アカンボとの暮らしつれづれ
2000年9月6日(生後396日め)
各種引越手続のうち、電話で済ませられるものを片付けた。
何かモノを移動させると、のい が飛んできて邪魔をするので、引越荷物が片付かない。
2000年9月5日(生後395日め)
ホテルでゆっくりしてから家に戻った。といっても重い荷物(含む のい)があるので楽ではなかったが。
夫がバルサンの後始末として掃除機をかけている間、のい と私は外で待機。
買い物に行ったり、大家さんに帰った旨報告したり、山のような洗濯物を片付けたり。
思いがけず、私たちも22日に出国することになった。
2000年9月4日(生後394日め)
福井から新大阪〜伊丹空港を経て、夕方、大分に帰った。のいを抱いての長距離の移動で、足が疲れた。
1ヵ月放置していた部屋に、害虫が棲んでいるかもと考え、バルサンを焚くことにした。
そのため駅前のホテルに一泊。「子連れ」だと言ったら、和室をあてがわれた。
夕食の後、バルサンを焚きに家へ。またしても、遅くまで、のい を連れ回してしまった。
2000年9月3日(生後393日め)
義弟と夫、のい、私の4人で墓参り。
2000年9月2日(生後392日め)
のいは義父に抱かれて、田んぼやら、どこやらに連れていってもらった様子。
長い廊下をパタパタ歩き回って、たくさんの引き戸を動かして、嬉しそうにしている。
2000年9月1日(生後391日め)
義父には慣れて、喜んで行くようになった。
台所のガスレンジのスイッチを触ろうとするのを「危ない!ダメ!」と叱り、レンジから引き剥がしていると、
「そんなにしたら、のいちゃんは何も触らせてもらえないね、可哀相」との声。
危ないものは危ないのだ。ちゃんと教えないとダメなのだ。勝手な声は無視する。
義弟夫婦に赤ちゃんが生まれ、明日退院だというので、夕方、病院へ。義弟の妻のTさんに会った。
目が大きくて、可愛い女の子だ。のいの従妹である。
出発が遅かったために、夕食も遅くなってしまい、のい は車の中で眠ってしまった。
眠ったまま風呂に入れようとしたが失敗し、大泣きさせてしまった。
二晩連続で、大人のペースで行動させてしまい、そちらの方がよっぽど“可哀相”なんだけどな。
2000年8月31日(生後390日め)
京都経由で福井へ。京都駅まで近鉄電車で行ったが、母が同行してくれたのでとても助かった。
北陸本線で着いた駅には、義父母が待っていた。のい は、じっと見て泣いていた。
夕方、夫も帰国して福井に到着。のい は、父親をすっかり忘れており、大泣き。
夕食を始めるのが遅くなり、疲れとあいまって、のいは食べ終わると眠ってしまった。
2000年8月30日(生後389日め)
実家に帰ったら、大阪の街に出て用事を済ませたいと思っていたのに、結局、果たせずに滞在期間が終わった。
のいは、階段を上まで上がれるようになってしまった。しかし下りることはできない。
2000年8月29日(生後388日め)
まだ今一つ、情緒が安定しない。大笑いしてふざけているかと思えば、些細なことで泣く。
散歩に出たら、お互い気が紛れるかもと思って、ベビーカーで近所のホームセンターへ出たが、
欲しいものは何もなし。店の中でも泣かれて、結局抱いていなければならず、かえって疲れた。
私も疲れがたまっていたのか、のい と一緒に2時間も昼寝をしてしまった。
2000年8月28日(生後387日め)
夜中、汗びっしょりになって何度も泣いたので、こちらもヘトヘト。朝、起きられない上に、身体中が痛い。
午前中、眠らないので、買い物がてら散歩に出たが、店に入ったら泣いて、抱かざるを得ず。
すっかり情緒不安定になっていて、帰り道も泣く。仕方ないので、買い物袋とベビーカーとのい をかついで、
坂道を、汗まみれになって上った。汗だく。こっちまで泣きたくなった。
午後、妹夫婦が出発。結局、のい は、妹の夫には泣いてばかりで申し訳なかった。
夕方、奈良の「赤ちゃんホンポ」へ。のいの秋冬用の衣類をたくさん、両親が買ってくれた。
マグカップを自分で持つが、器に口をつけずに、アゴの先から顔の下半分を突っ込もうとして笑わせる。
2000年8月27日(生後386日め)
朝、ぼーっとしている間だけは、妹の夫にもニコニコして遊んでもらっていたが、その後はダメで泣く。
私の体調もいま一つで、外出したい病がウズウズ。足がないから仕方ないのだが、何とももどかしい。
2000年8月26日(生後385日め)
母が外出中、買い出しをして、妹と料理する。
屋根裏の物置で、古い絵本を漁った。『シナの5にんきょうだい』など。
のい はサッシのロックを外せるようになってしまった。サイドボードの引き出しも、開けられるようになってしまった。
夜、妹の夫が車で到着。
2000年8月25日(生後384日め)
羽曳野へ。大伯父のところで のい は、氷の容れ物をいたずらして得意になっていた。
祖父の実家では、生後9ヶ月のHちゃんと対面。やはり子供どうしだと嬉しいらしい。
Hちゃんの顔を触ろうとして、力の加減が判らず、叩いてしまった。
2000年8月24日(生後383日め)
妹には、あっという間に慣れた。
夜、東大阪の従弟が、バイクで遊びに来てくれた。のい は、愛想が良かった。泣きもせず。
母がやっと、のいを泣かせずに風呂に入れるのに成功した。
服を着せたまま浴室に連れていき、しばらく遊んでから脱がせたとのこと。
2000年8月23日(生後382日め)
熱は疲れによるものだったのかもしれない。本日は、昨日ぼーっとしていた分を取り戻すかのように、元気一杯。
昼寝の時間になっても眠らない。あてどない散歩に連れ出して疲れさせ、やっと眠らせた。
のいが眠っている間に、湘南在住の妹が到着。目覚めていきなり妹の姿を見てしまった。
見知らぬ人の存在に驚いて大泣き。でも、すぐに慣れ、妹にお腹をくすぐられて、はしゃいでいた。
2000年8月22日(生後381日め)
夜中に珍しく大泣きし、乳だけでは満足しなかったので、お茶を飲ませてやっと眠らせた。
朝、気がついたら体温が37.8℃。午後には38.3℃に。
少々普段よりボーッとした感じだが、他に症状はない。食欲もあるし、笑うし、遊ぶ。様子を見た。
夕食の時に、調子良く食べていたので、ついハイペースで匙を運んだら、ゲボゲボッ。
吐いたら楽になったらしく、その後は熱が下がった。しかし、風呂には入れず。
2000年8月21日(生後380日め)
朝、隣のNさんが、デュッセルドルフ在住のときの参考資料をもってきてくださった。
のいを見て、サッと名前を呼んで下さったのは、さすがドイツ語を使っていた方だけある。
ドイツ人は子供を可愛がる、ベビーカーで電車に乗るときは、周りの人がサッと助けてくれる、とのこと。
昼間、母と のい と 3人で美容院へ。私が髪を切ってもらっている間、母がのいを抱いていてくれた。
夕方、奈良そごう のからくり時計を見にいった。
のい は、初めはあらぬ方向を眺めていたが、大勢の人形が回り始めると、ぼう然と見入っていた。
ついでに、奈良公園の鹿を見に行ったが、鹿の前に着いたとき、のいは眠ってしまっていた。残念。
2000年8月20日(生後379日め)
久しぶりに、洗い物以外で、ちゃんと台所に立った。
私が台所に立つと、のいは、私の姿が見えないので泣くか、台所に侵入して危ないものを触るかのどちらか。
眠っている間以外は、落ち着いて料理など、とてもできない。
2000年8月19日(生後378日め)
母の実家へ。祖母(のいにとっては曾祖母)に会った。泣かず。
伯父には無抵抗、ニコニコで抱かれた。やはり伯父は、孫6人に強力に慕われているだけある。
子どもに好かれるオーラが出ているものと思われる。
2000年8月18日(生後377日め)
生駒山麓の公園へ。初めて靴を履いて外を歩き、長いすべり台をすべり、
退役して公園に置かれているケーブルカーにいやにご執心で、何度も入りたがっていた。
2000年8月17日(生後376日め)
初めてパンツ型のおむつをはいた。うーん、早かったかな。今はまだ、寝転ばせて替える方が楽だ。
のいが、洗濯機横の棚の漂白剤に気付いてしまったので、棚ごとタオルで目隠しした。
2000年8月16日(生後375日め)
やっと、父母に自分から喜んで抱かれに行くようになった。
しかし、風呂はまだダメ。母が風呂場に入ってきただけで、泣いてしまう。
2000年8月15日(生後374日め)
散歩のついでに、ホームセンターでコンセントカバーとガラスの引き戸のストッパーを買った。
2000年8月14日(生後373日め)
父母は外出。のい と私は留守番。はしかの予防接種では、1週間後に2割の子が発熱するというので、様子を見た。
CATVの、のいの大好きな「お天気チャンネル」(一日中、天気予報ばかり)を流したせいか、
大分の家にいるときのようにベタベタしてやったせいか、しっかり昼寝をした。結局、熱は出ず。
椅子を押して歩いたり、椅子の背当ての穴から手を出したり、摺りガラスの模様から外を眺めたり、
レバーハンドルのドアを開閉しようとしたり、ステンレスの魔法瓶を転がしたり。次々と遊んでいた。
2000年8月13日(生後372日め)
やっと父母に慣れてきた。私が少々姿を隠しても、夢中で2人と遊んでいると、気付かないこともある。
母がベビーカーを押して、買い物に連れていってくれたが、知らない道だと不安になったのか、
帰り道で泣き出したので、仕方なく抱いて帰った。
サイドボードをあまりに触りたがるので、とうとう、父と母が紙を貼って塞いだ。
中の物が取りだせず、皆して不便になってしまった。
2000年8月12日(生後371日め)
父の実家に墓参り。のいは、ひいじいちゃんと初対面。
亡くなった祖母に、のい を見せてやりかったと、私はちょっとだけ泣けた。
その後、叔母の家へ。お昼をごちそうになった。
のい は、ひいじいちゃんには全く泣かず、ニコニコと写真を撮られていた。
叔母がプレゼントをくださった、そののし紙に、水彩でヒマワリの絵。8月生まれの のい の花だそうだ。
2000年8月11日(生後370日め)
サイドボードのガラス戸を開けては、中の小物をイタズラしようとする。母のカバンや父のベルトで遊びたがる。
母の若い友人が貸してくれたオモチャより、そういうものの方が面白いらしい。
2000年8月10日(生後369日め)
私が離れると、のいが大泣きするので、トイレにも行けない。
昨夜、母が風呂に入れてやろうとしたのに、泣き入りそうになるほど大泣きし、がっかりさせた。
私にセミのごとくに、しがみついているので、とうとう「蝉丸」というあだ名がついた。坊主頭だからピッタリ。
昨日の夕方、奈良の赤ちゃん本舗で買ってもらった靴をはかせてみたが、自分で脱いでしまう。
2000年8月9日(生後368日め)
朝8時にタクシーを呼んで、駅へ。のい10kgをダッコひもで抱き、荷物10kgと、生ゴミまでもって。
意外にも、いつも渋滞する踏切前はガラガラで、予定より1本早いバスに乗ることができた。
バスは海岸沿いを走る。のい は海を見ては「あ!」、水族館(マリンパレス)のところでは「おーおー」。
大分空港で、予定よりも時間があったし、のいはほとんど朝食を食べなかったので、ガンジー牧場のヨーグルトをやった。
待合室にいたら、母親学級で一緒だったYさん母子とバッタリ。彼らは東京行の先行便。
しばらく のい とHちゃんをベンチで遊ばせながら、おしゃべりできて良かった。
しかし、出発ロビーのトイレには、ベビーキープ付きのブースがなく、そのうえ、すべて和式。
アカンボ連れの旅には苛酷であった。困ったものだ。文句のメモを投函しておいた。
のい はヨーグルトでお腹がふくれたのと、お友達と遊んで疲れた相乗効果か、離陸後、すぐ眠ってしまった。
伊丹空港到着後、バスで近鉄上本町駅へ。バスターミナルから駅までの段差ボコボコの通路を、
ベビーカーを押している他のお客さんと、励まし合いつつ歩いた。
のい は、飛行機のみならず電車に乗るのも初めて。ネクタイビジネスマンの大群を興味深そうに見たり、
高校球児(のいと同じ坊主)に足をなでなでされたり、私のカバンをいじくったり、退屈せずに過ごしたが、
最後に、生駒山の長い長いトンネルで、不安になったか、泣き出した。
2000年8月8日(生後367日め)
帰省荷物づくりと片付け。チャイルドシートを梱包し、昨日薬局でもらった紙オムツの箱に、
食事用の椅子やら、実家で行う作業用品(引越のための書類など)を詰めた。
のいは、片付けたい私とは関係なく、いつもの調子で散らかしていた。
ヤマト運輸さんに集荷に来てもらったら、いつものKおっちゃんが来てくれた。
午後、散歩に出たら、のい を気に入ってくれていて、やたらと誉めてくれるオバアサンにも会えた。
しばらく留守にするので会えて良かった。
のい が生まれてからのこの1年、なんと馴染みの人が増えたことだろう。
手荷物にするMac(PowerBook2400c)関係の動作確認と梱包を終えたら、朝2時。慌てて寝た。
2000年8月7日(生後366日め)
今日で1歳。はしかの予防接種は1歳から無料で受けられる。
ドイツに行くまでに受けられるだけの予防接種を受けておかねば。さっそく車で、いつもの小児科へ。
途中、翌々日からの帰省に備え、用事をまとめて済ませようと、2軒に立ち寄った。
立ち寄っている間に、駐車した車内の気温が上がってしまったのが、まずかった。
小児科に着いて体温をはかったら、37.7℃!
げげっ。この予防接種のために、母子家庭状態を2週間も続けてきたのに。延期か??
のい本人はいつもと変わりない様子。あるのは熱だけだ。家から直行すればよかった…と思っても後の祭り。
焦っていたが、診察の結果、I医師は「だいじょうぶ。注射して問題ないよ」とおっしゃり、接種は実施された。
「アナフィラキシーを起こす場合があるので、30分は気をつけて見ていて下さい」と言われたが、大丈夫だった。ほっ。
カルテを見て、今日が誕生日だと知った看護婦さんが、紙のピロピロ笛をプレゼントしてくださった。
私はあまりに焦っていたせいで、予防接種の識別札を、看護婦さんに渡さずに持って帰ってきてしまった。あたたた。
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