アカンボとの暮らしつれづれ
●生後4ヵ月



2000年1月6日(生後152日め)
  予防接種を受ける。DPTの一回目。
  朝「注射の痛みなんか、怖いもののうちに入らないのさ」と のい の耳元に囁いておいた。
  医院でも「今日は看護婦さんに会えるよーうれしいねえ」などと話しかけていたのだが、
  実は「筋肉注射で、かなり痛い」と母親学級での友人から聞いていたので、親としては夜泣き開始も覚悟していた。
  医師からは追い討ちをかけるように、打つ直前、「針を刺す時間が長いけど、我慢してね」と言われた。
  だが、二泣きほどしただけで、あっけなく終了。注射した部分を揉んでやると痛がって泣いたが、
  県立病院での定期観察のときの採血と比べたら、屁みたいなもんだった。
  家に帰ってからは、私が離れると泣くので、仕方なくオンブ。背中で安心したのか眠った。
  楽しい夢でも見ているのか、眠りながら声を上げて笑っていた。良かった良かった。
 


2000年1月5日(生後151日め)
  離乳食2日め。引き続き、かゆを与える。初めの2口ほどは「うえー」という顔をしていたが、
  突然食べる気が目覚めたのか、3口めからはパクパク。軽く10匙以上は食べた。
  天気予報では“午後から雨”だったので、散歩は午前中に済ませた。家に戻った途端に雨。でもすぐ止んだ。
  用心して、午後はずっと家の中に居たが、雨は降らず。あーあ。のい の機嫌も今一つだった。



2000年1月4日(生後150日め)
  世間では仕事始め。のいと私も、離乳食を開始した。まずは、ドロドロにつぶしたおかゆから。
  3匙以上は食べ、自分からスプーンをつかみもした。まずまずのスタートである。
  郵便局へダッコしていったら、警備のオジサン(顔は怖いが実は子供好き)が声をかけてくれた。
  のい はオジサンの話しかけに、ニコニコと愛想で答え、喜ばせた。
  夕方、某所から突然の申し出があり、親たちはバタバタ。結局、その件は夜になってキャンセルになった。



2000年1月3日(生後149日め)
  海に近い住宅地の公園へ、グッドデザイン賞をもらったという遊具を見に行った。往きは私が運転。
  遊具自体は画期的でもなく、私には、遊具の隣の、変な岩を埋め込んで遺跡のようにした小山の方が面白かった。
  それでも、この公園は人気があり、親子連れでいっぱいだった。公園の周りは路駐だらけ。
  アカンボも数人見かけたが、大抵は上の子が遊ぶために連れて来られた様子。
  我々のように、まだ子供が遊べもしないのに、公園自体を見に来た物好きはいなかった。
  のい は夫に抱かれてキョロキョロ。子供たちにはまだ関心がないようだ。車の中で授乳して、夫の運転で帰宅した。
  疲れたのか、車の中でぐっすり眠り、夕方静かにしていたら、またぐっすり眠り。
  起きている間の最近のお気に入りは、エビ反り。逆さにモノを眺めては、キャハハハと嬉しそうに笑う。



2000年1月2日(生後148日め)
  朝の雨は、昼前に上がった。越前福井藩主だった松平忠直公ゆかりの神社まで短いドライブをした。
  往きは私の運転。途中、古い集落の中で道に迷い、通りがかったおばあさんに道を尋ねた。のいに気付いた彼女は、
  道を教えてくれた後、育児談義までしてくれた。「私は“山羊”のようにお乳が出てねー」。なぜ牛じゃなくて山羊?
  さて、神社は小高い山の見晴しの良い頂上にある。車を中腹に置いて、のい を抱いて登った。
  ここでも、神社の前でおばあさんに「色白やね美男子になるよ」などと声をかけられた。親バカ助長だね。
  頂上では、市街を一望して夫が「ヤッホー」。よその子供たちがそれを真似て「ヤッホー」「ヤッホー」と大騒ぎ。
  と、のい が泣き出し、子供たちは「あんたらが騒ぐけん赤ちゃんが泣き出したやないの!」と親に叱られてしまった。
  「いえいえ違うんですー」。のい が泣いたのは、単に腹が減ったから。申し訳なかった。
  今のところ、子供が泣こうが叫ぼうが犬が吠えようが、のいは平気なのだ。とにかくマイペース。



2000年1月1日(生後147日め)
  初日の出を、夫の勤務先の屋上で拝んだ。午後は散歩がてら近所の神社巡り。雪舟ゆかりの金剛宝戒寺にも。
  のい にとって初めての正月は、大変うららかなり。心配したY2K問題もどうということはなしで、めでたし。



99年12月31日(生後146日め)
  朝からY2K対策のため、私は台所に立ちっぱなし。夫が、のい を散歩に連れ出してくれた。
  夜は早めに風呂に入り、のい のオムツと肌着(今日は3回もウンチして汚した)を洗濯。
  水が出ない場合に備えて、浴槽に水をはった。台風の停電の時、水が出なくて往生したので。
  のい がなかなか寝付かず、洗濯と風呂の始末は、すべて夫がやってくれた。



99年12月30日(生後145日め)
  夫の運転練習を兼ねて車で買い出しに。夜は、私が正月料理をつくっている間、のい は夫にしゃべりまくっていた。
  機嫌がいいと思いきや、風呂(夫担当)で大泣き。私が顔を出すと、泣き止んだ。



99年12月29日(生後144日め)
  オムツがぬれても今日は泣かず。「あー!うー!」と叫びながら(喜んでいるように見える)、
  足をバタバタして布団を蹴るような動作をしていた。
  散歩をしていると、久しぶりに会った近所の人が、「まあ!随分大きくなったこと。もう1歳になった?」。
  生後1ヶ月のときの小ささが、相当強く印象に残っていたようだ。
  授乳の時間が決まってきた。朝8時に最初の乳、10時に果汁かスープ(本日はリンゴ果汁)、
  その後は12時/15時半/19時に乳、風呂に入って21時半に最後の乳。ちょっと宵っ張り気味かな。



99年12月28日(生後143日め)
  やはり夜の最後の授乳後、入浴しようとすると、のい が泣く。私の姿が確認できないと、眠りつけないらしい。
  物陰に隠れて様子を見た。姿を隠してから、のい が気付くまでの数秒間が面白い。すぐには気付かないのだ。
  頭を左右に振って周りを見回し、不在に気付くと「うゆっ?」と口が四角く歪む。
  顔が真っ赤になり、真上を向いて目を閉じて「うえーん!!」。閉じた目蓋の真ん中に、真珠のような水の粒。
  ……仕方ないので、寝かし付けてから、風呂に入ることにした。



99年12月27日(生後142日め)
  夜の最後の授乳を終え、湯舟に浸かっていると、のい のギャーギャーと大泣きする声が。
  お風呂タイムは一日の最大の娯楽なのにー。仕方なく切り上げ、「可哀相な親子が一組いますな」と言いながら寝室へ。
  困り顔の夫を尻目に、のい は私の顔を見たら泣き止み、私が頭をなでただけで(乳もふくまずに)眠ってしまった。



99年12月26日(生後141日め)
  昨夜は蓄積した疲労にやられ、早めに床に就いたにもかかわらず、朝はだるくて起きられず。
  のいに朝一番の授乳をした後、夫の朝食もつくらずに、昼近くまで、唸りながら寝ていた。
  午後は復活し、夫にのいを見てもらっている間に、街へ自転車で全力疾走した。



99年12月25日(生後140日め)
  いつものようにヨダレかけをしゃぶって遊んでいると思い、「こらこら」と取り上げてみて驚いた。
  血がにじんでいるではないか! のい自身の爪で、歯ぐきをひっかいたらしい。
  すぐに血は止まり、乳も平気で飲んだのでホッとした。
  マメに爪を切ってやっているのに、指先の力が強くなってきたせいか、顔の引っ掻き傷が絶えない。



99年12月24日(生後139日め)
  夕方よーく眠った後の のいは、大変機嫌が良かった。何が嬉しいのか、顔を向けただけで笑う笑う。
  今年は特にクリスマスの行事はなし。Sさんにいただいた「ノエル」の紅茶をいただいたくらいで。
  仙台で橋のたもとの家に住んだときは、点滅する電球を橋から見える窓に灯したが、その電球たちも今年は天袋の中。
  来年はホントのクリスマスを迎えられるといいな。めっちゃくちゃ寒そうだけどね。



99年12月23日(生後138日め)
  久しぶりにミカン果汁を与えた。夫が初めて匙を持った。甘いミカンだったせいか、どんどん飲んだ。
  さて、何でもない事務仕事でも、のいの世話をしながらだと、一日仕事になってしまう。片付かない。
  外に出るにも、まずは授乳して、オムツを替えて、靴下をはかせて、ジャケットを着せて。
  眠ってしまっている場合は、起こしてオンブ紐にくくりつけるのは可哀相なので、起きるまで待っていたり。
  その間、他の家事を半端にこなし、半端ものの山を部屋の中に築く。
  そして、いざ外に出ても、大事な大事な7kgを担いでいるから、おいそれとは走れない。
  思いっきり走り回って、ヤボ用を一気に片付けたい。自転車をビュンビュン飛ばしたいー。
  とはいえ、のい の黒豆みたいに可愛い目に、あーだこーだ話しかけつつ歩くのは、とても楽しかったりする。



99年12月22日(生後137日め)
  陽射しが暖かいので、思い切って、市民図書館まで歩いた。片道約25分。
  のい をダッコ紐で抱いたうえに、ママコート(というか改造オーバー。結構重い)を着て、
  5冊も本が入ったリュックを背負うという重装備。でも、母はがんばるのだ。
  風が少し強かったが、のい はママコートの中から、黒目をキョロキョロさせていた。
  肩が凝ったが、自力でご近所エリアから出られたので、精神的には大満足であった。
  市役所から電話あり。児童館についての問い合わせへの回答。大分市立の児童館は、交通不便な所に1館のみだが、
  この担当者によると、中心部の幼稚園の空き教室に設けた「子どもルーム」は、幼児〜小学生向けにつくったのに、
  実際には乳幼児とその母親の利用が多いとか。へー、いいこと聞いちゃった。じゃあ次は、そこにも行こう。



99年12月21日(生後136日め)
  引き続き、寒い。空気は乾燥している。天気はいいので、日中は2回も散歩に出た。
  昨日に続き、『茶色の小瓶』を歌ったら、♪ワッハッハー♪ のところで、のい が声を立てて笑っていた。
  夫は、地震相次ぐ別府にて忘年会(よせばいいのに)。夫が のいを風呂に入れるのは、今日は無理だ。
  私一人で入れるとなると、湯上がりに裸でウロウロせねばならぬ、この寒いのに。やめとこうかと思ったが
  エイヤ!で入れた。湯舟に浸かった途端、満面の笑顔。こちらまでウヒウヒ。風呂上がりもご機嫌で、かわいー。



99年12月20日(生後135日め)
  大分でもチラチラと雪が舞う寒さ。それでも散歩には出かけた。
  のいをダッコ紐で抱き、着物用オーバーを改造したママコートを羽織る。
  昼間、オシッコがオムツからはみ出して、全部着替えさせたついでに、掌で全身をマッサージ。
  夕方、秘蔵のライブテープの、ジャグバンド版『茶色の小瓶』(「どっちが客席だあ?」の雄叫びあり)を聴きつつ、
  のい と二人、踊ってご機嫌になっていた。ちょうどその時、連続して有感地震が起きていたらしい。まるで気付かず。



99年12月19日(生後134日め)
  パンを焼いた。
  と書くと、“余裕あるじゃん”という感じだが、すべてコンピューター内蔵オーブンにお任せしたのだ。
  こねるのも発酵も、みんな機械がやってくれるので、のい の世話をしている間に焼けていた。
  今まで「そんな自堕落な」と使わないでいた機能なのだが、子供が生まれてからは感謝感謝である。



99年12月18日(生後133日め)
  「明日は雪が降るかも…」との予報におののいて、車での用事を片付けた。
  夫の運転する車に乗るのは、今日が初めてだ。のいを抱いて後部座席に座る。授乳も楽々。
  外に出て刺激を受けている間は、お腹がすくのも忘れてしまうらしく、授乳間隔があくものだ。



99年12月17日(生後132日め)
  味噌汁の上澄みをやったら、具のタマネギから出た甘味がいいのか、ぐいぐい飲んだ。
  今日はオンブにして、近所のスーパーまで買い物へ。
  のい は、あったか素材のヨダレかけに毛糸のフード付きジャケット、下半身はウールの大判スカーフ巻き。
  これで誰にも文句は言われめえ! が、甘かった。
  70代後半くらいのオバアサンが「おお可愛い」と笑顔で近寄って来て曰く「背中が寒そうやね」。
  ……ひー、ここはロシアじゃないんだぞお。へなへな。もう笑うしかない。
  午後、母親学級で一緒だったYさんから電話。「1月に行われる、市の離乳食教室に一緒に行こう」とのお誘い。
  しかし、市の離乳食教室は、希望者が多いのに対して席が20人分しかないため、毎回、申込が殺到する。
  私は既に産婦人科のを受講したし、助産婦の卵のHさんによる手作り資料ももらっているので、
  ここは里帰り出産の方々に席をゆずるとして、遠慮することにする。
  本当は、口実をつくってでも同じ月齢の母子と交流したいところ。「余裕が出来たら会おうね」と電話を切った。



99年12月16日(生後131日め)
  朝、鼻水を吸ってやってたら変な感触……ワタシの下唇が、のいに吸われていた。おいおい乳首ちゃうって。
  お昼前、ダッコ紐で散歩。快晴で、陽射しが暖かい。のい は気持ち良いのか、くーくー眠ってしまった。
  と、コートをしっかと着込んだ見知らぬ老夫婦が、「おや赤ちゃんだ、何ヶ月?」と近づいて来た。
  そして「ダッコは危ない!うちなんて孫娘にはオンブしかさせないよ」「足が出てる!冷える!」などと注意された。
  はあ……。「冷える」って言われても今日は仙台でいうと秋の気温なんだけど。昼間はコートも要らないし。
  ところで、ここ数日、夜の最後の授乳を終えて、私が風呂に入るか入ろうとするかの頃に、ひどく泣かれる。
  夫はなすすべなしで困り果てている。仕方ないので、もう一度乳をやってノックダウン。
  これでやっと一日が終わる。搾り取られてる感じ。



99年12月15日(生後130日め)
  のいの風邪もほとんど治り、ときどき鼻水が出るだけになった。鼻水を吸ってやるのは、癖になりそうだ。
  久々にダッコ紐で外出。暖かかったので、病み上がりにはよかった。
  午後、思い付いて、オムツ替えのときに手足をマッサージしてやった。
  ぐずったときに「乳を飲ませて眠らせる」のを「ノックダウン方式」と命名。



99年12月14日(生後129日め)
  風邪ひきの のい は、乳を飲んでは眠り、飲んでは眠り。今日も散歩はやめにした。
  のいの鼻に口を当てて鼻水を吸ってやると喜ぶ。お湯で濡らしたガーゼで顔を拭くと、気持ち良さそうにしている。
  エアコンで暖房しているので、洗濯物をわざと室内に干して、加湿した。
  夕方からはすっかり元気になって大暴れ。昨日は風呂に入れなかったが、今日は入れた。
  抜歯の傷は全く痛まなくてラッキーだった。消毒のため、朝一で歯医者に行ったが、すぐ済んだ。



99年12月13日(生後128日め)
  昨夜の騒ぎが嘘のように、朝はニコニコ。ただ、鼻をグスグスいわせており、どうやら風邪をひいたらしい。
  それでも乳をよく飲み、熱もなさそうだ。今日は散歩をやめにし、ベランダでの日光浴のみとする。
  私の「親知らず」の虫歯の詰め物が、また取れてしまった。2ヶ月しかもたず。
  痛む前に処理しておこうと、のい を夫に預けて歯医者へ。医師と相談の結果、抜くことにした。
  「抜歯後に飲む痛み止め薬は、多少母乳に出る」と事前に説明があったので、
  「痛くても薬は飲まない!」との覚悟で抜歯に臨んだ。どんなに痛くても、出産時よりはマシなはず。



99年12月12日(生後127日め)
  昼間は平穏だったが、夜9時半を過ぎて突然、激しく大声で泣き出した。
  乳も飲まないし、抱いてあやしても全然ダメ。今までにこんなことはなかった。
  気持ちを落ち着かせて育児書を開く。腸重積かも。だったら大変だ。医者に行く体制を整える。
  先日BCG接種をした小児科に電話をかけたが、つながらない。
  4回めのリダイヤル中、スッと泣き止んだ。30分間、泣き続けていたことになる。
  布団に横たえると眠った。普段、すこぶる機嫌の良い子だけに心配で、しばらく寝顔をじっと見ていた。



99年12月11日(生後126日め)
  昨日も、のいを寝かし付けながら、自分が眠ってしまい、そのまま朝まで。
  朝一の授乳の後もまだ眠く、もう一度寝てしまった。のい は、私が起きないので、一緒に眠っていたようだ。
  夜、夫の実家から電話。のい の耳と口に受話器を当ててやったら、突然「へへへへへ!」と大声で笑い出した。
  夫の父は、まだ のいと会っていないので、笑い声を聞かせて、喜んでもらうことができて良かった。
  「低音の魅力やね」との感想をいただく。とにかく機嫌のいい子である、今のところ。



99年12月10日(生後125日め)
  味噌汁の上澄みをスプーンで与えていたら、私の右手に何か不思議な力が……
  と思ったら、のい もスプーンをつかんでいるのだった。はあ。自分で飲むにはまだ早いぞ。
  最近は、ミカン果汁には眉間にしわを寄せてしまうのだが、味噌汁の上澄みは、うまそうに飲む。
  車を定期点検に出した。とはいえ、うちの玄関先で車のカギを渡し、整備が済んだ後カギを受け取るだけ。
  なんとモノグサな。のい が生まれてからは、自分で洗車もしていない。
  夕方、テレビの地元ニュースを見ていたら、一昨日に のい と鑑賞した彫刻展を、O学芸員が紹介していた。
  展覧会会場の映像になったら、画面を見ていた のい が、急に振り向き、私の顔を見つめた。
  ひょっとして「これ、見たよね!」とでも言いたかったのかしらん。だとしたら、すごい。



99年12月9日(生後124日め)
  定期観察のため、大分県立病院へ。待合室では、風邪をこじらせたとおぼしき親子連れが何組か。
  看病疲れのお母さんがソファで居眠り、その隣で子供が点滴を打たれていたり、
  まだ小さい3人姉妹のうち2人が風邪ひきで、ソファにバスタオルを敷いてぐったりと横たわり、
  そのお母さんがベビーカーを押しながら、入院手続きをしていたり。
  まだまだ他にもいろんな大変そうな母子がいて、「母は強しだなあ」と思ったことだった。
  のい は発達も身長体重も前回の採血結果もすべて順調。I先生に診てもらっている間、終始ご機嫌だった。
  先日の嘔吐下痢症に のい だけが罹らなかった話をしたら、
  「免疫があるといっても、風邪はひきますよ」とI先生。油断してはいけないね。
  夫が風邪気味なので、昨日今日は、私がのい を風呂に入れた。



99年12月8日(生後123日め)
  散歩の足を大幅にのばし、美術館まで歩いた。墓地と森を抜けて、坂道をがんかん登る。テクテクテク。
  仲間に のい を見せびらかそう(笑)と、ボランティア室に寄ったが、誰もいなかった。
  日誌を見ると、最近は1人ずつしか出てきていない日も多いようだ。大丈夫かああ?
  事務室に行き、ボランティア担当の0氏に、ご挨拶と、長い間お休みをいただいたお詫びをする。
  「こんな小さいときから、芸術の雰囲気に親しめるのはいいですね。どんどん連れて来てくださいよ」。
  時間があったので、舟越保武&佐藤忠良の特別展をざくっと見た。
  森の木立の見える展示室に、佐藤忠良の彫刻が並んでいる様は、懐かしい宮城県立美術館の別館を彷佛させた。
  のい は不思議そうにブロンズ像を眺めていた。何を考えていたんだろうか?
  帰りはバス。ちょうど、ボランティア仲間の一人、元校長のY氏が降りてきて、のい に目を細めてくださった。
  バスを県職員住宅の前で降りたら、アカンボ連れのお母さんがいた。相手も「あら、赤ちゃんね」と言っている。
  近づいて行ったら、のい よりお兄さん。1歳3ヶ月とか。歯がいっぱい生えてるー!
  さすがお兄さんだけあって、ニコニコしながら、のいに握手をしようと手を差し伸べるのであった。かわいー。
  握手したところで、そのまたお兄さんの幼稚園バスが到着したので、手を振って別れた。



99年12月7日(生後122日め)
  天気がいいので、少し散歩の足をのばした。前に一度だけ利用したことのあるドラッグストアがなくなっていた。
  再開発予定地域で、住民がどんどん減っているから、商売にならないのだろう。私も店の存在を忘れてたし。
  のい は暖かい陽射しを浴びて気持ちよくなったのか、ダッコバンドの中でくーくー寝ていた。
  うつぶせを嫌がらなくなったと思ったら、身体を横向きにひねりはじめた。いよいよ寝返りか?




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