![]() | アコの部屋
容量不足により「ピピ(2007-2015)日記」は削除しました
![]() ![]() ![]() |
|
---|
|
---|
日付 | メ モ | ||
---|---|---|---|
'25.06.18 |
| ||
'25.06.17 |
| ||
'25.06.16 |
| ||
'25.06.15 |
長崎行きまで1ヶ月を切ったので、昨夜は旅の 内容を見直しました。7月中旬ということで 雨の可能性を否定できず、先日の熊本と同じ 24時間しかないため、焦点の絞り方が大事。 4/26のブログ「伊福」地名に 「伊福部地名は全国に広がっており、大和国から 遠く離れた肥前国高来郡(南高来郡瑞穂町)にも 伊福があって、かつては伊布利村と呼ばれて いたそうです」と書いたことで、長年足を運べず にいた雲仙へ行く気になった怠け者の私です。 しかも先日の「やまめの里」が温泉じゃなかった ため、源泉かけ流しのホテルに変更しました。 夕日が見られる海側を予約したと家人に話すと 「雨なら見られないね」と冷や水を浴びせかける ようなことを言われました!? まぁ、遊んでると 思われても仕方のない行程ではありますが…。 ちゃんと8月の帰省準備もしてるんですよ。偶然 家人が高松で行くコンサートのチケットを友人が 購入しているとわかり、私はバイクで走りたい為 家人を車で送迎してくれるよう頼んであります。 「遊びたいだけだよね」と突っ込まれそうですが。 ![]() ![]() | ||
'25.06.14 |
伊福部先生がJascha Heifetzの演奏を規範 とされていたことは良く知られている(?)と 思うのですが、私はレッスンを録音させて 頂いたことがないため記憶が曖昧な場合は テープに録音していた家人に確認します。 するとやはり私の記憶通りで、伊福部先生は 十代の頃ヴァイオリンを弾いておられた為、 機会を見つけて日本人ヴァイオリニストの 演奏を聴いていたそうです。すると、皆さん が必要以上に身体を動かしながら弾くので おかしいと思っていたところ、17歳(1931年) の時、札幌でJascha Heifetzのコンサートが あり、聴きに行くと、全く無駄な動きが無く、 直立不動で弾いていたことに、いたく感銘を 受けたと話しておられました。うろうろ歩き ながら弾いたのでは重心が定まらず、重力の 法則にかなった立ち方が大事と仰せでした。 勿論それは、ヴァイオリンも歌も同じです。 かくいう私もハイフェッツのファンでして、 演奏が大好きな上、誕生日が同じなんです!! ついでに言うとクライスラーも同じ2/2。 それならヴァイオリンをやればよかった? |
トップページへ |
日付 | 過 去 の メ モ | ||
---|---|---|---|
'24.06.12 |
YouTube「伊福部昭室内楽作品」
1.【荻野綾子に献呈】「平安朝の秋に寄する三つの詩」(1933) 2025年2月 2.『SUITE JAPONAISE (Piano Suite)』4曲 (1934/38) 3.『ギリヤーク族の古き吟誦歌』4曲 (1946) ハープ版 4.『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』3曲 (1949) ハープ版 5.『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』3曲 (1955) シントコ版 6.【Stefano Kinaiに献呈】「シレトコ半島の漁夫の歌」(1960) 7.【Amsterdam Duoに献呈】『二つの性格舞曲』(1955/61) 2025年2月 8.【小林武史に献呈】『ヴァイオリンソナタ』(1985) 2025年2月 9.【藍川由美に献呈】頌詩「オホーツクの海」(1958/88) 2025年2月 10.【木村茉莉に献呈】ハープのための「箜篌歌」(1968/1990) 11.【藍川由美に献呈】「摩周湖」(1992) ハープ版 12.【藍川由美に献呈】「蒼鷺」(2000) | ||
'23.07.20 |
『古事記』(ふることふみ/712)と『日本書紀』(やまとふみ/720)では 神話の扱いが異なりますが、『古事記』にあった和琴にまつわる神話は 私が和琴の威力いかばかりかと疑ったことで、古代歌謡の道に 入る"きっかけ"となりました。 仲哀天皇が筑紫の香椎宮巡幸の折り、熊襲を討つための御神託を 乞うべく、武内宿禰を審神者(さには)として天皇自ら琴を弾くと、 神功皇后が神懸りして熊襲征伐よりも三韓征伐に行くべきとの 御託宣を仲哀天皇に伝えました。 が、仲哀天皇は「偽りを言う神だ」と聞く耳をもちませんでした。 そこで審神者の武内宿禰が、仲哀天皇に今一度、琴を弾くよう 進言すると、しぶしぶ弾き始めたものの、ほどなく音が絶えました。 すぐに火を掲げて見ると、仲哀天皇は崩御していたとの神話です。 この神話は、ヤマト王権が和琴を重視していたことを伝えています。 12世紀には後白河法皇が編纂したとされる『梁塵秘抄 口伝集』に 「和琴は和国の器にして、日本の音曲の頭としるべし」とあります。 その真意は『古事記』の和琴神話を紐解くことで得られるでしょう。 大国主が須佐之男の娘・須勢理毘売と根の堅州国から遁げ出す際、 スサノヲの宝物たる太刀、弓矢、琴を持ったのはなぜなのか? 伊福部氏が大国主の家系であるだけに、深意を探りたくなります。 伊福部昭先生が雅楽で最も古い歴史を持つ御神楽歌や伴奏楽器の 和琴に興味を示されたこととも無関係ではないでしょう。 なお、和琴(やまとこと)は御琴(みこと)とも呼ばれていました。 宮中と一般では「御」の読み方(もちろん内容も!!)が違います。 「御(お)神楽」に対し、宮中は「御(み)神楽」、「御(お)琴」は「御(み)琴」。 御託宣の「詔(みことのり)」は、御琴(みこと)宣(のり)かと。 | ||
'21.07.27 |
|
![]() Yumi Aikawa a Segesta - 2015/10/01放送分 →youtube.com |
---|