何の因果か「船の旅」
其の八/名古屋相変わらず……。

   其の参で、「苦手な団体の最たるものが、修学旅行生」と書いたら、
   バチが当たったのか、とうとう、そのなかでも最も最も最も最も苦手な、
   “名古屋バリバリ管理教育”の高校(名古屋市内の私立。名は伏せる)
   修学旅行にぶち当たってしまいました。
   管理教育って死語じゃなかったのね……とほほ。
   これまで、北陸や大阪の高校生やら、別府の中学生やらと一緒になりましたが、
   今回の名古屋の学校ほど異様なものはなかったです。

   船に入ると、どうも、いつもと様子が違う。
   船内の要所要所に、教師が立って見張りをしているのでした。
   もちろん、ゲームコーナーの手前にも教師がいて、生徒は入れないようになっている。
   フェリー側に特別に手配させたのか、
   ビールの自動販売機に「生徒様のご利用はご遠慮下さい」の貼り紙が。
   大阪発の便では、通常は、20時すぎになると
   「ライトアップした明石海峡大橋がごらんになれます」とのアナウンスが入るのだが、
   その晩はなし。
   生徒たちは、デッキにも出られないことになっているので
   (デッキへの出口手前に、「この先、生徒様の立ち入りはご遠慮下さい」の貼り紙あり)
   下手に彼らを刺激してはまずいという配慮のもとだろう。
   ロビーでは、生徒の代表者50人程度に対し、教師が拡声器を使ってご指導。
   一般客にも丸聞こえだす。「訪問先ではマフラーをとること」とか、いちいち細かい(笑)。
   夜は消灯の1時間ほど前に、
   「◯◯高校の生徒様は、点呼の時間でございます。お部屋にお戻り下さい」
   とのアナウンスがあった。
   朝は朝で、
   「◯◯高校の生徒様は、起床の時間でございます。
   洗面と着替えを済ませ…(以下略)」

   高校生にもなって、何から何まで、指示されなければ出来ないのか?
   中学生だって、ちゃっちゃと顔洗ってたぞ。
   相方は「小学生並みじゃねえか」とゲラゲラ笑っていました。

   さすがに制服は、時代の流れか、かつての詰め襟にセーラー服から、
   ブレザーにネクタイ、グレーのズボン ないしは ブレザーにチェックのミニスカになり、
   ジャージも今風の光沢のあるやつに。男の子はスカイブルー、女の子はマゼンタピンク。
   スポーツ選手並みに、ズボンの丈は膝まで。へえ、おしゃれになったもんだね。
   ……でも、よくよく見ると変だ。
   だって、ジャージなのに、素足に黒の革靴を履いているんだもん。
   あるいは、甲の部分がプラスチックの、おっさんくさい上履きスリッパ。
   (わざわざ学校の下駄箱から持ってきたのか……絶句)
   ジャージの上に白のカッターシャツを羽織ったりして。
   学校指定以外の服を持ってきてはいけないのね。

   生徒に声をかけて聞いてみれば、なんと15クラスが一斉に行動しているらしい。
   そりゃ、大変だわ。周りも迷惑だしねえ。
   我々と同室のおじちゃんおばちゃんたちの話によると、
   予約をしていなかったために、この船に乗れなかった人が多数出たらしいよ。

   ん? そして、
   生徒に声をかけている私にも、
  見張り教師の不審な目が……


   「ねーねーセンセー、みんなで一緒にプリクラ撮ろうよー」(←其の参より)なんて
   先生の手をとる生徒たちなんていない。
   そりゃそうだろう。いつも疑いの目で見ている教師に、誰がすりよりたいかね。

   彼らを見て、名古屋で過ごした公立中学最後の1年間の悪夢が、蘇ってきた。
   今にして思えば、本場の管理教育を体験した、貴重な1年でもある。
   転校して2ヵ月で、修学旅行に行くはめになった。
   その半年前に行った、前の中学校での修学旅行と比べ、
   あまりに指示が多いのにうんざりした私は、
   最終日、担任教師Nが向けたカメラに、わざと背中を向けたんだった。
   以後、Nからはいろいろと納得いかない仕打ちを受けた。
   「お前には無理だ。ダメだダメだ!」と言うNの反対を押し切って
   放任型高校を受験して、まんまと入学〜卒業した後は、
   悪夢は遠い彼方のものだったのになあ。なんで今になって……因縁深いなあ。

   因縁といえば、これは偶然「其の八」になっているんですが、
   名古屋市のマーク(市章)って、たしか「マルに八」だったような記憶が。
   恐ろしいこってす。


   (7,9.Dez.1998)

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