アカンボとの暮らしつれづれ
●生後6ヵ月



2000年3月6日(生後212日め)
  春のような陽気。薄着でいられるのが嬉しい。
  初めて芝生の上に足をつけさせてみたが、チクチクするのか、嫌がられてしまった。
  畳の上に座らせて遊ばせていたら、私が洗濯物を畳んだり新聞を片付けたりするのに近づこうと、頑張る。
  でも懸命になればなるほど、後ろにいざってしまうのだった。片足が前に出ているんだもの。
  離乳食では、白身魚に初挑戦。ハゲ(という魚だ)を昆布だしだけで煮たのだが、これも美味だった。
  のい にも食べられるよう薄味につくることで、これまで知らなかったオイシサを発見できて楽しい。



2000年3月5日(生後211日め)
  お座りがしっかりしてきて、一人で集中してよく遊ぶ。でも目が合うと、抱くまで、泣きそうな声を出す。
  こんな風に親を求めてくるのも、アカンボのうちだけだろうな……と抱いてやる。
  暖かいので、タライでの排尿に再挑戦。尻を丸出しにするのが嫌なのか大声で泣いたが、1回は成功した。
  味噌汁の上澄み+豆腐の粥に、すった黒胡麻を混ぜてみた。のいもペロリと平らげたが、大人が食べても美味だった。



2000年3月4日(生後210日め)
  雨の中、温室のある植物園までドライブした。のい は車の揺れがきいたのか、よく眠った。
  駐車場にとめた車の中で、のいはオッパイを飲んで、親たちは昼食。
  広い温室だが、雨のおかげで我々しか来館者がいなかった。ゆっくりと南国の植物を見て楽しんだ。
  気温は高く、家に戻ってからは、のいは肌着で過ごしてゴキゲンだった。粒のある粥も平らげた。



2000年3月3日(生後209日め)
  ひな祭り。のい は男の子なので関係なし。私は、動物の置き物やヌイグルミはOKなくせに、
  人形を所有するのが怖いので、今日ばかりは助かった。
  オシッコ練習用に、タライを買った。試してみるも、大泣きされてしまった。



2000年3月2日(生後208日め)
  市美術館へ。吉村益信展をザクッと見る。のい はネオン管の作品にキョロキョロ。監視の人に笑いかけもした。
  ボランティア仲間と話していたら、意外な人にもうお孫さんがいるのを知り、驚いた。



2000年3月1日(生後207日め)
  近所の猫を呼ぶのに、私が舌を鳴らしたら、のい がとても喜んでしまった。
  離乳食をペロリと平らげるようになったせいか便の量が増えた。繊維質のものは、そのまま便に出てたり。



2000年2月29日(生後206日め)
  本日で、DragonFishを退会した。TigerMountain時代から、約5年のおつき合いだった。
  最後に、Mac女子校からフリーソフトをたくさんダウンロードした。のい はオンブしたまま。



2000年2月28日(生後205日め)
  冷えたせいか、便をチョロチョロ出した。いつものスーパーで、初めて大声で泣いた。なんで?
  夕方、毛足の長いタオルケットを舐めては、「まずうー」という顔をしていた。



2000年2月27日(生後204日め)
  県立図書館へ。本を選んでいる途中で授乳時間になったのだが、のいは泣きもせずに、
  ベビーカーの中から「うー」「むー」と一声ずつ上げて空腹を主張。場所をわきまえていたのか??
  授乳室がないので、ベビーシート付きのトイレの個室で、立ったまま授乳した。



2000年2月26日(生後203日め)
  先日買った、Safety-1st のコンセントカバー(アカンボの事故防止グッズ)が、
  うちのコンセントに取付不能だったので、返品しに行った。
  日本の大概の家庭用コンセントプレートはボルト2本で止めるタイプだが、この製品はボルト1本用。
  それなのに、製品のパッケージにはそのことが全く書かれておらず、「取付説明書は中に入っています」と。
  開封して初めて、取り付けられないことにビックリしたのだった。
  購入したトイザらスに電話で文句を言ったら、最初「開封したものは返品に応じられません」との返答だったが、
  「開けないと製品の仕様が分からないのに、そーれはないんじゃないの?」とか
  「日本の規格に合わない商品を、何の注意書きもなく並べるのはいかがなものでしょうか」と言い続けたら、
  なんとか返品できることになった。なんだかなー。海外製品には要注意!!!!



2000年2月25日(生後202日め)
  関西に住む私の父母がやって来た。激安ツアーに参加して別府泊。自由行動の本日、のい を見に大分へ。
  大分駅から我が家まで「渋滞も関係ない。これが一番速い」と言って、歩いて来た。たった25分で。恐るべき速さ。
  のいは、二人に抱かれて最初は大泣きしたが(普段、他人に愛想が良いのは、私に背負われているかららしい)
  しばらくすると慣れて、嬉しそうに遊んだ。午後は母にオンブして散歩。のいは背中でぐっすり眠っていた。
  のいの頬がヨダレと擦れとでガサガサになっているのを見かねて、父が薬まで買ってきてくれた。
  私は、のいを二人に見てもらっている間、美容院へ。約4ヵ月ぶり。ありがたくて、夢のよう。
  洗面台前の倒れる椅子に座ったら、なんだかクラクラした。ぷはー。床に積もる髪の量は、もの凄かった。
  夕食まで一緒に過ごした。夜、二人は「健康のため」と言いながら、再び歩いて大分駅へ。JRで別府の宿に戻った。
  のい はにぎやかさに疲れたのか、風呂でイビキをかいて眠ってしまった。バタンキュー。
  それにしても、アカンボを育てる身になって改めて、親のありがたさ(と、たくましさ)を感じた一日であった。



2000年2月24日(生後201日め)
  DPT3回め。診察(I医師は「“もしもし”するよー」と言う)の時に、のいは手足を思いっきり動かし、
  「元気いいねー」と笑われた。針が刺したときは大声で泣いたが、後にはひかず。
  最近はほとんど布団での昼寝をしないのだが、予防接種に疲れたのか、1時間ほど眠った。
  おすわりの状態から、うつぶせになって頭を持ち上げる一連の動作ができるようになった。



2000年2月23日(生後200日め)
  私の身体はなんとか回復。天気がいいので、遺跡の発掘現場まで散歩。のい は背中で眠ってしまった。
  夜は私がいなくなると気付いて泣くので、風呂に入るのも大変になってきた。
  手を床から離して、おすわりができるようになった。



2000年2月22日(生後199日め)
  昨夜、のい がなかなか寝付かず、そのため私は風呂にも入れず。
  そのせいか身体中が痛くて、一日中しんどかった。のい も十分に相手をしてもらえず、ぐずぐず。
  なのに米を買いに行かねばならず、米とその他の品物+のい の計15kg弱を一気に運んだら、もうヘトヘト。



2000年2月21日(生後198日め)
  先週保健所から、神経芽細胞腫のための尿検査キットが届いていたので、午後一番に決行した。
  アカンボの尿を採る…それだけの作業がこんなに大変なんて。オムツの上に、サランラップを敷いた綿を置いて
  その綿に尿をしみこませる。その綿をビニル袋に入れて絞り、スポイトで吸い上げ、封入するのだ。
  まず第一段階でつまづいた。尿を採るはずが、「ブリブリッ」。えっ??ウンチしたのおおおお。
  キットには綿は1回分しか入っていない。のいを背負って、近所の薬局へ買いに走る。げー、大袋しか売ってない。
  薬剤師さんに訳を話したら、「これで大丈夫、いけますよ」と、化粧品メーカーの試供品の高級コットンをくれた。
  お礼を言って、家に戻り、再度挑戦。何とか成功し、スポイトの先をガスの炎で溶かして封入したら、
  もう夕方になっていた。またまた、のい を背負って郵便局へ。すべりこみセーフだった。
  今日は初めて、カップから直接、白湯を飲ませた。もちろんカップは私が持ってやるのだが、なかなか上手に飲めた。



2000年2月20日(生後197日め)
  チャイルドシートを入手するため、夫とカー用品店などを回った。なかなか決め手がなく、困り果てる。
  困っていたのと道路の混雑とで、またしても途中で授乳するはめに。授乳をしたのはいいが、
  オムツを替え忘れてしまい、最後の店の入口で、抱いている私の腹にツツーッと生暖かい液体が。
  いやーん、オシッコ漏れてるううう! いやはや、慌てた慌てた。



2000年2月19日(生後196日め)
  雪で外に出られなかったが、家の中で機嫌良く遊んだ。外階段に出て、吐く息が白いのを見たり。
  夜は赤飯を炊いて、「お食い初め」と、夫の今年度卒論指導終了をお祝した。



2000年2月18日(生後195日め)
  朝の離乳食をあまり食べなかったので、夕方にもう一回。蒸したかぼちゃを潰して与えたら、ペロペロ食べた。
  用意したのが少なめで、すぐなくなってしまったので、我々の夕食用の分から取り分け、
  私が口で柔らかくして匙で与えてみた。こちらの方が、さらによく食べた。
  昔飼っていた手乗りインコのことを思い出した。手乗りにするには、ヒナのうちから親から離し、
  親が口移しで与える餌の代わりに、人間がお湯で軟らかくした餌を匙で与えるのであった。



2000年2月17日(生後194日め)
  のいを背負ってコンビニでコピーしていたら、近所の短大生たちが、のいをあやしてくれた。
  しかし、オバアサンたちと比べて年期と情熱が足りないらしく、のいはあまり喜ばず。多少は笑ったようだが。



2000年2月16日(生後193日め)
  ダッコやオンブだとよく眠る。授乳の形のまま眠ってしまったので、抱いたまま昼寝。布団に下ろすと泣くのだ。
  それで満足したらしく、その後は情緒がとても安定した。何とはなしに、うれしそうにしている。
  寝返ってうつ伏せになった後、頭を左右に振って動こうとしているが、まだうまくいかない様子。



2000年2月15日(生後192日め)
  冷たい北風が強く吹いていたが、散歩には出た。のい は背中で元気に暴れていた。
  対向車線に停まっていたトラックの窓が開いて、「おくさーん、何か落としたよー」。
  は? と振り返ると、のい の靴下が。落としても落としても必ず手元に戻る、不思議な靴下である。
  洗濯物を取り込んで置いておいたら、のい が布オムツを引っ張ってなめていた。足の指もなめるようになった。



2000年2月14日(生後191日め)
  授乳直後、郵便配達のバイクの音とともに、チャイムが鳴った。「書留か?」と、慌てて服を引っ張り下ろして、
  のい を抱え、玄関へダッシュした。ところが、予想外な展開。P化粧品のセールスだった。
  思わず「忙しくて化粧なんかしてる暇ないです!」と言ったら、その剣幕に驚いたのか、すぐ去った。
  のい は何がツボにはまったのか分からぬが、黒目をキョロキョロさせて笑っていた。



2000年2月13日(生後190日め)
  支えなくても、しばらくの間、一人で座っていられるようになった。まだ前のめりだが。
  足をしきりに握っていたのは、お座りの体勢をつくる準備だったのかもしれない。
  「午前中の離乳食の前にちょっと運動を」と思い、紐なしで抱いて隣の史蹟へ。
  史蹟の下に住む50代くらいの女性が、のい に声をかけてくれたので、しばらくおしゃべり。
  ちょっとのつもりが30分近くになり、喉が乾いたのか離乳食を食べず、乳ばかり。午後には平らげた。



2000年2月12日(生後189日め)
  春めいた陽気。午後、3人で車に乗って、平和記念公園へ。
  芸術会館に駐車して、プラプラと歩いた。遊ぶ子供たちを見たり、風車や花を見たり。
  のい は夫に抱かれていると勝手が違う様子。私と目が合うとニコッと笑うのがなんとも言えない。
  洋菓子店に寄ったり、能楽堂を見学したり、のんびりし過ぎた。帰りの車の中で授乳するはめに。



2000年2月11日(生後188日め)
  本日もまたまた晴天。散歩の時間を長くするため、わざと遠回りにいろいろと寄り道。
  最後に八百屋に寄った頃までは、のいは起きていたが、家に帰り着いたときには、もうぐっすり。
  気持ち良さそうなので、起きるまでしばらくオンブのままでいた。下ろしたら、あらあら、靴下が片方だけ。
  どこで落としたのか全く覚えがない。のいの機嫌と天候がいいので、夕方にもう一度、散歩に出た。
  半ば諦め心地で、同じコースを歩き、「はは、やっぱりゴミと消えたね」と思ったら、
  最後の最後に再会。親切にも、八百屋のお姉さんが拾っておいてくれたのだった。
  帰宅後、のい は、うつぶせで一人、よく遊んだ。腕の力が強くなり、長時間頭を上げているようになった。



2000年2月10日(生後187日め)
  本日も晴天なり。近所の犬たちはあまりの暖かさにどいつもこいつも眠りこけており、
  「ほら、犬だ」「ワンワンだ」と話しかけても、のいは全く興味を示さない。
  犬には興味がないが、オジイサンオバアサンは大好きらしい。話しかけられると、見知らぬ人にでも笑顔。
  今日はおんぶして歩いていたら、突然手足をバタバタ。ちょうどすれ違ったオバアサンが、
  「まあ、手を振りよん!」と近づいて来て、のいはキャッキャと喜んでいた。オバアサン誘き寄せの術?
  それにしても、この愛想の良さは一体誰に似たのか? そろそろ人見知りするんじゃないのか?
  指の力が強くなり、電灯のスイッチの紐をつかんで、引っ張れるようになった。
  夜は夫が飲み会のため、久々に私が風呂に入れた。最近よく風呂で泣くのは、浴室が冷えているせいかも。



2000年2月9日(生後186日め)
  なんと1日に3回も散歩に出た。天気がいいので、家にいるのが勿体なくて。……というのもあるんだが、
  うち1回は、のいが落とした靴下を拾うため。自分で足を擦り合わせて脱ぐという技を覚えたらしい。



2000年2月8日(生後185日め)
  吹雪。洗濯物は室内に干し、家の中で過ごした。絵本を読んだり、おんぶしたり。割と機嫌よし。
  絵本は、内容を理解してはいないようだが、面白そうに見ている。また、新聞にも興味を持ち始めたらしい。
  前に実母が、我々夫婦がスクラップをするのを見て、「これは、のいが、絶対にやりたがるね」と予言した通り。
  のいの横で新聞を読んでいると、寝返って紙に触ろうとする。チラシを持たせてごまかした。



2000年2月7日(生後184日め)
  散歩に出たら、廃屋の縁側に猫を発見。のいに「ほら、猫だよ」と言っていたら、オバアサンと孫の二人連れが来た。
  孫の男の子は、のい と1年違いの1歳半。猫の方へちょこまか歩いて行き、「ワンワン!」と叫んでいた。
  おばあさんは「この子の母親が医者に行く間、子守りをするため、T町から来た」と言っていた。
  しばらく遊んで帰宅。暖かくて気持ち良かったのか、のいは途中で眠ってしまった。家ではなかなか寝ないのに。
  起きた後、用意しておいた粥(かぶ入り)を全て平らげた。初めての快挙! 午後も史蹟で日光浴をし、機嫌良し。
  朝、何が気に入らないのか、大声を出していたのが嘘のようだ。私の足腰がいま一つなのに抱き上げるまで騒ぎ、
  ダッコ紐に入れたら今度は絶叫。イライラしてとうとう、のいを叩いてしまった。のいはポカンとしただけだったが、
  私自身の「叩いてしまった!」というショックは大きく、しばらく落ち込んだ。親は冷静でなくてはならない。




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