Topページへ
アコの部屋
容量の関係で「アコ(2003-2017)の部屋」は縮小しました。
容量不足により「ピピ(2007-2015)日記」は削除しました。



やまとうたのふるさと


HP容量不足のため旅の記録
YAHOO! ブログにUPしています
画像を↓クリックして下さい


↑愛車TYPHOON!!
言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国のうた in さぬき
無伴奏の「和歌披講」& 足踏みオルガンで歌う「唱歌」と「童謡」
不定期開催・参加費無料・駐車場なし (場所・日程等のお問い合わせはトップページの「Contact Us」よりどうぞ)

近      況
日付メ   モ
'17.07.18

7月4日に行った裂田溝(さくたのうなで)をブログにUPしました。
本当は7月21日か22日に再訪したかったのですが、無理だとわかったので遅れ馳せながら。

書いている途中にクール便が届きました。え?! 2箱も?

そう言えば、11日に着信があったのに、アコのことがあって失念していました。
毎年「家族が食べる前にイの一番に」と初物をお送り下さるので、いつも恐縮しています。
シーズンに何度か頂きますが、今回は「あかつき」。たしか「花嫁さん」という品種も頂いてますよね?
桃は繊細で大好きです。が…!? クール便で届いているので冷蔵庫に入らないとなると大変です。
明日から旅なので、1箱はご近所さんに、もう1箱はコンポートにすることに。
有機の白ワインが冷蔵庫に入っていました。新鮮な果物に申し訳ないけれど、これと羅漢果で。
先に届いていればブログを書いている場合ではないと気づけたのですけれど…。

'17.07.18
 この博多古圖は弘安年間(1278-87)に描かれたものを文明年間(1469-1486)に筆写し、明治に住吉神社へ絵馬として奉納されたものです。
 赤が「東」なので200度くらい回して見る必要がありますが、青で囲んだ今の「住吉神社」の北、博多の街の大半が海だったことは一目瞭然です。
 現在大濠公園のある(地図の右手の)「草香江」や、「天橋立」に似た中央の「冷泉津」は海人族が好んだ地形です。
 古代からあった場所に座って演奏するため、丸々二日間、博多や遠賀川の古地図を眺めていました。
'17.07.17
 思い出すと意識が飛んでしまいそうになることってありますよね…。
 そういう時には頭を一杯にしておくに限る。何の役にも立たなさそうな、つまらないことを考えて。

 いま話題の宗像大社。国宝となった何万点もの収蔵品って、どうやって入手したんでしょうね?
 ああ…ダメだ、誰もハッキリとは言わないだろうけど言わずもがな。

 じゃあ、宗像三神って、いったいどこからやって来たんでしょう?
 これを九州での修行に加味しましょうかね。作り話なので結論がないため。

 宗像大社の社伝には、宗像から湍津姫命が宇佐へ、市杵島姫命が厳島へ遷座したとあります。
 ところが、宇佐氏の伝承によれば、三女神は宇佐から厳島へ遷座したのち宗像へ遷座したのだとか。
 宇佐神宮の姫神が降臨したという御許山山頂の奥宮大元神社へも行きましたが?

 勿論ここだけじゃなく、宗像三神の降りた場所はまだ幾つもあります。
 最も古い文献は『日本書紀』で、鞍手の六ヶ岳に降臨ということでしたよね。
 「二女神社」の扁額のある安心院三女(サンミョウ)神社は『日本書紀』の「日神が生みませる
 三女神が天降りした宇佐嶋」を宇佐郡安心院邑の三柱山としていますし。妻垣神社英彦山も…。
 民族と祭神の移動が九州王朝を考えるヒントになるかもしれないと思い、調べていました。

 この暑さの中、登山もするつもりです。やけっぱちになっているわけではありませんので御心配なく。
 あの世かこの世かわかりませんが、アコに再会できた時、成長のあとが見えなかったら不細工なので。
 誰か(ツバメ?)の助けになれるよう自己鍛錬にいそしみます。
 

トップページへ


日付過 去 の メ モ
'17.05.01
 古代歌謡を歌う時、私は江戸時代の国学者富士谷御杖(1768-1823)の言を拠り所としています。
 これまで何度か書いてきた『北邊随筆』(1819)初編三「音の存亡」中の一節です。

 いにしへ、神楽、催馬楽などをうたふが如くに、こひ(恋)は子火と聞えてこゐとはいはず、
 あふ安婦ときこえておうとはきこえざるべし。


 国語の授業では和泉式部の和歌「今ひとたびの逢ふこともがな」を「おうこともがな」と習いました。
 が、戦後詠まれた和歌ではないので、「あふ」と発音した方がよいのではないでしょうか?

 また『万葉集』の最後を飾る「今日ふる雪の」は「けふふるゆきの」ですから指を7つ折ります。
 現代かなづかいで「きょう」と書いた場合、指は幾つ折ればよいのでしょうか?
 読むだけならともかく、和歌披講では1音に1フレーズがあてられるため曖昧なままでは歌えません。

 『古事記』に関しても、私は富士谷御杖の日本神話のとらえ方に興味を持っています。
 琴曲にも秀でた富士谷御杖は、古代人の心を言霊(ことだま)の霊妙な力によって様々な説話として
 表現したものが『古事記』であると考えていました。
 それゆえ『古事記』の内容を事実としてとらえる本居宣長の解釈を不合理だと批判しました。

 ただ、世に種々の学説があり、時代ごとに国語が変化したとしても、記紀歌謡の歌詞は変わりません。
 万葉仮名で書かれた歌詞を現代かなづかいに変えて歌う必要がないのと同じく、現代かなづかいの
 発音をイメージして書かれた歌詞をわざわざ古代の発音で歌う必要もありません。

 催馬楽を習い始めた頃、私は平安時代のサ行が「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」だったとの実感が乏しく、
 「さきむだち」を「シャきんだち」と発音することに驚きましたが、次第に各時代の言葉に寄り添って
 そこから発音を導き出すことで楽に自然な発音で歌えるようになるのだと腑に落ちました。
 
'17.01.15
 二十歳から現代音楽を演奏していた私は作曲家は演奏されるために曲を書くのだと思っていました。
 ところが、伊福部先生に御指導を仰ぐと実に驚くべき言葉が返ってきたのです。

 「いやぁ…誰かに演奏されるなんてことは微塵も考えずに作曲したものですから…」
 「ここをこうしてほしいという希望はありません。釣り針の見える音楽ほど下品なものはないので」
 「下手に演奏されるくらいなら演奏されない方がずっといい」 等々(…ひたすら畏まり絶句!?)

 また、先生はレッスンのマクラに、お茶を飲みながら示唆に富んだ逸話を聞かせて下さいました。
 最も印象に残っているのが舞踊家 石井漠さん(作曲家 石井眞木さんのお父上)のお話です。

 「地方公演へ行くと駅でよく見ず知らずの人に『先生、先生』と大袈裟に声をかけられたそうです。
 すると漠さんは、ここにも幽霊弟子が居たなとピンと来て、調子を合わせてあげると言うんですね」
 「私は嫌です、そういうの。はっきり『誰なんだ君は』と仰れば良いのに」
 「そこが人間の幅というか思いやりと言うか、その人にも生活があるでしょ? 石井漠の弟子としての」
 「でも嘘をついてるわけですから」
 「ま、そこが私などにも難しいわけで、漠さんは立派なもんだと思いましたねぇ」

 このお話を何十回聞かせて頂いたことか…と思ったら、先生が帰幽されたとたん幽霊弟子が!?
 そして、突然、たくさんのコンサートが企画され、CDが量産されました。
 伊福部先生は「皆さんにも生活というものがあるから」と仰せかしら?
 
'16.03.25
 木下忠司先生の百壽記念として前代未聞の素晴らしい企画が発表されました。
 東京国立近代美術館フィルムセンターにおける「木下忠司の映画音楽」!!
 フィルムセンターでは映画監督の特集は行なわれていますが、作曲家を特集したことはなかったのではないでしょうか? それが4月5日〜6月12日という長期間、基本的に作曲家ご自身が480本をこえる映画作品から選ばれた60プログラムという贅沢さ。この機会に私も未だ拝見していない作品を観ます(父が生きていたら毎日通ったことでしょう…)。
 ともかく4月9日に木下忠司先生がお元気に百歳を迎えて下さることを心より願い、お目にかからせて頂けることを楽しみにしています。フィルムセンターのHPにも書かれておりますように「僕は作曲家じゃなく、映画音楽家なんだよ」と仰る先生は、ご自身でアニメ作品をプロデュースされ、ミラノ国際映画祭でグランプリに輝いたほどの映画人でいらっしゃいます。映画上映という形で百壽をお祝いする機会に同席させて頂けることは謦咳に接してきた私共にとって最上の喜びです。フィルムセンターや関係者の皆様に感謝申し上げるばかりです。
 また、4月9日(土)には(まだ詳細は発表されていませんが)NHK-FMでも木下忠司作品が放送されます。放送時間は21-22時ではないかと思います。
'16.02.12
 日本は戦争には敗けたかもしれないけれど、文化では敗けていない。
 日本古来の美感を通過させていない音楽は真のインターナショナルには到達し得ない


 伊福部昭先生は、二十代の私に、こう御指導くださいました。
 ただし藝大的優等生の私にはチンプンカンプン…。江戸期の邦楽すら理解できていなかったので。
 伊福部先生に「日本的な歌い方を教えて下さい」とお願いしても「日本人ならわかる」の一点張り。
 自力で幼少から受けてきた音楽教育のキミョウキテレツさを自覚せよということだったのでしょう。

 三善晃先生は、「明治以降の歌にあなたが一生をかけてやるような音楽はないよ」と仰いました。
 時代の中で突出している作曲家には古代の音楽の姿、近代の音楽の姿が見えていたのでしょう。

 作曲家ならずとも谷川雁さんほどの思想家になると古今東西の文学や音楽に通じておられました。

【2017.1.16.追記】
 1994年2月25日、『白いうた 青いうた』コンサートの帰り途、暗い上野公園を歩きながら雁さんは
 「日本のうたをどう思う?」と言われました。
 「近代の、明治以降に五線譜で作曲された歌に関しては暗いものが多いと思います」
 「ほう、どんな風に?」
 「歌い手として感じるのは、結婚式で演奏を頼まれても忌言葉が多くて歌える曲がほとんど無い」
 「なら『梁塵秘抄』をどう思う?」
 「それを歌いたくて藝大に入ってから教えてくれる人を探しまわりましたが居ないんです」

 と、全く手も足も出ませんでしたが、2006年の宮中歌会始に招かれ首席楽長と出会えました。
 今ならちゃんと答えられます。
 「古代歌謡には言霊を大切にしたハレの歌が多いと思います」
 人は、その時その時の自分のレベルでしか物事を見られないし語れないんですねぇ…。
 幾つもの得難い御縁を頂いて古代歌謡の師を探し求めた二十歳の私を取り戻せました。
 
'16.02.03
 昨日なぜか突然前向きな気持ちになり、書かないと言い続けた本を書こうと決心しました。
 いえ、決心しても書けるとは限りません。なにしろ大き過ぎるテーマなのですから。

 「編年体コンサート」で「♪紀元は二千六百年〜」と歌った通り、天皇家の歴史は今年で2676年
 これに対し、縄文時代は約1万3000年の歴史をもつとされています。
 そんな縄文時代から日本列島に住んでいた海人族の船が約5300年前の遺跡から出土しました。
 シベリアとの交易の痕跡も認められた縄文人の「海の文化」の歴史は約1万年と推察されています。

 世界から注目を浴びた縄文土器でもわかるように縄文文化は決して粗野なものではありません。
 現代まで続く日本人の繊細な感性に裏打ちされた仕事ぶりは、その出土品からも窺われます。
 日本固有のコトも縄文遺跡の出土品の一つで、板に装飾が施されていました。

 ここまで書いて、ふと、多くの日本人が江戸時代にできた俗箏(おこと)を日本の楽器だと思い込みかねない教育を受けていることに気づく(教育レベル低すぎ。フェルマータを長く延ばさせないで下さい)。
 蛇足ながら、おことは雅楽で使われる大陸渡来の
楽箏を一般向けの俗箏として実用化したもの。

 日本固有のコトは、紀元前後、日本に百余りの小国があったことから弦の本数が異なっていました。
 それを6本に統一したのは、日本に律令制度を導入しようとしたヤマト王権です。
 統一国家を目指すヤマト王権は、縄文時代からあったコトを「天皇の楽器」と決めました。
 そして、日本列島にあった国々の国主たちが伝承してきた歌を舎人や采女に献上させたのです。
 それらは宮中で保護されたために一般民衆が接する機会はほとんどありませんでした。
 言い換えれば、天皇家の保護により楽器や楽譜が現代まで形を変えずに残ったのかもしれません。

 この世界最古の現存音楽を演奏し、書き残すことが私の最後の仕事なのだろうと思います。
 まだまだ研究が足りませんし、演奏の腕も磨かなくてはなりません。
 足腰を鍛えるためにも、時間を見つけて山へ登り、演奏することを続けたいと思います。
 


Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分