毎日毎日…鉄板の上で焼かれるのに飽きて海に飛び込んだ のはタイヤキくんでしたが、
毎週毎週…甲板の上で、ライトアップされた明石海峡大橋をくぐっていた 私と相方も、
タイヤキくんのようなものかもしれません。
もちろん、食べてもうまくないけど。
なんで毎週毎週、船に乗っていたかというと、
我々は大分に住んでいるのですが、98年10月から12月まで(相方は99年2月半ばまで)週に一度、
大阪の学校に通っておりました。
一番安上がりな交通手段が「フェリー」だったわけですよ。
関西汽船の「さんふらわあ・あいぼり」
もしくは「さんふらわあ・こばると」のなかで、
辞書を繰りながら、「ダンケシェーン」「ビッテシェーン」とか言っている二人組がいたら、
それはたぶん我々だったでしょう。
この船は、別府観光港と大阪南港を結ぶ直行便で(ほかに松山と神戸に寄港する便もある)、
別府からも大阪南港からも、夜7時に出て翌朝6時20分に着くことになっています。
「あいぼり」も「こばると」も、97年12月から98年春にかけて相次いでデビューしたばかりでした。
おそらく日本で最も新しいフェリーだったのではないでしょうかね。