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アコの部屋
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やまとうたのふるさと

HP容量不足のため旅の記録
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現在↑「PUPPY日記」
言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国のうた in さぬき
無伴奏の「和歌披講」& 足踏みオルガンで歌う「唱歌」と「童謡」
不定期開催・参加費無料・駐車場なし (場所・日程等のお問い合わせはトップページの「Contact Us」よりどうぞ)

近      況
日付メ   モ
'17.09.20

 昨夜鯛のぬか漬けを前菜に出したら、珍しく家人が「鯛茶漬けの方が美味しいんじゃない?」と料理に口出ししてくれて↑こうなりました。お魚は2時間程度漬けただけで本当に美味しくなります。
 私が声楽家を止めようと思ったのは、伊福部先生の仰る「日本的」の意味すら理解できていないのに日本の歌をうたってきたこと自体、詐欺じゃない? と感じたためです。
 日本で受けた音楽教育は欧米では通用せず、日本の音楽すらわかっていない。しかし、そんな私を谷川雁さんはCD『白いうた 青いうた』で「洋の東西を弁別できる」と過大評価して下さいました。書かれた以上、そうなる必要があります。それは「日本的」なるものを追究することでもありました。
 欧米人から聞いた言葉も強烈でした。出会った歌い手はフランス人であれドイツ人であれ口を揃えて「我々の言葉をベルカントで歌うことはできない。それはイタリア語の発声法だから」と言いました。時に、「あの田舎者の…」と言ったフランス人が居たのはヨーロッパにおける中華思想? ヨーロッパの京都人との異名を持つ(?)ヴィーン人はさすがにそこまで露骨な言い方はしませんが。
 各民族は母国語や自国の音楽に誇りをもち、他民族との線引きをしていたのです。詐欺師と呼ばれないために、私も見習わなくては…。
'17.09.19
 帰宅したら再び"どこでもトイレ"状態のPUPPYとの闘いです。
 トイレは、私の顔を見ながらちゃんとシートで出来る時もあるのでゲームと勘違いしているのかも?
 私が台所に居る時とか、パソコンに向かっている時とかに必ずと言っていいほど廊下やドアの前を
 トイレにしているので、単なる"構ってちゃん"なのかも知れません。
 それにしても床を拭いて消毒してばかりの私は堪忍袋の緒が切れました!
 さっきケージに入れてみたのです。すると1時間近く泣きわめいているのですから凄い体力です。
 収拾がつかないため、言い聞かせて外に出したのですが、ここが最も嫌な場所だとわかりました。
 これからは失敗したら黙ってケージに入れることにしましょう。
 もちろんケージに入れるようなことにならないのがベストですが。

 世の夫婦の形はさまざまで、今は泰葉さんの婚約が話題になっているようですが、人それぞれなので
 いくら邪推してみても始まりません。第一に、世の中のことは全て因果応報で、結果は本人持ち
 私など、人のことをあれこれ邪推するヒマが惜しいし、人に翻弄されて生きるつもりもありません。

 いま、昨日演奏修行した竈殿遊歌』の歌詞をブログにUPしました。
 多くの場合、場所ごとに祭神や民族移動を考えながら既にCDに収録した歌を演奏しています。
 次は未知のどんな歌をどんな場所で演奏できるかしら? 本当にたのしみです。
 
'17.09.18
 16時前に帰宅したので、PUPPYのお留守番は2時間ちょっとでした。
 家人が仕事に間に合うギリギリまで家に居てくれたためです。
 もっとも「遊んで〜」攻撃がうるさいので、今も一人で2Fのリビングに居させてます。
 3Fの寝室だとすぐに「出して〜」とドアをガリガリするのに、2Fのリビングなら平気なんです。
 まぁ、留守番ができるとわかったので、これで安心して出掛けられます。
 次回は家人の在宅(執筆)日に久々の山登りです!

 帰りの電車の中で中途半端にUPしていたブログを22時に完成させました。
 今回はしばらく間があいてしまったため、持参すべきものが思い浮かばず、支度に時間を要しました。
 次からはきっと大丈夫でしょう。頭も身体も劣化させないよう、せいぜい使わなくては。
 
'17.09.18
 私は年齢を隠してはいませんので一度ハッキリ整理して書いておきます。
 家人と初めて会ったのはラムサール条約釧路会議での『伊福部昭の夕べ』で私は37歳でした。
 すでにカーネギーホールでも歌っていましたし、博士号も取得していました。
 声楽家として私がやりたいことはもうほとんど終わっていたのです。
 年齢的に家人のアドヴァイスは受けようがありませんでしたが、もし仕事に口出しされたりしたら
 そこでジ・エンドでしょう。結婚生活においても相手の仕事に口出ししないのは最低のマナーです。
 というか、私共の場合、それぞれにやりたいことが多すぎて人のことにまで頭がまわりません。

 藝大時代、健康に問題のあった私を助けて下さったのは保健管理センターの三木成夫教授でした。
 同郷の三木先生は著名な解剖学者であり、東大在学中からヴァイオリンを弾いておられました。
 それゆえ医学の面からも音楽の面からも日本人の西洋コンプレックスを感じておられたのです。
 「あなたにとってクラシック音楽を学ぶのもアイヌ音楽を学ぶのも距離が遠いことに変わりは無い。
 それなら日本人としてアイヌ民族の歴史や音楽と向き合ってみたらどうか?

 そう仰って下さったことが私の人生を決定づけました。
 大学院で、日本人が明治以降に五線譜で書いた歌を整理してみようと考えたのです。

 当時、アイヌ音楽を学ぶには伊福部昭先生にお願いするほかありませんでした。
 私が最初に伊福部家を訪問させていただいた頃、家人は17,8歳だったはずです。
 その後、10年余りを経て北海道でその存在を知ったわけです。
 私は修士3年・博士5年と最大在籍年限を使って主要な日本の歌を勉強しました。
 37歳といえば、あとは明治以降の主たる日本の歌をCDに録音して終わり。という段階でした。
 それを終えた50歳の新年、宮中歌会始で当時の宮内庁首席楽長にお声掛け頂いたのです。

 私に日本人演奏家としての方向性を示して下さったのは伊福部昭先生でした。
 最初の訪問時から、15時に伺って3時にお暇するといったパターンができてしまいました。
 そして、いつも20時頃になると奥様が鰻重をご用意くださるという御厚情。心苦しい限りでした。
 いつの日か私が先生のイメージされる音楽世界を具現できると期待して下さっていたのでしょう。
 こんな私ですから、伊福部先生にも奥様にも足を向けては眠れません。
 しかし、いったいいつになったら私は伊福部作品を再演できるのでしょうか…。

 取り敢えず、古代歌謡を究めなければ伊福部作品が理解できないので頑張っています。
 今日は、友人が縄文の遺跡などに付き合ってくれるそうです。
 人生において最も大切にしなくてはならないのはお金で買えないもの。これに尽きますね。
 
'17.09.17
 15日夜のメインは甜麺醤・豆板醤の代わりに十年味噌を使う私流「回鍋肉」。季節感に乏しかったので、昨夜は立派なマイタケを見つけ、国産の栗を探して地鶏と瀬戸内海産牡蠣のオイスターソース炒めにしました。作るのは数分で食材探しは1時間以上。前菜と汁物にも凝るという自己満足でした。
 何にどう拘るかは一人一人違います。家人は料理に関心が無いし、私も家人の仕事には無関心です。精神の安定のため書庫を覗いたりもしません。
 そもそも同じ価値観を持つ夫婦なんて存在するのでしょうか? 生き方・考え方は違って当たり前。なのに、声楽家をやっていた頃は家人の影響を受けていると言われてました。知り合う前から五線譜の日本の歌を整理し、戦時歌謡を歌ってましたが?
'17.09.16
 帰宅するなり、仕事が溜まっていて忙しいと中二階の仕事部屋に籠った家人ですが、ちょうどお一人様用前菜をここまで並べた23時過ぎ、食事にやってきました。長崎産のアジを卸して叩いたものは大葉15枚が多過ぎて大葉のタタキになっていますが、最後の1個となったぬか玉も供出!? 結局フルーツトマトとミョウガとブロッコリーはぬか漬けのままで、ここから加熱する料理を開始。
 二十代の頃から新聞の取材で、「将来どんな演奏家になりたいですか?」と訊かれ、「お遍路をして全国を歩きながら気が向けば草や木に歌を聴いてもらうような…」と答えて〇チガイ扱いされてきた私。今はそちらへ舵を切りつつあり、食事の支度が浮世との最後の接点? でも食べることに無関心な家人は季節の移ろいすら感じないのか、「毎日納豆でいい」と申します。かなしくなりますねぇ…。

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日付過 去 の メ モ
'17.05.01
 古代歌謡を歌う時、私は江戸時代の国学者富士谷御杖(1768-1823)の言を拠り所としています。
 これまで何度か書いてきた『北邊随筆』(1819)初編三「音の存亡」中の一節です。

 いにしへ、神楽、催馬楽などをうたふが如くに、こひ(恋)は子火と聞えてこゐとはいはず、
 あふ安婦ときこえておうとはきこえざるべし。


 国語の授業では和泉式部の和歌「今ひとたびの逢ふこともがな」を「おうこともがな」と習いました。
 が、戦後詠まれた和歌ではないので、「あふ」と発音した方がよいのではないでしょうか?

 また『万葉集』の最後を飾る「今日ふる雪の」は「けふふるゆきの」ですから指を7つ折ります。
 現代かなづかいで「きょう」と書いた場合、指は幾つ折ればよいのでしょうか?
 読むだけならともかく、和歌披講では1音に1フレーズがあてられるため曖昧なままでは歌えません。

 『古事記』に関しても、私は富士谷御杖の日本神話のとらえ方に興味を持っています。
 琴曲にも秀でた富士谷御杖は、古代人の心を言霊(ことだま)の霊妙な力によって様々な説話として
 表現したものが『古事記』であると考えていました。
 それゆえ『古事記』の内容を事実としてとらえる本居宣長の解釈を不合理だと批判しました。

 ただ、世に種々の学説があり、時代ごとに国語が変化したとしても、記紀歌謡の歌詞は変わりません。
 万葉仮名で書かれた歌詞を現代かなづかいに変えて歌う必要がないのと同じく、現代かなづかいの
 発音をイメージして書かれた歌詞をわざわざ古代の発音で歌う必要もありません。

 催馬楽を習い始めた頃、私は平安時代のサ行が「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」だったとの実感が乏しく、
 「さきむだち」を「シャきんだち」と発音することに驚きましたが、次第に各時代の言葉に寄り添って
 そこから発音を導き出すことで楽に自然な発音で歌えるようになるのだと腑に落ちました。
 
'17.01.15
 二十歳から現代音楽を演奏していた私は作曲家は演奏されるために曲を書くのだと思っていました。
 ところが、伊福部先生に御指導を仰ぐと実に驚くべき言葉が返ってきたのです。

 「いやぁ…誰かに演奏されるなんてことは微塵も考えずに作曲したものですから…」
 「ここをこうしてほしいという希望はありません。釣り針の見える音楽ほど下品なものはないので」
 「下手に演奏されるくらいなら演奏されない方がずっといい」 等々(…ひたすら畏まり絶句!?)

 また、先生はレッスンのマクラに、お茶を飲みながら示唆に富んだ逸話を聞かせて下さいました。
 最も印象に残っているのが舞踊家 石井漠さん(作曲家 石井眞木さんのお父上)のお話です。

 「地方公演へ行くと駅でよく見ず知らずの人に『先生、先生』と大袈裟に声をかけられたそうです。
 すると漠さんは、ここにも幽霊弟子が居たなとピンと来て、調子を合わせてあげると言うんですね」
 「私は嫌です、そういうの。はっきり『誰なんだ君は』と仰れば良いのに」
 「そこが人間の幅というか思いやりと言うか、その人にも生活があるでしょ? 石井漠の弟子としての」
 「でも嘘をついてるわけですから」
 「ま、そこが私などにも難しいわけで、漠さんは立派なもんだと思いましたねぇ」

 このお話を何十回聞かせて頂いたことか…と思ったら、先生が帰幽されたとたん幽霊弟子が!?
 そして、突然、たくさんのコンサートが企画され、CDが量産されました。
 伊福部先生は「皆さんにも生活というものがあるから」と仰せかしら?
 
'16.03.25
 木下忠司先生の百壽記念として前代未聞の素晴らしい企画が発表されました。
 東京国立近代美術館フィルムセンターにおける「木下忠司の映画音楽」!!
 フィルムセンターでは映画監督の特集は行なわれていますが、作曲家を特集したことはなかったのではないでしょうか? それが4月5日〜6月12日という長期間、基本的に作曲家ご自身が480本をこえる映画作品から選ばれた60プログラムという贅沢さ。この機会に私も未だ拝見していない作品を観ます(父が生きていたら毎日通ったことでしょう…)。
 ともかく4月9日に木下忠司先生がお元気に百歳を迎えて下さることを心より願い、お目にかからせて頂けることを楽しみにしています。フィルムセンターのHPにも書かれておりますように「僕は作曲家じゃなく、映画音楽家なんだよ」と仰る先生は、ご自身でアニメ作品をプロデュースされ、ミラノ国際映画祭でグランプリに輝いたほどの映画人でいらっしゃいます。映画上映という形で百壽をお祝いする機会に同席させて頂けることは謦咳に接してきた私共にとって最上の喜びです。フィルムセンターや関係者の皆様に感謝申し上げるばかりです。
 また、4月9日(土)には(まだ詳細は発表されていませんが)NHK-FMでも木下忠司作品が放送されます。放送時間は21-22時ではないかと思います。
'16.02.12
 日本は戦争には敗けたかもしれないけれど、文化では敗けていない。
 日本古来の美感を通過させていない音楽は真のインターナショナルには到達し得ない


 伊福部昭先生は、二十代の私に、こう御指導くださいました。
 ただし藝大的優等生の私にはチンプンカンプン…。江戸期の邦楽すら理解できていなかったので。
 伊福部先生に「日本的な歌い方を教えて下さい」とお願いしても「日本人ならわかる」の一点張り。
 自力で幼少から受けてきた音楽教育のキミョウキテレツさを自覚せよということだったのでしょう。

 三善晃先生は、「明治以降の歌にあなたが一生をかけてやるような音楽はないよ」と仰いました。
 時代の中で突出している作曲家には古代の音楽の姿、近代の音楽の姿が見えていたのでしょう。

 作曲家ならずとも谷川雁さんほどの思想家になると古今東西の文学や音楽に通じておられました。

【2017.1.16.追記】
 1994年2月25日、『白いうた 青いうた』コンサートの帰り途、暗い上野公園を歩きながら雁さんは
 「日本のうたをどう思う?」と言われました。
 「近代の、明治以降に五線譜で作曲された歌に関しては暗いものが多いと思います」
 「ほう、どんな風に?」
 「歌い手として感じるのは、結婚式で演奏を頼まれても忌言葉が多くて歌える曲がほとんど無い」
 「なら『梁塵秘抄』をどう思う?」
 「それを歌いたくて藝大に入ってから教えてくれる人を探しまわりましたが居ないんです」

 と、全く手も足も出ませんでしたが、2006年の宮中歌会始に招かれ首席楽長と出会えました。
 今ならちゃんと答えられます。
 「古代歌謡には言霊を大切にしたハレの歌が多いと思います」
 人は、その時その時の自分のレベルでしか物事を見られないし語れないんですねぇ…。
 幾つもの得難い御縁を頂いて古代歌謡の師を探し求めた二十歳の私を取り戻せました。
 
'16.02.03
 昨日なぜか突然前向きな気持ちになり、書かないと言い続けた本を書こうと決心しました。
 いえ、決心しても書けるとは限りません。なにしろ大き過ぎるテーマなのですから。

 「編年体コンサート」で「♪紀元は二千六百年〜」と歌った通り、天皇家の歴史は今年で2676年
 これに対し、縄文時代は約1万3000年の歴史をもつとされています。
 そんな縄文時代から日本列島に住んでいた海人族の船が約5300年前の遺跡から出土しました。
 シベリアとの交易の痕跡も認められた縄文人の「海の文化」の歴史は約1万年と推察されています。

 世界から注目を浴びた縄文土器でもわかるように縄文文化は決して粗野なものではありません。
 現代まで続く日本人の繊細な感性に裏打ちされた仕事ぶりは、その出土品からも窺われます。
 日本固有のコトも縄文遺跡の出土品の一つで、板に装飾が施されていました。

 ここまで書いて、ふと、多くの日本人が江戸時代にできた俗箏(おこと)を日本の楽器だと思い込みかねない教育を受けていることに気づく(教育レベル低すぎ。フェルマータを長く延ばさせないで下さい)。
 蛇足ながら、おことは雅楽で使われる大陸渡来の
楽箏を一般向けの俗箏として実用化したもの。

 日本固有のコトは、紀元前後、日本に百余りの小国があったことから弦の本数が異なっていました。
 それを6本に統一したのは、日本に律令制度を導入しようとしたヤマト王権です。
 統一国家を目指すヤマト王権は、縄文時代からあったコトを「天皇の楽器」と決めました。
 そして、日本列島にあった国々の国主たちが伝承してきた歌を舎人や采女に献上させたのです。
 それらは宮中で保護されたために一般民衆が接する機会はほとんどありませんでした。
 言い換えれば、天皇家の保護により楽器や楽譜が現代まで形を変えずに残ったのかもしれません。

 この世界最古の現存音楽を演奏し、書き残すことが私の最後の仕事なのだろうと思います。
 まだまだ研究が足りませんし、演奏の腕も磨かなくてはなりません。
 足腰を鍛えるためにも、時間を見つけて山へ登り、演奏することを続けたいと思います。
 


Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分