| アコの部屋
容量不足により「ピピ(2007-2015)日記」は削除しました
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| 日付 | メ モ | ||
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| '25.11.11 |
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| '25.11.10 |
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| '25.11.09 |
やっと5時間眠れました〜!! やはり眠ると 肌の調子が良くなりますね(8/21にアトピー 性皮膚炎を発症して80日でやっと快方に?)。 肌のターンオーバーの周期は28日が目安です が、加齢により60代は100日以上かかるとか!? 「葛(かづら)」の歌詞表記は、「Qa-Du-dLa」に なりました。ここにきて山田耕筰のローマ字 表記が役に立つとは想像してませんでした。 日本語を母国語とする方はもちろん、日本語を 話す外国の方も、日本語のラ行音を「R」や「L」 で表記することには違和感があるはずです。 大正時代から昭和初期にかけて自作の歌曲の 歌詞をローマ字表記しようとした山田耕筰は、 例えば、「が=ga」を鼻濁音にする際、語頭に「n」 をつけて「nga」と表記するなど工夫を凝らして いました。そして、最も引っ掛かるラ行の発音 を、舌が上の歯茎の裏側につく点を「d」で示し、 巻き舌にならないよう「L」を選択しています。 40年以上のお付き合いとなるエンジニア氏は 疑問点があると録音中でも質問してくるため、 不透明な箇所をクリアにしておかないと時間 が押す恐れがあります。11月下旬ともなると 日没時刻が早く、山の中はとても暗いので…。 | ||
| '25.11.08 |
すみません、いつもながら言葉が足りなくて いったい何を言いたいのかわかりませんね。 古代歌謡は基本的にパーツの組合わせゆえ、 今後の研究のためにも演奏テンポと無関係 に尺を揃えて記譜したかったのですが、譜と 実際の演奏の誤差があり過ぎて同じ寸法で 書くことが不可能とわかり、曲ごとの整合性 のみを追究するに留まったこと、残念です。 とはいえ現行の楽譜や演奏法はあくまでも 「明治撰定譜」であり、往古の伝統に則してい るとは言い切れません。それに、私が追究し ているのは「琴歌」の弾き歌いなので、今まで 教えて頂いた「明治撰定譜」をもとに、源流を 辿るほかないのです。そう考えると、墨譜で 歌う私には五線譜なんて必要ない訳ですが、 収録となりますと、エンジニア氏は全体像を 把握した上で、録音位置や音質を決め、曲の 細部にわたって、音が抜けてないか、歌詞を 間違えてないか等チェックする必要がある ため、墨譜を五線譜に書き移しています。 いったん着手すると、あれもこれも気になる 性格なので、1ヶ月近くにわたり書き損じた 五線紙が山を成し、やっと昨日完成したかに 思えましたが? 歌詞を書き込むにあたり 上代日本語と現在の日本語の表記・発音の 違いは承知していたので、100%正確とは言え ませんが、古代歌謡で「いふ」と歌う「言う」を 「I-Hu」、「水」を「Mi-Du」、「葛」を「Kwa-Du-Ra」 と表記しました。藤山一郎は昭和の歌謡曲 で「お菓子」を「O-Kwa-Shi」と歌いましたが、 「か」=「Kwa」はいかにも仰々しく感じます。 「か」は「Qa」の方が近いのではないか? との 視点で改めて細部を見直して、清書します。 | ||
| '25.11.07 |
昨日は起床後すぐの鼻血から始まって、過去の メモを見たら前回出たのが10/28の朝でした。 10日しか間隔が空いてないのは危ない感じが しますが、共通点は10/26の演奏修行後に帰京 した翌朝と、11/5に演奏修行した翌朝なので、 本人的には瀉血した程度に受け取ってます。 完全に血が止まるまで小1時間安静にした後、 家事労働以外の時間を全て墨譜から五線譜へ 移し替える際の記譜の整理に費やしました。 古代歌謡はある程度定まったパーツ(リズムと メロディー)の組合わせで構成されています。 それゆえ、神楽歌にも催馬楽にも替え歌でき、 歌詞に合わせて、曲の長さも変えられます。 平安時代に大流行した和歌披講もいくつかの 定まったフシにのせて歌われますが、それが 可能なのは、歌=歌詞が七五調だからです。 その上、字余り・字足らずの歌への対処方法 まで決まっていました。実に合理的です。 そんな日本最古の歌謡に倣い、伊福部先生は ご自身が作曲したパーツで作品を組み立てる 方法を試しておられました。それゆえ、音楽 の秒数が決まってから、パーツ毎に作曲して ゆく劇伴などはお手の物だったはずです。 さて、古代歌謡の記譜法ですが、曲ごとに速さ が違う場合、墨譜の音型が同じでも、4分音符 や2分音符で書き分けても良いし、ユリ(揺り) も、テンポ次第で五連符で歌ったり六連符や 七連符で歌ったりするのが自然ではないかと 布瀬貝塚で演奏修行した11/5に感じました。 弾き歌いが主だった頃は自由自在ですよね? それで、各曲とも作品内での整合性のみ重視 し、テンポが違う作品とは装飾音の数が合致 しなくても問題としない方針で、全曲を書き 直しました。終わったのが今朝7時!? 既に メモを書く気力もなく、2時間爆睡しました。 起床後もまた歌ってみたので、これをコピー 製本すれば、睡眠をとれるようになるかも? | ||
| '25.11.05 |
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| '25.11.04 |
とんでもないことでした。仕上がったかと 思いきや、寝入って直ぐ、記譜法が浮かんで 修正を始めました。←寝ながら考えてた? いったんお昼過ぎにコピーし、歌詞や琴の 手を書き込んで演奏すると更なる問題が!? 1日に2回コピーに行き製本したのにボツ。 伊福部先生が仰っていた通り、日本の音楽を 完璧に五線譜に書き写すのは無理でした。 「このように書かれたら、いかがでしょう?」 と安直に進言していた私には己の愚かさを 思い知る為にも徹底的に記譜法を模索する 必要があります。先生が帰幽されて来年2月 で20年、今なお課題と向き合えて幸せです。 レッスンはまだ続いているのです。先生は 洋の東西の違いを、こう説明されました。 例えばフルートの内部を見ると凹凸がなく 息を吹き込むとスムーズに音が出ますが、 日本の龍笛は元々絶対的な音階で作られて いない上、管の中に鉛を入れたり、漆を塗り 重ねたりしてわざと凸凹をつくっている。 楽器の発声器官がまるで違う所に美意識の 違いがある。ならば、声帯という発声器官 でも日本的な特徴を出す必要があります。 こうして今もなお先生とキャッチボールが できること、遥か昔の日本語や古代歌謡を 模索しつつ生きられる幸せを感じてます。 | ||
| '25.11.03 |
「来年のおせちどうなってるの?」と突然 (結婚して初めて)家人に訊かれました!? そもそも「おせちは要らない」「毎日普通の 温かい料理を食べたい」と言ってたのに? ただ、お正月らしさは味わえた方が良い ということで、和久傳の一番小さな春肴 と、からすみ餅だけは買うよう言われて ました。でもメールが未だ届いてない。 「迷惑メールに振り分けられてるかも?」 と言われ、慌てて探したら買えました!! 当たり前ですが、27万と19万のおせちは 到底買えませんし、毎年即完売です!? 我々には1万円の春肴で十分なんです。 小さな函ですが、蓋が絵馬になっていて お正月気分を味わえます。蓋の干支は 和久傳のスタッフの手書きなんです。 入社すると書道や茶道・華道を学べて 毎年お正月に向けて忙しくなるけれど 楽しい!! と仰ってました。羨ましい。
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| 日付 | 過 去 の メ モ | ||
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| '25.08.12 |
YouTube「伊福部昭室内楽作品」
1.【荻野綾子に献呈】「平安朝の秋に寄する三つの詩」(1933) 2025年2月収録 2.『SUITE JAPONAISE (Piano Suite)』全4曲 (1934/38) 2025年2月収録 3.『ギリヤーク族の古き吟誦歌』全4曲 (1946) ハープ版 2024年11月収録 4.『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』全3曲 (1949) ハープ版 2024年11月収録 5.『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』全3曲 (1955) シントコ版 2024年11月収録 6.【Stefano Kinaiに献呈】「シレトコ半島の漁夫の歌」(1960) 2025年2月収録 7.【Amsterdam Duoに献呈】『二つの性格舞曲』(1955/61) 2024年5月収録 8.【Amsterdam Duoに献呈】『二つの性格舞曲』(1955/61 校訂版) 2025年2月収録 9.【小林武史に献呈】『ヴァイオリンソナタ』(1985/自筆譜) 2024年5月収録 10.【小林武史に献呈】『ヴァイオリンソナタ』(1985/出版譜) 2025年2月収録 11.【藍川由美に献呈】頌詩「オホーツクの海」(1958/88) 2025年2月収録 12.【木村茉莉に献呈】ハープのための「箜篌歌」(1968/1990) 2024年5月収録 13.【藍川由美に献呈】「摩周湖」(1992) ハープ版 2024年5月収録 14.【藍川由美に献呈】「蒼鷺」(2000) 2025年2月収録 | ||
| '23.07.20 |
『古事記』(ふることふみ/712)と『日本書紀』(やまとふみ/720)では 神話の扱いが異なりますが、『古事記』にあった和琴にまつわる神話は 私が和琴の威力いかばかりかと疑ったことで、古代歌謡の道に 入る"きっかけ"となりました。 仲哀天皇が筑紫の香椎宮巡幸の折り、熊襲を討つための御神託を 乞うべく、武内宿禰を審神者(さには)として天皇自ら琴を弾くと、 神功皇后が神懸りして熊襲征伐よりも三韓征伐に行くべきとの 御託宣を仲哀天皇に伝えました。 が、仲哀天皇は「偽りを言う神だ」と聞く耳をもちませんでした。 そこで審神者の武内宿禰が、仲哀天皇に今一度、琴を弾くよう 進言すると、しぶしぶ弾き始めたものの、ほどなく音が絶えました。 すぐに火を掲げて見ると、仲哀天皇は崩御していたとの神話です。 この神話は、ヤマト王権が和琴を重視していたことを伝えています。 12世紀には後白河法皇が編纂したとされる『梁塵秘抄 口伝集』に 「和琴は和国の器にして、日本の音曲の頭としるべし」とあります。 その真意は『古事記』の和琴神話を紐解くことで得られるでしょう。 大国主が須佐之男の娘・須勢理毘売と根の堅州国から遁げ出す際、 スサノヲの宝物たる太刀、弓矢、琴を持ったのはなぜなのか? 伊福部氏が大国主の家系であるだけに、深意を探りたくなります。 伊福部昭先生が雅楽で最も古い歴史を持つ御神楽歌や伴奏楽器の 和琴に興味を示されたこととも無関係ではないでしょう。 なお、和琴(やまとこと)は御琴(みこと)とも呼ばれていました。 宮中と一般では「御」の読み方(もちろん内容も!!)が違います。 「御(お)神楽」に対し、宮中は「御(み)神楽」、「御(お)琴」は「御(み)琴」。 御託宣の「詔(みことのり)」は、御琴(みこと)宣(のり)かと。 | ||
| '21.07.27 |
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Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分 →youtube.com |
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