「農村舞台を訪ねて」

「農村舞台」は寛政11年(1799)に芝居禁止令が出たことで逆に活気づいたようです
幕府は神事祭礼や虫送り・風祭りなどの名目で芝居や見世物を行なって見物人を集め
金銭を費やしてはならないとして歌舞伎役者の入村や浄瑠璃・踊り等の催しを禁じました
それで村の青年たちが中心になって自給自足の地芝居を行なうようになったわけです
こうした暮らしに密着したステージを訪ね人とともにあった歌を演奏してまいります

六所神社 (豊田市坂上町地蔵堂)

 2014年9月14日。豊田市能楽堂での「うたの寺子屋」の翌日、午前10時から豊田市の「農村舞台」で展開されるアートプロジェクト2014(平成26年度文化庁地域発・文化芸術創造発信イニシアチブ)へ案内して頂きました。
 最初に、明治5年(1872)に建てられ、豊田市民俗有形文化財(豊田市指定27号)となっている「農村舞台」へ。舞台の一部が演者をのせて上下する二重仕掛けになっており、六所神社へ奉納する形で向き合っていました。六所山からスギ、ヒノキ、クリ、モミなどの大木を伐り出し、氏子が山から搬出した際には木にぶつかった岩を削っておろしたそうです。茅葺屋根と、背面の借景が美しい重厚な舞台でした。
 造形は加納恒氏、小原和紙は加納登茂美氏が担当されています。
 

須賀神社 (豊田市阿蔵町曽理)

 2014年9月14日。下山地区阿蔵の須賀神社へ。左の「農村舞台」では農村舞台絵地図の原画を制作された中村広子氏の作品が展示されています。須賀神社の祭神はスサノヲで、それゆえ石組みが対馬などの朝鮮式を想起させるのでしょうか? 中村さんが画かれた農村舞台絵地図にある全84の「農村舞台」のうち、石組の上に建っているのは押山町の熊野神社と当社だけのようですが。住所の曽理からソシモリを想起…。
 

御嶽神社 (豊田市阿蔵町曽理)

 2014年9月14日。阿蔵町須賀神社に着くと、まず「豊田の名木」にノミネートされているスギが目に入りました。少し登ると石碑に御嶽神社と書かれていたため、整備されていない道をどんどん上がると、右の画像の社より高い場所に小さな本殿があったので神楽歌を演奏しました。同行者だけでなく、知らない方も上がってこられたため、どんな変人として受け取られたのかが心配です(←古代歌謡の演奏にふさわしい場を求めているだけなのですが)。演奏を了えて下を見たら、須賀神社「農村舞台」の屋根が見えました。
 

諏訪神社 (豊田市怒田沢町)

 2014年9月14日。足助の諏訪神社「農村舞台」で鈴木琢磨氏の作品を拝見していたら「廻り舞台を下から見られますよ」と案内して下さいました。まだかなりしっかりしているので使われないと勿体ないですよね。この集落は14世帯で、高齢者の方が中心なのだそうです。中でも最もお若い世代に属する80歳前後の方から「どこから来てくれたんですか?」と訊かれたので「東京です」と答えると、涙ながらに「そんなに遠い所から来て下さって…」と絶句され、恐縮しました。
 この廻り舞台も素晴らしいのですが、道路を隔てた清流のせせらぎがよく聴こえるため、倭琴と川音が和して素晴らしい響きになるだろうなぁ…と想像を逞しくしました。きっと、また、お目にかからせてください!!
 

八幡社 (豊田市西樫尾町)

 2014年9月14日。同じく足助の八幡社へ。「農村舞台」には収穫した稲束が飾られ、相対する本殿へと向かう道には無数の鈴と風にはためく鮮やかな旗をつけたロープが張られていて涼やかな音を奏でてくれていました。五十嵐義郎氏による波動を生かしたスケール感のあるインスタレーションです。
 本殿への階段を登ると、拝殿右に巨石があって、太古の祭祀を感じました。日当たりもよく開放感のある空間に似合いそうな「オホヒルメ」のうたを弾き歌いしてみました。風がさわやかでした。
 

熊野神社 (豊田市明川町フセダ)

 2014年9月14日。同じく足助の熊野神社へ。「農村舞台」のある足助の熊野神社は、ほかに上八木町と月原町にあるそうです。当社は坂道を迂回して入る形になっていて、下から見ても神社があることはわかりません。小高い丘の要塞といった風情で、神社の奥にも参道があり、幾つか摂社らしき祠が祀られていました。
 こちらの「農村舞台」では、伊丹氏監修のもとに、「とよたアートナウ」と題して鬼をテーマとした作品が飾られています。子どもから大人まで楽しい作品が一堂に会していました。
 

神明社 (豊田市明賀町宮下)

 2014年9月14日。旭地区の神明社へ。三河に神明社が多いのは持統天皇が訪れたためです。よって、「明賀」の読みは「アスカ」ではないかと想像し、お訊きした方は「アスガ」と濁っておられましたが、濁点の有無だけならほぼ間違いないのではないでしょうか。
 当社は道が狭い上、ぬかるんでいて車が走れず、左の画像正面の道を登ってきました。V字に右へ上がると「農村舞台」で、右の画像でわかるように拝殿に相対しています。あら、こちらの拝殿も石組みの上に建てられていますね。相対していても、奉納する「農村舞台」は下で、拝殿・本殿は上というつくりが普通のようです。
 「農村舞台」での展示はありませんでしたが、例大祭で氏子の皆様が集っておられました。
 

岩倉神社 (豊田市中金町岩倉)

 2014年9月14日。15日に「古代の響き」をやらせて頂く石野地区の岩倉神社です。こちらは神楽殿もあるんですね。拝殿・本殿はやはり石組の上でした。後方が御神体山だと思いますが、磐座があるのでしょうか?
 こちらの「農村舞台」にも廻り舞台があり、六所神社と同じく豊田市の文化財に指定されています。文化5年(1808)に建てられた「農村舞台」が現役で使えるのが素晴らしいですね。
 さて、古代の音楽がどのように響きますやら。
 

岩倉神社 (豊田市中金町岩倉)

 2014年9月15日、岩倉神社にての「古代の響き」。拝殿の右に集会場のような建物があって控室として使わせて頂きました。窓から見える田園風景を楽しんでいたら、突然、藁を燃やし始めた方があって(画像左手)、あっという間に視界がなくなりました。しかし、その煙も本番までには消え、大勢のお客様がお運び下さいました。地面の上に座る方まで出たので、急遽ベンチを出して下さったそうで、本当に皆々様にお世話になりました。
 右の画像を上の画像と見比べていただくと一目瞭然ですが、「農村舞台」アートプロジェクトの皆さんの頑張りは物凄いです。至れり尽くせりのセッティングでした。
 御来聴くださった皆様もとても熱心で、あの長い神楽歌を静かに聴き続けて下さった方々は間違いなく古代の魂を失っておられないのでしょう。若い世代の方が多かったのが印象的で、ここから日本古来の音楽への興味関心がひろがってくれれば嬉しい限りです。私にとっては、お客様の前で神楽歌を何曲も演奏するのは初めてでしたので途中で舞台がぐるぐる回っているような気がしました(廻り舞台だし?!)。また、自然の中での演奏と違い、人声に集中力を奪われました。はたして、これは、私が越えるべきハードルなのでしょうか? それとも、今まで通り、一人で波音や虫の音との共演を楽しむべきなのでしょうか? まだまだ修行は続きます。
 

佐伎治神社 (高浜町宮崎字宮内)

 2014年10月3日。起きたら雨だったので、若狭高浜の海水浴場からほど近い佐伎治神社まで民宿ひらやまの御主人が車で送って下さいました。奥様にはジャンプ傘まで頂き、感謝の言葉もありません。自家製のコシヒカリや野菜を使ったお料理の数々と広くてきれいなお部屋はおススメです。
 生憎の雨…と思ったらそうではなく、撮影の予定がキャンセルになったとのことで、赤坂宮司さまの御厚情により広い境内にある能舞台で演奏できました。撮影までお願いしてすみません。当社では、7年に一度、老若男女それぞれが何かを担当される大祭が行なわれ、その写真集を出された方までおられるとのことで、民宿で頂戴しました。昔ながらの、本当に素晴らしいお祭りです。5年後には是非とも拝見したいと願っています。
 佐伎治神社の祭神は素盞嗚命、大己貴命、稻田姫命。出雲系とのお話でした。画像右の素晴らしい石組みは寛永11年(1634)に廃城となった高浜城の石塁の一部を移したものだそうです。背後が妙見山で、日蓮宗系の妙見宮があるそうです。また中腹には愛宕神社があり、赤坂宮司さまが神官を兼務されておられるとか。雨でなければ登る予定でしたが、何より地元の方々のハレの舞台で演奏させていただけたことを嬉しく思っています。
 

熊野神社 (小浜市須縄)

 2014年10月3日。若狭高浜駅から加斗駅までは列車、そこからタクシーです。若狭は空海が巡礼したことでも知られ、真言宗の寺院が多く、国宝に指定された仏像も数多いのですが、最初に目指した大日堂は(地図の場所には)無く、次の目的地「須縄」に向かいました。戦国時代に「すなハ村」と書かれていた「須縄」の読みは現在「スノー」です。そこに熊野神社があり、かつて泰澄が奥にある「スノの大滝」を見て那智の瀧の景勝に譬えたことで知られています。そこで、凸凹道を一人で登っていたら、鹿は啼くわ、鳥は鳴くわ…で心細くなり、大滝と呼ばれるわりに川の水は少ないようだし、熊に襲われても困るので、あと一歩のところで引き返しました。
 それから古色蒼然とした熊野神社の鳥居をくぐりました。すると、本殿に相対する舞台があったので失礼して上がらせて頂き演奏しました。今度は運転手さんがついてきて下さったので写真を2枚撮ってもらいました。
 

多田神社 (小浜市多田宮ノ下)

 2014年10月3日。「須縄」から丹後街道に出て多田寺とその手前にある多田神社へ。当社は若狭國遠敷郡の式内社多太神社に比定されています。社伝によれば、天平神護2年(766)創祀で、古来「多田大明神」「多太大明神」などと称されてきたそうです。南方にある多田岳は役行者が修行をした霊山と伝えられています。
 多田神社の祭神は大己貴命で應神天皇が配祀されており、本殿に相対する舞台もありました。
 

東富貴丹生神社 (高野町東富貴)

 2015年2月3日。前夜、吉野山に泊まり、妹山樹叢を背負う大名持神社へ立ち寄ってから「隅田」へ。目指す富貴は日にコミュニティバスが2本しかないため橋本タクシーを予約。無人駅を出て約40分ほどで富貴の集落に入りましたが、西富貴丹生神社への目印にしてきた「富貴トレーニングセンター」がわかりません。東富貴丹生神社は富貴中学校に隣接しているため、先にそちらへ行きます。小高い丘が左手に見え、通り過ぎようとしたら真新しい石碑がありました。ここから階段をのぼり、舗装された参道を通ってゆくと突然、丹生神社らしい朱塗りの社殿が目に入ります。写真はその先の入口から振り向いて撮りました。300人ほどの集落ときいておりましたが、近年、二つの丹生神社の塗り替えをされたそうです。二社とも農村舞台があったので驚きました。
 『紀伊続風土記』に、東富貴村の氏神として丹生四社明神社があり、境内周り約6町、本社(方8尺)、地主八幡宮(方4尺5寸)、舞台、拝殿、神輿舎と記されているそうです。祭礼には、当社の御輿が西富貴丹生神社まで渡御し、東西丹生神の御輿が町内を練りながら名迫明神、滝明神まで渡御を行なうとあります。
 

西富貴丹生神社 (高野町西富貴)

 2015年2月3日。東富貴丹生神社で演奏している間に運転手さんが西富貴丹生神社の場所を訊いてきてくれ、目印にしていた「富貴トレーニングセンター」はさっき通り過ぎていたとわかりました。建物や周辺道路に表示がなかったのです。赤い鳥居が見える場所まできてやっとわかりました、地図に道路が表示されていない理由が。今は舗装されていますが、それでも四輪車が通れる道幅がありません。昔ながらの参道です。
 鳥居をくぐってからはもう感嘆の連続!! これが本来の姿なんだ…と感じることばかりでした。朱塗りの社殿に着くまでに小川が2本あり、農村舞台は何と、2本目の小川を跨ぐ形で建てられていました。ですから神楽歌『さざなみ』を演奏すると、床下を流れる自然のせせらぎと合奏することになります。このような体験を生涯のうちにさせて頂けるなんて何という幸せ者なのでしょう。有り難い演奏修行でした。
 『高野の生き神』に、「当社ハ伊都郡天野村鎮座、官幣大社、丹生神社ノ天野告門ト称スル古文書ニ大御神ハ筒香藤代ノ峰ニ天降座シテ富貴ノ村ニ忌杖刺給フトアリ斬フ御経歴アリシ地ナレバ、其後勧請セシモノナラト古老ノロ碑ニ伝ヘ来レリ」と書かれているそうです。
 

足長神社 (諏訪市四賀)

 2015年4月27日。諏訪市文化財たる足長神社舞屋」を見に行きました。この「舞屋」は参道の階段を上った左手にあり、さらに階段を上ると正面に拝殿があります。「舞屋は、文久2年(1862)石田房吉らによって建造された。間口10.3m、奥行き6.4m、正面開口部上に大きな虹梁を渡し、その上に竜・獏(バク)などの彫刻を置き、木鼻は獅子の彫物とする」と書かれています。
 当社へは一ノ鳥居から長く急な階段が続き、平坦な道はありません。その参道の途中を道路が横切り、車道を渡ってさらに階段を上ったところに「舞屋」があります。そして拝殿に向かう階段の途中にある御神木と締め縄が二ノ鳥居の役目を果たしているかのように感じました。
 車道を上ってゆくと「足長公園」があり、そこからも私有地を通って拝殿の横へ出られるようになっています。裏参道入口の看板(平成16年8月)にこうありました。
 「足長裏参道(遊歩道)
 これより先は 地主 伊藤孝三様・伊藤庸平様のご好意により土地をお貸し頂いて完成した参道です」

 

胡四王神社 (花巻市矢沢)

 2015年6月28日。大曲→盛岡→新花巻と新幹線で移動し、釜石線の発車まで待ち時間が50分ほどあったので、宮澤賢治記念館のある胡四王山へ行くことに。実は、神社に興味を持つようになるまで、宮澤賢治記念館の上に神社があるとは知りませんでした。もし知っていたとしても足を運ぶことはなかったと思いますが。
 ところが、ここ胡四王山に記念館を建設するにあたっては御家族や友人知人の皆様の思いがあったのです。賢治の妹シゲは「兄賢治に手を引かれ二・三回登った。ぜひ実現させて下さい」と要請したそうです。恥ずかしながら、私は胡四王山を知らずして賢治を語ることはできないということに気づいていませんでした。
 胡四王(こしわう)神社は、この日朝一番に行った古四王神社とは表記が違いますが、発音が同じ神社は同系列とされる場合が多いようです。そして当社もやはり坂上田村麻呂と関係が深く、由緒書には大同2年(807)に坂上田村麻呂が創建したとありました。長らく天台宗「医王山胡四王寺」として地域の信仰を集めていたそうですが、文化15年(1804)に別当杉山丹後藤原道春が祭神を「薬師如来」から「大己貴命・少彦名命」に代え、地名をとって矢沢神社にしています。
 宮澤賢治記念館の建設地に選ばれた最大の理由は次の賢治の短歌(大正3年4月)に出てくる「神楽殿」にあったようです。左の画像は「神楽殿」の左側から撮った胡四王神社の拝殿と本殿です。

     〔179〕 山上の木にかこまれし 神楽殿 鳥どよみなけば われかなしむも

  〔179b180〕 神楽殿 のぼれば鳥の なきどよみ いよよに君を 恋ひわたるかも
 

石上神社 (遠野市綾織町みさ崎)

 2015年6月28日。宮澤賢治記念館のある胡四王山から新花巻駅へ戻り、釜石線で綾織へ。
 遠野へ行こうと思ったのは、物見山や石上山(1038m)があったからです。岩手にも「物部」が?
 396号線を砂子沢川に沿って北へ進むと、右手に石上神社の鳥居が見えてきます。石上山山頂に鎮座する奥宮の里宮にあたるそうです。発音は「いそのかみ」かと期待していましたが、「いしがみ」でした。境内に大きな岩盤があったので、単純に石を祀っているだけかも知れません。
 当社にも「神楽殿」というか「農村舞台」がありました。拝殿とはずいぶん距離があります。残念ながら、由緒・祭神など、当社を知る手掛かりは何もありませんでした。ただ、石神社という点で、登米の遠流志別石神社を思い出しました。どちらも社殿をUPしていませんが、磐があることと社殿の造りが似ています。
 

伊太祁曽神社 (丹生川町瓜田)

 2015年10月17日。岐阜県側から乗鞍へ行こうと思ったのは、和歌山の伊太祁曾(いたきそ)神社へ行った際、飛騨高山にも伊太祁曽神社があり、「いだき尊」と濁るらしいと聞いたためです。タクシーで小野(この)のバス停まで行けば徒歩2分ほどの距離で、そこから20分ほどバスに乗ればこの日の宿に着きます。
 小八賀川にかかる橋を渡って左折すると瓜田の集会所がありました。その先のY字の股に位置するのが目指す伊太祁曽神社です。夕日を浴びて輝くオレンジの屋根の神社には開放的な農村舞台が!?
 畑仕事をしている方に発音を訊きましたら、地名の瓜田は「うりた」とも「うりだ」とも、伊太祁曾は「いたきそ」とも「いだきそ」とも言うそうで、このあたりの地名はみんな濁ったり濁らなかったりだと教えて下さいました。
 

赤ア神社 (長門市東深川)

 2016年3月30日。これぞ農村舞台!! と言える場に辿り着きました。長門市駅から遠くない赤ア神社楽桟敷と呼ばれる天然の素材を生かした舞台があると知り、萩・石見空港から萩、長門市と移動。現在もまだ現役として使われている楽桟敷、ほんとうに清々しい空間でした。
 赤ア神社楽桟敷は昭和38年に国指定重要有形民俗文化財に指定されており、碑文にこうあります。

 例祭(9月10日)に奉納する楽踊、湯本南条踊(いずれも県指定無形文化財)、地芝居などの観覧席として、赤崎山の中腹の摺鉢状の山の浴に、北、東、南の傾斜面の地形をうまく利用し、谷底を踊り場として石垣で築き上げた階段状馬蹄形の桟敷である。
 桟敷は北側四段、東側十二段、南側五段で、総面積約1,611平方メートル、一段の高さは約90cmから170cmで、広さは畳三枚分位に区分されて桝形に形成され、各桝は竹笹をもって竹矢来仕立に区切っていた。
 桟敷の構築年代は判然としないが、奉納芸能がはじめられた慶長元年
(1596)以後次第に構築され、江戸後期から明治初期にかけて現在の形態に完成したものと思われる。桟敷は宮桟敷(御用桟敷)、祭組共有の桟敷、個人または共有の桟敷等があり、昭和30年代までは芝居小屋もあり、その音響効果はすばらしいものであった。
 

犬飼農村舞台 (徳島市八多町八屋)

 2017年5月13日。犬飼 (いぬがひ)農村舞台は五王神社の境内にあります。建物は平成10年に国の重要有形民俗文化財に指定されています。人形浄瑠璃文化圏の徳島では、江戸時代に「人形浄瑠璃」のための農村舞台が建てられました。全国的には圧倒的に「農村歌舞伎」の舞台が多く、徳島は特別です。
 五王神社の犬飼農村舞台は明治6年の建造なので比較的新しく、場面によって舞台を変化させるからくりが原型に近い形で残されているそうです。現在も毎年11月3日に五穀豊穣や天下泰平を祈る「式三番叟」を五王神社に奉納してから舞台で「人形浄瑠璃」が行なわれた後、地元の保存会による「襖からくり」も行なわれるそうです。五王神社の例祭では、昔から神輿を出さずに「地芝居」や「人形浄瑠璃」を奉納してきたそうで、見に行きたいけれど大変に人気があり、席の確保が難しそう…。
 

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