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 毎月1日に三芳町が発行している「広報みよし」に『くらしの民具』と題した連載をしていました。ちょっと前までは使われていたものが、生活習慣の変化・技術の進化などにより、形や材質を変えたり、姿を消してしまいました。この連載では、今では見られなくなったもの・使われなくなったもの(民具を中心に)にスポットをあて、ご紹介しています。
 4月 有線放送電話 5月 鍬(くわ)
 6月 休載 7月 千歯扱き・足踏脱穀機
 8月 唐竿(クルリ棒) 9月 休載
10月 資料館まつりPR11月 唐箕(とうみ)
12月 万石通(まんごくどおし)      1月 クズ掃き籠・ハチホン
 2月 熊手(くまで) 3月 筵編み機(むしろあみき)    






【バックナンバーはこちら】
Vol.1(1995年4月号〜1996年3月号)
Vol.2(1996年4月号〜1997年3月号)
Vol.3(1997年4月号〜1998年3月号)
Vol.4(1998年4月号〜1999年3月号)
Vol.5(2005年4月号〜最新号)






くらしの民具   4月 −有線放送電話−

 有線放送の名で親しまれ普及した有線放送電話も、今ではすっかり姿を消し、その存在すら忘れてしまっている。現在のNTT(電電公社)の一般電話が普及する前の短い期間ではあったが、三芳町の7割以上の世帯が加入し、放送と電話を利用していました。
 三芳町の有線放送は昭和37年4月1日から本放送が開始されました。放送所は藤久保の三芳村農協内に置かれ、定時放送以外の時間は電話として通話ができた。夏期は午前5時から午後8時、冬期は午前6時から午後7時半までが利用時間でした(昭和43年)。この頃、放送所は3名の職員が交代で勤務し、放送と交換の仕事に携わっていました。開設当時の三芳広報の記事を拾ってみると「話もちより一つにまとめ................ 午前7時になると、毎朝村づくり音頭”の明るいメロディーが有線放送を通じて各家庭に流れます。さあ、輝かしい一日が始まりますよ!と教えてくれるように」(昭和37年)。
 人口4491人の三芳村がまだ都市化する前、有線放送電話は村人の通話手段として生活の中に息づいていました。
有線放送電話
有線放送電話

くらしの民具   5月 −鍬(くわ)−

 今頃の畑を見ると、ちょうど農家の人が耕しているところに出会うかもしれません。
 この畑を耕すという風景は昔から見られたものですが、今と昔で大きく違う点の一つは、耕耘機という機械が一気にやってしまうのではなく、かつては人間が鍬を使って一畝ずつ耕していたところです。
 今回、取り上げる鍬は決して珍しくはないものですが、見る機会はさすがに少なくなってきました。しかし、機械化されてきた現代の農家で、また、今年の家庭菜園ブームにより一般家庭でも使われているのは、やはり、鍬が「耕す」という作業に適しているからでしょう。
 それでは、三芳と鍬との関わりは、どんなものだったのでしょうか。私たちの祖先は、今の形とは違うものの、縄文・弥生時代の頃から鍬を使っていました。それが、使う人・場所・目的・材質などに応じて適したものへと変化し、今の形となりました。
 その一つの例として、三富新田開拓で使われた黒鍬があります。この黒鍬は、私たちが知っている現代の鍬より刃の部分が厚く幅が広く、刃と柄の角度が60〜80度と聞いています。さらに、柄が太く短くできていることで力を加えやすく、打ち下ろした時に深く土に食い込むようにできています。まさに開墾用に作られた鍬といえます。
 ここでもまた人々の知恵の豊かさを垣間見ることができ、鍬という農具が珍しいものでなくとも、後世へ伝える貴重な民具であることにかわりありません。
鍬3種
奥から三本鍬・平鍬・黒鍬

くらしの民具   6月
 紙面の都合により休載。

くらしの民具   7月 −千歯扱き(せんばこき)・足踏脱穀機(あしぶみだっこくき)−

 
 今はほとんど見られなくなりましたが、かつて三芳町周辺では6月下旬から7月上旬にかけての時期の麦の収穫は夏の来る前の風物詩でした。天気の良い日、汗まみれになっての脱穀は重労働であり、麦のノゲが体について、一日中チクチクしたそうです。
 今回の民具は、千歯扱きと足踏脱穀機です。ともに稲や麦の穂から実をとる脱穀の道具である。千歯扱きは、台木の上に鉄(竹)製の歯を櫛状に並べてさしてあり、この歯と歯の間に麦の束を通して抜く。江戸時代の元禄期に発明され、全国に普及した。当時としては画期的な脱穀用具であり、大正時代まで改良されながらも長く使われました。
 
 この千歯扱きの後を引き継いだのが、足踏脱穀機です。木(鉄)製のドラムに逆V字型の歯(太い針金状)がさしてあり、このドラムを回転させ、ここに麦束を当てて脱穀する。ドラムに回転力を与えるのが、足踏み式ペダルである。千歯扱きに比べると飛躍的に能率が上がった。足踏み脱穀機は明治末に発明され、昭和初期にはかなり普及し、戦後まで使われました。
 発動機を使った動力脱穀機が普及した後でも、少しの脱穀なら足踏脱穀機が、また、種籾をとるのには千歯扱きが使われたそうです。
足踏脱穀機
足踏脱穀機の作業


千歯扱き

足踏脱穀機

千歯扱きの作業

くらしの民具   8月 −唐竿(クルリ棒)−

 先月は、麦の収穫時期ということもあり、千歯扱き・足踏み輪転機を紹介しましたが、今月も麦扱きに必要な道具のひとつ「唐竿」を紹介します。
 まず唐竿の前に、麦の収穫以降の作業を紹介してみましょう。
刈り取った束を交互に積み上げ、畑で二・三日乾燥。
千歯扱きや輪転機で麦穂を扱く。
扱いた麦穂を筵の上で天日干しをし、唐竿で叩き芒を落とし粒を取る。
脱穀した粒を唐竿などで選別し、俵に詰める。−以上の四つが収穫後の工程になります。
 そして、三番目の作業を棒打ちといい、ここで使われる民具こそ「唐竿」なのです。
 名称を唐竿といいますが、関東ではクルリ棒・ボ打棒などと呼ばれ、三芳でもクルリ棒という名称の方が一般的です。仕組みは簡単で、一・五メートル程の柄の先に、回転する棒状もしくは細い竹を並べて固定したものが付いています。これを筵の上に広げた麦穂に打ちつけると、芒を落とすことができます。
 この「棒打ち」は梅雨時の晴れ間の作業で、たいていの家では隣近所や本・分家同士など、多いときは十人以上が集まって行いました。まだ三芳でも麦が作られていた頃は、棒打ちの音や人々の賑やかな声が、夏の空に響いていたことでしょう。
棒打ちの風景
棒打ちの風景

いろいろなクルリ棒

くらしの民具   9月
 紙面の都合により休載。

くらしの民具   10月 −資料館まつりPR−

 10月12日(日)に「資料館まつり」が開催されました。この日は歴史民俗資料館と古民家・旧池上家住宅を会場に、各参加団体の方々の日ごろ磨いた腕が披露されました。 まず、祭りを盛り上げるお囃子の音色に誘われて会場に入ると、民家脇の土蔵の中では昔話、庭先ではむしろ編みの実演と藁馬作りの体験ができました。また、資料館の2階では車人形も上演されました。ひととおり見て体験した後で焼きだんご、手打ちうどん、そばけんちん、さつまいもなどに舌鼓を打ち、一日中楽しんでいただきました。
 (追記)現在も毎年開催しておりますので、今年もぜひご家族連れでおいでください。
焼きだんご
焼きだんごづくり

くらしの民具   11月 −唐箕(とうみ)−


 秋は米の収穫の季節です。三芳町でもかつては竹間沢のハケ(崖)下から柳瀬川に続く土地に水田があり、昭和40年ごろまで稲作が行われていました。
 今月は、かつて米の収穫後に使われた農具のひとつ「唐箕」をご紹介したいと思います。 初めに、米の収穫後の様子を大まかに述べておきましょう。まず、刈り取った稲を束にし、矢来にかけて乾燥します。そのあと脱穀機で脱穀したら、籾に混じっている荒ゴミを風力で取り除きます。その後さらに「唐箕」に入れて細かいゴミを取り、籾だけを取り出します。籾は再び天日で干し、籾摺り機にかけ玄米に、さらに万石で選別したあと精米して白米となります。
 
 以上が収穫後の過程ですが、「唐箕」はその名のとおり中国から伝わり、江戸時代から使われ始めたといわれています。唐箕は風力を利用して穀物を精選する農具で、作業は二人で行います。一人は把手のついた柄を持って回し、それが中の風車を動かし風を起こします。そしてもう一人が唐箕の漏斗に脱穀した穀物を入れます。風力で軽い穂のゴミは飛ばされ、重い籾がその重さにより二つに区別され、下部の左右の出口から出てきます。軽い籾は粉に加工したりするので、無駄のないように工夫されています。また、昭和10年ごろまで使われてきたこの農具は幾度か改良もされ、歯車が中に組み込まれ、より軽い回転で風力を増加するよう工夫されたものもあります。
 このように人々の知恵が詰め込まれた農具は、それぞれの時代において常に生産力の向上を実現させてきたのでしょう。
唐箕
唐箕

唐箕の作業

くらしの民具   12月 −万石通(まんごくどおし)−

 今月ご紹介する民具は、先月号で取り上げた唐箕と同様、かつて米や麦などの穀類の選別に使われた万石通という農具です。
 この万石通は、一度に大量の穀物を選別できることから、また商品として販売効果が上がるようにとの期待から、その名が付けられたようです。
 仕組みは、上部に穀物を入れる漏斗があり、その漏斗が付いている方を高くして傾斜をつけています。この傾斜の角度は変えることができます。また、傾斜面は金網になっていて、穀物の種類などに合わせ、目の粗さの違う金網と交換できるようになっています。
 使い方を、竹間沢でかつて稲作をしていた人に聞いたところ、唐箕にかけて選別したものを更にきれいに選別するために万石通を使ったそうです。唐箕にかけて出てきた籾を万石通の漏斗にいれると、あとは金網の上を流れる間に粒だけがきれいに残るというわけです。
 今年もあと一ヶ月。今や町内では米や麦は作られなくなったとはいえ、こうしてかつての農作業やそれに使われた民具を振り返ってみると、来年も三芳で多くの作物が収穫されることを祈らずにはいられません。
万石通し
万石通し

くらしの民具   1月 −クズ掃き籠・ハチホン−

 三芳の農家にとって、冬のヤマ仕事はつらい重労働であった。この仕事が終わらなければ正月も迎えられないので、三芳では昭和30年頃まで、月遅れの正月を祝っていた。冬のヤマ仕事とは、ヤマと呼ばれる雑木林からクズ(落ち葉)を掃きだし、屋敷内に積んで堆肥づくりをする仕事でした。特に、さつま農家にとっては苗床用に使うため、欠かせない仕事でした。
 クズ掃き用の籠は、ロッポンまたはハチホンと呼ばれる大型の竹籠が使われる。籠の底を編んだ竹の本数で分けられ、ハチホンの方が一回り大きくなる。また、ハチホンには丸形と小判型(楕円形)の二種類あり、丸形は竹間沢、小判型は上富で多く使われました。
 クズ掃きは、寒い早朝からヤマに出かけ、まずバヤ刈りといって、下草や茅、篠、木の下枝などを刈り、枯れ枝を拾い集めます。これらは煮炊き用の燃料にするので、ていねいに集めるのだが、落ち葉を掃きやすくするために最初に行うのである。これが済んだら熊手を使いクズを掃き集め、ハチホンに詰める。足で踏み付けながらぎっしり詰められた落ち葉は、ひと籠で70kgほどにもなる。これを担ぎ、手車に積んで何往復も運んだのです。
クズ掃き風景
クズ掃き風景

くらしの民具   2月 −熊手(くまで)−


クズ掃きの熊手とリヤカー
 今月紹介する熊手は、先月号で取り上げたハチホンとともにヤマ(平地林)のクズ(落葉)掃きになくてはならない重要な農具です。ハチホンはクズを詰めはこぶ農具ですが、熊手はクズをかき集める農具です。
 熊手は20年ぐらい前まではマダケで作られていましたが、今では材料として肉厚で一本の竹からより多くの熊手を作ることができるモウソウダケが使われています。熊手作りは竹を16等分に分割して手のひらのように広げて穂先とし、先端を曲げます。なお、先端の太さは昔から使い慣れてきたものがあり地域によって異なります。三芳から川越にかけては細目のものが、所沢市南永井の方では太めのものが使われてきたようです。
 先端を曲げた後、要の部分に使う人が持ちやすく、力のよく入る程度の太さの柄竹をつけてから、竹のさんを渡し、針金の入ったビニ−ルのコ−ドで固定します。以前は締まりのよい藤づるを使っていましたが、今は材料不足のため使われなくなりました。
 ところで熊手でクズを掃くことを「かきこむ」といいますが、熊手は幸運を集める縁起物とみなされ、江戸時代に酉の市で販売されるようになりました。農具の熊手も大地を豊かにする堆肥になるクズを「集める」という意味で相通じるものがあると思います。

くらしの民具   3月 −筵編み機(むしろあみき)−

 春の足音が聞こえ始める3月。冬の農閑期もあとわずかです。しかし農閑期といえども、かつては次の農繁期へ向けて大切な作業が行われていました。
 そんな農閑期の代表的な作業のひとつが「筵編み」。筵は敷物としても用いられますが、特に穀類を天日で干すのに欠かせないものでした。そして、その筵を編むのに使われたのが「筵編み機」です。
 筵編みは、まず経縄となる細い縄を筵編み機に掛けます。次に編物に使う鉤針を大きくしたようなヒという道具を使い、経縄の間に藁を通していきます。この後に経縄が通してある中央のオサを使って、通した藁を打ちつけるように編んでいきます。
 かつて筵編みをしたという人に聞いてみたところ、「まっすぐに、かつ、織り目をしっかりつめて編むのはとても難しい。」と言っていました。しかし、約1畳分の筵を(両端もきちんと)仕上げるのにわずか5時間ほどで出来たそうですから、驚くばかりです。
 このような話を聞くと、筵のひと目ひと目には、米や麦などが少しでも多く収穫できるようにという祈りが込められているような気がします。
筵編み作業
筵編み作業

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