故 郷 発 見 9 (伊勢神宮お木曳篇)
宇多津の太鼓台、伊勢路を行く

2006/06/04


虎ちゃん、来たよ(眠いけど)!


地面に落として邪気を払う


あがった、あがった!

 「宇多津の太鼓台を伊勢神宮に奉納」とのニュースがとびこんできた。「お木曳(おきひき)」という行事があることすら知らなかった私だが、宇多津の太鼓台が伊勢路を練り歩くとなれば見に行かねばなるまい。
 宇多津・西町東の太鼓台が登場するのは、6月3日と「第一次お木曳」の最終日となる4日だというので、3日の深夜に伊勢市のホテルに入り、翌朝8時に集合場所へ向かうことにした。

 タクシーはここまでと降ろされ、どっちへ歩こうかと迷っていると太鼓の音が! 左だ!!
 音を頼りに歩いてゆくと太鼓台が見えた。道幅のせいか太鼓台が小さく見えたが、「よいや〜せ〜」のかけ声が始まると、いつもの如く物凄い躍動感だ。前日も担いだというのに、初っぱなから「世の中みごとにせい!」で太鼓台を地面に落とした。
 同級生の虎ちゃんに「落としていいの?」と訊くと、「この豪快さが評価されて『お木曳』に参加できることになったんだから」とのこと。内心、御神木を曳くのに合わせて、淡々と太鼓台を担ぐだけなのではないかと案じていたので、嬉しくなった。その後も何度も地面に落として邪気を払ってくれたので、本当に胸のすく思いがした。

 町長さんの御高配で「宇多津」のハッピを着させてもらったので、見物の皆さんから質問を受けた。
 「『宇夫階神社』の発音は?」
 「うぶしなじんじゃ
 「『宇多津』ってどこ?」
 「うたづは瀬戸大橋の香川県側のたもと
…聖徳太子の時代の四国の地図には『鵜足津』の地名しかなかったというほど古い歴史を持つ町」

 すでに昨日の太鼓台の様子が地元紙に出たこともあって、わざわざ見に来て下さった方も居られた。外宮の入り口で「いつ落とすの?」と訊かれ、「今ケーブルTVの到着を待っているところで…」とご説明させて頂いた方は、奉納が終わった後、「太鼓台を落とした時には身震いがした!」と興奮気味に仰って下さった。

 いったい、僅か数十戸で何千万円という太鼓台を維持している宇多津の各町内会のエネルギーって何?
 伝統を維持する力があるというのは本当にすごい。

 また、音楽的な面では、どんなに意想を凝らして書かれた歌も、単調な「よいや〜せ〜、さあし〜ましょ」の反復の前にはかすんでしまう。そもそも人の音楽観は子供時代に聞いた歌で決まるというから、私にとっての最高の音楽は、太鼓の音とともに大勢で掛け合う「よいや〜せ〜(ハ、ドッコイ)、さあし〜ましょ(ハ、ドッコイ)、さあし〜ましょ(ハ、ドッコイ)、世の中みごとにせい!」なのだ(どうやら合唱でハモると虫唾が走る原因はここにあったらしい)。

 1トン以上もある太鼓台を担ぐ場合、腰砕けになると怪我をしかねない。それで、気合いと腰を入れるから腹がすわる。まさに腹の底から声が出るというわけだ。しかも、いったん地面に叩き落とした太鼓台を再び差し上げるのは、単なる力わざではない。皆が絶妙の間合いで上げなければ体勢が崩れてしまう。これぞまさに命がけの「和」の精神ではないか。


宇多津の町長さん


外宮へ向かう太鼓台


外宮前で砂煙をあげて奉納



外宮(げくう)・多賀宮(たかのみや)
 宇多津の太鼓台は、わざわざ遠くから来るのだからと、午後は地元の方のみによる「お木曳」にも参加させて頂けることになった。
 しかしその日のうちに帰宅しなくてはならない私は一足先に一人で多賀宮に参詣してから松阪の本居長世メモリアルハウスへ向かった。
 わが宇多津の宇夫階神社は昭和48年に焼失し、多賀宮の御用材一式を譲り受けて再建された。20年ごとに建て替えられる伊勢神宮のお宮が丸々一棟、20年を超えて残っているのは全国で唯一つということで、2005年に国の登録有形文化財の指定を受けた。
 2007年はその宇夫階神社遷座千二百年にあたる。多くの方々に宇多津の伝統文化をご覧いただければと願う。

この石段を登って多賀宮へ

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