生活 of まんが人生



日々 宇宙を食べる盛岡.JPG

7月27日

経済的なこともあって、最近はほとんど外食しなくなりました。5、6月はほとんど毎日お弁当を作ってました。忙しいと梅干しのお握り一個だけでも作って行きますが、それでも充分です。(エリア周りの時はお昼を食べる時間もないので、移動途中の公園とか見つけてお握り一個かじります)
一週間程本当に忙しくてお握り一個の連続でしたが、今日久々に弁当箱につくっていくと、やっぱり体が充実するように感じます。市販のものよりやっぱり全然美味しいです。大したものではないんですけど。
夜には、温野菜サラダ用に煮た野菜のゆで汁を飲んでみました。下手な飲み物より良さそう。。。

5月27日

数日前に、京都の八坂でいだきさんがつくられたアズキ(餡)の入ったクリームソフトをいただきました。翌日は品切れだったので、別の方がつくった(たぶん既成の)餡の入った入ったデザートをいただきましたが、その餡のあまりの違いにビックリしました。いだきさんがつくられた餡は、他の人がつくった餡とは失礼ながら全く別物だという事が本当に良くわかりました。あまりにもあんまりで衝撃でした。
いだきしん先生の造られるお菓子や料理は、本当に宇宙で、時空を超えていている。こんな食べ物がこの世にあるんだ、という驚きです。

5月19日

美味しく作れないときは、どっか感覚が鈍っている。色々なこと感じられない身体で作る食事は、行き詰った味がする。
開かれた感覚で作られた食べ物は、そのまま開かれてる。
食べ物はやっぱりいきもの。

5月18日

今日の夕飯は正直言ってあまり上手く作れなかった。(一昨日は美味しかったのだけど)すこし疲れて来たのかな、と思う。自分の生活、省みると、確かに重く、陰りを感じる。
新しい仕事に、自分が負けているのかも。
今朝、都心に出る時も、交通が乱れ、電車が大分遅れた。
数時間前にも地震があった。
何やら、あるのかも。その予兆。
身体全部で感じ、自分の作る食事の味でも感じ、大自然、大宇宙を感じて生きる。
日々。
こんな時は、澄んだお浄めのような、アンドロメダエチオピア珈琲が飲みたい。

4月25日

今日の夕飯は、タケノコのおかか煮、ひじき、葱の味噌汁、子持ちししゃも。
何か、どれをとっても美味しかった。とくにタケノコ絶品、春の味。
味噌汁もシンプルだけどなんだかとっても美味しかった。
同じ時間、いだきさんが京都でまんまるぴかぴかの、宇宙生まれる三段階前のお萩を作っていたらしい。
空気は伝搬する。今日はみんなお料理上手にできたかな。

4月4日

今まで美味しいと思っていたものが、実はそうではないと分かってくる 今日この頃。
作る人がそのままあらわれてしまう食べ物。
人が作ったものを食べるということは、、、今更ながら驚きます。

こうなってくると、食材は、植物動物等の生命体が、呼びかけて集まってくる響きあいのようなもので、
料理とはその大交流会のイベント会場で、
料理人は生命達をもてなすウェルカムマスター。

面白いです。

2月21日

こんな事ってあるんでしょうか。 
昨日いったん手にしたけれど「今日はいいわ」と、戻して買わなかった生姜がありました。
丸くふっくらした形の金色の生姜で、ちょっと心残りしましたが、昨日のメニューに生姜は使わないから、と買わないで来ました。。
そして今日はやっぱり生姜を買って帰ろうと夜の9時半くらいにスーパーに行ったら、
一個だけ生姜が残っていて、その生姜は昨日手にしたのと同じ形のでした。
ふっくらした形はユニークだったので、多分ほんとうに昨日のしょうがちゃん。。。

私の所に来てくれるまで誰にも買われないで待っててくれた、なんてことがあるのでしょうか?。
何となくうれしい。喜んでその生姜ちゃんと一緒に帰り、さっそくもやしと一緒に炒めて食べました。
すっごく美味しかったです。

ささやかな今日の物語でした。

2月19日

昨日いれたタンザニアのゴダマジス珈琲(キリマンジェロ)が、とても美味しく入りました。
この美味しさは格別で、なにかこう、別次元なんです。宇宙的です。。。
宇宙を感じさせてくれる味わいは
なにかこう、ひろーい感じで、素敵です。

2月11日

昼間
いだきしん先生のCDをかける。
高句麗新聞の東北版を読む。
泣けてくる。
かなしくてかなしくて。
東北が恋しくて恋しくて。
夢のように美しかった東北の春を想う。

明日は派遣の研修があり、お昼を挟むので、
夜に明日のランチおにぎり作った。
竹輪とピーナツとアスパラを炒めて少し焦がして混ぜ込んだ。
もう一つは胡麻塩おにぎり。シンプルだけど美味しいの。塩は岩塩。
つくったとたんに明日のお昼が楽しみになる。
なんだこの浮き立った気分は。
今日は鬱に覆われていたはずなんだけど。

すばらしい。
食の効果。
生命は生きる方へ。
胃腸は宇宙のジェンダーエネルギーを欲している。

善きエネルギーを。

2月8日

昨日電車に乗っていた時、急に咳き込み、風邪症状になりました。いきなり来てしまいました。
一晩よく眠ってよくなるかなと思ったけれど、やっぱり今日外に出ると咳き込み、肺が苦しい。
こんな時は何を食べたらいいのかしらと、生姜の聞いた唐揚げや、葱と豆腐の入った赤出し味噌と、カボチャのは言ったほうれん草ソテーを作りました。でも、一番おいしかったのは最後に入れたアンドロメダエチオピアコーヒーでした。
科学的に栄養を考えてもどこまで有効なんでしょう。科学では分からないことだらけなのに。つい、科学的に考えている頭で、その結果あまり効果がなかったりしている。

いだきさん調合のピクルス付け汁を思い出し飲んでみました。体重が無くなるような透明な味です。胸の痛みも消えます。これはいったい何なのでしょうと思います。
あえて言うなら、自分を取り戻す感じ。

2月6日

いだきさんのピクルスづくり。
ワインとお酢を調合するのだけれど、いだきさんの調合はワインとお酢の出会い、愛、の状態、宇宙からひかり注がれる状態 とのこと。
今回漬けられたピクルスを私は食べられませんでしたが、前回(お正月)にいただいたときは飛び上がる程のサプライズでした。なにかこう、超えてしまう体感。どっかぶっ飛んで行きそうな体感。そんな食べ物って有るんだと驚き。

2月4日

さるところでお菓子づくりを引受けてしまい、その前日の3日に、子供に手伝ってもらい、狭い台所に二人で立った。。
いろいろトラブルが続いていらつき、お互い怒り心頭、お互いのせいにし始め、怒りの感情を爆発させたらどんなに気持ちがすっきりするかしらと思った瞬間もあったけど、それをやっちゃおしまいよ、と感情につき動かされている自分の状態そのものを恨みました。
そうこうしているうちに、ふと なんか笑いが生まれて、、、子供が妙に冷静でおかしくなった、、無事に衝突せずに通過しました。
翌日(4日)イランが厳しい状況にある事を知りましたが、我が家の台所も危機状況でありました。せめて自分の家の台所からは平和を発信したい。
平和の食べ物、、、平和の味、、、平和の料理態度、、。

2月2日

実を言うと先月は、食事が終わっても何かまた食べたくなって困りました。災害でもあるのかしら、と思った程。1月に地震が来るという噂も有ったのですが、無事終わってよかったです。
2月に突入。新しい月。善き月でありますように。

ちょっと疲れて股関節が怪しく痛む昨日でしたが、子供がスパゲッティーを作ってくれて、すごくうれしかった。誰かが食事を作ってくれるって、本当に嬉しいものです。
実はこのセリフはほとんどの女の人が言います。
誰かに作ってもらうって何でこんなに嬉しいのかしら。
遠い記憶で、お母さんに作ってもらったときのような、こどもの幸せを思い出すからでしょうか。
子供時代は余計な事なにも考えないで、可能性と希望に満ちていました。
子供時代の時のように、日々新しく、いのちのままに生きる毎日がいい。

1月29日

箸置きってあるけれど、あれはいったん箸を置いてよく噛んで食べ物を味わうためにあるんだそうですね。普段、速いペースでつい食べ物を口に入れていたので、ちょと反省。
一口食べては、箸を置いて、ゆっくり味わいます。
食物は生命。生命と口の中で出会うデラックスなひと時。

1月28日

昨日行った先のバイトは、家庭の夕飯を作る事でしたけど、友人が前日に入って夕食を作っていました。その友人が作ったパスタの茹で加減が柔らかくてその方のお母さんが昔作ってくれたパスタと同じだったと言って、その方は涙ぐみました。しんみりするお話です。
その方はお若い方ですが急にお体が悪くなって、身体が思うように動かなくなって、夕飯もお手伝いを頼むようになったのです。パスタが食べたいと思っても、なかなか食べられなかったそうで、久々に食べたのだそうです。
味わいの奥に、愛の記憶がよみがえる。。。

1月25日

いだきさんと高麗さんが作ったピクルス

お正月に、いだきさんがワインとお酢を調合して宇宙からのひかりを入れたという極上ピクルスが登場しました。
高麗さんが「これよりない」という直観によってカットした野菜の数々がつけ込まれたピクルス。
最初に食べたときはあまりの強烈なエネルギーに「ケホッ」とむせてしまったけど、今日辺りはもうまろやかに甘くなっている。
正月に買ったので、中味はとっくに食べちゃって、残ったピクルス液体に、新しい野菜を入れて漬けている。
自分はパプリカ(これが意外といける)や、大根、カブなどをつけたけど、今日知り合いの家に行ったら長芋が漬けてあった。長芋を漬けるなんて発想は自分にはなかったけど、これもOKでした。
何でも漬けられておもしろい。とっても爽やかで、元気が出るピクルス。

今年の食べ始め

最高の食べ物を味わい。。

今年は1月の1日、2日に、世界最高の即興演奏いだきしん先生が、京都の八坂でお餅つきをされるとのことで、私はわざわざ京都へ、大晦日の日に夜行バスに乗って行きました。そして無事につきたてのいだきしんさんのお餅をいただくことができました。
物凄い弾力で、力強い清らかな神餅でした。
それを、やはりいだきさんが作られた小豆のぜんざいと一緒にいただいたのですが、この小豆がまた次元が違うおいしさなのです。きゃーっと飛び上がり、みんなニコニコして顔が輝いていました。すごい食べ物でした。なんと表現したらいいか、ひかりのような味わいで、空間に飛翔して行きそう。。。どんどんひかりが生まれると表現しておられる方もいました。身体の感覚が、精緻な感覚に変わらざるをえません。

3日にはお雑煮をいだきしん先生が作って下さり、絶品のお雑煮を生まれて初めて味わいました。
作り方を少しお話しされていたのですが、それによると一つ一つの材料を別々に煮たりしながらそれぞれの味を引き出し、最後に一気に全部あわせたとのこと。大変美味しかったんです。熱々の少し焦げ目のついた焼き餅を頂点に「はい、召し上がれ」のタイミングでいただく雑煮は見事でした。いろんな材料の味がすべて引き立ち、感動しました。
この感動を是非他の人にも伝えたいと、1月8日、もやいの今年最初の「相談日」があったのですが、その3日前、私はその日のマカナイさんをしたいですと名乗りでました。急に言い出したにもかかわらず(ほんとに冷静に考えたら急に言い出して申し訳なかった)もやいの人はとても気持ちの優しい人たちで、普段マカナイをやっている人がこころよく「やっていいよ」(本当は予定の心づもりあったにもかかわらず譲って下さったんです。うるうる)と言って下さり、無事に台所任務遂行することができました。当日のお手伝いももやいのボランティアの方々が沢山手伝ってくれました。(もやいの方々には大感謝です)
出来上がりはとても好評で、「生きててよかった」とすら言って下さる方がいて、ほっとしました。
「味わい」は宇宙的なたのしみあることを察し始めた今日この頃。
たべることが大切だと身に沁みた2012年の幕開け。
今年は食べること大切にします。