活動 of まんが人生

PIC_0048.JPG

何をした?

未来に繋がること 活動の積み重ね

7月27日

仕事の合間に、何故かインパール作戦の事などの話題になり、8月15日の終戦記念日の一大イベントに向かっている臨場感があります。
お金稼ぎの仕事は一見、見えない世界と関係なくやっているように見えて、実は切っても切れない関係の見えない世界。こちらがキャッチできないだけで、見えない世界はいつもそこに在って働いている。

5月27日

マイケル・ガーバーという人の、起業家とはどういう人たちなのかについて書かれた本を読みました。職人肌の人が経営者になると大体失敗すると書いてあり、自分がそれに当てはまるが事よく分かりました。
専門的な事ができることと、会社を経営する事は全く違う。
会社とは、人に任せてもちゃんと回るシステムを作る事なんだと書いてあり、大変感銘を受けました。(職人はつい自分で何でもやろうとする)
そして起業家は先が読める人。先を読んで、人の役に立つシステムを創っていける人。
自分もそうなりたいです。

5月18日

時空を超越して行くこと、普遍性があること。そんな活動、そんな仕事、本当はそういう生き方が、人間として当たり前だったのだと思う。あまりにも本質から離れて、むしろ本質的なことが非日常的と勘違いしている現代人。まるで間違ってる。
一体みんなどうしちゃったんだ。
といっても、人ごとじゃない。自分こそ現代的日常に埋没する瞬間瞬間の日々。
ささやかでも毎日何か形にしよう。
人に気を遣ったり、人に合わせたりすると、普遍的なことは言ったりやったりできなくなる現実。その中で、自らの生命充実を育んで行く必要性。先ずは一人ででも始める。先ずはそういうひと時を、毎日育む。

4月26日

永田町あたりを歩きました。靴から髪型から自分の態度、行動、正直言って全部恥ずかしいと感じました。それでも、どんな姿であっても、人間として大切なことはきっちりしている事が大切。

4月4日

未来に繋がる時間を過ごせたという実感、達成感は、普通のことを普通にしていたのでは味わえない。
残念ながらいわゆる普通のこと、社会的に普通と承認されていることは、時空を超越しない。

社会は超越とは反対に、今まで通りの維持を要求している。
その中に人間ははめ込まれて、社会維持のためのロボットのようになってしまっている。

宮台さんの書籍を読みました。社会と世界が違うこと、世界は社会を超えてあること、全体であることが書いてあり、大変分かりやすかったです。

そして世界に出会えることの意味、人間として本来の性を取り戻すこと、全体である世界を感じ取れることの必然性(これを失ったままでは存続できない)に納得し、
そして、あらためていだきしんコンサートはこの全体である世界に出会える類い稀な機会、場、時、であること、認識しました。

2月22日

昨日はホームレス支援をしてましたけれど、自称「宇宙からのエネルギーで生きてる」と言う人が隣の席に来ていました。周りとあまりにも乖離していてコミュニケーション不能の雰囲気でした。私は担当でなかったので何も出来なかったです。私が向き合っていたのは同じ所をループする頭が痛いケースでした。
翌日の今日、ふと「人間のクズ」と言う言葉が頭に浮かんでしまい、ネットで検索したら忌野清志郎の唄のタイトルとして出てきました。ユーチューブで聞くと、今までお会いした若者の顔が色々浮かび、自殺願望や鬱病の気分が重なってしまいました。しかし忌野さんの唄はクズ、クズ、クズ、とリズミカルに繰り返され、笑ってしまいました。
マイナスの言葉、真正面から取り組んで呪文のようにリズミカルに繰り返されると、その固定された意味もほぐされて、ただただリズムと化していき、解放されていくんだなと驚き、音楽って凄いなと思いました。言葉の呪縛から解放されていく。。。

それから夜、東北のNPO高麗センターで演奏されたいだきしん氏の即興演奏がネット上で配信され、それを聴きました。一つの音、一つの身体に響く点のような所から繰り返し繰り返し展開される音とリズムを何度も体験し、どんどん解放されていくのを体験しました。いだきさんの音は次元がぜんぜん違う音で、言葉からの解放どころか、あらゆる根深い歴史からの、身体からに、意識できない事からの、解放で、驚異です。

全く新しい人生の希望の光。。

2月11日

内面環境が何をおいても一番大切な、始まり。
はじまりがいい加減なことだったり、ズレてたりしたらどうにもならない。
建国記念日にその事を確認。

その内面と一つになって、外側からでなく内側が身体とともに響いて溶け出して変化変容して行くいだきしんさんのコンサートは本当にどう考えてもすごい。

2月7日

個人的にまわりの人に助けてもらうことは、結果的にまわりを巻き込んで皆疲れてしまう結果になっていくことを、活動を通して知りました。
個人的に色々助けてしまうことが かえってこじらせてしまうこともよくあること。
公的支援は、支援を受けるその人だけでなく、その周りの人も結局助かる制度なのだと、身に沁みます。
個人の問題と全体の問題は密接に連動していて、両方で動かないとどうにもならない。

2月5日

アスペルガーの子を持つ親の会に参加して来ました。一人一人とても真面目なお母さん達。
この日は親でなくても、その支援者や当事者の方等色々な方が、こられました。
なにげないお喋りのような所から始まって、
それぞれ全員、自分の感じた事を率直に話され、そして誰か一人がまわり(社会)に負けそうになって弱気になっていると、なんとかしたくて全員が盛り上がり、活気ある場になりました。一人一人がその場を造り支えている存在である事がわかる会合で、地道だけどぬくもりがあっていいなあと感じました。

2月4日

もやいにて。
いろんな人的災害に困っている人に、的確に対応して行く人の横に居あわせました。
本人にとっては泥沼のように感じる状況から、抜け出せる道がある事、その情報を知らせる、人の心に一筋の希望がうまれる現場は、とても素敵。

2月2日

国とNPOの共同事業を聞いているだけで、多岐に渡る複雑な社会を垣間みる思いですが、実際は、想像できないくらい膨大な情報の中に現代はあるのでしょう。でも新しい人類はこの情報をちゃんと整理しながら生きて行く超人的な次元の違う生命体になるのかも。
全体を瞬時に把握する感性。
全身覚醒したすこやかな身体。
統合して創造して実行して行く能力。
これが必要。
いだきしんコンサートがこの夢を実現する。
奇異に聞こえる人も居るかも知れないけれど真実は分かっても分からなくても実現して行く。
100年先には明らか。
100年先が分かれば今すでに明らか。

1月29日

世界中のトップ、一流の方々との出会いが繋がっていきながら、世界最高の精神・魂・芸術の活動を展開しているNPO高麗。古代に存在した東アジアの大国、高句麗の始祖、東明王の直系子孫、高麗恵子さんが代表するNPO高麗に関わりながら、一方ではNPOもやいでホームレス支援・貧困と向き合うということをしている私です。一見、極端から極端の世界。NPO高麗が主催するイベント会場はいつもどなたがお見えになっても恥ずかしくない超一流の場で、最高級と感じます。(海外では大統領や女王陛下がイベントに来られましたし、日本でも各国大使や、いろいろな分野のトップの方がお見えになる事も珍しくない。)
かたや、NPOもやいがお付き合いするのは寒い夜に寝る所(居場所)がない方、たとえあってももう借金だらけ、滞納だらけで恐怖に晒されていたり、もう精神的にも身体的にも参っている方たちも多い。極端から極端です。こんな両極端の世界に同時に参加するような人はあまり他に見当たりません。私は変わり者と呼ばれています。
ある時仕事できる人が私に、貧困問題は恐ろしく根が深いから、普通の人間が関わるべきではないと助言してくれた事がありますが、その方の助言を聞かなかったら、もうあんまり付き合ってくれなくなりました。
でも、NPO代表の高麗さんは、ホームレス問題に関わり始めた私に対して、前と変わる態度を取ったコアとはありません。
よく考えたら、高句麗最初の始祖、東明王は、奴隷解放みたいな、虐げられた人々と一緒に国づくりして行った人だったのでした。なんにも矛盾する事ありません。人間の本当のすこやかな生きる場を真摯に求め、作って来た大きな大きな人です。
あんまり大きな人(超天才)なので、現代人には理解されない事も覆いですが、もう今の時代は天才を理解しないと生き延びて行けないと頃まで来たと感じています。

1月28日

アスペルガーの友人から電話が来ました。DVとか、いろいろ大変な状況みたい。でも、いだきさんが今度インドでコンサートやるかもしれない(まだ未定だけど)、という話しをしたらいっぺんに空気が変わり、私もインド行ってみたいと、声に明るい張りが出てきました。
優れた芸術は人を救う。真の美も人を救う。
心の貧しさ、傷ついた魂が根底から癒されるには、まことの芸術、まことの美が必須。
半端な、慰みもののような偽物の空虚な芸術、空虚な論理なんかもういらない。
本物を歓迎する。
ほんものの精神、魂が明日をひらく。

1月27日

いだきさんの即興演奏の素晴らしさについて人に話す時、かーっと身体が熱くなります。いだきさんのコンサートは、生命が欲してる事だと実感します。
それにしても、生命のことは言葉にすると宗教のようにとられたりする誤解が日本にいっぱいある事ひしひし感じ、へんな日本になったものだと思います。

昼間電車に乗った時、富士山が見える所をとおりましたが(今日は生憎見えなかったのですが)、昔の人は富士山が見えると感嘆の声を上げたりして見とれる人が多かったです。朝日も、登ってくる姿を見れば拝む人も普通にいたし、柏手を打つ人もいました。最近ではそんなことをしていたら変な人に見られるかも知れない。
でもどっちが変なのでしょう。

1月25日

1月25日 バイトの合間に少し時間が空いたので、代々木上原にある日本では珍しいイスラムの教会の中に入りました。
小さな休憩室のようなところがあり、トルコブルーを貴重とした美しい唐草模様やモザイクで覆われた壁があり、真ん中に清らかな噴水があって水の音がして、とても落ち着く空間でした。とても懐かしく感じました。
イランや中東、エチオピアなど、イスラム文化圏にはいだきしん先生の即興演奏が行なわれたときにそれを聞きにその国へ行った経験があります。その国の歴史も文化も、大地のエネルギーや人々のこと、すべて即興演奏で演奏されるいだきさんの演奏を現地で聴きましたので、とても深いところでその文化と出会う経験をしていました。それで、イスラムの教会にはいっても違和感はなく、ただ、魂の故郷を感じて心地よかったのです。
教会の人にいだきしんさんのことをお話しして、コンサートチラシを置いてきました。
異なる文化と文化を融合し一つにし、宇宙と繋げてくれるいだきしんさんの即興演奏は、国際間にとって、地球にとって、未来の人にとって、そして自分にとって 大切なこと、幸せの源です。

1月23日
今日は「もやい」のチラシを作ってました。NPOもやい10周年を記念して岩波書店から10年を振り返る本が出ますが、その出版記念パーティーとシンポジウムが3月31日に四谷で開かれます。そのチラシです。
いろいろ豪華なメンバーがパネラーに来てくれるので楽しみです。
21世紀最初の10年間を振り返る、というテーマはとても魅力的です。
社会の歪みによって出来た貧困からどんなお話が展開されるでしょう。

ところで最近めっきり目が悪くなり、細かい所全然見えてません。目がしょぼしょぼで、このチラシも作成していました。噂によれば原発の放射能のせいで目も悪くなるとの事。私のまわりの人で、最近目が悪くなった、とほとんど100%に近い人が言っています。。本人たちは年のせいだと思っているらしいですが、はっきり言って被爆なのでは、と思ってしまいます。
3/31061.jpg
また本日は、このHPも新しく構成して作り直しをして更新しました。
未来への活動の足がかりにしたいから。
作業していたら、アスペルガーの友人から電話がかかってきました。先日の21日に地元埼玉県で、自力で講演会をされ、その時のことを話してくれました。(私は用事で行かれなかった)。いのちの限りやったと電話で喋っていました。アスペの人たち困っているからそういう人が居ることを人に伝えて分かってもらえるように支援するんだと、自分のいのちはいつまでもつか分からないからと、喋っていました。みんな必死です。
いろいろな専門家の方も聞きに来て下さったとかで、本人はめちゃくちゃだったと言いますが、お客さんからは「よかった」「またやって」といわれたとのこと。よかったです。フレー、フレー、Mさま。