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アコの部屋
容量の関係で「アコの部屋」は縮小しました。
容量不足により「ピピ(2007-2015)日記」は削除しました。



やまとうたのふるさと


HP容量不足のため旅の記録
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言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国のうた in さぬき
無伴奏の「和歌披講」& 足踏みオルガンで歌う「唱歌」と「童謡」
不定期開催・参加費無料・駐車場なし (場所・日程等のお問い合わせはトップページの「Contact Us」よりどうぞ)

近      況
日付メ   モ
'17.05.27
 これは美味しい!!
 私が理想とするコーヒーゼリーができました。
 @無糖
 Aふわふわトロットロ
 硬いゼリーが苦手なので、ムーミンのタンブラーに約300ccのお湯で淹れたら、まさしくふわふわトロットロのコーヒーゼリーができ上がりました!! これはスゴイ、早速今シーズン分購入しよう。
 零時過ぎに帰宅した家人もこれまで食べたことがないくらい美味しい!! とのことで大量購入決定。
 業界初とのことですが、これは大ヒット商品になるのではないでしょうか。
 でも大々的に宣伝していないし、いつも同じページしか見ていない私など全く気づきませんでした。よくぞ見つけて下さいました。ありがとう!
'17.05.26
 これから二度目の根管治療に行きます。かなり不安ですが、アレルギールはバッグに入れました。
 今日は家人がTVなので大学から日本橋のマンションへ行って着替えたいと申します。
 一日汗をかいた服でもFMなら見えませんが、TVなので、スーツとシャツを届けることにしました。
 まるで主婦のようです!?

 まるで…ではなく、まるっきし主婦でした。讃岐弁ならまんでがん主婦?!
 マンションに行ってスーツをかけて一瞬たりとも座ることなく買い物をして帰宅。
 日本橋らしく魚久の西京漬豆源郷のごま豆腐などを買いました。
 ところが帰宅したらからのクール便の不在票が!? きっとさわらの味噌漬だ…。
 つい先日スーパーでさわらの真子を入手したのでそろそろかな? と期待していたのでした。
 それがよりにもよって魚久の西京漬とバッティングするとは…!!
 そもそも、冷凍の魚の味噌漬と朝獲れた魚をすぐに下ろして漬けた味噌漬では勝負になりません。
 しかも魚久の西京漬は砂糖入り…!? 江戸っ子は糀の甘さだけでは満足できないんでしょうか?

 クール便をクロネコの営業所まで取りにゆかなくてはと思っていたら佐川急便でコーヒーゼリーが!?
 いつも旅に持参するドリップコーヒーを飲んだ友人が、私が無農薬コーヒーを取り寄せているお店で
 新商品を見つけて送ってくれたようです。このところ徳島、徳島って言ってるからかな?
 讃岐のコーヒー屋さんが作ったドリップで淹れるコーヒーならぬ、ドリップで淹れるコーヒーゼリー。
 早速淹れてみました。クロネコまで行くついでに生クリームを買ってきて食後のデザートにしよう!!
 というわけで今日もバイクで走りまわりました。あ、今のところアレルギー症状は出ていません。
 
'17.05.25
 1Fの一番子も孵っていました!! さっき玄関を見たら親がエサを持ってきて一斉に鳴いてました。
 ん? すでにビ〜ビ〜鳴けるほど大きくなってた?! 私が気づいたのは昨夜だったのに。
 子ピピが定位置にいなかったのでバイクのライトで照らすとメスと一緒に巣にとまっていました。
 それでヒナが孵ったらしいと気づいたのですが、頭が黒かったので数日前に生まれてたんですね。

 私の方は相変わらず地図と向き合う生活ですが、だんだんと県単位の頭が薄れてきました。
 5/12に王子神社めぐりをしていた時、運転手さんが「あれが童学寺です」と教えて下さいました。
 空海が7歳から15歳くらいまで勉学に励んだとされているお寺です。
 ところが、「香川県の善通寺から徳島県の石井までは遠いから有り得ない」と書く人もおられます。
 空海が畿内(母方の実家)で誕生した説もあるのに「この程度の距離で?」と可笑しくなりますが。
 それだけ現代人が自分が生まれた時代の感覚でものごとを判断しがちということになりましょうか。
 現在の交通網にとらわれがちな私も、船以外は徒歩という時代の常識がよくわかりません。
 それでも先日の徳島の山越えで、たとえ学僧でも学問より歩く力の方が大事なんだと感じました。

 超人的な脚力があったからこそ空海も長安まで辿り着けたわけです。学問はその先にあるもの。
 空海の足跡が全国に及んでいることを否定するよりも、その理由を考えた方が面白いでしょう。
 「四国八十八ヶ所」はその全てが空海絡みではありませんし退転した寺も幾つもあります。
 また「四国八十八ヶ所」には「奥の院」があり、空海が設定した「奥の院」は示唆に富んでいます。
 最近は人集めのためか、「新奥の院」が作られたりして訳が判らなくなってきていますが。
 空海の時代とは違う「四国八十八ヶ所」ですが、空海開基の寺社へは行ってみたいと思います。

 幕藩体制だ、領地だ…と言っても、しょっちゅう変わっていて全てを頭に入れるのは不可能です。
 たとえば小豆島には津山藩の飛地がありました。あの、岡山県北部の!?
 香川県として見ても、
 ●1873年2月20日、名東県(後の徳島県)に編入。
 ●1875年9月5日に香川県(1875年9月5日〜1876年8月20日)として分離。
 ●1876年8月21日、愛媛県に編入。
 ●1888年12月3日に香川県が復活。
 もう県民性とかいうこと自体がナンセンス…?! まだまだ歩いて勉強せねば!!
 
'17.05.24
 鼻が通りました! 昨日、アレルギー症状なんだからアレルギールを飲めばよいのでは? と気づき。
 2回飲んで零時過ぎに歌おうとしたら、コトの音がよく響いていて耳が聞こえてるとわかりました。
 耳が聞こえないと声のコントロールが適切にできないため、ようやく一安心です。
 明け方3回目を飲み、起床後はすっかり良くなった感じでしたが、外出したら鼻がつまり始めました。
 それにしても効きます。あまり薬を飲みたくない私は喘息が止まった時点でやめてしまいましたが。

 今回の経験で10年前の初めてのアレルギー喘息のことがよくわかりました。
 だいたい病院へ行って薬を1種類だけ出されることは稀です。
 2007年の暮れ、大掃除をしてアレルギー喘息を発症した時、うがい薬の他に飲み薬が4種類。
 結局、沢山薬を飲んでも全く改善されず、1ヶ月以上喘息の発作が続き、激しい咳で声帯断裂!!
 さらに1ヶ月は喋らないよう言われ、あまりにも症状が酷かったため数ヶ所で診察を受けました。
 でも声帯の周囲にネバネバと絡みつく物質(汚い話ですみません!!)の発生をとめられなかったのです。
 なかなか音程もとれない状態ながら(合唱団のスケジュールもあり)3月にレコーディングを決行。
 歌う声はまだしもMCの声が擦れ、ベストコンディションでなかったことを申し訳なく思っています。
 ただ、主役は子どもたち! この一点だけで頑張れました。

 このアレルギー喘息の時、日々刻々モクモクと湧いてきて声帯を雁字搦めにしたネバネバの物体。
 これと同じ症状が今回鼻の中で展開されていたのです。気づいたのが昨日では遅すぎましたが。
 それでも、アレルギー喘息が一日3回のアレルギールで止まったお蔭で声帯は無傷でした。
 そこで薬をやめてしまったため鼻にモクモクが出てしまいましたが、それも3回でよくなっています。
 今後は旅にも必ずアレルギールを持参するようにします。

 もう一つ私に必要なものが発酵食品だとわかりました。胃腸薬よりずっと効きます。
 四国では納豆を食べる習慣がなかったので本当に勿体ないことをしたなぁ…と思います。
 今は凄く美味しいです! 「こんなに沢山料理を作らなくても納豆さえあれば人間は何とかなるよ」
 という家人の言葉が正しかったんですねぇ…。ごめんなさい(でも毎日同じものは食べたくない?!)。
 それでぬか漬けを再開したわけですが、先日は旅の前にニンニクと鷹の爪を入れたらもちました。
 益々風味が増したヌカ床に毎日数種類の野菜を漬けているため家人も大満足の様子。
 プロの料理人が市販の添加物を使った漬け物を出す気持ちがわかりません。
 せっかく作った料理が台無しにならないよう、先人の手間をかけない知恵に学んでいます。
 何でもかんでも同じヌカ床に入れ、各々の野菜の持ち味で全く違う食感に仕上がるって凄すぎる!!
 
'17.05.23
 徳島県は(香川県に比べて)広いし、山が高いし、奥が深いですねぇ…。
 最初、忌部の本拠地なので神楽歌に関係ないと思い込んでいて、後回しにしていました。
 無知は恐ろしいです。忌部族が渡来して阿波に入る以前は海人族のクニだったというのに…。
 上っ面の情報に踊らされて、まるで忌部氏が建国したかのようなイメージを持っていました。

 「なか」(長・那賀・仲・那珂etc.)が重要であることは知っていたのに覆われて見えづらかった?
 実際に足を運べば、山奥の林業にしたって川さえあれば木を運べるし、船の生活が見えてきます。
 海岸線にしても縄文海進などを参考にしてはいますが、実際に地形を見た方がピンときます。
 5月は特に緑がきれいな時期なので自然の美しさと山の魅力を堪能できました。

 それにしても空海開基の寺社って本当に険しいところばかりですよね…。歩き遍路は大変です。
 しかも人は水が無ければ生きてゆけないため、必ずといっていいほど瀧があります。
 山岳地帯には、空海が来たけれど水源がないため巡礼に向かないと諦めたという場所もありました。
 香川県に居た時には満濃池のように空海の智慧の恩恵で成り立っている暮らしを実感できました。
 古代歌謡を探究する旅も何となく空海の偉大さに触れる機会が多くなっています。特に徳島!
 九州の朝倉行きを延ばしに延ばしていますが、まずは徳島の海人族の拠点を見てまわります。
 やっと全行程を決めたので、M先生のスケジュールと合わないようであれば自力で周るつもりです。

 しかしその前に恐怖の根管治療が!? ノンラテックスなら絶対に大丈夫なのか…不安です。
 こちらの歯科医院のページに保険診療でラバーダムシートが使われない理由が書かれていました。
 私が行なっているのは保険がきかない自費診療なのでノンラテックス製も用意されていたとか?!
 電話をしたらあっさりそう言われましたが、なら最初から使って下さいませ(伏してお願い!!)。
 
'17.05.22
 鼻づまりが治らないので(どんな漢方薬が効くのかなぁ?)、話し声が今一つながら元気は余ってます。
 友人や親族に花粉症の人が多いので参考になればと症状を結構詳しく書いてしまいました。
 口腔アレルギーに関しては、幼少から喉がイガイガするものは食べてはいけないと言われていたので
 発症したことはありませんでした。今回のゴム(ラテックス)はとんだ伏兵でした。
 ゴム手袋でも発症する人が居るというのに、口の中にバサバサ粉が落ちてくるんですから!?

 今までラテックス・アレルギーに気づかなかったのは絹の粉を使ったゴム手袋を選んでいたためです。
 メロンなど喉がイガイガするものを食べないようにしてきたことも功を奏しました。
 ヨーロッパで「声楽家はメロンとチョコレートを食べてはいけない」と言われるのも同じ理由でしょう。

 こうやって注意して生きてきてもどこにどんな落とし穴が待っていることやら…一寸先は闇です。
 人生二度目のアレルギー喘息で体力を消耗しましたが、消耗する体力があったので助かりました。
 苦しい死に方は避けたいので、もっと体力をつけたいと思います。
 …なんて書いているのは次のプランを立てたからですが(最低3泊は確保したいと画策中…)。
 

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日付過 去 の メ モ
'17.05.01
 古代歌謡を歌う時、私は江戸時代の国学者富士谷御杖(1768-1823)の言を拠り所としています。
 これまで何度か書いてきた『北邊随筆』(1819)初編三「音の存亡」中の一節です。

 いにしへ、神楽、催馬楽などをうたふが如くに、こひ(恋)は子火と聞えてこゐとはいはず、
 あふ安婦ときこえておうとはきこえざるべし。


 国語の授業では和泉式部の和歌「今ひとたびの逢ふこともがな」を「おうこともがな」と習いました。
 が、戦後詠まれた和歌ではないので、「あふ」と発音した方がよいのではないでしょうか?

 また『万葉集』の最後を飾る「今日ふる雪の」は「けふふるゆきの」ですから指を7つ折ります。
 現代かなづかいで「きょう」と書いた場合、指は幾つ折ればよいのでしょうか?
 読むだけならともかく、和歌披講では1音に1フレーズがあてられるため曖昧なままでは歌えません。

 『古事記』に関しても、私は富士谷御杖の日本神話のとらえ方に興味を持っています。
 琴曲にも秀でた富士谷御杖は、古代人の心を言霊(ことだま)の霊妙な力によって様々な説話として
 表現したものが『古事記』であると考えていました。
 それゆえ『古事記』の内容を事実としてとらえる本居宣長の解釈を不合理だと批判しました。

 ただ、世に種々の学説があり、時代ごとに国語が変化したとしても、記紀歌謡の歌詞は変わりません。
 万葉仮名で書かれた歌詞を現代かなづかいに変えて歌う必要がないのと同じく、現代かなづかいの
 発音をイメージして書かれた歌詞をわざわざ古代の発音で歌う必要もありません。

 催馬楽を習い始めた頃、私は平安時代のサ行が「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」だったとの実感が乏しく、
 「さきむだち」を「シャきんだち」と発音することに驚きましたが、次第に各時代の言葉に寄り添って
 そこから発音を導き出すことで楽に自然な発音で歌えるようになるのだと腑に落ちました。
 
'17.01.15
 二十歳から現代音楽を演奏していた私は作曲家は演奏されるために曲を書くのだと思っていました。
 ところが、伊福部先生に御指導を仰ぐと実に驚くべき言葉が返ってきたのです。

 「いやぁ…誰かに演奏されるなんてことは微塵も考えずに作曲したものですから…」
 「ここをこうしてほしいという希望はありません。釣り針の見える音楽ほど下品なものはないので」
 「下手に演奏されるくらいなら演奏されない方がずっといい」 等々(…ひたすら畏まり絶句!?)

 また、先生はレッスンのマクラに、お茶を飲みながら示唆に富んだ逸話を聞かせて下さいました。
 最も印象に残っているのが舞踊家 石井漠さん(作曲家 石井眞木さんのお父上)のお話です。

 「地方公演へ行くと駅でよく見ず知らずの人に『先生、先生』と大袈裟に声をかけられたそうです。
 すると漠さんは、ここにも幽霊弟子が居たなとピンと来て、調子を合わせてあげると言うんですね」
 「私は嫌です、そういうの。はっきり『誰なんだ君は』と仰れば良いのに」
 「そこが人間の幅というか思いやりと言うか、その人にも生活があるでしょ? 石井漠の弟子としての」
 「でも嘘をついてるわけですから」
 「ま、そこが私などにも難しいわけで、漠さんは立派なもんだと思いましたねぇ」

 このお話を何十回聞かせて頂いたことか…と思ったら、先生が帰幽されたとたん幽霊弟子が!?
 そして、突然、たくさんのコンサートが企画され、CDが量産されました。
 伊福部先生は「皆さんにも生活というものがあるから」と仰せかしら?
 
'16.03.25
 木下忠司先生の百壽記念として前代未聞の素晴らしい企画が発表されました。
 東京国立近代美術館フィルムセンターにおける「木下忠司の映画音楽」!!
 フィルムセンターでは映画監督の特集は行なわれていますが、作曲家を特集したことはなかったのではないでしょうか? それが4月5日〜6月12日という長期間、基本的に作曲家ご自身が480本をこえる映画作品から選ばれた60プログラムという贅沢さ。この機会に私も未だ拝見していない作品を観ます(父が生きていたら毎日通ったことでしょう…)。
 ともかく4月9日に木下忠司先生がお元気に百歳を迎えて下さることを心より願い、お目にかからせて頂けることを楽しみにしています。フィルムセンターのHPにも書かれておりますように「僕は作曲家じゃなく、映画音楽家なんだよ」と仰る先生は、ご自身でアニメ作品をプロデュースされ、ミラノ国際映画祭でグランプリに輝いたほどの映画人でいらっしゃいます。映画上映という形で百壽をお祝いする機会に同席させて頂けることは謦咳に接してきた私共にとって最上の喜びです。フィルムセンターや関係者の皆様に感謝申し上げるばかりです。
 また、4月9日(土)には(まだ詳細は発表されていませんが)NHK-FMでも木下忠司作品が放送されます。放送時間は21-22時ではないかと思います。
'16.02.12
 日本は戦争には敗けたかもしれないけれど、文化では敗けていない。
 日本古来の美感を通過させていない音楽は真のインターナショナルには到達し得ない


 伊福部昭先生は、二十代の私に、こう御指導くださいました。
 ただし藝大的優等生の私にはチンプンカンプン…。江戸期の邦楽すら理解できていなかったので。
 伊福部先生に「日本的な歌い方を教えて下さい」とお願いしても「日本人ならわかる」の一点張り。
 自力で幼少から受けてきた音楽教育のキミョウキテレツさを自覚せよということだったのでしょう。

 三善晃先生は、「明治以降の歌にあなたが一生をかけてやるような音楽はないよ」と仰いました。
 時代の中で突出している作曲家には古代の音楽の姿、近代の音楽の姿が見えていたのでしょう。

 作曲家ならずとも谷川雁さんほどの思想家になると古今東西の文学や音楽に通じておられました。

【2017.1.16.追記】
 1994年2月25日、『白いうた 青いうた』コンサートの帰り途、暗い上野公園を歩きながら雁さんは
 「日本のうたをどう思う?」と言われました。
 「近代の、明治以降に五線譜で作曲された歌に関しては暗いものが多いと思います」
 「ほう、どんな風に?」
 「歌い手として感じるのは、結婚式で演奏を頼まれても忌言葉が多くて歌える曲がほとんど無い」
 「なら『梁塵秘抄』をどう思う?」
 「それを歌いたくて藝大に入ってから教えてくれる人を探しまわりましたが居ないんです」

 と、全く手も足も出ませんでしたが、2006年の宮中歌会始に招かれ首席楽長と出会えました。
 今ならちゃんと答えられます。
 「古代歌謡には言霊を大切にしたハレの歌が多いと思います」
 人は、その時その時の自分のレベルでしか物事を見られないし語れないんですねぇ…。
 幾つもの得難い御縁を頂いて古代歌謡の師を探し求めた二十歳の私を取り戻せました。
 
'16.02.03
 昨日なぜか突然前向きな気持ちになり、書かないと言い続けた本を書こうと決心しました。
 いえ、決心しても書けるとは限りません。なにしろ大き過ぎるテーマなのですから。

 「編年体コンサート」で「♪紀元は二千六百年〜」と歌った通り、天皇家の歴史は今年で2676年
 これに対し、縄文時代は約1万3000年の歴史をもつとされています。
 そんな縄文時代から日本列島に住んでいた海人族の船が約5300年前の遺跡から出土しました。
 シベリアとの交易の痕跡も認められた縄文人の「海の文化」の歴史は約1万年と推察されています。

 世界から注目を浴びた縄文土器でもわかるように縄文文化は決して粗野なものではありません。
 現代まで続く日本人の繊細な感性に裏打ちされた仕事ぶりは、その出土品からも窺われます。
 日本固有のコトも縄文遺跡の出土品の一つで、板に装飾が施されていました。

 ここまで書いて、ふと、多くの日本人が江戸時代にできた俗箏(おこと)を日本の楽器だと思い込みかねない教育を受けていることに気づく(教育レベル低すぎ。フェルマータを長く延ばさせないで下さい)。
 蛇足ながら、おことは雅楽で使われる大陸渡来の
楽箏を一般向けの俗箏として実用化したもの。

 日本固有のコトは、紀元前後、日本に百余りの小国があったことから弦の本数が異なっていました。
 それを6本に統一したのは、日本に律令制度を導入しようとしたヤマト王権です。
 統一国家を目指すヤマト王権は、縄文時代からあったコトを「天皇の楽器」と決めました。
 そして、日本列島にあった国々の国主たちが伝承してきた歌を舎人や采女に献上させたのです。
 それらは宮中で保護されたために一般民衆が接する機会はほとんどありませんでした。
 言い換えれば、天皇家の保護により楽器や楽譜が現代まで形を変えずに残ったのかもしれません。

 この世界最古の現存音楽を演奏し、書き残すことが私の最後の仕事なのだろうと思います。
 まだまだ研究が足りませんし、演奏の腕も磨かなくてはなりません。
 足腰を鍛えるためにも、時間を見つけて山へ登り、演奏することを続けたいと思います。
 


Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分