動物の日々 of まんが人生

高麗さんと私

その人の前に出ると素直な動物になってしまう。。。

とんでもない超天才に出会った私は、混乱の日々となり、自分がまったく考えもしなかった人生の扉を開いてしまう事になった。。。

このページは私の人生を変えた高麗恵子さんとのエピソードを書いて行きます。
______________________________________________
5月18日
あまりにも超越して優れた人、そういう人にあうと、引いてしまう。何故なのだろう。遠くに退いてしまう。本心は、、近くに行きたいのに。
「わたしなんか」という気持ちは以前は強かったけれど、最近はそう言う気持ち少なくなっているつもりだったけれど、やっぱり堂々と正面から向かい合ってない。何か後ろめたいから かな?

自分を責めて行くことは、自分で自分を叱咤激励しているのだろうけど、責める力の方が 良くなって行く力より 強烈になってしまったので、かえって伸びて行くことを押さこむ習慣となってしまった。
自分で自分を裁いているとも感じる。自分を裁くなんて、エラそう。なんで自分を裁けるのだろう。自分は、自分で分からないほどの膨大な生命の集合体なのに。

4月26日
武骨な程 純粋 、、ふと電車に乗っているときに、そう感じた。
この社会は、社会そのものが精神病のようなもの。その中で逆に子供の頃精神病と言われたという高麗恵子さんは、その純粋を押し隠し。なぜか武骨に。。。その武骨さに、真実を感じ、むね詰まる。
「武骨」という表現は一般的には失礼な言葉かもしれない。でも、あえてそういう表現になったのは、きれいごとで無い、かっこいい事ばかりで無い、そのなかに、美を見たからです。
本当に美しい人は、綺麗なだけではない。

2月11日
高麗恵子さんの存在は歴史的に突出している。現代人には理解しがたい方。
空間からの声も聞こえるし。運命も素通しで見えるし。未来が見えてしまうし。
古代、荒れすさんだ時代に、親からも離れてたった一人で旅に出て、奴隷状態になっている人たちを解放しながらたった20年で国をつくったしまったという高句麗王朱蒙の直系子孫であることは、神話等を失ってしまった現代日本人には奇妙に映り、もはや理解不能か、あるいは勝手な解釈でイメージ的に判断されるのが関の山か。
神話が当たり前、自然も宇宙も当たり前の時代は、ほんの数十年前まで日本にあった文化、精神だったのに。
いまや海外に行った方がストレートに通じる。

それでも優しい心失わず、自然、宇宙と共に生きる感性ある方はいて、そういう方々はホンモノ見れば一目で分かる。

2月6日
社会を変えて行くのはこういう人、と、お会いすればすぐ分かる高麗恵子さん。一目で分かる強烈な存在。
でも、こんな風にちょっと離れた所から見ている感じはダメなんだということもよく分かってる私。

2月4日
正直言って全く次元の違う所で行きておられる高麗恵子さん。その文章を見るたびに、お会いするたびに、そう感じます。かといって、まつり上げてしまったら、高麗さんを対象化する事になってしまうので、どう表現したら良いやら。ああすればも、こうすればも役に立たない今日この頃。

1月29日
宇宙生命の高麗さん 
なんでもわかるおかあさん 
何んだか照れてしまう 
表向きはとっても力強いお父さんでもあって 
とっても緊張してしまう 

1/28 
日常の中で、友人や家庭内でしゃべっていたことも、喋ってないのに考えていただけの事であっても、まるで私の頭の中の声が聞こえているかのように高麗さんは知っている、という事が今までに日常茶飯事のように多々ありました。超人なのです。
私が今月のアントレプレナー講座(明日)はお金がないから行くのをやめようと思っていたら、ネットを通して起業が今「要」です!と、叫んでおられました。何でこんなに分かってしまうのかしら。苦笑です。こんな感じで、いつも危ない時にビシッと喝を入れて助けられている私です。

1/27
ある時から、高麗さんは高句麗王直系子孫だと名乗り始めました。20年くらい前でしょうか。最初お会いしたときは全くそれはおっしゃっていなかったので、いきなりそれを言われた時、私は面食らいました。私の中に歴史の対立や矛盾や支配、被支配などなど、諸問題が沸き起こり、どうしようもない反発が起こって、困り果てました。自分の意識ではどうにもならない感情が自分の意志に反して自動的に吹き出しました。歴史は罪作りです。でもいだきしんさんのコンサートがあったので、どんな問題が立ち上がっても、心と心が溶け合い、生命一つの経験をさせてもらえて、乗り越えて来ました。
そして気が付くと、高麗さんを通して「歴史」に遭遇していたのです。
歴史なんて自分には関係ない事、遠い世界の話しだと思っていたのに、高麗さんという人に向き合う事で歴史どころか神話の世界まで引き合わせて下さり、更には、世界中の古代の文化、精神と遭遇させていただく事になったのでした。
歴史そのまま背負っている一人の人、非常に希有な、特別の人と感じています。

1/24

高麗.jpg(ここに掲げたイラストはすべてNPO高麗作品「ヒーポッポの夕べ」のために描かれたイラストです)

その人はまるで宇宙人でした。しかし最初にお会いした時は凄く綺麗な人だな、くらいしか分かりませんでした。 
ある日その人の顔写真が入っている一枚のチラシがマンションのポストに入っていたんです。カウンセリングのような、それとも違うような、講座のチラシで、そこには幼児期・胎児期の問題が解決すると明言してありました。断言してあったので驚きました。
そのころ赤ん坊を抱えてその対応に困り果て、(赤ん坊が何故泣いているのか理解することが出来ない私でした)日々どうしていいかわからず、子供に申し訳ないと思っている日々でした。自分の子育ての困難は自分が子供の時のこと、自分の親から伝承していることが原因だと気付いてはいたので、「幼児期、胎児期の問題が解決する」なんて、もし本当ならそれは凄い、嘘でもいいから聞いてみたい、と、そのチラシに興味を持ちました。チラシに映っていた高麗恵子さんの顔写真は、か細くて、痛々しく、しかし美しく張りつめた若き女性の顔で、「この顔は嘘をつかない」と私は一目で確信しました。

つづく。

いだきしん先生と私

その人の前に出ると何にもなくなってしまう。。

hipo232.jpg

2月6日

いだきさんのピアノ即興演奏は、余計なものみな溶けて、自我も溶けてしまい、大きな全体とひとつになり、距離感というのがない。
普通はあり得ないことなので、人は、今までの事で解釈しようとする人は、何が何だか分からなくてポケッとしてしまう。
果敢に新しい次元に挑戦する人にとっては、新しい未来開かれ 血湧き肉踊る最高の異次元激突経験。

2月2日/いだきさんのことば

いだきさんの言葉は、何十年経っても新しいのが不思議。言葉が、記号ではなくて、生き物になってる。不思議だ。
音楽も、いつも即興で、いつも生まれる瞬間みたい。

1月29日(朝)

いだきさんに会うと本当に身体深くから、底の底から元気になります。今日はいだきさんの起業家のための講座で、お目にかかれるので、起きた時からうれしいのです。

1月28日/本日は私が知らない方々が講座を受けておられるのですが、、、。

全然知らない方が受けている講座でも、いだきしん先生がその方の因子を受け解放して行かれると、それは世界中に伝播して同じ因子の方が解放されると、高麗さんから伺っています。本日も何人かの方が講座を受けられ、いだきさんはピアノを弾かれたそうです。どんな因子だったのでしょうか。高麗さんはとてもしんどかったとネットに書いておられました。
私は鈍いのでよくわからなかったですが、一日中何やらどんよりはしていました。空の雲もとてもどんより、でした。
空がドンヨリしていても、その事を意識する事もなく、ただ漫然と、ぼけーと過ごしてしまいがちな一般人の私です。感覚の良い人、色々なことが察知できる人には、この空間に色んな情報が飛び交って、しんどい事でしょう。
自然や空間と交流して生きる生き方、なんて、いだきさんや高麗さんにお会いするまでは想像も付かない生き方(感覚)でした。
お会いしていても、日常の些末な事にとらわれているとその感覚を失ってしまいがちになります。この日常は大変な覆いを人間にかぶせてコントロールしていることを、いだきさんから身体感覚で教えていただいています。

2/講座の衝撃

いだきさんの講座を受けたのは子供が1歳4ヶ月くらいだったと記憶しています。
丁度離乳の時期で、講座の間子供と離れているとおパイがゴリンゴリンに岩のように硬く腫れていました。でもこれを機にきちんと断乳することができました(それまでに一度断乳を試みて失敗した事があったのでした)

そして講座のときにいだきさんに質問をしました。自分の子供は1420gの超低体重で生まれて哺育機の世話になったけれど、こんな事になったのは自分に良くない原因があるのでしょうかという内容の質問でした。いだきさんは即座に「あんたが反省して地球の歴史が変わるのか」と応えました。ビックリしました。
何でここで地球の歴史なの?と頭は戸惑いましたが、心は熱くなり、胸の奥から涙が出ました。叫びのようなものにいだきさんが触れて下さったと感じていました。

1/いだき講座
高麗恵子さんが「いだき講座」という場を作って会わせて下さったいだきしん(本名斉藤忠光)さんは、初めてお会いした時、まるで体重がないかのような、透明な、不思議な感じを受けました。

高麗さんの講座の話を聞いて、すぐにその人に会ってみたいと、赤ん坊の保育の当てもないのに即決で申込を書いていた私でした。
講座の日、待ちに待った「そのひと」斎藤忠光さんは講座の部屋に入ってこられました。
すーっと空気のようにいらっしゃいました。
普通の人間が持つ人間臭みたいなのが全く感じられません。