単行本 紹介
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最新作
アスペルガーの友人が原作を書き、森生が漫画にしました。
現実のお話。過酷なアスペルガーの子供時代、いじめ、親兄弟からのDV、就職困難などなど乗り越えて。。。
ラストのファンタジーに出てくるガイコツさんは、とってもキュート。
アスペルガーの主人公は生まれ変わります。


kikuchi

masako


頒価 600円 (送料80円)
一般書店にありませんので森生まで直接お申し込み下さい。

flwremai

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作品紹介
3年かかって完成。満州事変を起こしたと一般的にはいわれている石原莞爾の生涯
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その1/「戦後編」
2009年、8月15日完成
終戦後から臨終までの石原将軍を描いた約50ページに加えて 生誕120年実行委員会の方々(石原将軍のお弟子さん関連の方々)の平和生活革命記事や石原将軍に関する記事等130ページ冊子がムック本となりました。
石原莞爾誕生120年実行委員会より発売中/1000円
別売りで貴重な石原莞爾のトーキー
DVD(石原将軍生前のお姿とお声が入っている/500円)があります。
DVDの編集はまんが家の江川達也さんがやっておられます。

その2/
「生い立ちから満州建国、終戦まで」
2010年1月18日、将軍のお誕生日に完成
生い立ちから満州事変、太平洋戦争、東条英機との対立、京都深草時代など 終戦までの将軍の動きを描かせていただきました。(約170ページ)
これを描くに至るには、石原将軍の直接愛弟子の方々にお会いし、多くの方々にお会いし、すったもんだあって何度も描き直し、それでも刊行不能状態になりましたが、株式会社「ハピネス」社長の隆久様のご尽力により、やっと刊行に至ることができた、労作です。
こころから感謝いたします。
戦後の日本の歴史は、この方を抜きにして語れず、この方を知らずしては理解することができません。
誤解の多い報道をされている石原莞爾のまことの姿に、是非多くの方に触れていただきたいです。
同じく石原莞爾誕生120年実行委員会より発売/1000円


お申し込み、お問い合わせは 作者まで御連絡下さい。(一般書店にありません)
flwremai

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講談社文庫にて 投資家バフェットさんの漫画好評いただいております。7刷重版。ありがとうございます。
ジム.ロジャーズさんの漫画も文庫になっています(漫画で描く天才投資家の生き方と投資法シリーズ)

バフェットさんの漫画は、英語、韓国語、ドイツ語、タイ語に翻訳。ロジャーズさんの漫画は中国語に翻訳。
本間宗久さんの韓国語版も出ました。これは日本人として、山形ファンとして、嬉しいです。 
最近バフェットさんのスペイン語も出ました。
バフェットさん強し!。
気付いたら下記のようにいっぱい拙著の翻訳(まんが)がでていました。
パンローリング社さま、ありがとうございます。
honyaku1

パンローリング社さんは、投資家のを応援する書籍をいっぱい出しておられます。
社長がいい人です!
パンローリング社さんのサイトから申し込めます。

バフェットさんの投資は普遍的な投資の神髄。本間宗久さんは玄人筋のかたが教科書にしている古典です。
どちらもお金の勉強する方に一度はお読みいただきたいお薦めです。
bafethonnmajim
この書籍の詳細及び通販についてはバフェットさんはこちらへ
「本間宗久翁秘録」はこちら
「ジム・ロジャーズ」はこちら


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ウェブに上がった作品

kizuna
田無ロ-タリ-クラブから、石原都知事の「心の東京革命」をテーマになにか書いてと頼まれていたお仕事。ロータリーの地区HPに50ページ一挙掲載。
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レディスコミック分野

文庫本紹介

子育てについてお役に立てれば。。。
結婚てなんなの(文庫)学陽書房、女性文庫シリーズより
                     森生文乃著/123、巻/各520円(全部マンガです) 
umareru

1巻目(生まれる編) 1420グラムで生まれた超低体重児の出産、育児まんが結婚幻想、イラツキ、自己批判、孤立無縁の孤独、 自分自身の幼児期の思い出、自分の親との関係にさかのぼってもう一度自分を見つめ直す心の旅 (少年画報社「MAY」に掲載されたシリーズを単行本にまとめたものです)
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発表当時の新聞評 読売新聞 ’93年12月??日(切り抜きの記事の日付けの所が切れて不明) 家庭とくらし欄より
 『育児漫画の草分け、森生文乃さんが、一児の母親としての自分の体験や悩みを中心に描いた漫画集「結婚手なんなの!?」をこの程自費出版した。「ヒステリー・ウォーズ」など六作品が掲載されている。前作の「主婦ってなんなの!?」に続く二作目。 内容は未熟児だった子供を育てる不安、母乳、母親の孤独、育児中のイライラ、夫婦げんかなど。母親の日常生活と心理が生き生きと描かれている。』
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こんなちっちゃい記事なのに一週間で500册程注文のはがきが来て、あらためて子育てにみんな苦しんでいる現実を認識しました。


巻末に講談社で発表した読み切り「月とブランコ」も収録。この作品は「生まれる編」より前に描いたものですが、アーサー・ヤノフ著「原初からの叫び」サブタイトル<抑圧された心のための原初理論>を読んで衝撃を受け、自分の体験、自分の原初からの叫びを表現したものです。今にして思えば、この本を読んだことが、いだきしん(齋藤忠光)氏との出会いへの助走になりました。

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1巻生まれる編、最初の自費出版の時の後書きより
あとがき

三年ほど前、少年画報社より発行された「シヤボン玉の日々」という本がありました。絶版になってしまったにもかかわらず欲しいと言つてくださる方がたくさんいらっしやったので、また子供が「これはわたしの宝物なの」と言つて繰り返し繰り返し読むので、もう一度本にしようと決めました。気に入らないところをかき直ししているうちに、結婚そのものを間うような本にしたくなつて、全三巻におよぷことになりました。
この巻に描いたのは、子供から毎日自分の本性をあぱかれ、まいっていた頃のことてす。子供の頃、自分の親を見て、ああいう大人にだけはなりたくないと思っていたのに、現実の自分の姿、本性は、親から受け継いだ反応パターン、行動パターンとまつたく変わらないものでした。自分の意志ではどうにもならないジレンマに苦しんでいました。
そんな時、そんな時期に、齋藤忠光という方に出会いました。齋藤氏はピアノの昔を即興で出しておられましたが、その音は聞いている人の、お腹や胸にためこんで閉じ込めてしまった苦しみや悲しみや恐怖を自覚する音でした。齋藤氏は、聞く人ひとりひとりのために、個々にその音を出す仕事をされていたので、私も自分の音を出していただけるチヤンスに恵まれました。それは、お腹や胸の中が初めて新鮮な空気に触れたような、ハラワタや心臓などがよみがえる音だったのです。

その音を出して聞かせてくださつた齋藤氏に、感謝の意を述べさせていただくと共に、以前(関西のタウン誌に掲載された齋藤氏の記事を紹介したいと思います。というのは、私がいいたかったことも含めて、いろいろなこと全て凝縮されているからです。何度読んでも新しい発見がありますので、ぜひ繰り返し読んでみて下さい。

****子供の感受性を受けとめられるだけの親になっているか***
齋藤忠光氏が語る

                     (月刊すぺえす・ぱる編集工房 発行)
                      月刊すぺえす・ぱる54号より転載齋藤忠光「音は、私の体肉から生命そのものの光と感応して出されてゆく、聴く人の意識が透明化してゆく。といいう現象を得て、演奏活動をはじめました。頭を働かせるのは本質的な自分だから、その自分の本質に目覚めなければならない。頭ではなく、体の感受性を取り戻すことが中心だと思う。自分自身の感受性が動かなくなって生きている、その自分をもうひとリの自分が、はねかえしてくれたら、そのお手伝いをさせていただいているのが、私のピアノの普です。深く自然に根源的な自分に回帰して、体肉から呼びさまされる一瞬に、意識の健康を取り戻してゆける。
花や木の精気に気付き、花や木から発する光を見つけることができる。語り合うこともできる。自然と一体に生きている自分を見つけることができる。感受性が回復してくると、自分の本当の生命力、本質に戻っててゆける。そのことが大切なのであって、表面的なストレス解消をしても、解決してゆかない。現代社会の失われた感性を取り戻すことは、自分自身の根源に立ち帰ってゆける日常がなくてはならないと思います。

子供の感受性を受けとめられるだけの親になっているか、どうか。大人は子供に、理屈や言葉での押し付けの毎日ではないだろうか。もしそうだとしたら、バットでなぐられても仕方がないと思う。子供の心が自然(原始)の状態でいるのに、現代社会の理屈を押し付けてばかりいて、子供の心がすくすくと成長してゆくだろうか。やらせるだけの大人になってしまっていたと、私は思いました。子供の感受性が受けとめられているか、親の心が澄んだ時、子供の心は受けとめられる。大人(親)が、子供を育てられる親になれば、子供は変わる。問題なのは親であると思います。
大人の感受性が純くなっていて、心の交流が家庭内で持てなくなっていて、物ばかりあふれている状態で、子供の成長にとって、危機を感じたことが、私のこの仕事の動機ともなりました。私のピアノの音を聴く人が、本質的な自分に立ち戻って、子供たちのように、毎日を発見の喜びで満ちていくのなら、一緒に生きている実感が、足もとからわいてくるのじゃないかしら、それが生命の活性です。すべてが当たり前になって、感受性も純くなってしまっている今、逆に、自分自身を見つけるチャンスじゃないでしょうか。そんなお手伝いが、私のピアノの即興演奏でさせていただけたら、そういう使命を覚えている毎日なのです。」

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「結婚てなんなの」(森生文乃)に戻ります
2巻目(自立編) 自分の感覚とか、世の中の常識とかが「なんか変じゃない?」と気付きはじめたことから始まって、夫と別居に踏み切る までの事が描いてあります
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発表当時の新聞評 読売朝刊7/27 ’94 家庭欄より 結婚、出産などを巡る女性の人生を漫画で書いている森生文乃さんがシリーズ二作目「結婚手なんなの」を出版した。 育児書よりも漫画のほう芽面白いと、様々な行く自慢がに目を通しているが、森生さんの作品はシビアな内容で読みごたえがある。一人の人間としての自分と、主婦、母親と仕手の自分とのあつれきから来るストレスには、特に共感してしまう。
一作目の「結婚ってなんなの」のテーマは、新しい命の誕生だったが、二作目のテーマは自立。断乳、仕事再開、保育園、夫とのすれ違いから別居までを描く。
 最後に主人公は、幼児期の地h塩屋の記憶と夫の存在を乗り越えて、「結婚から先へ旅立ちたい」と子供と二人で新生活を始める。思わず「がんばれ」と言いたくなるような、彼女の強さが印象的だ。
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3巻目(行動編)主婦の目で見た世の中のエッセイ風まんが。12巻と違って、ごく普通の家庭の主婦「たんぽぽさん」が主人公。
月刊誌PHPに連載された漫画「たんぽぽさん」を一冊にまとめ、3巻目としました。
他に女性、仕事、社会学、老人問題を含めてスペシャルゲスト4人の文章を収録ゲスト執筆者名……橘由子、チョン・ヨンヘ、市場恵子、斎藤忠光特別文章
齋藤氏特別文章について。(齋藤氏にお願いして語っていただことを、森生がまとめたものです。実際に語っていただいたことは一言一言非常に深い言葉でしたが、正確にそのままお伝えする力なく、私のトーンが入ってしまったところがあると思います。あしからず)以下、あとがきより。

結婚について
                             斎藤忠光


 私は中学校から自分なりの結婚観をもっていました。私の親はあまり仲のよい夫婦ではなかったし、ほかの仲のよさそうに見える夫婦にしても、それほどピンとくる感じではなかったのです。それで、そういうのではなく、家庭が開かれた環境をつくりたいと思っていました。夫婦、子どもだけで生活する、という感じじやなくて、隣人や友人たちとダンスパーティーや食事パーティーが気楽にできて、できるかぎり大勢の人と生きることをイメージしていました。 そして、大学受験の帰りのバスのなかでたまたま出会った人がいて、その人と四年後に結婚しました。出会ったとき、「あ、この人と結婚するな」と感じました。結婚するためにつきあったわけではないのですが、たまたま出会ったときの直感が実現してしまいました。 先ほど申し上げましたように、私は開かれた家庭をつくろうとしたわけですが、結婚というのは相手だけではなく、価値観の違う親もいます。親はじやまにはできません。 親の問題以外にも、結婚生活というのはさまざまな問題がでてきます。しかし、どんなことでもぜんぶー緒に乗り越えていくことのできる相手が、きっといるのではないかと、昔からそう感じていました。打算的だと、打算できないことがらになるとパニックになってしまいます。でも、トコトン好きになれる相手だったら、どんなことにも命がけで対処できる、だからこそ、ほんとうに好きな相手でなければと考えていました。 結婚というのは、一つの制度だし、そうでなくても人間は「ワク」にはまりやすいから、自分たちが一番大事な、相手を好きだ、一緒に人生を歩みたい、暮らしたいというところから始めないとおかしくなります。 親の問題にもどりますが、私はかみさんに親をみてくれと頼んだことはないのです。でも、かみさんは率先して同居して、親の面倒を見てくれました。ダメならダメと言ってくれる人ですから、ダメな場合には、親にそのように言うつもりでした。そして、親のことは自分でなんとかしなければと思っていました。 ただ、一緒に暮らすなら、半端にしてはいけないとかみさんと話し合いました。半端なことをしたら、みんなつらくなるから、半端にするなら最初からやらないほうがいいと話し合いました。 周囲の人が、親のことで、死んでから後梅したり、バタバタしているのを見ていましたから、親の老後のことは中学時代からわかっていることでした。わかってることは先に手を打つ。ある日突然、「お前が面倒みてくれ」では、好きな相手もいやになってしまうでしょう。
 私は単身東京で仕事をすることが多かったのですが、かえってかみさんに同情があつまって、親とはうまくやっていました。子どもは生活のなかで大人のやることを見ていて、両親の生き方をありのまま身につけます。かみさんが両親と仲良くしているのをみて、子どもたちは私の両親になついてくれました。 私の親の場合、東京で同居ということは、親を自分たちの生活にはめるということになるので、田舎に家を建てて暮らすということをやりました。かみさんと同居といっても、生まれ、育っていく子どものために、家は別々につくり、親は新しく建てた家にきてもらって、親なりに自由に生きてもらうことにしました。 私は老人ホームに勤めていたことがありますが、自分たちのことで精いっぱいになっていることが、いまの老人問題をつくっていると恩います。 いまはたいてい結婚すると夫婦だけの家庭をつくります。親を切り放している。自分たちだけで、楽しいかどうかわからないけれど、暮らしていくうちに、確実に自分も親も年をとって、ある日突然、親が倒れて一緒に住むことになる。慣らしの期間もなにもなく、突然地獄がくるようなもんです。こんなことやってられませんよ。国も、社会制度も、この問題に対してバックアップできない。 いままで一生懸命生きて年老いた人たちが、安心してその生涯を終えることができるように考えたい。結婚というのは、そうやって、生まれてから死ぬまでのことを、まるごと体験していくものでしょう。そのなかで子どもたちが、自分の未来をどうつくっていくか、考えられるような生き方を、大人がしなくてはいけない。 部分的に、自分の生きているところだけ見ているとわからなくなります。長い目で見ないと本当の未来はつくれません。                     (さいとうただみつ 即興演奏家)






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