アカンボとの暮らしつれづれ
99年11月6日(生後91日め)
久しぶりに曇り。外気浴を兼ねて、生鮮食料品も売っているコンビニまで歩いた。
レジで後ろに並んだオバアサンが「何ヶ月? 頭の形がいいね」と声をかけてくれた。
それは嬉しかったのだが、オバアサンが咳をしているのが気になって気になって……。
99年11月5日(生後90日め)
今日は、オムツを開くたびに、オシッコ噴水に遭った。一日一度では済まず。
機嫌はすこぶる良く、よくしゃべる。声を出すこと自体が楽しいのか、一人ででもしゃべっている。
愛想もたっぷりで、アパートの前に出てこられた大家さんに、ニコニコと笑いかけた。
夕方、Iさんが、先日撮った写真ができたからと、わざわざ家に届けて下さった。
昨日に引き続き、夫が風邪ひきのため、のい をお風呂に入れるのは私だった。
風呂上がりの授乳のとき、私が頭にタオルを巻いているのが気になるらしく、
「だれだ?この人は」とでも言いたげに見て、おっぱいを飲もうとしなかった。
99年11月4日(生後89日め)
昨日とはうってかわって、よく眠る。夜は8時間も寝続け、こちらは乳がこぼれてしまった。
午後、散歩の足を少し延ばして、八百屋に、初めて のい を連れて行った。
新しいパートのお姉さんに頼んで、買った野菜を、肩から提げたズタ袋に詰めてもらった。
途中、幼稚園から歩いて帰ってくる女児軍団の一人が、こちらに向かって「ばいばーい」。
幼稚園児に知り合いいたっけな? 「ばいばい…?」と自信なく返したら、近所の子だった。
のい連れだと、幼稚園児も気軽に声をかけてくれるというわけだ。
夜、「アララララララ」(ラの部分で舌を震わせる)と言ったら大喜び。真似した声を出していた。
99年11月3日(生後88日め)
午後はずっとグズグズ。外に出ている間だけは機嫌がいいが、家に入った途端に泣く。
1時間半おきにヒーン、ヒーン、ウェーン、エエエッエッ。
あやしても短時間しかもたないので、乳をくわえさせてみると、しっかりと飲むではないか。
それを数回繰り返したものだから、さすがのよく出る乳もへたりそうに。
乳を枯渇させてはならじと、こちらは必死で栄養補給。用事が何もできず。
寒くなって来たので、ここのところ和服式打ち合わせの水色のチョッキを着せているが、
「マルコメみそ」坊やかアニメの「一休さん」か、といった感じ。
生まれたときから髪がフサフサの赤ちゃんもいるが、のい は薄めなのである。
後頭部の髪の毛が、枕で擦れてハゲてきた。この時期はそういうものらしい。
99年11月2日(生後87日め)
散歩の途中、史蹟で日なたぼっこしていたら、見知らぬオバサマが声をかけてくださった。
東京の三鷹にいる娘さんが、先日里帰りして、4人めを産んで帰ったところだそうだ。
「向こうでは、生活クラブに入ったり、若いお母さん同志で育児サークルをつくったり、楽しくやっているみたい。
ひきかえ、大分は、若いお母さんがポツポツとしかいないし、公園も少ないし、子供を育てるの大変だと思うわー。
行政のケアも、年寄りのことばっかりよね」と言われてしまった。
そうなのだ。分かっている人だなあー。同情されてジーン。秋だからおセンチモードなのかもな私であった。
のいは愛想良く、オバサマに満面の笑みを見せた。家の中ではグズグズ言っていたのに。
99年11月1日(生後86日め)
抱っこして歌を歌っていたら、のいも合わせて「ふー」などと言っていた。
強風ではあったが、夕方、郵便局まで連れて行った。
帰宅後はえらくご機嫌で、私の顔を見ては何やら言いながら、ニコニコ。
99年10月31日(生後85日め)
おんぶ抱っこひも を買いに、車で郊外へ。のい は夫が抱っこ。
消耗品なども大急ぎで買い込み、さながら、“お買い物競争”のようだった。
のい は興奮したのか、夜、風呂上がりの授乳の後もなかなか眠らず。
私が終い風呂から上がってもまだ起きていて、
髪が濡れてペシャンコになった私の顔を、もの珍しそうに眺めていた。
99年10月30日(生後84日め)
顔の湿疹が治りかかって、古い皮が剥けてきた。それが痒いのか、あるいは単に甘えたいのか、
抱っこすると、顔をやたらと私の胸にすりつけてくる。かわいー。でも、服はヨダレでドロドロ。
手は始終しゃぶっているからベタベタだし、足の裏もどういうわけか湿っぽい。
そしてよく泣く。……アカンボとは、水っぽい生き物である。
99年10月29日(生後83日め)
のい が機嫌良くしているので、Eメールアドレスのない友人にひさしぶりに電話。
のい はその間、腕の中で眠ってしまった。切った途端に大泣き。久しぶりの相手だと分かったのか。
セールスの電話などがかかってくると、最初から思いっきり泣くのである。
洗濯物をたたむのを見るのが好きらしい。“洗濯物たたみショー”と言いながら、わざと派手な動きをしてやる。
眠いときにこのショーをやると、睡魔に引き込まれながら、それでも懸命に見ようとしているので、おかしい。
99年10月28日(生後82日め)
完全ではないが、首がすわりつつある。
たて抱きのとき、のいの首を手で支えなくてもグラグラしなくなった。
99年10月27日(生後81日め)
晴れたが風が強い。散歩は自粛。アパートの前やバルコニーで外気浴(私は気分転換)した。
のい は、布オムツの干し具がクルクル回るのを見て「ふー!」などと言っていた。
私はやたらと眠く、のいに風呂上がりの授乳をした後、一緒に眠ってしまった。
オムツの洗濯(全自動洗濯機がやるんだが)の仕込みなど、すべて夫がやってくれていた。うう。
99年10月26日(生後80日め)
かつての職場でいろいろお世話になったお姉さま・Sさんが、東京から来て下さった。
会うのは2年弱ぶり。Sさんは初めての大分。以前なら、車で市内の有名建築を案内していたところだが、
まだチャイルドシートを用意していないため、かなわず。自宅まで来ていただいた。
話に熱中していると、のい が、「相手をしろ」とばかりに泣いた。
乳をやりながら話をしていたら、のいは片乳だけ飲み干して、眠ってしまった。
とても楽しい時間だったが、Sさんは博多へ向かう途中のため、短い滞在だった。ちと残念。
走り回るように出歩いて、バリバリと仕事していた頃を思い出した。懐かしかったが、それはそれ。
「過去がなんぼのもんじゃい。今は、のい のそばにいるよ」、
「1日が24時間なのは皆同じ。母ちゃんも、今できる範囲内で頑張るよ」。
おっぱいを飲ませつつ、のいにそう語りかけたら、真面目な顔をして聞いているようだった。
99年10月25日(生後79日め)
よく眠る。午後は、オムツ替えと授乳のとき以外はほとんど眠っていたかんじ。
新生児のときは、腕をバンザイして寝ていたが、最近は「大」の字にして寝ていることが多い。
また、握りこんでいた指を、だんだんと開いているようになった。
長く眠ってから目覚めると、久しぶりに会った気がして嬉しいのか、やたらと語りかけてくる。
夫が帰ってくると、のい は、もうご機嫌。夫相手に果てしなくしゃべり、仕事をさせなかった。
99年10月24日(生後78日め)
お昼、のい を連れて、散歩がてら、近所の短大(夫の勤務先)の学園祭へ。
夫を引っ張り出して、模擬店をまわっていたら、ゼミの学生2人に会った。
「赤ちゃん生まれたんですね」「先生似かな」などの声に反応して、
それまで腕の中でグースカ眠っていた のい が突然目を覚まし、彼女たちに笑いかけた。
これまでになかった種類の愛想のよさ。19,20歳の女の子に反応するとは、コイツってば……。
しかも、彼女たちが立ち去った直後、再びコトンと眠ったのである。
99年10月23日(生後77日め)
大人が食事をしている様子を、揺り椅子に座ってジッと見るようになった。
食べ物をつかんだ箸が口元に到達すると、神妙な顔をして手足をばたつかせる。将来のイメージトレーニングか。
午後、散歩の途中、Iさんのオバサン(新生児用の紙オムツをくださった方)に呼びとめられた。
立ち話がてら、のい と私の写真を撮って下さった。のい はオバサンに話しかけもした。
お孫さんは今年の4月生まれだそうで、のい と同級生だとか。隣のオジサンとも立ち話。
40分弱、ずっとのいを抱いたままだったので、腕が疲れてしまった(笑)。もう6kgにはなっただろう。
史蹟にて休憩&日なたぼっこをして、家に帰った。
99年10月22日(生後76日め)
布オムツの洗濯のせいか、秋になったばかりなのに、もう手指の脂気が抜けてしまった。
去年のハンドクリームはまだ残っているだろうか?と、しばらくご無沙汰の化粧道具入れを思いつつ、
トレトレの鰯をさばいていたら、不意に、助産婦さんのある言葉を思い出した。
「乳房マッサージをすると、手が母乳を浴びて綺麗になるのよね」。
なんでも、母乳は肌をツルツルにする成分を含むらしい。
そこで、のい が飲み残した母乳を、せっせと手にすりこむことにした。……天然乳液。
99年10月21日(生後75日め)
美術館仲間が、のい を見に来てくれた。
「次は私!(のい を抱く順番)」、「連れて帰りたーい」と賑やかなこと。
10年前にアカンボを育てた人、20年前に育てた人、それぞれの育児談義をきくのは有意義であった。
のい は、おとなしく機嫌良くしていたが、やはり大勢の人に驚いたのか、夜は興奮気味。
久しぶりに、深夜「おっぱいくれー!」と、2回も起こされた。
99年10月20日(生後74日め)
お昼、授乳時間と、ラジオのドイツ語講座の放送が、ちょうど重なった。
K"ase(チーズ)という単語の "a が難しく、「アー」「エー」とうなっていたら、
のい が乳首から口を外して「エウー!!」と大喜び。まったく、何が受けるやら。
今日も午後に散歩。外は暖かく、半袖の人も見かけた。のいは、途中でいつの間にか眠ってしまった。
99年10月19日(生後73日め)
隣の史蹟に陽がよく当たっているので、散歩がてら日なたぼっこ。
通りすがりのおばあさんからは、「まあ、目鼻立ちがくっきりしちょんねー」と言われた。
ついでに、生鮮食料品も売っているコンビニにまで、足をのばしたのはいいが、
つい、大根と味噌を買ってしまった。その重いこと。のい も抱っこしているし。
のい は、腕の中でずっといい子にしていた。家に戻ってからも基本的に穏やかだった。
99年10月18日(生後72日め)
昼間は大変おだやかで、ニコニコの のい だったが、夕方になって、どういうわけか火のついたように泣いた。
虫でも入ったか? まさか腸重積?と、服もオムツも皆脱がせてみたが、特に異常はない。
あまりに長く泣くので、最終兵器のおっぱいをくわえさせたら、
前の授乳から1時間しかたっていないのによく飲んだ。
飲み終わったら機嫌のいい顔で「はんぎうー!」。
オシッコの量が増えてきた。オムツカバーを一つ上のサイズ(60cm)に替え、布オムツを2枚重ねに。
今日は11月中旬並みの冷え込み。水が冷たくなったので、布オムツもいつまで続くやら。
「そろそろウンチが来るかな」と思われるときには、紙オムツにして、洗う手間を減らすことにする。
99年10月17日(生後71日め)
日曜。夫は家で仕事。時々、のいのオムツを替えたり、あやしたりしてくれるので、助かった。
夕方、のい はしきりに「はんぎうー、はんぎうー!」と、ワタシに語りかけてきた。
「はんぎうー!」と言い返すと、大喜びで、またまた「はんぎうー!」。
一体、「はんぎうー」とは何のことか? 彼に最も多く呼び掛けられる言葉は「のいちゃーん!」だが、
それが「はんぎうー」と聞こえているのだろうか? 謎である。
揺り椅子にはだんだん慣れてきたようだ。
99年10月16日(生後70日め)
母が絶賛する、スウェーデン製の『ニューベビーシッター』なる揺り椅子が到着した。
さっそく組み立てて、のい を乗せてみた。最初ニッコリしていたが、身体を動かすたびに揺れるので
不審そうな顔に。まあ、そのうち慣れるだろう。
午後、助産婦研修生のHさんが、生後2ヵ月めの様子を見に来た。
おっぱいを飲んで眠くなったところを起こされたためか、いつになく機嫌が悪く、泣きっぱなし。
計測が終わるころにやっと落ち着き、赤ちゃん体操を教えてもらっているうちに、
いつもの のい になり、笑顔を見せ、Hさんに話しかけもした。
Hさんに、私の『にんぷ日記』最後の、出産のときの記述を見せたところ、
「松永さんのお産といえば『まだですかー、まだですかー』だったな、と私も思ってました」と大爆笑。
99年10月15日(生後69日め)
ちと遅いが、お宮参りの写真を撮ってもらった。実家の両親の車で、予約しておいた写真館へ。
のい は、夫がアカンボのときに羽織った着物を羽織った。
写真館のスタッフは子供の扱いに長けていて、のい は泣きも眠りもせず、いい顔をしていた。
撮影のあとで春日神社に参拝し、私の小学校低学年のときの先生宅に寄った。
午後、のい を母にみてもらって、父と美術館へ。久々の美術館。絵に引き込まれそうになりながらも、
家に置いてきた のい のことが気になって、かつてのようには精神を集中させることができず。
両親は夕方のフェリーで、帰路についた。二人には、のい からどう呼ばれたいか、自己申告してもらい、
「おじいちゃん/おばあちゃん」とは全くかけ離れた呼び名に決定した。
99年10月14日(生後68日め)
実家の両親が、のい を見に、フェリー&自家用車でやって来てくれた。ちょうど50日ぶり。
生後すぐの細かった姿しか見ていない二人は、ポチャポチャに太っている様に驚いていた。
のい も興奮して、午前中は眠らずに、笑ったりしゃべったり手足を動かしたり。
午後は、のい を両親が見てくれている間に美容院へ走り、髪を切ってもらった。
自分以外にアカンボを安心して任せられる人がいる って、なんて気が楽なんだろうか……。
退院後から今までの緊張がすっかりとけてしまい、夜は、退院以来初めての熟睡。
授乳の間隔が8時間弱もあいたのに、のい は泣きもせず。しかし乳が漏れて、布団が汚れてしまった。
99年10月13日(生後67日め)
全然眠らない。相手になると、果てしなく何か語りつづけている。
「あー」と言えば「うあー」、「のい!」と呼べば「うー」。私の姿を目で追うようになった。
遅まきながら、大家さん夫妻に初めてお目にかかった。「ハンサムやねー」と言われて、照れる。
99年10月12日(生後66日め)
大分県立病院へ。このところの冷え込みのせいか、風邪ひき、それも酷そうなヤツにかかった子供で
待合室は恐怖空間となっていた。それだけでも長居したくないのに、待っている途中、
重篤な急患が出たため、担当医師が救急車に乗って医科大学に行ってしまった。
結局、診てもらえたのは、本来の予約時間から2時間半も後となった。
のい は元気そのものなので、わざわざ病気の巣の中に居なければならないのが、馬鹿みたい。
発達の遅れもなく、体重も順調に増えて5500g強。前回の採血結果は、かなり正常値に近かった。
99年10月11日(生後65日め)
のいは、午後になると、布団の上にいることに飽きてしまうようだ。
ぐずっている時に、ちょうど取り込んだ洗濯物を、目の前でヒラヒラさせながら畳んだら
目を真ん丸くして見ていた。
99年10月10日(生後64日め)
朝、勢いよくカーテンを開けたら、クリアな大声で「わーーーーーー!」。
まぶしくて驚いたらしい。でも、こちらも驚いた。泣き声以外で大声を上げたのは初めてなので。
その後、「キャッキャッ」と声を上げて笑いもした。
少し冷え込んできたので、キルティングのベスト(フリマでゲットしたもの)を押し入れから出した。
親たちの分の衣替えも、のい の機嫌を見ながら、やっとこさっとこ済ませた。
今までは短時間で一気に出来ていたことが、アカンボがいると一苦労なんである。
夫が出張のため、風呂は私が入れた。風邪をひかさないように+ひかないように とドキドキ。
99年10月9日(生後63日め)
初めて果汁を与えてみた。
ちょうど早生ミカンの季節。お茶パックに入れて絞り、湯冷ましで倍に薄めた。
午前10時の授乳の前に、匙で口に入れてやったら、不思議そうな顔をしていた。
与えるこちらが、まだ下手クソなので、飲んだ量より、こぼれた方が多かったような気もするが、
一匙分くらいは飲めたかな。
99年10月8日(生後62日め)
Rの発音ができるらしい。舌を震わせて「レレレレ!」と叫んだ。
すこぶる機嫌がよく、顔を見てはうれしそうに笑うので、可愛くて仕方ないのであった。
99年10月7日(生後61日め)
美術館友だちが遊びに来てくれた。
のい も、うれしいらしく、抱かれて何やら語りかけていた。
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