2014年12月9日。御許山からの下りも勿論ノロノロ運転ですが、下界へおりたら一気に宇佐神宮を目指します。タクシーの中でパンフレットを貰って境内図を見たら、敷地がこれまで行った神宮や神社の比ではないらしい。「宇佐神宮球場」まであります!? その上、帰宅後パンフレットを読んだら、物凄いことが書いてありました!! 全国八幡様の総本宮で、神輿と神仏習合の発祥地として有名です。隼人征伐での殺生を悔いて霊を慰めるために始めた放生会や境内に弥勒寺を建立したことがそれを良く表わしています。
あれまあ〜、知らなかったとはいえ、八幡様に殺された阿多隼人の土地から、殺生した側の八幡社に行ってしまったなんて…。パンフレットに書かれているのですから、神話ではなく歴史的事実として認識されているのでしょう。征服された側の神社が八幡社に衣替えするのは、持統天皇が行幸したら、天武天皇が式年遷宮などの基盤を作った伊勢の神宮を祀る神明社が増えたというのと同じシステムですか? もしそうなら大変だ…。
宇佐神宮が「隼人征伐での殺生を悔いて」弥勒寺などを建立したと知り、数日考え込みました。
神話でも何でも、よくできた物語というのは、表の装いとは別に、隠喩を巧みに使って真実を盛り込み、いかようにも解釈できるように仕立てられているものではないでしょうか(その糸口を見つけて繙くのが、谷川雁主宰「ものがたり文化の会」の基本姿勢ではなかったかと思っていますが)。
日本の有名な物語『竹取物語』『桃太郎伝説』『羽衣伝説』なども土地ごと時代ごとに様々な解釈があり、かの『竹取物語』には海人族が美しい娘を育てると天子様が召してゆかれるとの解釈もあるとか。
すると、アタヒメとは、八幡様が征伐した阿多隼人の中にいた美しい娘で、それが天皇に召されたり献上されたりしたとも考えられるのではないでしょうか? そして、桜の花のように可憐で美しい阿多の姫は、人々から称賛を込めて「コノハナサクヤヒメ」と呼ばれるようになった…?!
妄想は尽きません。どなたか、答えを教えてください。答えがだめならヒントだけでも〜!!