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アコの部屋
容量不足により「ピピ(2007-2015)日記」は削除しました



 2014.9.15-2017.5.13 (20件)


 やまとうたのふるさと

HP容量不足のため
倭琴の旅はてなブログにUP


近      況


日付メ    モ
'26.03.22

馬と天皇には密接な関わりがある為、以前、
御牧(勅使牧)へ行ってみたりしてました。
持統天皇の諱(いみな)が菟野讃良皇女(うの
さららひめみこ)で馬に関わる渡来系氏族の
「娑羅羅馬飼造」(さららのうまかひのつくり)
や「菟野馬飼造」(うののうまかひのつくり)等
に養育されたことは有名で、『日本書紀』に
古代「讃良郡」の「うののさと」が出てきます。

菟野讃良は、のちに、古代海人族の歌を宮中に
採り入れた天武天皇の皇后になりますが、広く
知られているように天智天皇は大海人皇子に
4人の娘を嫁がせていて、そのうち大田皇女は
菟野讃良と同じ母(遠智娘)をもつ姉でした。

大田皇女が早世し、天武天皇が686年9月9日に
崩御すると、その子・大津皇子(663-686)の謀反
が翌月2日に発覚し、翌3日には自害(処刑?)。
この事件の背景には天武天皇の皇后で草壁皇
子(662-689)の母たる菟野讃良の意向があった
とされていますが、宮廷内の反感によってか、
草壁皇子は皇位に就くことがないまま早世。

宮廷にはこうした血生臭い話が多くあるため
流刑地へ足を運んだりしてきましたが、先日、
偶然行った松虫姫神社で、そうした闇がどう
捉えられたのかに関するヒントを得ました。

松虫寺の寺伝では松虫姫=不破内親王です。
聖武天皇の皇女に仕立てた才覚には畏れ入り
ます。私は以前、井上内親王を調べていて、妹
の阿倍内親王(孝謙天皇、重祚して称徳天皇)も
元正上皇の御前で「五節舞」を披露したことで
注目してきました。彼女らの妹が不破内親王
で、ここにも血生臭い話があったわけです。

不破内親王は、光仁天皇の皇后・井上内親王の
同母妹で、天武天皇の孫ながら後に臣籍降下し
藤原仲麻呂の乱で殺された塩焼王と婚姻関係
にありました。要するに不破内親王は、実の姉
孝謙上皇方の兵に夫を捕らえられ、殺されたの
です。この事件以前に、彼女は内親王を廃され
たことがあり、父娘関係が良好でなかったとの
見方が有力なのに、なぜ松虫姫の話が生まれ、
私がそこへ行ったのか、不思議でなりません。

'26.03.21

このページはまさしく私自身のメモなので
日々の些細なことまで書いてます。それが
病院の受診時などに経緯を正確に伝えるこ
とに繋がり、今回も最適解の処方をして頂け
たようです。私にとって、抗生物質を飲むと
いうのは勇気の要る賭けです。頂いた薬の
副作用の冒頭にアナフィラキシーの文字が
ありました。アナフィラキシーショックで
2度死にかけた私には言わば最終手段です。

2時間横になると決めて慎重に飲むと、様々
な変化が顕れましたが、吐き気といった症状
も20分ほどで通過してくれ、助かりました。
そして今朝、ずっと半分しか開いてなかった
目が、3分の2程度まで開いていてビックリ。
喘息にならなかったことも不幸中の幸い!?
とはいえ、5日分を飲み切るのが大変です。

こんな年まで何を頑張ってるんだろう(年寄
りの冷や水)? と思いつつ、古代歌謡に取り
組んでいるのは、大学時代に学ぶつもりが、
藝大に教えられる先生が不在で、2006年の
宮中歌会始で当時の宮内庁楽部首席楽長に
お声がけ頂く迄、古代歌謡に着手する手段が
なかった為です。それでももう20年ですか。

家人ともども注目している藤井聡太六冠は、
中学生棋士の頃から「棋士のピークは25歳」と
話されていました。25歳から下降するという
意味ではなく、記憶力・瞬発力・集中力などが
急成長する時期に自身の頂点を見極められ、
その後も力を維持してゆかれるのではないか
と想像しておりますが、高校中退も成長曲線
を下降させないためだったのでしょうか?

…己を振り返ってみると、血気盛んな時期に
師に恵まれず、文字通り五十の手習いとなり
老体に鞭打って古代歌謡を演奏してますが、
五線譜化だけはストレスが溜まりますね。

'26.03.20

PM2.5はあっさりとは解決しませんでした。
今朝、喘息っぽい激しい咳で目覚めました。
先週から飲んでいた抗菌剤で、目の赤み痒み
は軽減していたのですけれど、完全な白目に
は戻らず、まだ潜伏していそう…と警戒して
いたところ、突発性気管支喘息が出たかと!?

目は赤くても歌えますが、喘息が出たらもう
無理…!! 呼吸器内科へ行こうとweb予約を
試みたら祝日で休診!? 休日当番医を検索し
出掛けました。1週間飲んだ最も弱い抗菌剤
を伝えたので、より副作用が強く出る抗菌剤
を処方してくれました。飲むかどうか、迷い
つつ、効能と副作用を熟読して飲みました。

昨日は王将戦第6局の2日目で、午後には藤井
六冠が勝勢となりましたが、永瀬九段が長考
されたため、馬の画像を使用手続きを踏んで
ダウンロードさせて頂く時間ができました。

現在、神楽歌『葦駮ノ歌』の「本歌」は歌われ
ません。「末歌」だけが『其駒』として単独で
歌われる為、「其」が何なのか不思議でした。
それゆえ『葦駮〜其駒』の完全収録が本当に
楽しみなんです。ちゃんと歌えますように!

その駒ぞ や 我に 我にくさ乞ふ 草は取り飼はむ 水は取り 草は取り飼はむや
なぜ↑この歌詞だけを歌えるのでしょうか?

'26.03.19


葦駮・足斑 (あしぶち)


葦毛・芦毛 (あしげ)


あしげぶちのとらげの駒?
 
 神道にせよ仏教にせよ宗教的なものにまるで関心がなかった私は、宮中の御神楽歌(みかぐらうた)の源流たる古代海人族のうたに接したことで古代日本人の考え方に興味を持ちました。日本人にとってのうたは、メロディーではなく歌詞を指す場合が多いこと、そして8世紀には日本の人口の3割以上が渡来系だったことに気づくと同時に、日本古来の"言霊"を冒すことに、日本人も渡来人も消極的だったように感じました。要するに、歌詞を変えることに抵抗があった(或いは不利益を被った?)みたいです。
 古代歌謡の演奏を通して古代日本人の思考の一端に触れるのは楽しく、特に今回、収録のために五線譜化した神楽歌『葦駮ノ歌』の「本歌」の歌詞には驚かされました。なにしろ、今まで曖昧模糊としていた天皇の線引きがハッキリと示されていたのですから(明治以降は天皇ゆえ正視したら目が潰れるなんて迷信まで!?)。

葦駮(あしぶち)の や 森の 森の下なる 若駒率(ゐ)て来(こ) 安志介布知(あしげぶち)の止良介(とらげ)の駒

 「あし-ぶち」(葦駮・足斑)とは、四足とも膝から下が白い馬のことで、初出に「おそき馬はあしぶちなくてあふれども心のみこそ先にたちけれ」とあり、「足斑・葦駮」は足の速い駿馬を指すと認識されていたようです。
 句頭の「あし-ぶち」のあと、「あしげ-ぶち」(葦毛斑)が出てきます。以下は馬の色目についてのデータです。

・鹿毛(かげ) 約50% 茶色い体に黒いたてがみ・尻尾
・栗毛(くりげ) 約25% 明るめの茶色系
・黒鹿毛(くろかげ) 約14% 全身が黒っぽく見える
・芦毛(あしげ) 約7% 年を重ねて白っぽく変化
・白毛(しろげ) 約0.04% 生まれたときから真っ白

 白毛=白馬は約0.04%と稀少ですが、葦毛=芦毛も約7%と少数派。そこに「とらげ」の要素が加わると、これはもう実在が疑われるレベルではないでしょうか?
 犬には見られるけれど、馬には非常に稀な「虎毛=虎斑(とらふ)」。その馬をが召されたと言う歌詞です。
 千年以上前から御神楽の儀では、夕方篝火を焚いてを迎え、神楽歌などでもてなして、夜が明けるとお帰り頂く準備に入ります。『葦駮ノ歌』では、その際にが乗ったのが「葦毛駮虎毛の駒」だと歌います。
 現在、我々は何となくは神社に祭神として常駐しているイメージをもっていますが、古代人は"神迎へ"でをお迎えし、"神送り"でお帰り頂く存在と考えていました。この世に居られる天皇と、高所から降りてこられるの存在についても考えさせられる歌詞です。
'26.03.18

今朝はアーニャのトリミング日なので、
1時間50分睡眠で出かけました。お迎え
に行って演奏修行をしたらフラフラ…。

吉高大桜と松虫姫

'26.03.17

やっと顔や目の痒みから解放されました。
もちろん先週の木曜に眼科で目薬を貰った
からではありません。PM2.5の影響を疑い、
翌金曜に長くお世話になっているN先生に
診察して貰い、頂いたお薬が効きました。

目の周囲や眼球が赤く腫れる原因を作った
瞬間は自覚していました。屋外では運転し
た手で目をこすってはいけないのが常識。
ところが、3/9の月曜日に歯科へ(2/9に抜歯
した奥歯のチェックに)行った帰り、近くの
スーパーに入ってヘルメットを脱いだ途端
目が痒くなり手で擦ってしまったのです。

この瞬間に感染を覚悟。目がゴロゴロして
顔を掻きむしり始めた水曜にアレルギー用
の目薬を買ってきて点眼しても効果なし。
抗菌剤を飲むと少し赤みが引き、痒みが軽減
したので眠れました。そして翌日、眼科へ。
結局、黄砂やPM2.5が飛散する中をバイクで
走り、目をこすった自作自演? 自業自得?


古代歌謡の墨譜を睨み、矛盾と格闘する日々
は拷問のようなもので、何のために終わりの
見えない作業を続けるのか、自問自答をする
一方で、一見、無駄とも思える作業を無償で
行なうことこそが修行なのではないかと。

それでも日々の僅かな息抜きは必要なので、
桜を見に行きたく、候補地を探してました。
さすがに明日は早すぎますが、トリミングに
連れて行った後、足を延ばしてみようかと。



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日付過 去 の メ モ
'26.01.11

古代歌謡収録のために作成した『湯立』の五線譜を書き直して
『磯良』の譜を作りました。神楽歌にせよ、催馬楽にせよ、
日本の古代歌謡は替え歌だったからです。中でも日本最古の
現存音楽と言われる神楽歌は、その源流が奈良朝以前に
宮中に入った志賀の海人の歌にあると言われています。
それで、伊勢神宮や宗像大社沖津宮の御神宝と同じ
五絃のコトで神楽歌を再現したいと思いました。

現在の和琴は六絃です。
ヤマト王権が列島を平定したことでオリジナルの国楽
制定する必要にかられ、六絃のコトが作られました。
現在の『君が代』まで続く国楽「壱越調律旋」は
和琴を「レミソラシレ」の六音で調絃します。

それ以前は、北部九州の海人族がもつ五絃のコトが主流で、
奏法は、波の音を模したとされるアルペジオでした。
アルペジオを掻いてから一音のみ残す奏法は日本独自の
ものですが、五絃のコトで伴奏されていた海人族の歌を
六絃で伴奏するようになって齟齬が生じてしまいました。

六絃ではアルペジオののち「レ」または「シ」を残しますが、
歌のメロディーの基音は「レ」と「ラ」なので、六絃で弾くと
歌の「ラ」とコトの「シ」がモロにぶつかってしまいます。
いわゆる現代音楽では不協和音が問題視されることは
ありませんが、古代歌謡の場合はどうでしょう。
五絃には「シ」が存在せず、アルペジオののち「レ」または
「ラ」を残すため、コトと歌の旋律は完全に合致します。

歌が作られた時代の五絃のコトと、のちに制定された
六絃のコトでは、まるで違う音楽になるんですね…。

'25.08.12

YouTube「伊福部昭室内楽作品」

1.【荻野綾子に献呈】「平安朝の秋に寄する三つの詩」(1933) 2025年2月収録

2.『SUITE JAPONAISE (Piano Suite)』全4曲 (1934/38) 2025年2月収録

3.『ギリヤーク族の古き吟誦歌』全4曲 (1946) ハープ版 2024年11月収録

4.『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』全3曲 (1949) ハープ版 2024年11月収録

5.『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』全3曲 (1955) シントコ版 2024年11月収録

6.【Stefano Kinaiに献呈】「シレトコ半島の漁夫の歌」(1960) 2025年2月収録

7.【Amsterdam Duoに献呈】『二つの性格舞曲』(1955/61) 2024年5月収録

8.【Amsterdam Duoに献呈】『二つの性格舞曲』(1955/61 校訂版) 2025年2月収録

9.【小林武史に献呈】『ヴァイオリンソナタ』(1985/自筆譜) 2024年5月収録

10.【小林武史に献呈】『ヴァイオリンソナタ』(1985/出版譜) 2025年2月収録

11.【藍川由美に献呈】頌詩「オホーツクの海」(1958/88) 2025年2月収録

12.【木村茉莉に献呈】ハープのための「箜篌歌」(1968/1990) 2024年5月収録

13.【藍川由美に献呈】「摩周湖」(1992) ハープ版 2024年5月収録

14.【藍川由美に献呈】「蒼鷺」(2000) 2025年2月収録

'23.07.20

712年の『古事記』(ふることふみ)と720年の『日本書紀』(やまとふみ)は
神話の扱いが異なります。中でも『古事記』にあった和琴にまつわる
神話について、私は和琴の威力いかばかりかと疑いました。
それが、私が古代歌謡の道に入る"きっかけ"でした。

仲哀天皇が筑紫の香椎宮巡幸の折、熊襲を討つための御神託を乞うべく
武内宿禰を審神者(さには)として天皇自らを弾くと
神功皇后が神懸りし、熊襲征伐よりも三韓征伐に行くべきとの御託宣を
伝えるも、仲哀天皇は「偽りを言う神だ」と聞く耳をもちませんでした。
そこで審神者の武内宿禰が、仲哀天皇に今一度、を弾くよう
進言すると、しぶしぶ弾き始めたものの、ほどなく音が絶えました。
すぐに火を掲げて見ると、仲哀天皇は崩御していたとのことです。

この神話からは、ヤマト王権が和琴を重視していたことが伝わります。
12世紀には後白河法皇が編纂したとされる『梁塵秘抄 口伝集』に
和琴は和国の器にして、日本の音曲の頭としるべし」とあります。
その真意は『古事記』の和琴神話を紐解くことで得られるでしょうか。

大国主が須佐之男の娘・須勢理毘売と根の堅州国から遁げ出す際、
スサノヲの宝物たる太刀、弓矢、を持ったのはなぜなのか?
伊福部氏が大国主の家系であるだけに、深意を探りたくなります。
伊福部昭先生が雅楽で最も古い歴史を持つ御神楽歌や伴奏楽器の
和琴に興味を示されたこととも重なるはずです。

和琴(やまとこと)は御琴(みこと)とも呼ばれていました。
いわゆる里神楽を「御()神楽」と呼ぶのに対し、宮中では「御()神楽」、
市販されている「御()」に対し、宮中の和琴は「御()」。
すると、御託宣の「詔(みことのり)」は、御琴(みこと)宣(のり)?

'21.07.27


CD「エッケルトの仕事」
 7/26より『日独交流160年展』が始まりました。
 ドイツ連邦共和国大使館による『日独交流160年展』からフランツ・エッケルトに関する原稿依頼があり、執筆させていただきました。かつてRNB南海放送が《君が代》の取材でドイツ在住のエッケルトの遺族を訪ねた際、「父は日本の国歌を作曲した」と言われ、ドイツではそれが疑問視されていなかったと耳にしていたためです。
 なぜそのような誤解が生じたのかというと、大日本帝國海軍が各条約国に送付した「大日本禮式」(National hymn)の表紙に「composed on an OLD JAPANESE AIR by F.ECKERT」と記載されていたからです。
 実際には明治13年に宮内省が楽師に募集したメロディーの審査に関わったエッケルトが当選作を吹奏楽曲として編曲したわけですが、作曲したと誤解されているのなら訂正しておきたいと考えました。


Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分 →youtube.com