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容量不足により「ピピ(2007-2015)日記」は削除しました
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日付 | メ モ | ||
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'25.05.02 |
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'25.05.01 |
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'25.04.30 |
おそろしいほど元気になりました!! 整体の先生もビックリされてますが、 元気になり過ぎると動き過ぎることに つながるため危険…と言われてます。 でも以前、声楽家をやめていた時には ずっとこんな感じだったので、よほど 声楽家が性に合ってなかったのか? タケノコ掘りに行ってきました。 ブログ「タケノコと雷神」です。 | ||
'25.04.29 |
やはりエンジニア氏は連日の録音で映像の処理が できないとのことで『ギリヤーク〜』は上がって きません。…と油断していたら、木下忠司先生の 『記念樹』が届いたので驚いています。とはいえ 『そばの花咲く』と『水戸黄門』の主題歌がいつ 届くのかはわかりません。ポポロにもお世話に なったので、映像をお送りしたいのですが…。 取り敢えず、届かないものは届かないので、 明日のタケノコ掘りに備えて早めに休みます。 | ||
'25.04.28 |
ブログ「ハープで弾く伊福部作品」に 昨年11/7収録の『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』 『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』をupしました。 残すところ『ギリヤーク族の古き吟誦歌』のみです。 このブログに引用した伊福部先生のお言葉が、非常に 困難なハープ演奏を実現させる燃料となりました。 「ギリヤーク族はトンクルと言う魚皮を張った弓弦楽器を もっているが、其の弦は馬の尾の毛一本で、音は極めて弱く、 静かな自然の中にあってさえ、数尺離れると最早正確には 聴き取り難く、当時のアルマイト盤に依る方法ではどうしても 録音することが出来なかった。この殆ど聴き取り難い音楽が、 何故にあの様な強い音楽的訴えをもち得るのだろうか。」 戦前から樺太や北海道で少数民族の音楽を調査研究 していた伊福部先生は、戦後も「音楽学校を出ていない 素人作曲家」との批判に曝され、東京の楽壇に辟易して 『サハリン島〜』と『ギリヤーク族〜』を、恐ろしく 難しいピアノ伴奏で作曲しました。臨時記号だらけの 譜面はピアノで弾いても難しく、半音を一々ペダルを 踏んで設定するハープで演奏するのは不可能です。 ところが、伊福部先生は規格外の飛び級(藝大附属高校 在学中にパリ・コンセルヴァトワールに入学した!!) ハーピスト木村茉莉さんに出会いました。そして箜篌 という竪型ハープをイメージして書いた『箜篌歌』を ハープ用の作品として書き直され、ピアノ伴奏で作曲 した歌曲集『ギリヤーク族〜』と『サハリン〜島』を ハープ伴奏で演奏してほしいと希望されたのです。 それまで、ジョリヴェ作曲『典礼組曲(日本初演)』や ファリャ作曲『プシケ』などで共演させて頂いてきた 私は、大好きな茉莉さんと共演できるのが嬉しかった のですが、ハープの指使いを決めるのに1曲に1ヶ月も 費やされるご様子に触れて、言葉も出ませんでした。 人生において、このように尊敬してやまない素晴らしい 演奏家に出会えたことは奇蹟とも呼べる出来事ですし、 茉莉さんの美しいハープの響きで伊福部作品を残せた ことは何より有り難く、幸せな演奏体験でした。深謝。 | ||
'25.04.27 |
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'25.04.26 |
今朝3時過ぎ、YouTubeに『サハリン島〜』が upされてました。いま茉莉さんにチェック して頂いているので、少しお待ちください。 今日は金村別雷神社へ行きました。場所は どこでも良かったんです。還暦後に私が やるべきことについて初めて書きました。 「伊福」地名です。 私の人生、どこまで行っても伊福部先生から の指令? 課題?を果たすためにあるらしい。 |
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日付 | 過 去 の メ モ | ||
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'24.06.12 |
2024年 5月31日の『伊福部昭の音楽』の演奏を YouTubeにアップしました。 伊福部昭室内楽作品〜今後の収録予定〜 1.【荻野綾子に献呈】「平安朝の秋に寄する三つの詩」(1933) 2025年2月 2.『SUITE JAPONAISE (Piano Suite)』4曲 (1934/38) 2025年2月 3.『ギリヤーク族の古き吟誦歌』4曲 (1946) ハープ版 2024年11月 4.『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』3曲 (1949) ハープ版 2024年11月 5.『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』3曲 (1955) シントコ版 2024年11月 6.『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』3曲 (1956) 収録予定なし 7. 映画『親鸞』劇中歌「わがこひは」(1960) up 8.【Stefano Kinaiに献呈】「シレトコ半島の漁夫の歌」(1960) 2025年2月 9.【Amsterdam Duoに献呈】『二つの性格舞曲』(1955/61) 2025年2月 10.【小林武史に献呈】『ヴァイオリンソナタ』(1985) 2025年2月 11.【藍川由美に献呈】頌詩「オホーツクの海」(1958/88) 2025年2月 12.【木村茉莉に献呈】ハープのための「箜篌歌」(1968/1990) up 13.【藍川由美に献呈】「摩周湖」(1992) ハープ版をup 14.【鳥取市の委嘱】『因幡万葉の歌 五首』5曲 (1994) 収録未定 15.【藍川由美に献呈】「蒼鷺」(2000) 2025年2月 16.【藍川由美の委嘱】「聖なる泉」(2000) 収録未定 | ||
'23.07.20 |
『古事記』(ふることふみ/712)と『日本書紀』(やまとふみ/720)では 神話の扱いが異なりますが、『古事記』にあった和琴にまつわる神話は 私が和琴の威力いかばかりかと疑ったことで、古代歌謡の道に 入る"きっかけ"となりました。 仲哀天皇が筑紫の香椎宮巡幸の折り、熊襲を討つための御神託を 乞うべく、武内宿禰を審神者(さには)として天皇自ら琴を弾くと、 神功皇后が神懸りして熊襲征伐よりも三韓征伐に行くべきとの 御託宣を仲哀天皇に伝えました。 が、仲哀天皇は「偽りを言う神だ」と聞く耳をもちませんでした。 そこで審神者の武内宿禰が、仲哀天皇に今一度、琴を弾くよう 進言すると、しぶしぶ弾き始めたものの、ほどなく音が絶えました。 すぐに火を掲げて見ると、仲哀天皇は崩御していたとの神話です。 この神話は、ヤマト王権が和琴を重視していたことを伝えています。 12世紀には後白河法皇が編纂したとされる『梁塵秘抄 口伝集』に 「和琴は和国の器にして、日本の音曲の頭としるべし」とあります。 その真意は『古事記』の和琴神話を紐解くことで得られるでしょう。 大国主が須佐之男の娘・須勢理毘売と根の堅州国から遁げ出す際、 スサノヲの宝物たる太刀、弓矢、琴を持ったのはなぜなのか? 伊福部氏が大国主の家系であるだけに、深意を探りたくなります。 伊福部昭先生が雅楽で最も古い歴史を持つ御神楽歌や伴奏楽器の 和琴に興味を示されたこととも無関係ではないでしょう。 なお、和琴(やまとこと)は御琴(みこと)とも呼ばれていました。 宮中と一般では「御」の読み方(もちろん内容も!!)が違います。 「御(お)神楽」に対し、宮中は「御(み)神楽」、「御(お)琴」は「御(み)琴」。 御託宣の「詔(みことのり)」は、御琴(みこと)宣(のり)かと。 | ||
'21.07.27 |
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![]() Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分 →youtube.com |
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