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アコの部屋
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やまとうたのふるさと

HP容量不足のため旅の記録
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言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国のうた in さぬき
無伴奏の「和歌披講」& 足踏みオルガンで歌う「唱歌」と「童謡」
不定期開催・参加費無料・駐車場なし (場所・日程等のお問い合わせはトップページの「Contact Us」よりどうぞ)

近      況
日付メ   モ
'18.01.19
 常備菜を作っていたら、もう30時!? 座ったまま寝ないようにしなくては…ということで手短に。
 昨日からZOOMERでお散歩に行くほかなくなったので、情けないバイク画像をUPしてみました。
 …と、たった2行書いただけで眠ってました!? いま6時45分。さっさと寝ます…。
 
'18.01.18
 昨日↓毒を吐いたらスッキリしたので(すみません!!)急遽帰省してゴミ出しをすることに決めました。
 宇多津のホテルを予約し、ゴミを根こそぎ持って行ってくれる業者を見つけました。
 (ゴミとか言っても買ったばかりのお高い羽毛布団とか…全て3.11のあと買ったものですからね…)
 あとは家具や食器類の移動ですが、友人にはあまり迷惑をかけたくないので…。

 しかし、不幸は続くもので、昨夜スコールのような雨が降る中買い物に行ったら、エンスト!?
 最近、道なき道を走ることが多く、異物を巻き込んだりしてエンジンが異音を発してはいましたが…。
 そもそも韋駄天の私はメチャクチャな走りをするのでダメになってもおかしくない頃でした。

 そのジャイロキャノピーは乾燥重量 139kg+Box 12kgと重いので、押して帰るとなると大変です。
 それで20分以上もエンジンをかけようと試みたわけですが、かかる気配すらありません。
 やむなくZOOMERカスタム界の巨匠の携帯へ電話してみました。
 すると、外出されていたため、「押して帰るので明日ピックアップして下さい」とお願いしました。
 覚悟を決めて横断歩道を渡ったのが功を奏し、押していたら「エンジンかかりそう」と感じました。
 横断歩道を渡ったところで5分ほど頑張ってトライしたら、何とか走れるまでに回復!
 とはいえ、停まるとエンジンも止まりそうだったので信号の無い道をノロノロ運転で帰宅しました。

 こうなると、あとはZOOMERしかありませんが、何年も乗っていません。
 最初はほとんど無音だったものの、キックを繰り返しているうちにスターターでかかりました!
 ならし運転をしたらエンジンは大丈夫そうです。これでアーニャのお散歩も灯油運搬もOKです。
 降りかかる火の粉は一つ一つ掃ってゆくほかありませんね。
 
'18.01.17
 あれま!? 気がつけば16日28時!!
 11月13日に上の階からの水害で部屋が潰滅し早や2ヶ月経過しました。が、復旧のメド立たず!?

 と書いたところで座ったまま爆睡してしまい、起きたら午前8時。
 いったん目覚めると眠れないので雑用などを片づけていますが、納得できないことだらけです。
 私共は一方的な被害者のはずです。
 それなのに水浸しになった衣類などをゴミ袋に詰めて出す作業を強いられ、喘息を発症しました。
 そのうえ、工事開始のメドも立たない部屋のベッド・布団類を捨てるために帰省せよと?!
 加害者からは謝罪も無く、マンション管理組合とのやりとりです。

 最初に指示されたのが水没したピアノの代替品(同時代のピアノ)購入費用の送金でした。
 年末までに180万超の購入金額をピアノ業者に振込みました。
 そののち保険会社から私共に振り込まれるようですが、具体的な日程は示されていません。
 いったん立て替えるだけなら加害者が立て替えてくれればよいのに…と思ってしまうのですが?
 多忙な時期に書類を書いたり振り込みに行ったりしてるのに、未だ復旧計画すら示されません。

 それどころか、グランドピアノ十数台を修理中の白川ピアノさんの工房に無理を言ってお引き受け
 頂いたクラウンオルガンの分解修理と乾燥が終わっているのに保管場所がないのです。
 今度は保管場所を私が探し、何%支払われるかわからない保管費用を立て替えろとのことです。
 本来やる必要のない雑用が次々と降りかかってくる現実。しかも香川県は遠い…。
 やむなく友人知人の皆様にお力添え頂いておりますが、1月中に引き取らなくてはならないのに対し、
 保管期間が何ヶ月に及ぶのかが未定…という話なので、なかなか進めづらいわけです。
 それにオルガンとはいえ、近場を移動させるだけで2万円以上の運送料がかかります。
 マンション管理組合からは「保険会社に申請して下さい」と言われてますが、却下されたら私持ち?

 このほか、天井を抜いての大工事なので本箱や食器棚をどこへ置くかという問題もあります。
 これらを全て私に丸投げされているわけですから、おちおち寝てもいられません。
 私が帰省するとなれば、アーニャは散歩にゆけなくなりますし、困ることばかり…。
 
'18.01.15
 今日は珍しくアーニャにお留守番をさせて2人で外出しました。某駅までの帰途、ハチミツ屋さんを見つけて入ったら日本橋三越本店にも出店しているはちみつ専門店ラベイユの本店でした。おしゃれな店内で私はカリン&ユズ、家人はハチミツレモンを飲みました。バレンタインデーにはハチミツチョコが欲しいようです。毎年ゴディバじゃ芸が無いし。
 帰宅後はまだ16時だったので先ずはお散歩。それから夕飯の買い物やら灯油の買い出しにバイクを走らせました。夕方以降は急激に気温が下がり、夜中はマイナス4-5℃になるため、起きると水道管が凍ってます。水は一晩中チョロチョロ出しておけますが、お湯は無理なので、毎朝、給湯器が機能するまで30分近くかかります。春が待ち遠しいですね〜。
'18.01.14
 神楽歌や催馬楽には「元は風俗」というものが少なくありません。では風俗(ふぞく)とは何か?
 という点を文献だけでお茶を濁してきましたが、ちょっと限界が見えてきたので歌ってみることに。
 前々から持っていて使わなかった『風俗訳譜』(山井基清著/1961/岩波書店)を出してきました。
 使わなかった理由は曲になっていないため。明らかに臨時記号落ちてるでしょ?って感じなんです。

 私は古代歌謡最大の特徴を陰旋と陽旋を行ったり来たりする点にあると考えています。
 その魅力的なメロディーがハーモニーを凌駕していると感じているので、??という訳譜なのです。
 ただ、大まかなメロディーラインを会得すれば、アドリブで半音を上下させて変化をつけられます。
 たとえば「」と歌う時、「」を、上がる時は高めに、下がる時は低めにとる場合があるのです。

 さて『源氏物語』(若紫)には光源氏が常陸歌をうたう場面があります。

 あづまを菅掻きて、「常陸には田をこそ作れ」といふ歌を、声はいとなまめきて、すさび居給へり。

 源氏の君に和琴(あづまごと)を弾きながら風俗を歌わせたということは紫式部が常陸歌を知っていて
 催馬楽と同じように、自ら和琴で弾き歌いしていた可能性がきわめて高いことになります。
 紫式部が催馬楽の元歌を歌っていたとなると、風俗の一つや二つは歌えないとついてゆけません。
 というわけで、山井(元楽長)氏の訳譜と格闘中…。

 ひたちには 田をこそつくれ あだごころ かめとや
      きみは 山をこえ 野をこえ あまよきませる
(常陸歌)


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日付過 去 の メ モ
'17.05.01
 古代歌謡を歌う時、私は江戸時代の国学者富士谷御杖(1768-1823)の言を拠り所としています。
 これまで何度か書いてきた『北邊随筆』(1819)初編三「音の存亡」中の一節です。

 いにしへ、神楽、催馬楽などをうたふが如くに、こひ(恋)は子火と聞えてこゐとはいはず、
 あふ安婦ときこえておうとはきこえざるべし。


 国語の授業では和泉式部の和歌「今ひとたびの逢ふこともがな」を「おうこともがな」と習いました。
 が、戦後詠まれた和歌ではないので、「あふ」と発音した方がよいのではないでしょうか?

 また『万葉集』の最後を飾る「今日ふる雪の」は「けふふるゆきの」ですから指を7つ折ります。
 現代かなづかいで「きょう」と書いた場合、指は幾つ折ればよいのでしょうか?
 読むだけならともかく、和歌披講では1音に1フレーズがあてられるため曖昧なままでは歌えません。

 『古事記』に関しても、私は富士谷御杖の日本神話のとらえ方に興味を持っています。
 琴曲にも秀でた富士谷御杖は、古代人の心を言霊(ことだま)の霊妙な力によって様々な説話として
 表現したものが『古事記』であると考えていました。
 それゆえ『古事記』の内容を事実としてとらえる本居宣長の解釈を不合理だと批判しました。

 ただ、世に種々の学説があり、時代ごとに国語が変化したとしても、記紀歌謡の歌詞は変わりません。
 万葉仮名で書かれた歌詞を現代かなづかいに変えて歌う必要がないのと同じく、現代かなづかいの
 発音をイメージして書かれた歌詞をわざわざ古代の発音で歌う必要もありません。

 催馬楽を習い始めた頃、私は平安時代のサ行が「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」だったとの実感が乏しく、
 「さきむだち」を「シャきんだち」と発音することに驚きましたが、次第に各時代の言葉に寄り添って
 そこから発音を導き出すことで楽に自然な発音で歌えるようになるのだと腑に落ちました。
 
'17.01.15
 二十歳から現代音楽を演奏していた私は作曲家は演奏されるために曲を書くのだと思っていました。
 ところが、伊福部先生に御指導を仰ぐと実に驚くべき言葉が返ってきたのです。

 「いやぁ…誰かに演奏されるなんてことは微塵も考えずに作曲したものですから…」
 「ここをこうしてほしいという希望はありません。釣り針の見える音楽ほど下品なものはないので」
 「下手に演奏されるくらいなら演奏されない方がずっといい」 等々(…ひたすら畏まり絶句!?)

 また、先生はレッスンのマクラに、お茶を飲みながら示唆に富んだ逸話を聞かせて下さいました。
 最も印象に残っているのが舞踊家 石井漠さん(作曲家 石井眞木さんのお父上)のお話です。

 「地方公演へ行くと駅でよく見ず知らずの人に『先生、先生』と大袈裟に声をかけられたそうです。
 すると漠さんは、ここにも幽霊弟子が居たなとピンと来て、調子を合わせてあげると言うんですね」
 「私は嫌です、そういうの。はっきり『誰なんだ君は』と仰れば良いのに」
 「そこが人間の幅というか思いやりと言うか、その人にも生活があるでしょ? 石井漠の弟子としての」
 「でも嘘をついてるわけですから」
 「ま、そこが私などにも難しいわけで、漠さんは立派なもんだと思いましたねぇ」

 このお話を何十回聞かせて頂いたことか…と思ったら、先生が帰幽されたとたん幽霊弟子が!?
 そして、突然、たくさんのコンサートが企画され、CDが量産されました。
 伊福部先生は「皆さんにも生活というものがあるから」と仰せかしら?
 
'16.03.25
 木下忠司先生の百壽記念として前代未聞の素晴らしい企画が発表されました。
 東京国立近代美術館フィルムセンターにおける「木下忠司の映画音楽」!!
 フィルムセンターでは映画監督の特集は行なわれていますが、作曲家を特集したことはなかったのではないでしょうか? それが4月5日〜6月12日という長期間、基本的に作曲家ご自身が480本をこえる映画作品から選ばれた60プログラムという贅沢さ。この機会に私も未だ拝見していない作品を観ます(父が生きていたら毎日通ったことでしょう…)。
 ともかく4月9日に木下忠司先生がお元気に百歳を迎えて下さることを心より願い、お目にかからせて頂けることを楽しみにしています。フィルムセンターのHPにも書かれておりますように「僕は作曲家じゃなく、映画音楽家なんだよ」と仰る先生は、ご自身でアニメ作品をプロデュースされ、ミラノ国際映画祭でグランプリに輝いたほどの映画人でいらっしゃいます。映画上映という形で百壽をお祝いする機会に同席させて頂けることは謦咳に接してきた私共にとって最上の喜びです。フィルムセンターや関係者の皆様に感謝申し上げるばかりです。
 また、4月9日(土)には(まだ詳細は発表されていませんが)NHK-FMでも木下忠司作品が放送されます。放送時間は21-22時ではないかと思います。
'16.02.12
 日本は戦争には敗けたかもしれないけれど、文化では敗けていない。
 日本古来の美感を通過させていない音楽は真のインターナショナルには到達し得ない


 伊福部昭先生は、二十代の私に、こう御指導くださいました。
 ただし藝大的優等生の私にはチンプンカンプン…。江戸期の邦楽すら理解できていなかったので。
 伊福部先生に「日本的な歌い方を教えて下さい」とお願いしても「日本人ならわかる」の一点張り。
 自力で幼少から受けてきた音楽教育のキミョウキテレツさを自覚せよということだったのでしょう。

 三善晃先生は、「明治以降の歌にあなたが一生をかけてやるような音楽はないよ」と仰いました。
 時代の中で突出している作曲家には古代の音楽の姿、近代の音楽の姿が見えていたのでしょう。

 作曲家ならずとも谷川雁さんほどの思想家になると古今東西の文学や音楽に通じておられました。

【2017.1.16.追記】
 1994年2月25日、『白いうた 青いうた』コンサートの帰り途、暗い上野公園を歩きながら雁さんは
 「日本のうたをどう思う?」と言われました。
 「近代の、明治以降に五線譜で作曲された歌に関しては暗いものが多いと思います」
 「ほう、どんな風に?」
 「歌い手として感じるのは、結婚式で演奏を頼まれても忌言葉が多くて歌える曲がほとんど無い」
 「なら『梁塵秘抄』をどう思う?」
 「それを歌いたくて藝大に入ってから教えてくれる人を探しまわりましたが居ないんです」

 と、全く手も足も出ませんでしたが、2006年の宮中歌会始に招かれ首席楽長と出会えました。
 今ならちゃんと答えられます。
 「古代歌謡には言霊を大切にしたハレの歌が多いと思います」
 人は、その時その時の自分のレベルでしか物事を見られないし語れないんですねぇ…。
 幾つもの得難い御縁を頂いて古代歌謡の師を探し求めた二十歳の私を取り戻せました。
 
'16.02.03
 昨日なぜか突然前向きな気持ちになり、書かないと言い続けた本を書こうと決心しました。
 いえ、決心しても書けるとは限りません。なにしろ大き過ぎるテーマなのですから。

 「編年体コンサート」で「♪紀元は二千六百年〜」と歌った通り、天皇家の歴史は今年で2676年
 これに対し、縄文時代は約1万3000年の歴史をもつとされています。
 そんな縄文時代から日本列島に住んでいた海人族の船が約5300年前の遺跡から出土しました。
 シベリアとの交易の痕跡も認められた縄文人の「海の文化」の歴史は約1万年と推察されています。

 世界から注目を浴びた縄文土器でもわかるように縄文文化は決して粗野なものではありません。
 現代まで続く日本人の繊細な感性に裏打ちされた仕事ぶりは、その出土品からも窺われます。
 日本固有のコトも縄文遺跡の出土品の一つで、板に装飾が施されていました。

 ここまで書いて、ふと、多くの日本人が江戸時代にできた俗箏(おこと)を日本の楽器だと思い込みかねない教育を受けていることに気づく(教育レベル低すぎ。フェルマータを長く延ばさせないで下さい)。
 蛇足ながら、おことは雅楽で使われる大陸渡来の
楽箏を一般向けの俗箏として実用化したもの。

 日本固有のコトは、紀元前後、日本に百余りの小国があったことから弦の本数が異なっていました。
 それを6本に統一したのは、日本に律令制度を導入しようとしたヤマト王権です。
 統一国家を目指すヤマト王権は、縄文時代からあったコトを「天皇の楽器」と決めました。
 そして、日本列島にあった国々の国主たちが伝承してきた歌を舎人や采女に献上させたのです。
 それらは宮中で保護されたために一般民衆が接する機会はほとんどありませんでした。
 言い換えれば、天皇家の保護により楽器や楽譜が現代まで形を変えずに残ったのかもしれません。

 この世界最古の現存音楽を演奏し、書き残すことが私の最後の仕事なのだろうと思います。
 まだまだ研究が足りませんし、演奏の腕も磨かなくてはなりません。
 足腰を鍛えるためにも、時間を見つけて山へ登り、演奏することを続けたいと思います。
 


Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分