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くらしの民具1998
 毎月1日に三芳町が発行している「広報みよし」に『くらしの民具』と題した連載をしていました。ちょっと前までは使われていたものが、生活習慣の変化・技術の進化などにより、形や材質を変えたり、姿を消してしまいました。この連載では、今では見られなくなったもの・使われなくなったもの(民具を中心に)にスポットをあて、ご紹介しています。
 4月 −「民家編」− 5月 −茅葺屋根(かやぶきやね)−
 6月 −大戸口・厩口(うまやぐち)・背戸口− 7月 −土壁(つちかべ)−
 8月 −休載− 9月 −縁側(えんがわ)−
10月 −資料館まつりの案内− 平成16年度の資料館まつりの様子11月 −大黒柱(だいこくばしら)−
12月 −敷居(しきい)− 1月 −土間(どま)−
 2月 −床の間(とこのま)− 3月 −煙出し(けむだし)−

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Vol.1(1995年4月号〜1996年3月号)
Vol.2(1996年4月号〜1997年3月号)
Vol.3(1997年4月号〜1998年3月号)
Vol.4(1998年4月号〜1999年3月号)
Vol.5(2005年4月号〜最新号)

くらしの民具   4月 −「民家編」−

 4年目になる「くらしの民具」、タイトルはそのまま新シリーズでお届けします。生活用品の紹介から始めて、農具、そして次回から民家へと「民具」から離れてしまいますが、敢えて「くらしの民具」をタイトルに使っていきます。
 さて、新シリーズは「民家」の部分部分にスポットを当てていきます。全体として「民家」ですが、大屋根をよく見ると2層になっていることに気が付きます。萱だけでなくて、内側に藁が使われています。また民家 入口は大戸口(おおとぐち)、厩口(うまやぐち)、背戸口(せどぐち)などと、用途や場所によつて異なります。それから大黒柱、梁(はり)、土壁(つちかべ)、タタキ(別称:土間)など現代の住宅では見られなくなったものを順次取り上げて紹介します。
旧池上家住宅全景
旧池上家住宅全景

くらしの民具   5月 −茅葺屋根(かやぶきやね)−

 古民家に近づいて、まず圧倒されるのが、茅葺の大屋根である。古い農家のたたずまいになくてはならない茅葺屋根。一般に茅葺といつても、茅(すすき類)だけが使われているのではない。資料館に移築された旧池上家は、軒の部分を見ると二層になつているのが分かる。これは下層部分に麦藁が、上層(外側)部分に茅が使われているためである。屋根を葺き替える場合、材料は家主が調達する。しかし、山から毎冬刈り貯めても、全部の量はなかなか調達できなかった。麦作地帯の三芳では、むしろ池上家のような茅葺屋根の家より麦藁葺の家のほうが多かったそうである。ただ、麦藁は茅より持ちが悪く、頻繁に葺き替えなければならない。
 今からおよそ220年ほど前、上富中組で「普請助合講(ふしんたすけあいこう)」という相互扶助の組織が作られた。これは「茅無尽」ともいって、家の新築や屋根の葺き替えのとき、講に参加した人が瓦いに助けあうもので、毎年順に茅一駄(いちだ)、縄五房ずつを全員からもらい、屋根の葺き替えができるようにした。物だけでなく労力の提供もなされ、周期的に行わなければならなかった屋根の維持管理を容易にしていた。
 現在、ほとんど見られなくなつた茅葺屋根。その大屋根のつくる農家のたたずまい、そしてこれを維持してきた人と人とのつながり、そんなことを思いながら、もう一度見に来てみませんか。
軒下から見る茅葺屋根
軒下から見る茅葺屋根

<くらしの民具   6月 −大戸口(おおとぐち)・厩口(うまやぐち)・背戸口(せどぐち)−

 資料館にある古民家は、表から見るだけでなく、中に入ることもできます。今月は、その出入口について紹介していきましょう。
 古民家には出入口が三つあります。正面の大きな出入口は大戸口といい、このあたりではトボクチと呼んでいました。その右側は厩口、裏のちょうど大戸口の反対側にあるのを背戸口と呼びます。
 大戸口は三つの中で一番大きく、昼間は開けていますが、夜間や雨風の日などは閉めてあります。そんなときは、大戸口についているくぐリ戸から出入りしました。また、大戸口は大きく重いので、戸の下に車をつけて、楽に開け閉めできるようになっています。戸締まりは、戸の左右の柱につけられた貫本(かんぬき)の穴に心張棒(しんばりぼう)と呼ばれる 棒を通して締めていました。
 厩口は、馬の出入りに使われました。資料館の民家では馬を飼ってはいなかったようですが、一般的に農家では、馬が耕作に大変大きな役割を果たしていました。それだけに馬を大切に扱い、家の中に入れて飼っていたのです。
 背戸口は、人の背中にあたることからその名がつきました。「里の秋」という歌に「♪♪静かな静かな里の秋、お背戸に木の実の落ちる夜は…」という歌詞があります。そんな情景を思いだされ、古民家がいっそうの懐かしさを運んでくれます。
大戸口・厩口
大戸口(左)と厩口(右)

くらしの民具   7月 −土壁(つちかべ)−

 旧池上家住宅の内壁は、いわゆる土壁です。住宅内では土壁づくりの工程が見えるようにしているので、ご覧になった方の中には、どんなふうになっているのか初めて知ったという方も多いと思います。
 今回は、この土壁を取り上げてみますが、まずはその作り方をおってみましょう。
@竹や木を組み渡し、下地となる木舞(こまい)を作る。
A本舞の片面に土を塗り、終わったら反対側も塗る。
Bさらに漆喰(しっくい)の壁にするには、砂摩(すなずり)といって、砂・水・こんにゃく粉を混ぜたものを塗る。
C漆喰(消石灰か牡嘱などの貝を燃やしてできた灰に、ふのりや角又などの海草を練り合わせてできるもの)を塗って完成。
といつた具合になります。
 かつて、土壁づくりを手伝ったことがあるという地元の方からは、「砂摩や漆喰を踏んで練り合わせるのは、けっこう力が要ったね。それにいい具合にするのはむずかしい。かたすぎると塗りにくいし、やわらかすぎると壁につかないから。」という話を聞くことができました。
 このような土壁は名前のせいか、もろいように思えますが、実際は適当な湿気があるので燃えにくいのです。
 これほどのものが自然素材だけでできる日本建築の技術は本当にすばらしいものです。みなさんも、ぜひ一度ご覧になってください。
土壁
木舞と土壁

くらしの民具   8月
 紙面の都合により休載。

くらしの民具   9月 −縁側(えんがわ)−

 かつて、家の情景の中に縁側というのがありました。西瓜(スイカ)を頬張(ほおば)る子どもや軒に吊された風鈴、すだれやよしずといった夏仕度(なつじたく)の舞台が縁側でした。また、ちょっとした来客の応接には縁側が使われ、開け放たれた縁側は、内でもなく外でもない微妙な空間として息づいていました。
 旧池上家の縁側は、座敷を取り囲むように南と西に鍵の手に設けられている。こうした日本家屋の縁側は、軒下に設けられた縁(濡れ縁)が発達し、戸内に取り込まれてきたものです。縁側によって、戸外からの奥行きが生まれ、居室の開放感が保たれるのです。この縁側の開放性と閉鎖性を演出するために、雨戸と障子が重要な役割を果たしています。昼は雨戸を戸袋に繰り込むことによってほとんど開放し、夜はすべて閉じ込むことができます。また、縁側の座敷側は障子で仕切られ、戸外の明かりを取り入れながらの目隠しや、昼のちょっとした風雨を防ぐのに役立つのです。雨戸と障子を取り持つ縁側が、日本の伝統的家屋の深みのある空間を創り出していました。
 現在、ガラスの普及や家屋の西洋化などによって、縁側がなくなりつつあります。縁側の消滅とともに、日本人の開放性や近所付き合いまで失われてしまったと思うのは、考え過ぎでしょうか。
旧池上家住宅の縁側(昭和19年頃)
旧池上家住宅の縁側(昭和19年頃)
※池上正昭氏提供
旧池上家住宅の縁側(平成16年現在)
旧池上家住宅の縁側(現在)

くらしの民具   10月 −資料館まつりへのご案内−(過去に実施済みの事業です)

 今月はいつもの「くらしの民具」をお休みして、「資料館まつり」のご案内をします。
 この「資料館まつり」では、郷土芸能の上演や民具体験を通じて三芳の歴史や文化・生活の知恵を学ぶことができるほか、資料館を中心に活動するボランティアやサークルの活動紹介・なつかしい食べ物にも出会えます。
 一通り体験するなら、12時前に来るのがポイントですよ。ご来場をお待ちしています。

日 時:10月下旬開催 雨天決行 午前10時〜午後2時
会 場:歴史民俗資料館

内 容
  1. 竹間沢車人形上演
     今回の演目は、むかしばなし「三枚のお札」。午前10時と午後1時30分の2回上演。(午前・午後ともに40席。)
  2. 北永井のお囃子上演
     北永井に伝わる重松流(じゅうまりゅう)の囃子を上演。
  3. 民具体験コーナー
     ちょつと昔まではやっていたむしろ編みを実演。わら馬づくりや縄ないも体験できます。
  4. 昔の遊び体験コーナー
     メンコやけん玉で遊んでみよう。お手玉の作り方・遊び方も教えてもらえます。
  5. むかしばなしコーナー
     民家の隣の蔵を使って、むかしばなしを語ります。なつかしい自転車紙芝居も登場。
  6. 生け花コーナー
     会場に花を生けます。
  7. なつかしの食べ物コーナー
     なつかしい味に舌鼓。まつりのにぎやかさに弾んだ心もちょっと休憩。
    ・さつまいもコーナー
    ・焼きだんご
    ・手打ちうどん
※お車でご来場の際は、こぶしの里駐車場(資料館まで徒歩5分)をご利用ください。

■臨時休館のお知らせ
 今のところ特にございません。

 問い合わせ先:三芳町立歴史民俗資料館 電話 049−258−6655
自転車紙芝居
自転車紙芝居
むしろ編み
むしろ編み

くらしの民具   11月 −大黒柱(だいこくばしら)−

 旧池上家住宅の大戸口を入ると最も目立つ部分が、土間のあがりかまちと上いろりのある部屋との問にある大黒柱ではないでしょうか。
 大黒柱に向き合うように小黒柱が立っています。黒くにぶい光を放つ、これらの柱には固くて頑丈なけやき材が使われています。けやき材は時間をかけて丹念にみがきあげることで、ますます趣のある味わいをかもしだしてくれる木材です。
 長く建ち続き、そこで暮らす人々の歴史の深みを感じさせてくれる大黒柱は、棟を受ける大きな梁を支える各柱の中心となるものです。大黒柱という呼び方でそれが用いられるようになつたのは桃山時代から近世初期にかけての頃だといわれています。
 天文・永禄のころ大黒信仰が民間に広まったとされていますが、それはわが国の福の神の代表的なものとして信仰されており、特に農村では豊作をもたらすとして広がったようです。そして、その大黒天を祀った場所であることから大黒柱といわれるようになったそうです。
 大黒柱は他の柱より太く、一辺が30センチメートル前後の正方形ですが、中には一辺が60センチメートル以上の太いものもあります。ちなみに旧池上家住宅の大黒柱の太さは一辺が36センチメートルです。大黒柱だけを特に太くするようになったのは、居間の周囲の鴨居に太い差鴨居を使い、それを支える必要性からとのことですが、太い大黒柱にその家の発展や富を願う心が、いっそう助長したと思われます。
旧池上家住宅の大黒柱
旧池上家住宅の大黒柱

くらしの民具   12月 −敷居(しきい)−

 日本人の家屋や土地に対する愛着は、かなり強いものがあって、その付き合いも深く、その付き合いの中から生まれた、家屋の部位を使った言葉も少なくありません。
 今回紹介する「敷居」について拾ってみると、「どうも敷居が高くって、あの家には行けない」とか、「金輪際お前にはこの家の敷居はまたがせない」とか「敷居をふむってのは、その家の主の頭を踏むようなもんで、けっして敷居を踏んじゃいけないよ」なんていう言葉があります。
 そもそも敷居は、家の内と外を区切る戸や部屋の境の襖などを載せる横木のことで、大体は溝が掘ってあり、その上に戸を滑らすものである。敷居に使う木材は、樫(カシ)、桜、欅(ケヤキ)などの堅い木が使われるが、それでも長い間にはすり減ったり、狂いが出て立て付けが悪くなったりする。こうした構造上の問題から、敷居を踏むことを忌む言葉が生まれ、戸外と戸内を区切るところから、敷居をまたぐことと家の主あるいは家人との付き合いの象徴としての意味が生まれてきたのでしょう。
 日本の伝統的家屋が姿を消しつつある現在、敷居も少なくなって、こうした言葉すら、ほとんど聞かない。生活様式や住環境の変化によって、物や言葉が失われてゆくのは仕方ないとしても、家や住む土地に対する愛着まで失いたくないものです。
旧池上家住宅の敷居
旧池上家住宅の敷居

くらしの民具   1月 −土間(どま)−

 旧池上家住宅の敷居をまたいで中に入ると、そこには「土間」と呼ばれる場所があります。
 古民家は板を張った居室部分と、土のままの土間の部分とに分けられますが、土間は広く住宅の半分近くを占めています。
 土間は、雨の日や夜間に藁(ワラ)を用いたワラジや蓑笠(ミノカサ)、むしろ、縄づくりなどの作業所として、また、農具をしまう物置や炊事場などにも使われました。炊事場には木製の流しと水瓶、カマドなどが近い位置に設けられていて、使い勝手の良さを考えた設計になっています。
 暗い土間での作業にはランプなどが使われました。ここでは子供たちも手伝いをして、その中から見よう見まねでいろんな仕事を覚えていったそうです。それにしても、雨の日や夜間にも精を出して働いていたのですから、昔の人はずいふん勤勉だったのですね。
 こうした土間のある住居も昭和30年代後半から急速になくなっていきました。土間はまた、家族が集まる大切な場所でもありました。暮らしが便利に、合理的になっていくのは良いことですが、親から子へと暮らしの知恵や技術を伝え、親子の絆が絶えないよう努力することが、今こそ必要なのではないでしょうか。
旧池上家住宅の土間
土間に筵(むしろ)を敷き、縄をなう

くらしの民具   2月 −床の間(とこのま)−

 日本家屋をイメージさせるに十分な施設が「和室」であり、この畳敷きの部屋に座敷飾りとして設けられているのが、今回取り上げる「床の間」です。
 床の間の前身は、十五世紀初めに武家住宅などに作られていた押板(おしいた)といわれ、幅1.8m以上、奥行き60cm弱、畳から10cm程度の高さに板を張り、壁画を描いたものです。それが室町時代になると壁には軸を掛け、三具足[みつぐそく:香炉(こうろ)・花瓶(かびん)・燭台(しょくだい)]を置くような飾り方が一般的になります。そして、茶室の登場が押板から床の間へと転化するきっかけとなります。茶室では唯一の座敷飾りとして、書画の掛軸や活花などが飾られたからです。その後、江戸時代を通じて、座敷飾りが庶民を含む広い層に普及していくと同時に、座敷には必須のものになっていきます。このような経過を経て、現在のように書画の掛軸や活花などを飾るところとなったのです。
 このように今日でも床の間が特別なものでなく残っているのは、日本らしさやゆとりが感じられ、またそこに住む人の心遣いを表すことができる場所だからではないのでしょうか。
旧池上家住宅の床の間
旧池上家住宅の床の間

くらしの民具   3月 −煙出し(けむだし)−

 茅葺きの古民家の中に一歩足を踏み入れると、独特のにおいに包まれます。懐かしいような、人のにおいがします。古民家が今の住宅と決定的に違うのは、「火のある家」であるところです。家の中で薪を燃やして生活してきたにおいが柱や梁(はり)や土壁に染みついて、民家の独特なにおいを醸(かも)し出しているのです。
 茅葺きの古民家は、空気が対流し、煙が天井から屋根に抜けるように造られています。特に囲炉裏や竃(かまど)の設けられる土間の天井は、竹を縄で編んだ簀の子(すのこ)天井か、または天井を設けないままにしてあります。また、屋根は茅を束ねて厚く葺いてありますが、自然と空気が抜けていきます。囲炉裏の煙が屋根に回ることで薫蒸(くんじょう)効果が得られ、屋根の乾燥と防虫も施されているわけです。
 とはいっても、家の中にあまり煙がたまっても困るので、屋根の一部を切って煙出し(けむだし)が設けられました。外から見たとき、屋根のアクセントになって味のある趣を見せている煙出しと、そこからたなびく煙が、大屋根の下に生活する人々の気配を伝えてくれます。
 今日ではガスや電気を使って、より安全で快適な暮らしができるようになりました。家の中で薪を燃やすこともなくなり、煙出しの必要もなくなりましたが、気密性の高い住宅は、そこに住む人の気配すら遮断しているように思えます。
屋根部に見られる旧池上家住宅の煙出し
屋根部に見られる旧池上家住宅の煙出し


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