2014年9月17日。下鴨神社から上賀茂神社へ。駐車場から本殿へ向かうまでに馬場があり、境内に入っても広々としています。曲水の宴が行なわれた場所もありました(ああ水上で演奏したい!! でもこれが現実)。
以下、当社の祭神については、Wikipediaより。
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『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓(おとくに)神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。
大山咋神とは大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神とされる。『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。
「日枝山」には日吉大社が、松尾には松尾大社があり、ともに大山咋神を祀っている。日枝山と松尾については、共通の祭神を祀る社の存在だけではなく、八王子山と松尾山の両方に巨大な磐座と、古墳群(日吉社東本宮古墳群、松尾山古墳群)が存在し、ともに漢人系氏族・三津首(みつのおびと)氏、秦氏に祀られるなど、共通点が多いことが指摘されている。比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、最澄によって、天台宗および延暦寺の結界を守る守護神ともされた。この理由として、最澄が、大山咋神を祀る漢人系氏族である「三津首氏」の出身であり、大山咋神の神域についての深い知識を有していたことが指摘されている。