。怖い怖い。
  噴水のところでは、少しだけ水遊びもした。
  イコン博物館では、受付のおばちゃんが、のい の相手をしてくれた。
  「鼻が低くて可愛い。私の娘も、背は高いが鼻は低いの」って……。うーん。



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