アコの部屋
容量不足により「ピピ(2007-2015)日記」は削除しました
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日付 | メ モ | ||
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'24.04.23 |
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'24.04.22 |
昨夜、21時過ぎに携帯を見たら「21時45分頃帰る」メールが!? 大変だ!! 練習できなくなる。ということで慌てて六絃の倭琴を探しました。 旅には五絃を持ってゆくことが多いので、どの部屋に置いてあるのか わからず、ともかく最初に見つけた六絃を調絃してみました。 自筆譜によれば明らかに十三絃なので、六絃だと1オクターヴ足りませんが、 音を変えて編曲する訳じゃないし、1オクターヴしかなくても映画で歌われた 場面のイメージを損ないませんでしたよ。初見で弾き歌いしてたら家人が戻り、 「もう本番ができるまでに仕上がってる!?」と驚いてました。短い曲ですしね。 昔は「2回歌ったら暗譜できる」なんて豪語してましたが、昨夜も2回で 琴の手も歌もほぼ暗譜できました。琴の弾き歌いが好きなんですね。 その後、ほとんど寝ないで頑張り、やっとプログラムノートが完成。 表紙も作ってみたのでブログにupしました。が、種明かしは不要かな? | ||
'24.04.21 |
ちょっと信じられないことが!? さまざまなことを並行してやっていて プログラムノートを含め遅れがちであることは否めないわけですが、 やっと5/31のリハーサル日程を決めようとしたところ、 約1名の方が本番の日程を間違えていたことが判明!! 僅か2分のために新たにスケジュールが合う人を探すのは大変だし、 3人までは何とかなっても、4人となると本当に合う日程が無いこと、 今回が最後なら、映画『親鸞』(1960)の「琴歌」をやりなさいとのメッセージ ではないかと感じたことから、急遽、六絃の和琴での演奏を模索しました。 映画の中で慈円僧正(1155-1225)を演じた大河内傳次郎が歌うはずの 琴歌の範唱テープを、作曲者が録音して渡したのに歌えなかったため、 口パクで伊福部先生の歌唱を填め込んだという曰く付きの歌です。 歌詞は、小倉百人一首に「前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)」とある 慈鎮和尚の「わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐなり」。 演奏曲目の変更によってコンサートの申し込みを解除なさりたい方は お手数をおかけし恐縮ですが、お申込み解除ページをご利用くださいませ。 | ||
'24.04.19 |
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'24.04.18 |
いくら何でも練習を休み過ぎました。丁度一週間休んで歌い始めたら 久しぶりのピアノ弾き歌いとしては、まぁまぁ…の出来でした。 あとは、喘息の発作さえ出ないよう気を付ければ声帯は大丈夫かと。 なかなか気が休まらないのは次々と"事件"が起きるからでしょう。 かなり神経がすり減ってきた感じがするので、少し"毒"を吐かないと いつまでもプログラムノートが仕上がりそうにありません。 なぜ伊福部先生の周りには不誠実な人が多く集まったのか? それは先生が寛容だったからでしょう。それでも先生から"困りごと"を 聞いていた御家族と私のあいだでは、今そういう話が表面化しています。 「ヴァイオリンの弓を返してくれなくて困っている」というお話を、私は 10年以上にわたり幾度もお聞きしました。「まだ返却されないんですか?」 と呆れつつも、私には木魚を頂いた件が気懸りでなりませんでした。 「先生、金仁権さんの『失群の鳥』の演奏でお借りした木魚をお返ししないと」 と申し上げても、「いやいや、木魚は沢山あるし、あなたが木魚を持ってないと 金さんの作品が再演できないから、あれを差し上げたわけです」と仰います。 「でも、あとあと問題になると困りますので」と私は心配していたわけですが、 「ヴァイオリンの弓とは価格も価値も比べものにならないし心配は無用です」 と言われていました。そして、ご遺族からも返却しろと言われていません。 先生のヴァイオリンの弓、表沙汰にならないと返却しないつもりでしょうか? | ||
'24.04.17 |
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日付 | 過 去 の メ モ | ||
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'23.07.20 |
『古事記』(ふることふみ/712)と『日本書紀』(やまとふみ/720)では神話の扱いが 異なりますが、『古事記』にあった和琴にまつわる神話は、私が和琴の威力 いかばかりかと疑ったことで古代歌謡の道に入る"きっかけ"となりました。 仲哀天皇が筑紫の香椎宮巡幸の折り、熊襲を討つための御神託を乞うべく 武内宿禰を審神者(さには)として天皇自ら琴を弾くと、神功皇后が神懸りし 熊襲征伐よりも三韓征伐に行くべきとの御託宣を仲哀天皇に伝えました。 ところが、仲哀天皇は「偽りを言う神だ」として聞く耳をもちませんでした。 そこで審神者の武内宿禰が、仲哀天皇に今一度、琴を弾くよう進言すると しぶしぶ弾き始めたものの、ほどなく音が聞こえなくなりました。 すぐに火を掲げて見ると、すでに仲哀天皇は崩御していたという神話です。 この神話は、ヤマト王権がいかに和琴を重視していたかを伝えています。 12世紀には後白河法皇が編纂したとされる『梁塵秘抄 口伝集』に 「和琴は和国の器にして、日本の音曲の頭としるべし」と書かれました。 その真意を理解するには『古事記』の和琴神話を紐解かねばなりません。 大国主が須佐之男の娘・須勢理毘売と根の堅州国を出て駆け落ちする際、 スサノヲの宝物たる太刀、弓矢、琴を持って遁げたのはなぜなのか? 伊福部氏が大国主の家系であるだけに、その深意を探りたくなります。 伊福部昭先生が雅楽で最も古い歴史を持つ御神楽歌やその伴奏楽器たる 和琴に興味を示されていたこととも無関係であるはずがないからです。 なお、和琴(やまとこと)が御琴(みこと)と呼ばれていたことも重要です。 宮中と一般とでは「御」の読み方(もちろん内容も!!)が違うのです。 一般の「御(お)神楽」に対し、宮中は「御(み)神楽」、「御(お)琴」は「御(み)琴」。 それゆえ、御託宣の「詔(みことのり)」は、御琴(みこと)宣(のり)かと。 | ||
'23.04.01 | |||
'21.07.27 |
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Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分 →youtube.com |
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