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アコの部屋
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やまとうたのふるさと

HP容量不足のため旅の記録
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言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国のうた in さぬき
無伴奏の「和歌披講」& 足踏みオルガンで歌う「唱歌」と「童謡」
不定期開催・参加費無料・駐車場なし (場所・日程等のお問い合わせはトップページの「Contact Us」よりどうぞ)

近      況
日付メ   モ
'17.11.18
 冷たい雨の今日から気温が下がり始め、20日には零度の予報。それでホームセンターでスヌーピー柄のコートを買いました。が、すぐに脱ごうとして暴れる暴れる…。散歩に行ってしまえば着たまま走るような気もしますが?
 さて、昨日の散歩のあとアーニャのブラッシングをしたらダニに噛まれてしまいました!? これだけ毎日出掛けているのにダニ対策をしていなかったのです。本犬は少しも痒がっていませんが、ソファに潜ってしまったみたいで座ると痒くなります。獣医さんに相談しようと思ったら11日からずっとお休み!? 自力で対策を講じなくては!
'17.11.17
 いよいよ明朝9時から拙宅のリフォームが始まります。
 2Fのトイレも一ヶ所(以前オーストリアの巨漢が便座を割った!?)見積もりをお願いしたのですが、
 黒と言う特殊な色で壁と床が黒の大理石なので業者さんが黒を探してくれたところ、28万!?
 無理でしょ、稼働率の低い来客用トイレにそんなにお金をかけるなんて…。
 この家にはトイレが5ヶ所あるので、そこは使わないで放置しますと明日業者さんに伝えます。
 3Fは木の床に白いトイレなので、リフォームする場合さほど高くならないと思うのですが…。
 家も築20年を過ぎるといろいろ不具合が出てまいります。主婦業まっしぐら…という感じです。

 心の中に、いつも、学生時代(40年前?!)に読んだ前橋汀子さんのインタビュー記事があります。
 「演奏という行為は断崖絶壁の突端に立って思いっきり身体を反らせるようなもの」
 といった内容でした。それを藝大で私を「藍ちゃん」と呼んでいた柴田睦陸先生に申し上げると、
 「当たり前だ。しかもギリギリいっぱいのことを平然とした顔でやるのがプロとしての仕事」
 と言われ、これは演奏に限らず、人間として生きてゆく基本姿勢であると得心しました。
 安全な場所でアグラをかいていて成長できれば苦労しませんがね…。

 職業に貴賤が無いのも真実で、適当にやるのか、ギリギリまで頑張るのかの一点に貴賤を感じます。
 自分の器を拡げるには、常にギリギリの線を精いっぱい生きるほかないと信じて生きてきました。
 よって主婦業も乳母も、もっともっと頑張ります。徹底的にやることが演奏上達にも不可欠なので!
 できない言い訳をする人生なんて嫌ですよね。私の勲章は「バカ」。バカは幾つついても清々しい。
 
'17.11.16
これまで何度か書きましたが、私は幼稚園時代に人は他人ではなく自分に敗れるのだと感じました。
そこで子供心に「敗れない生き方」を模索し、「執着しないことに尽きる」と考えたのです。
よって、大学に受かりたいと思ったことも無いし、家が欲しいと思ったこともありません。
演奏家として名を残すという考えもハナからありませんでした。
それで還暦を機に五線譜で書かれた音楽から離れ、古代歌謡の演奏修行をしている次第です。

一口に演奏修行と言いましても、場所によって甚だしく条件が異なります。
こんな場所には絶対に座れない、座りたくないと感じる場合も少なくありません。
一度目はどうしても座れず、二度、三度と訪れてやっと演奏できたところもあります。
2012年4月から始めた演奏修行も6年目に入り、精神的に鍛えられてきたように感じていました。
また、山や階段をのぼってすぐに歌うことで、かなり体力がついてきてもいました。
初めの頃は1 or 2ヶ所で演奏しただけで疲労感がありましたが、最近は別人のようです。
朝から晩まで移動し続けて10〜13ヶ所ほどで演奏しても疲れを感じることがありません。

おかげで今回、14日に往復11時間超の移動をこなしても全く疲れ知らずです。
また「執着しない」生き方を心掛けてきたため、部屋の惨状を見ても全く動じませんでした。

ただ、中途半端な書き方で皆様に御心配をおかけしてしまった上、
メールの返信にも限界があるため、酷い画像で恐縮ですが、1枚のみUPさせて頂き、
私自身のメモとして今回の経緯を書き残しておきたいと思います。
………

そもそもマンションを購入したのは、3.11の大地震を関東で体験した母が、その衝撃で心臓を悪くし、
「余震が続く関東には居たくない。宇多津に帰りたい」と言ったためです。
実家は二階建で骨粗鬆症の母が以前2Fで骨折して電話のある1Fに下りられないまま一晩を過ごし、
連絡がつかなくて心配になった私が叔母に頼んで様子を見に行って貰った経験から
一人暮らしには1Fの庭付きのマンションが最適であろうと考えたわけです。

 ところが、いざ入居してみると、2Fで子供が走り回る音がうるさくて眠れたものではありません。
早朝からダダダ…と走る音、夜中には零時や1時に帰宅した人がドスドスと歩く音に悩まされました。
1ヶ月ほど我慢したものの、睡眠薬を飲まないと眠れない母が騒音で起きてしまうと
再び眠ることが難しくなるため、2Fの方にお願いしてみることにしました。

 「誠に恐縮ですが、1Fに病人が居りまして2Fの足音が響いて眠れないと申しますので
スリッパかソックスを履いて頂くか、絨毯などを敷いて頂く訳にはまいりませんでしょうか?」
「うちはまだ5歳ですから走り回るのが当たり前。小さいうちはまだまだ走ると思いますよ」
「そうですか…、せめて夜中だけでも静かに歩いて頂くことはできませんか?」
とお願いしたものの一向に変化はありませんでした。これは6年経った今も変わりません。
友人とお茶を飲んでいても、昼となく夜となく2Fで走る音が聞こえ、「何、あれ?」と言われる始末。
 そして母が関東へ戻るに至って、私の帰省も年に数回程度となりました。

11/9夕方、マンションの管理会社から電話
 「火災報知機が鳴って止まらないため室内を調べたいので鍵を開けて貰えませんか? 火災は発生していないので現在は火災報知機を切ってあります」と言われ、12/1に帰省することに。
11/13夕方、マンションの管理会社から電話
 「11/12日曜の夜中=11/13の零時過ぎに上の階から水が出たとの連絡があり、見に行ったら畳から水が噴き出ていたので1Fに水が落ちている可能性があります」とのことで、11/14に帰省。
 部屋の鍵を開けてもマンションの管理会社の方が2Fの住人を呼びにいかないので私が訪問し、現状を見て下さるようお願いしました。皆さんが「1Fに人が住んでいればもっと早く発見できた」と仰るので、「お願いしても騒音が改善されなかったから住めなくなったわけですが」と申し上げました。
 「ずっと畳が湿気ていたけど、そのうち乾くと思った」との物言いが「子供は走り回るのが当たり前」と重なって可笑しくなりました。

専門業者の判断は「恐らく1年以上前に給湯機のパイプに亀裂が入って少しずつ漏れ出し、
1Fと2Fの間に溜ってしまった水が一気に噴き出したのでしょう
」とのことでした。
たしかに私も去年帰省した折に漆喰の壁が湿っていたと家人に話していました。
ただ、台風などで雨が異常に降り続いていたため、建物全体が湿気ているのかと思いました。
最後にマンションに泊まったのは今年の7/20で、相変わらず漆喰が湿気てはいましたが、
変色は見られず、8月は台風で交通機関が止まったため四国へ行けませんでした。

11/14に部屋に入ったら照明器具が点かず、冷蔵庫も止まっていました。
11/8に火災報知機が作動したのだとしたら、その時に漏水したのではないでしょうか?
ともかく部屋もクローゼットの中も水浸しで、ピアノの惨状はUPできないほどです。
一般の方には御理解いただけないと思いますが、音楽に携わってきた者としては言葉が出ません。
こちらはオルガンを弾く家人の画像をUPしたブログ。1枚目の画像の床は水溜りになっていました!?

1Fに人が住んでいればもっと早く発見できた」と言われたのには参りましたが、
住んでいないがゆえに私共はいつも通りの生活を続けられています。
2Fの床下は、1Fの天井ともども修理が必要なので、生活できるようになるまで時間がかかります。
現在2Fの御家族は実家で生活され、お子さんの学校から遠いので送迎が大変だと仰っていました。
一日も早く平常の生活に戻れますようにと祈るばかりです。
 

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日付過 去 の メ モ
'17.05.01
 古代歌謡を歌う時、私は江戸時代の国学者富士谷御杖(1768-1823)の言を拠り所としています。
 これまで何度か書いてきた『北邊随筆』(1819)初編三「音の存亡」中の一節です。

 いにしへ、神楽、催馬楽などをうたふが如くに、こひ(恋)は子火と聞えてこゐとはいはず、
 あふ安婦ときこえておうとはきこえざるべし。


 国語の授業では和泉式部の和歌「今ひとたびの逢ふこともがな」を「おうこともがな」と習いました。
 が、戦後詠まれた和歌ではないので、「あふ」と発音した方がよいのではないでしょうか?

 また『万葉集』の最後を飾る「今日ふる雪の」は「けふふるゆきの」ですから指を7つ折ります。
 現代かなづかいで「きょう」と書いた場合、指は幾つ折ればよいのでしょうか?
 読むだけならともかく、和歌披講では1音に1フレーズがあてられるため曖昧なままでは歌えません。

 『古事記』に関しても、私は富士谷御杖の日本神話のとらえ方に興味を持っています。
 琴曲にも秀でた富士谷御杖は、古代人の心を言霊(ことだま)の霊妙な力によって様々な説話として
 表現したものが『古事記』であると考えていました。
 それゆえ『古事記』の内容を事実としてとらえる本居宣長の解釈を不合理だと批判しました。

 ただ、世に種々の学説があり、時代ごとに国語が変化したとしても、記紀歌謡の歌詞は変わりません。
 万葉仮名で書かれた歌詞を現代かなづかいに変えて歌う必要がないのと同じく、現代かなづかいの
 発音をイメージして書かれた歌詞をわざわざ古代の発音で歌う必要もありません。

 催馬楽を習い始めた頃、私は平安時代のサ行が「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」だったとの実感が乏しく、
 「さきむだち」を「シャきんだち」と発音することに驚きましたが、次第に各時代の言葉に寄り添って
 そこから発音を導き出すことで楽に自然な発音で歌えるようになるのだと腑に落ちました。
 
'17.01.15
 二十歳から現代音楽を演奏していた私は作曲家は演奏されるために曲を書くのだと思っていました。
 ところが、伊福部先生に御指導を仰ぐと実に驚くべき言葉が返ってきたのです。

 「いやぁ…誰かに演奏されるなんてことは微塵も考えずに作曲したものですから…」
 「ここをこうしてほしいという希望はありません。釣り針の見える音楽ほど下品なものはないので」
 「下手に演奏されるくらいなら演奏されない方がずっといい」 等々(…ひたすら畏まり絶句!?)

 また、先生はレッスンのマクラに、お茶を飲みながら示唆に富んだ逸話を聞かせて下さいました。
 最も印象に残っているのが舞踊家 石井漠さん(作曲家 石井眞木さんのお父上)のお話です。

 「地方公演へ行くと駅でよく見ず知らずの人に『先生、先生』と大袈裟に声をかけられたそうです。
 すると漠さんは、ここにも幽霊弟子が居たなとピンと来て、調子を合わせてあげると言うんですね」
 「私は嫌です、そういうの。はっきり『誰なんだ君は』と仰れば良いのに」
 「そこが人間の幅というか思いやりと言うか、その人にも生活があるでしょ? 石井漠の弟子としての」
 「でも嘘をついてるわけですから」
 「ま、そこが私などにも難しいわけで、漠さんは立派なもんだと思いましたねぇ」

 このお話を何十回聞かせて頂いたことか…と思ったら、先生が帰幽されたとたん幽霊弟子が!?
 そして、突然、たくさんのコンサートが企画され、CDが量産されました。
 伊福部先生は「皆さんにも生活というものがあるから」と仰せかしら?
 
'16.03.25
 木下忠司先生の百壽記念として前代未聞の素晴らしい企画が発表されました。
 東京国立近代美術館フィルムセンターにおける「木下忠司の映画音楽」!!
 フィルムセンターでは映画監督の特集は行なわれていますが、作曲家を特集したことはなかったのではないでしょうか? それが4月5日〜6月12日という長期間、基本的に作曲家ご自身が480本をこえる映画作品から選ばれた60プログラムという贅沢さ。この機会に私も未だ拝見していない作品を観ます(父が生きていたら毎日通ったことでしょう…)。
 ともかく4月9日に木下忠司先生がお元気に百歳を迎えて下さることを心より願い、お目にかからせて頂けることを楽しみにしています。フィルムセンターのHPにも書かれておりますように「僕は作曲家じゃなく、映画音楽家なんだよ」と仰る先生は、ご自身でアニメ作品をプロデュースされ、ミラノ国際映画祭でグランプリに輝いたほどの映画人でいらっしゃいます。映画上映という形で百壽をお祝いする機会に同席させて頂けることは謦咳に接してきた私共にとって最上の喜びです。フィルムセンターや関係者の皆様に感謝申し上げるばかりです。
 また、4月9日(土)には(まだ詳細は発表されていませんが)NHK-FMでも木下忠司作品が放送されます。放送時間は21-22時ではないかと思います。
'16.02.12
 日本は戦争には敗けたかもしれないけれど、文化では敗けていない。
 日本古来の美感を通過させていない音楽は真のインターナショナルには到達し得ない


 伊福部昭先生は、二十代の私に、こう御指導くださいました。
 ただし藝大的優等生の私にはチンプンカンプン…。江戸期の邦楽すら理解できていなかったので。
 伊福部先生に「日本的な歌い方を教えて下さい」とお願いしても「日本人ならわかる」の一点張り。
 自力で幼少から受けてきた音楽教育のキミョウキテレツさを自覚せよということだったのでしょう。

 三善晃先生は、「明治以降の歌にあなたが一生をかけてやるような音楽はないよ」と仰いました。
 時代の中で突出している作曲家には古代の音楽の姿、近代の音楽の姿が見えていたのでしょう。

 作曲家ならずとも谷川雁さんほどの思想家になると古今東西の文学や音楽に通じておられました。

【2017.1.16.追記】
 1994年2月25日、『白いうた 青いうた』コンサートの帰り途、暗い上野公園を歩きながら雁さんは
 「日本のうたをどう思う?」と言われました。
 「近代の、明治以降に五線譜で作曲された歌に関しては暗いものが多いと思います」
 「ほう、どんな風に?」
 「歌い手として感じるのは、結婚式で演奏を頼まれても忌言葉が多くて歌える曲がほとんど無い」
 「なら『梁塵秘抄』をどう思う?」
 「それを歌いたくて藝大に入ってから教えてくれる人を探しまわりましたが居ないんです」

 と、全く手も足も出ませんでしたが、2006年の宮中歌会始に招かれ首席楽長と出会えました。
 今ならちゃんと答えられます。
 「古代歌謡には言霊を大切にしたハレの歌が多いと思います」
 人は、その時その時の自分のレベルでしか物事を見られないし語れないんですねぇ…。
 幾つもの得難い御縁を頂いて古代歌謡の師を探し求めた二十歳の私を取り戻せました。
 
'16.02.03
 昨日なぜか突然前向きな気持ちになり、書かないと言い続けた本を書こうと決心しました。
 いえ、決心しても書けるとは限りません。なにしろ大き過ぎるテーマなのですから。

 「編年体コンサート」で「♪紀元は二千六百年〜」と歌った通り、天皇家の歴史は今年で2676年
 これに対し、縄文時代は約1万3000年の歴史をもつとされています。
 そんな縄文時代から日本列島に住んでいた海人族の船が約5300年前の遺跡から出土しました。
 シベリアとの交易の痕跡も認められた縄文人の「海の文化」の歴史は約1万年と推察されています。

 世界から注目を浴びた縄文土器でもわかるように縄文文化は決して粗野なものではありません。
 現代まで続く日本人の繊細な感性に裏打ちされた仕事ぶりは、その出土品からも窺われます。
 日本固有のコトも縄文遺跡の出土品の一つで、板に装飾が施されていました。

 ここまで書いて、ふと、多くの日本人が江戸時代にできた俗箏(おこと)を日本の楽器だと思い込みかねない教育を受けていることに気づく(教育レベル低すぎ。フェルマータを長く延ばさせないで下さい)。
 蛇足ながら、おことは雅楽で使われる大陸渡来の
楽箏を一般向けの俗箏として実用化したもの。

 日本固有のコトは、紀元前後、日本に百余りの小国があったことから弦の本数が異なっていました。
 それを6本に統一したのは、日本に律令制度を導入しようとしたヤマト王権です。
 統一国家を目指すヤマト王権は、縄文時代からあったコトを「天皇の楽器」と決めました。
 そして、日本列島にあった国々の国主たちが伝承してきた歌を舎人や采女に献上させたのです。
 それらは宮中で保護されたために一般民衆が接する機会はほとんどありませんでした。
 言い換えれば、天皇家の保護により楽器や楽譜が現代まで形を変えずに残ったのかもしれません。

 この世界最古の現存音楽を演奏し、書き残すことが私の最後の仕事なのだろうと思います。
 まだまだ研究が足りませんし、演奏の腕も磨かなくてはなりません。
 足腰を鍛えるためにも、時間を見つけて山へ登り、演奏することを続けたいと思います。
 


Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分