Topページへ
アコの部屋
容量不足により「ピピ(2007-2015)日記」は削除しました



 2014.9.15-2017.5.13 (20件)


 やまとうたのふるさと

HP容量不足のため
倭琴の旅はてなブログにUP


近      況


日付メ    モ
'25.11.18
 昨日の夕方、クロネコやコンビニ、スーパーなどを回って帰宅したら、お向かいの奥様が門から飛び出て来られました。拙宅にお届け下さるために準備されていたようで、「見かけが悪いのですが、実家で生った柿です」と大好物の柿を手渡されました。「こちらは涸沼のシジミで、十分に砂抜きしましたので…」とジップロックに小分けしたシジミも頂戴しました。シジミ汁は家人の大好物なので早速いただきましたが、涸沼のシジミは大きくて美味しく、家人が感動してました!! 今日も楽しませて頂きます。柿も見かけによらず(?!)凄く甘くて美味しいです。
 ご近所の皆様にはいつも花壇の手入れをして頂くなど、こちらがお世話になっているのに、平素より何かと御配慮くださり身の縮む思いです。ここへ引っ越してきて、"遠くの親戚より近くの他人"を痛感させて頂いてます。
'25.11.17
 2001年2月、静岡市の登呂遺跡で発掘された琴は、弥生時代後期、約2000年前のものと推測されています。縄文時代の板状の琴と違い、共鳴箱のある槽づくりの琴です。一部腐食していて正確な数値が出ないものの、静岡新聞(2001年3月1日付)は「長さ約100cm、幅10〜19cm、高さ6〜9cm」と発表。その後、登呂遺跡の図録を元に作られた琴が私の許へ来ました。6つの突起に弦を張った六弦ですが、私は突起部ではなく、5つの凹んだ部分に弦を張る方が自然と感じ、五弦への張り替えを考えていました。
 ふだん私が弾いているのは鯨筋を張った80cmの琴で、これを収録に使うつもりでしたが、一面しか持参せずトラブルに見舞われたらおしまいです。そこで急遽、約2000年前の琴を模した六弦を五弦に張り替えて貰いました。こうなると80cmより100cmの方が音がよく鳴ります。
 ただし、二面の琴をそれぞれケースに入れて一人で運ぶのは無理です。かといって、平日の昼間、山中まで琴を運ぶ方法など思いつきません。悩んだ末、本当に身勝手な話なのですが、SOSを出したら友人が快諾してくれたので、琴を一面送らせて頂きました。深謝。
'25.11.16
たとえ分断されても、5時間は睡眠をとる!! と
決めてから約1週間。目の下のクマが半減して
ビックリ!? 恐るべし睡眠不足。すると睡眠を
6時間に増やしたら肌の調子も良くなるかも?
不調の原因が単なる睡眠不足だったとしたら
自業自得としか言いようがありませんね…。

さて、先日のDio110 Liteですが、写真を家人に
見せたら「クリスマスプレゼントにしようか」
と言われ、慌てて断りました。老い先短いのに
もったいないですよね。2人でケラケラ笑って
過ごせるのも、あと僅かかも知れませんし…。

誰にも永遠の命が与えられていないのは平等
でいいですね。私としては、前々から、定年に
なったら四国でのんびり暮らそうよと言って
いるわけですが、時々「そうだねぇ…」と相槌を
打ってるかのように見せかけて、実は誤魔化し
誤魔化しここまで来たってことでしょうか?
今日は返事をしませんでした。まぁ、あの本の
山を見たら簡単に引っ越せるなんて思えない
でしょうから、私一人で帰るしかないのかな?

'25.11.15
今日は比較的暖かく、午後3時の気温が17度。
そこで急遽「香取海の貝層、のち浅間神社」へ。

'25.11.14
 灯油を買いにゆく季節になりました。家人は配達に来て貰えばいいと言いますが、それでは体力の衰えを自覚できません。今春までは毎回18L×2缶をジャイロキャノピーのBoxに入れて楽々走っていました。ところが、今シーズンの初日、2缶積んで走った際、灯油の重さでハンドルが上手くコントロールできなかったのです!? あまりにフラついたので焦りましたが、たぶん腕力握力が落ちたのでしょう。勿論このまま鍛えればそこそこ戻ると思いますが、現在は1缶のみを足元に置いて走ってます。
 ズーマーの車体約90kgに比べ、ジャイロキャノピーの車重は140kg超、そこに灯油約30kgを加えると170kg超!? 乗るのに体力を要しますね。灯油1缶を運ぶのなら"新基準"原付でも良さそう。Dio110 Liteは車重95kgでお手頃ですが、来年2月で70歳なのに新車買う?
'25.11.13
 今春イトーヨーカ堂が閉店したため、拙宅の近所にはお正月に営業するスーパーが無くなりました。そのため周到な準備が必要になり、今日は平田牧場、広島牡蠣専門店などに直近の注文を入れがてら年内最終発送日をチェックしていました。
 すると検索もしていないのにweb上に柿の葉寿司が出てきたので、何気なく見たら、添加物が多く、アレルギー体質の私には無理でした。ところが、押し寿司の型というか箱が 650円という破格の値段(吉野杉だからか檜の3分の1以下?!)で売られていたんです。押し寿司は、祭りの日やお正月などに祖母がよく作ってくれました。祖母は箱一杯に詰めたお寿司を三等分に切り、更に斜めに切って三角にしてました。鰆は無理でも、国産アナゴやエビ、グリンピースなどを確実に入手せねばなりませんね。
'25.11.12
5時間寝ようと決心したら時間が無くなって
メモを書けないまま日付が変わりましたが、
私にはまだ12日なのでその日付で書きます。

小学生の頃から眠るのが勿体なくて、1日1冊
図書室で本を借りて読むのが日課でした。
年寄りの不眠症ではなく年季が入ってます。

この先、健康を保つために、良い睡眠とは何か
考える必要があるだろうと思っていた矢先、
11/10に出たばかりの記事を読むことに…。

人類史において8時間連続して眠るというのは
20世紀初頭以降の考え方で、それ以前、人々は
何世紀もの間、「第1の眠り」と「第2の眠り」の
2回
(いずれも数時間)に分けて眠り、2つの
眠りの合間となる夜中に起きていました。


これなら実践できるかも? と思った次第。

'25.11.11
 8日未明から9日の午前中にかけて5時間、10日の午前中に5時間眠れたことで、私は酷く疲れている!! と実感できました。疲れを知らない人間なのか? と思ったら、実は身体が2〜3時間睡眠を仮眠としか認識しておらず、単に疲れたまま寝て疲れたまま起きて…疲れが常態化していただけだったようです。いつもこんな調子だからと身体を酷使し続けてきました。友人たちからは長年にわたり非難轟轟でしたが、学生時代からずっと2〜3時間睡眠なので、なかなか改められませんでした。
 しかし、来年2月にはもう70歳!! 古代歌謡について纏める以上のことは(師から)課せられていないため、そろそろ私なりに古代歌謡の世界を纏めようと思い至りました。つい先日まで悪天候なら日を改めれば良い程度に考えていましたが、多忙なエンジニア氏に御迷惑をおかけするのは憚られます。今回の収録の懸念は、滝の水が涸れていないかどうかなので、"裏見の滝"のほかに候補地を探しました。ただ、この画像は大雨の直後に撮られたもので、近年はチョロチョロとしか流れていないそうです。
 日付が変わってから睡眠について書きます。
'25.11.10
 江戸時代に書かれた『四國遍禮道指南』に「この霊場には目を見張る程驚く」とある不動の滝。この周辺一帯が紅葉の名所で「是非、11月最終週にいらっしゃい」と仰って頂きました。道路から撮った画像ですと滝の向こう(裏側)に洞窟がある"裏見の滝"だとはわかりませんが、滝の周りが紅葉したらどんなに美しいことでしょう。
 ただ、問題は、約20kgの録音機材を洞窟まで運べるかどうか…。もちろん私も手伝いますが、セッティングに時間がかかることは間違いありません。かと言って既に話が進んでしまっていますし…。
 実は8月下旬までは瀬戸内海の島(古墳)で収録する予定でした。船を出すと仰って下さる方があって、船での演奏は揺れるし、エンジニア氏が大変だなぁと思ったものの、ご本人が乗り気だったので進めていました。
 そこへ紅葉の話が出て、この季節に行くしかないかも? と思ったわけです。
 楽譜の目途が立った途端、お天気や運搬作業のことなどが心配になってきました。運は、天に任せるほかないというのに。
'25.11.09
やっと5時間眠れました〜!! やはり眠ると
肌の調子が良くなりますね(8/21にアトピー
性皮膚炎を発症して80日でやっと快方に?)。
肌のターンオーバーの周期は28日が目安です
が、加齢により60代は100日以上かかるとか!?

「葛(かづら)」の歌詞表記は、「Qa-Du-dLa」に
なりました。ここにきて山田耕筰のローマ字
表記が役に立つとは想像してませんでした。

日本語を母国語とする方はもちろん、日本語を
話す外国の方も、日本語のラ行音を「R」や「L」
で表記することには違和感があるはずです。

大正時代から昭和初期にかけて自作の歌曲の
歌詞をローマ字表記しようとした山田耕筰は、
例えば、「が=ga」を鼻濁音にする際、語頭に「n」
をつけて「nga」と表記するなど工夫を凝らして
いました。そして、最も引っ掛かるラ行の発音
を、舌が上の歯茎の裏側につく点を「d」で示し、
巻き舌にならないよう「L」を選択しています。

40年以上のお付き合いとなるエンジニア氏は
疑問点があると録音中でも質問してくるため、
不透明な箇所をクリアにしておかないと時間
が押す恐れがあります。11月下旬ともなると
日没時刻が早く、山の中はとても暗いので…。

'25.11.08
すみません、いつもながら言葉が足りなくて
いったい何を言いたいのかわかりませんね。
古代歌謡は基本的にパーツの組合わせゆえ、
今後の研究のためにも演奏テンポと無関係
に尺を揃えて記譜したかったのですが、譜と
実際の演奏の誤差があり過ぎて同じ寸法で
書くことが不可能とわかり、曲ごとの整合性
のみを追究するに留まったこと、残念です。

とはいえ現行の楽譜や演奏法はあくまでも
「明治撰定譜」であり、往古の伝統に則してい
るとは言い切れません。それに、私が追究し
ているのは「琴歌」の弾き歌いなので、今まで
教えて頂いた「明治撰定譜」をもとに、源流を
辿るほかないのです。そう考えると、墨譜で
歌う私には五線譜なんて必要ない訳ですが、
収録となりますと、エンジニア氏は全体像を
把握した上で、録音位置や音質を決め、曲の
細部にわたって、音が抜けてないか、歌詞を
間違えてないか等チェックする必要がある
ため、墨譜を五線譜に書き移しています。

いったん着手すると、あれもこれも気になる
性格なので、1ヶ月近くにわたり書き損じた
五線紙が山を成し、やっと昨日完成したかに
思えましたが? 歌詞を書き込むにあたり
上代日本語と現在の日本語の表記・発音の
違いは承知していたので、100%正確とは言え
ませんが、古代歌謡で「いふ」と歌う「言う」を
「I-Hu」、「水」を「Mi-Du」、「葛」を「Kwa-Du-Ra」
と表記しました。藤山一郎は昭和の歌謡曲
で「お菓子」を「O-Kwa-Shi」と歌いましたが、
「か」=「Kwa」はいかにも仰々しく感じます。
「か」は「Qa」の方が近いのではないか? との
視点で改めて細部を見直して、清書します。

'25.11.07
昨日は起床後すぐの鼻血から始まって、過去の
メモを見たら前回出たのが10/28の朝でした。
10日しか間隔が空いてないのは危ない感じが
しますが、共通点は10/26の演奏修行後に帰京
した翌朝と、11/5に演奏修行した翌朝なので、
本人的には瀉血した程度に受け取ってます。

完全に血が止まるまで小1時間安静にした後、
家事労働以外の時間を全て墨譜から五線譜へ
移し替える際の記譜の整理に費やしました。

古代歌謡はある程度定まったパーツ(リズムと
メロディー)の組合わせで構成されています。
それゆえ、神楽歌にも催馬楽にも替え歌でき、
歌詞に合わせて、曲の長さも変えられます。

平安時代に大流行した和歌披講もいくつかの
定まったフシにのせて歌われますが、それが
可能なのは、歌=歌詞が七五調だからです。
その上、字余り・字足らずの歌への対処方法
まで決まっていました。実に合理的です。

そんな日本最古の歌謡に倣い、伊福部先生は
ご自身が作曲したパーツで作品を組み立てる
方法を試しておられました。それゆえ、音楽
の秒数が決まってから、パーツ毎に作曲して
ゆく劇伴などはお手の物だったはずです。

さて、古代歌謡の記譜法ですが、曲ごとに速さ
が違う場合、墨譜の音型が同じでも、4分音符
や2分音符で書き分けても良いし、ユリ(揺り)
も、テンポ次第で五連符で歌ったり六連符や
七連符で歌ったりするのが自然ではないかと
布瀬貝塚で演奏修行した11/5に感じました。
弾き歌いが主だった頃は自由自在ですよね?

それで、各曲とも作品内での整合性のみ重視
し、テンポが違う作品とは装飾音の数が合致
しなくても問題としない方針で、全曲を書き
直しました。終わったのが今朝7時!? 既に
メモを書く気力もなく、2時間爆睡しました。
起床後もまた歌ってみたので、これをコピー
製本すれば、睡眠をとれるようになるかも?

'25.11.05
閉塞状態を打破するために、気分を変えて
布瀬(ふぜ)貝塚へ行ってきました。
ブログ「古代歌謡と五線譜のミスマッチです。

'25.11.04
とんでもないことでした。仕上がったかと
思いきや、寝入って直ぐ、記譜法が浮かんで
修正を始めました。←寝ながら考えてた?
いったんお昼過ぎにコピーし、歌詞や琴の
手を書き込んで演奏すると更なる問題が!?
1日に2回コピーに行き製本したのにボツ。

伊福部先生が仰っていた通り、日本の音楽を
完璧に五線譜に書き写すのは無理でした。
「このように書かれたら、いかがでしょう?」
と安直に進言していた私には己の愚かさを
思い知る為にも徹底的に記譜法を模索する
必要があります。先生が帰幽されて来年2月
で20年、今なお課題と向き合えて幸せです。

レッスンはまだ続いているのです。先生は
洋の東西の違いを、こう説明されました。
例えばフルートの内部を見ると凹凸がなく
息を吹き込むとスムーズに音が出ますが、
日本の龍笛は元々絶対的な音階で作られて
いない上、管の中に鉛を入れたり、漆を塗り
重ねたりしてわざと凸凹をつくっている。
楽器の発声器官がまるで違う所に美意識の
違いがある。ならば、声帯という発声器官
でも日本的な特徴を出す必要があります。

こうして今もなお先生とキャッチボールが
できること、遥か昔の日本語や古代歌謡を
模索しつつ生きられる幸せを感じてます。

'25.11.03
「来年のおせちどうなってるの?」と突然
(結婚して初めて)家人に訊かれました!?
そもそも「おせちは要らない」「毎日普通の
温かい料理を食べたい」と言ってたのに?

ただ、お正月らしさは味わえた方が良い
ということで、和久傳の一番小さな春肴
と、からすみ餅だけは買うよう言われて
ました。でもメールが未だ届いてない。
「迷惑メールに振り分けられてるかも?」
と言われ、慌てて探したら買えました!!

当たり前ですが、27万と19万のおせち
到底買えませんし、毎年即完売です!?
我々には1万円の春肴で十分なんです。

小さな函ですが、蓋が絵馬になっていて
お正月気分を味わえます。蓋の干支は
和久傳のスタッフの手書きなんです。
入社すると書道や茶道・華道を学べて
毎年お正月に向けて忙しくなるけれど
楽しい!! と仰ってました。羨ましい。


トップページへ


日付過 去 の メ モ
'25.08.12

YouTube「伊福部昭室内楽作品」

1.【荻野綾子に献呈】「平安朝の秋に寄する三つの詩」(1933) 2025年2月収録

2.『SUITE JAPONAISE (Piano Suite)』全4曲 (1934/38) 2025年2月収録

3.『ギリヤーク族の古き吟誦歌』全4曲 (1946) ハープ版 2024年11月収録

4.『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』全3曲 (1949) ハープ版 2024年11月収録

5.『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』全3曲 (1955) シントコ版 2024年11月収録

6.【Stefano Kinaiに献呈】「シレトコ半島の漁夫の歌」(1960) 2025年2月収録

7.【Amsterdam Duoに献呈】『二つの性格舞曲』(1955/61) 2024年5月収録

8.【Amsterdam Duoに献呈】『二つの性格舞曲』(1955/61 校訂版) 2025年2月収録

9.【小林武史に献呈】『ヴァイオリンソナタ』(1985/自筆譜) 2024年5月収録

10.【小林武史に献呈】『ヴァイオリンソナタ』(1985/出版譜) 2025年2月収録

11.【藍川由美に献呈】頌詩「オホーツクの海」(1958/88) 2025年2月収録

12.【木村茉莉に献呈】ハープのための「箜篌歌」(1968/1990) 2024年5月収録

13.【藍川由美に献呈】「摩周湖」(1992) ハープ版 2024年5月収録

14.【藍川由美に献呈】「蒼鷺」(2000) 2025年2月収録

'23.07.20

『古事記』(ふることふみ/712)と『日本書紀』(やまとふみ/720)では
神話の扱いが異なりますが、『古事記』にあった和琴にまつわる神話は
私が和琴の威力いかばかりかと疑ったことで、古代歌謡の道に
入る"きっかけ"となりました。

仲哀天皇が筑紫の香椎宮巡幸の折り、熊襲を討つための御神託を
乞うべく、武内宿禰を審神者(さには)として天皇自らを弾くと、
神功皇后が神懸りして熊襲征伐よりも三韓征伐に行くべきとの
御託宣を仲哀天皇に伝えました。
が、仲哀天皇は「偽りを言う神だ」と聞く耳をもちませんでした。
そこで審神者の武内宿禰が、仲哀天皇に今一度、を弾くよう
進言すると、しぶしぶ弾き始めたものの、ほどなく音が絶えました。
すぐに火を掲げて見ると、仲哀天皇は崩御していたとの神話です。

この神話は、ヤマト王権が和琴を重視していたことを伝えています。
12世紀には後白河法皇が編纂したとされる『梁塵秘抄 口伝集』に
和琴は和国の器にして、日本の音曲の頭としるべし」とあります。
その真意は『古事記』の和琴神話を紐解くことで得られるでしょう。

大国主が須佐之男の娘・須勢理毘売と根の堅州国から遁げ出す際、
スサノヲの宝物たる太刀、弓矢、を持ったのはなぜなのか?
伊福部氏が大国主の家系であるだけに、深意を探りたくなります。
伊福部昭先生が雅楽で最も古い歴史を持つ御神楽歌や伴奏楽器の
和琴に興味を示されたこととも無関係ではないでしょう。

なお、和琴(やまとこと)は御琴(みこと)とも呼ばれていました。
宮中と一般では「御」の読み方(もちろん内容も!!)が違います。
「御(お)神楽」に対し、宮中は「御(み)神楽」、「御()」は「御()」。
御託宣の「詔(みことのり)」は、御琴(みこと)宣(のり)かと。

'21.07.27


CD「エッケルトの仕事」
 7/26より『日独交流160年展』が始まりました。
 ドイツ連邦共和国大使館による『日独交流160年展』からフランツ・エッケルトに関する原稿依頼があり、執筆させていただきました。かつてRNB南海放送が《君が代》の取材でドイツ在住のエッケルトの遺族を訪ねた際、「父は日本の国歌を作曲した」と言われ、ドイツではそれが疑問視されていなかったと耳にしていたためです。
 なぜそのような誤解が生じたのかというと、大日本帝國海軍が各条約国に送付した「大日本禮式」(National hymn)の表紙に「composed on an OLD JAPANESE AIR by F.ECKERT」と記載されていたからです。
 実際には明治13年に宮内省が楽師に募集したメロディーの審査に関わったエッケルトが当選作を吹奏楽曲として編曲したわけですが、作曲したと誤解されているのなら訂正しておきたいと考えました。


Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分 →youtube.com