
トランシーバー
写真は、今年(2010年)に完成した、FCZ研究所のポケトラ(#067)というトランシーバーキットです。50MHz/AMで、出力は10mWというオモチャのような仕様です。
これでもアマチュア無線の免許を持っていないと運用出来ません。
50MHzには、毎年初夏頃になるとEスポという電離層が発生し、小出力でもとんでもない遠方と交信が繋がるという現象が起きます。このEスポの時期に、このトランシーバーで1750キロの距離の交信に成功した記録が残っています。
通常10mWどうしでは、見通せる範囲(数百メートル)の交信で、相手がマトモな無線機ならば数キロまでは交信出来るという程度のものです。
写真のトランシーバーキット、実は僕が18歳の時(1983年)に購入したものなんです。
当時は先輩から借りたトランシーバーを使わせてもらって無線をしていましたが、僕は17歳を目前にしてバイクで事故ってしまい、1983年当時は入退院の繰り返しの時期でした。まだ、クラシックギターを始める前で、退院している間は、動けなくて家でやる事ないので、家でプラモデル作ったり電気工作をしていました。
しかし、電気工作をやるにも、足の付け根までギブスで部品を買いに行けず、このキットはFCZ研究所に電話して郵送で送ってもらいました。
当時僕は、この無線機を「どうしても」完成させたかったのですが、それは、暇だったからではなく、僕にとってはガキなりに大きな理由があったのです。。。。
・・・・恥ずかしながら当時、僕は15歳から付き合っていた彼女がいたのですが、幼稚園から同級生の彼女とは、それこそ毎日一日も欠かさず一緒にいて、学校帰りに道ばたで話していると、見知らぬオバさんから「あなた達いつも一緒に居るわね?」と声をかけられる程で、同級生どころか近所でも有名なバカップルでした。
ところが16歳の時に、無謀にも「二人で暮らそう」と、資金集めに二人一緒に茶店でバイトしてた帰りにバイク事故。これまた、後ろに乗せていた彼女にも怪我をさせてしまい、強制的に離ればなれになってしまいました。それでも、先に治った彼女は欠かさず毎日うちに看病に来て、またまた懲りずに二人くっついていた訳ですが、当時10代の僕らはいつまでも一緒に居たくても、お互い未成年で実家住まい。相手の両親も心配するから夜には家に帰らなくてはいけません。
そこで「夜に離れても話が出来るぞ!」と目論んだのが、この無線機なのです。
僕と彼女の実家は同じ町内で近所なのでこんなオモチャでも通じる距離にいます。
『僕がこれを作って彼女に渡す』
僕の方は先輩から借りた無線機があるから大丈夫という訳です。
彼女は無線の免許を持っていないから「違法」な訳ですが、当時はそんなことは眼中になく、
「これが出来たら、家に帰ってからでも話せるぞ!」
「楽しみ〜早く早く」
二人で喜んでいました。
中学生でも携帯持ってる今のご時世からすれば、ママゴトのような話です。
・・・しかし、この無線機、とうとう完成させる事が出来ませんでした。
うっすらとノイズは聞こえていたのですが、使えるところまで調整を追い込む事が出来ず、
(方法を知らなかった)。当時の僕にはこれを完成させる腕も良い智恵も無かったです。。。
数年前に実家をリフォームした時に、引き上げてきたガラクタの中に基板の残骸が紛れてました。使えそうだったので暇をみてチョコチョコ作っていたのがやっと完成した訳です。
調整もバッチリで、ちゃんと使えます。
完成まで実に27年も経ってしまいました。 浦島太郎な気分です。
大した事ではないですが、完成してみると『とてもうれしい!』んですよね。
今となっては遠い昔の事ですが、完成してホッとしたというのか、「あの時出来なかったんだよなぁ。。」という事は、何十年も経って出来ても嬉しいものですね。
ギターも同じなんだろうな。最初に短い曲が弾ける様になった時に嬉しかった事は、記憶としては残っていますが、仕事としている今は「弾けて当然」になっているので、感覚的には忘れてしまっています。なにか「出来た!」って言う事は嬉しい事なんですね。
そのうち、どこかの山にでも行って電波出してみようかな。
自作した新調基板(穴あけが面倒ですね。。。 ) 元基板はパターンが消えかけた箇所も。


27年の間に、ケースは紛失し、丸裸の基板もボロボロ状態なので、基板を自作して元基板からパーツを移植。ケースもFCZから購入(取説付きでした)。
何十年も経った現在もこのキットは同じ形のまま販売されていました。
現行モデルは若干パーツが変更されています。

元パーツをそのまま流用したので発売当時の回路仕様。
その後、いろいろカスタマイズしてみました。こちら