アカンボとの暮らしつれづれ
99年9月6日(生後30日め)
お湯で絞ったガーゼで顔を拭いてやったら、沐浴のときのように、「ホー」と気持ち良さそうにしていた。
夫に買ってきてもらった“母乳パック”(滅菌済)を使って、初めて冷凍母乳をつくった。
99年9月5日(生後29日め)
乳汁うっ滞の予防のために、摂取カロリーを低くしたら、乳の出が悪くなった。コントロールが難しい。
実家から、のい の服などが届いた。今は肌着一枚で過ごしているが、涼しくなったらすぐに着させよう。
99年9月4日(生後28日め)
沐浴後、身体を拭かれているときの のい の笑顔が、なんとも可愛いので、写真をとった。
99年9月3日(生後27日め)
大分市の委託で、近所で開業している、高齢の助産婦さんが見えた。
授乳の姿勢をみてもらったり、腕を使わずにアカンボをあやす方法など、教わる。
授乳時にたくしあげたTシャツが落ちないようにする、紐のネックレスは、すぐに作った。簡単便利!
■ 1mくらいの紐を輪にして首にかけ、その上にTシャツを着る。
■ 授乳のときには、輪の下部を引いて裾からTシャツをたくし上げ、さらに首にかける。
オムツを4つ折り2枚重ねにしていたら「まだ早すぎる。躾のためにも1枚がいいですよ」。
2枚重ねるのは面倒だし、股がゴロゴロするし…と思っていたところだったので、即、1枚にする。
普通、助産婦さん(または保健婦さん)が来訪するのは1回なのに、私の場合、研修生も含めて
3回も助産婦さんが来てくださり、その度に知恵を授かることができて、ありがたい。
夕方、右乳にシコリと痛み。少し搾乳したところで、のい が乳を欲しがったので、渡りに船と飲ませる。
なんとか治った。別に脂っこいものを食べている訳ではないのに……前回のときと共通する食品は、トウモロコシだ。
99年9月2日(生後26日め)
昨日の採血の結果をききに、再び県立病院へ。異常といえるほどの数値ではないが、普通より若干高いので
首が座るまで定期的に経過をみることになった。
夜、知人の訃報を知る。つい2ヵ月前に会ったときは元気だったのに。信じられない。
共通の友達に電話。途中でのい が泣いた。「赤ちゃんの泣き声っていいね。救われる気がする」と言われた。
99年9月1日(生後25日め)
大分県立病院へ、夫とタクシーで出かける。朝早くて、出がけは修羅場のようだった。
小児科の待合室では、幼児やその母親たちに「赤ちゃんだ、かわいいー」と騒がれる。
そう言っているキミだって、オバチャンから見たら、十分に赤ちゃんなんだけど(笑)。
待たされて、2度も病院内で授乳するはめになった。診察上は問題なく、詳しく調べるため再々採血。
夕方、“甘え泣き”に対して、抱いたまま、簡単な家事をかたづけるすべを覚えた。
夜になって、左乳上側に、シコリと猛烈な痛み。乳が出過ぎる人によくある、乳汁のうっ滞だ。
医院に電話し、乳房専門の助産婦さんに指示を仰いだ。
痛むところを冷やし、しばらくは飲み食い禁止。
シコリを圧迫しながら、タテ抱きで授乳するように……とのこと。
夜中の授乳は、痛みをこらえつつ必死で飲ませた。飲む方も真剣。どうにか治った。
99年8月31日(生後24日め)
医院から電話。
再採血の結果、数値が普通より少し高いものがあるので、大分県立病院でフォローしてもらうように、とのこと。
夫に紹介状をとりにいってもらい、明日の朝、診てもらうことに。
夕方、のい が泣いて泣いて、病院に行かねばならない不安もあって、こちらまで泣きたくなる。
99年8月30日(生後23日め)
助産婦研修生のHさんと、学校の教官が、定期観察のため来訪。
手足をやたらバタバタさせているのは、興奮しているからではなく、頭を働かせているからで、
男の子には多いらしい。眠らせるコツ(布団に置くときに、手をしばらく握ってやる)など、教わった。
オムツはそろそろ、4つ折り2枚重ねにすると良いとのこと。これまでは6つ折りにしていた。
夕方、夫の帰宅を待って、数日分の食料品を買い出しに。店までの往復時間も含め、たった10分間で! 激疲労。
99年8月29日(生後22日め)
のい が真っ赤な顔をして気張っているので、何かと思ったら、オナラだった。
乳の出がいいため、空気も一緒に飲んでいるらしく、ゲップで出なかった分が、下から出る訳だ。
夫に“産褥期のイライラ”について話をし、理解を求めた。
婦長さんから退院指導のときにきいた事例をまじえたら、理解してもらえたようだった。
99年8月28日(生後21日め)
ぐずる。ウチワであおいでやると、機嫌がいい。温湿度計を見て、30度弱にキープしているのだが……
夕方のテレビで、最高気温が34度にも上がっていたことを知る。そりゃ、ぐずるわ。
99年8月27日(生後20日め)
夫の母が帰路についた。これからは、夫婦2人で生活を回していかなくてはならない。
のい は午後、ぐずって大泣き。
99年8月26日(生後19日め)
眠っている間にオムツを替えたら、怒って凄まじく泣く。これまでは平気だったのに。
だんだん分かってきたのだろう。
99年8月25日(生後18日め)
沐浴の後、身体を拭くときに、平たいところに置かずに、抱いたままで拭いたら、極上の笑顔。
99年8月24日(生後17日め)
夫の母が飛行機で到着。
のい は生まれる前から手足を激しく動かす性向があったが、足がますます強くなり、
抱いていると、私の太ももの上で、足をつっぱらせるようになった。まるで立っているかのよう。
医院から電話。血液検査の結果、数値が少し高い項目が有るので、再採血に来るようにとのこと。
父の車で、医院へ連れて行ってもらう。
足の裏から採血するために、どこか別室に連れていかれたのだが、泣き声で居場所が分かった。
父と母は、旅がてらドライブしながら、帰路についた。
99年8月23日(生後16日め)
のい は、昼間、静かにゆっくりと眠った反動で、夜、何度も泣いた。
だんだん太って、赤ちゃんらしくなってきた。
99年8月22日(生後15日め)
実家の父が、自家用車でフェリーに乗って、大分に到着。
小学校のときの先生も、のい を見に来てくださった。
99年8月21日(生後14日め)
昨日、昼間に沐浴してもらったせいか、リズムが狂って、
のい は夜中、目をランランと光らせて眠らず。明け方にやっと落ち着いた。
修理に出したオーブンレンジが戻ってきて(マイコンの誤作動だったらしい)、ほっとした。
99年8月20日(生後13日め)
医院の助産婦さんによる家庭訪問。これはなかなかないサービスだ。
婦長さんが来て下さった。ブツブツは「あせも」と判明。夏だから仕方ないとのこと。
できるだけ、エアコンは使いたくないので、自然の通風と、エアコンの除湿モードだけでやっているのだ。
看護婦さんが沐浴してくださったときに、先日出血した臍の血のかたまりをポイッ。
その下はきれいなお臍になっていた。心配したのが嘘みたい。
乳の出も、生活環境も、問題なしとのこと。体重も、1日40g以上増えていた。
乳房マッサージをしていただいたおかげで、その後から、噴射するように勢いよく出るようになった。
99年8月19日(生後12日め)
一日ずーっと、身体を横にしていたら、夕方に元気を回復した。
街に出た母が、自転車を修理に出してくれた。
のい の首の周りにブツブツを発見。なんだろう。
99年8月18日(生後11日め)
車に続いて今度は、オーブンレンジが壊れ、びっくり、ぐったり。へとへと。
のい の機嫌がいいのが、何より。
99年8月17日(生後10日め)
昼間、母が車を使おうとしたときにバッテリー上がりが発覚。
JAFを呼ぶはめになり(しかも充電の途中でエンジンを切ってしまい、二度も呼んだ)、すっかり疲れる。
沐浴の後、初めて湯冷ましを20cc飲む。この日から、夜は紙オムツにすることにした。
99年8月16日(生後9日め)
臍(臍の緒はすでに落ちている)がオムツカバーでこすれて、血が出てしまい、慌てる。
痛そうで涙が出た。とりあえず、ガーゼを貼る。
99年8月15日(生後8日め)
夕方、実家の母が、飛行機で到着。家のベビーバスを食卓の上に置いて、初めての沐浴をした。
お湯に浸かるのは好きらしく、「ホー」と言っているような口をするので、面白い。
99年8月14日(生後7日め)
「ここが、のい の家だよ」。やっと家に帰ってきた。ありあわせのもので夕食をつくり、
入院中の汚れ物を洗い、授乳の合間に、1週間分の新聞2紙のスクラップまでしてしまった。
産褥期は、細かい文字を見ない方がいい ということを知らなかったので……。
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