東京にいったときのこと。地下鉄のホームに、こんな掲示を見つけました。
「ベビーカーは、他のお客様の迷惑にならないようにお気をつけください」
たしかに、ベビーカーは場所をとります。ぐらぐらして危険かもしれません。
でもね〜。なにか、納得いかないんです。
ベビーカーは、台車じゃないんです。赤ちゃんが乗っているんです。
それを「迷惑」と言い切ってしまう感性に、不安を感じるのです。
息子が1歳半の時に、アメリカに一緒に行く機会がありました。
重たくなった息子を抱っこひもでくくり、おむつでやけに大きくなった荷物を背おって、空港の入国審査待ちの長ーい列に並んでいました。
しばらくして、新しい窓口が開きました。
待ちかねた日本人ビジネスマンが、さっとその窓口に移動するのを、私は、「いいなー、身軽に動けて」と、見ていました。
ところが、窓口を開いた審査官は、私に手招きをして、そこにいた人たちに言ったのです。
「彼女は赤ちゃんを連れているから、彼女が先だ。」
子どもを連れていることが迷惑がられて、肩身の狭い思いをする社会と、子ども連れの身体的負担を分かち持ってくれる社会。
どちらが、母親にとって心が休まるかは、あきらかです。
そんな社会の寛容・不寛容を、子ども自身も、感じ取っているように思います。
<2002.10加筆>
東京の地下鉄から「ベビーカー禁止」の掲示がなくなったとききました。
伝えつづけた親のみなさんに拍手。
そして、気がつけば良くなろう、良くしようとするやさしい気持ちが、だれの中にもあるのですよね。
親のみなさんの声を、きちんと受け取った地下鉄のひとたちに拍手。
この調子、この調子。
伝える力と聴く力がついていくと、みんなが本来持っているいいところが発揮されてくる。
こんな体験を少しずつ積み重ねていくと、社会が変わっていくのですね。
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